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アリスをめぐるミステリー  作者: 大和麻也
文化祭特別号(夏休み取材編)
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7-7 不穏な空気

「体中痛いのは確かだけど、まあ心配には及ばないよ」

 保冷剤を包んだタオルで鼻を抑えた辛島部長は、くぐもった声で駆けつけたおれたちの心配を和らげるべく務めた。傍に置かれた屑籠には血の付いたちり紙が入っていて、ジャージには幾筋かの血痕が走り、眼鏡を外した鼻の頭は真っ赤に充血しているのが見える。

 外見上のインパクトのみならず、アイシングまで行う本格的な処置をされているという事実が、先刻まで楽しい気分でいた高校生たちにとっては刺激が強い。自分の怪我でなかろうと関係ない、暑さも忘れて震え上がる思いだ。

「辛島、保険証かそのコピーは持っているな。頭を打ったようだし、血も結構出たし、念のため、明日は部の予定を中止して午前中は病院に行こう。あとでみんなが揃ったら改めて伝えるから」

 後藤先生の言葉に、辛島部長はしょんぼりと頷いた。

 話によると、中央階段の二階と一階のあいだの踊り場で転んでから、まだ十分も経っていないという。それでも新聞部、天文部のメンバーや大人たちがほとんど揃っているという状況が、事の重大さを物語っている。まだ顔を見せていない二年生の女子を呼びに行くため、水橋は医務室を出た。

 水橋が出ていってまもなく、がちゃりという音に振り返ると、安斉先輩の姿があった。患者の姿を一見して、「これはひどい」と言いたそうな表情を浮かべる。

「戸川先輩と坂村先輩は?」

「ふたりとは一緒にいなかったよ。ロビーにひとりでいたけど、寮長さんたちが忙しそうにしているから何かと思ったら……」

 祐未子先輩は心配するでしょうね、と俵が安斉先輩の言葉を完結させた。

 俵が言い終えたちょうどそのときに廊下からぱたぱたと駆ける音が近づいてきて、戸川先輩と坂村先輩を水橋が連れてきた。

「法人、大丈夫?」

 彼女は血の付いたジャージにも臆せず駆け寄って、座っている彼の前で膝立ちの姿勢になった。

「ああ、骨が折れたとかそういうことはないから。あとは血が止まればいいし、せいぜい痣ができるくらいだと思う」

「まあ、思ったよりはひどくないみたいだけど……」

 ふたりは深く息を吐いた。それがまったく同時であったことをくすりと笑い、少しばかり緊張がほぐれたようだった。

 改めて後藤先生が天文部員たちに明日の行動について話した。おれたち新聞部員は明日天文部員に同行する予定であったため、我々もまた宿舎で過ごすことにすると西野先生が伝えた。

 心配な思いと残念な思いとが混ざり合った空気が医務室に漂っていた。

 そんな中、おれはつい目の端で、ちらちらと坂村先輩を窺ってしまう。

 メンバーがばらばらに行動する夜の時間帯、グループの中心人物が階段から転落をして怪我をするという状況が、どうしてもおれの頭の中で強く意識される。『手紙を開くとき』と似た状況が。

 おれは「ミホ」の存在が気になってならないのだ。



 生徒たちが泊まる二階はまた少し賑わっていた。

 辛島部長が止血を終えて部屋に戻ったのはいいが、夏の夜の暑さのせいでいつまた出血してしまうかわからないし、体の痛みもあるしで、いかにゆっくり彼を眠らせるかで布団の敷き方やら位置やらをいじっている。夕食後の二時間のうちに不器用な男子たちが敷いておいた布団は元々綺麗に敷かれていたわけではなかったとはいえ、すっかりぐしゃぐしゃになってしまった。

 廊下では生物部員が行き交っていた。ようやく一時間にも及ぶミーティングが終了したらしく、やれ入浴だの布団だのと忙しそうにスリッパをぱたぱたと鳴らしている。

 隣の部屋はすっかり静かになっていて、もう就寝してしまったのだろうと想像される。サイクリング部部長、短気の宮崎先輩はこの騒々しさに腹を立ててはいないだろうか。

 静かな気持ちになりたくて、ロビーのソファに腰かけた。ロビーの消灯も間もなくで、生物部員たちもゆっくりしてはいられないためか閑散としていたそこは、いまのおれにちょうどよかった。

 そこに、戸川先輩が通りかかった。ふと目が合ったその一瞬で、互いに同じ胸の内でここに来たという旨が交換される。レースの付いた薄いピンク色の寝間着に着替えた彼女は、疲れた様子でおれの正面に腰かけた。

「落ち着かないね」

「まったくです」

「寝る準備はできた?」

「はい。先輩もそのようですね」

 こんな話はどうだっていい。どちらが先に切り出すかだ。

 耐えかねて本題を提示したのは戸川先輩だ。

「法人は本当に転んだだけなのかな?」

 さあ、とおれは焦らす。

「誰かが突き落としたってことはないのかな? ひとりで転んだにしては尋常じゃない鼻血だったし、階段には手すりもあるんだよ?」

 建前上、彼を想うあまりの言葉ではないのかと窘めなくてはならない。その旨彼女に反論すると、彼女は少し声のトーンを落とした。

「岩出くんの言う通りなのかもしれないし、部活の仲間を疑うのは良くないとも思うんだよ。それは、当然。でも、岩出くんだって医務室で難しい顔してたじゃない。疑問があるんでしょ?」

 その通りである。おれは正直に首肯した。

「まさに戸川先輩と同じ点に疑問を抱いています。転んだという割には、事が大きすぎるように見えます」

「……誰かがやったんだよね、きっと。彼、少し強情で強引なところがあるから、ひょっとすると誰かと揉めたのかもしれない」

「失礼ながら、おれもそう思います」

 彼女がわずかに身を乗り出したところで、おれはさっと手を出して遮る。

「でも、残念ながらおれたちが内部から調べたって、それこそ身内を疑うばかりで良くありません。客観性も保てません。余計な揉め事を起こしかねないでしょう? それに、もし戸川先輩が昨晩のことを訊いて回ったとして、辛島先輩と付き合っている事情がありますから、犯人捜しだと思われて疑心暗鬼が広がってしまいます」

「そ、それはそうだけど……」

「一応、この件を解決するのに頼れそうな人がいます。その人に連絡してみます」

 そういうことなら、と彼女は不満を噛み殺して椅子に深く座りなおした。

 ただし、いまのうちに話を始めておかなくてはならない。

「その話をするにあたっては、戸川先輩がまず潔白であることを示さなくてはなりません。階段の件があったのは九時半ごろでしょうか、先輩はどこで何をしていましたか?」

 へ? と彼女は面食らったようだったが、すぐに話を飲み込んで答えた。

「部屋にいたよ。実保とふたりで話してた」

 ふたり、か。そのふたりで示し合わせれば、でっち上げることも可能だ。

「そういう岩出くんは?」

「屋上にいました」訊き返されるだろうと思っていたので、おれは至って冷静に返答できた。ついでに、どういうふうに言えば疑われずに済むのかを戸川先輩に伝えるべく、情報を重くする。「三倉部長、田崎、水橋、田橋、高橋先輩と一緒にいました。留川とは一緒にいませんでしたが、彼が事を伝えに来たときにおれがそこにいたことを確認していることでしょう」

 それじゃ、とおれは戸川先輩を残して立ち上がった。



「頼れる人」に一報入れるのは消灯時間後だ。臨時に指定された消灯時間は十一時と、高校生にしては早めの時間であったため、連絡するのに少しばかり気楽であった。

 みな疲れて布団に入っている中、おれは行儀が悪いことを承知で布団の中に携帯電話を持ち込んだ。インターネットに接続し、フリーメールにログインする。新聞部のアカウントではない、おれ個人のアカウントだ。

 メールを作成する。

 宛先は、星宮アリス。

 彼女であれば間違いなく部外者であるし、秘密を守ってくれるであろう。それに、彼女にはミステリを描くだけの論理的な思考力がある。さらに、彼女がもしおれを助けてくれるなら、正体を知るチャンスともいえる。

 きょうの出来事を詳しく伝える。その前置きとして、この件は『手紙を開くとき』に状況や背景が似ているから、上手く解決をしないと最終話を新聞に掲載できなくなる、そうでなくても内容を改変してもらうかもしれないと記しておく。

 最終話の掲載のためにも、力を貸してほしい――なるべく彼女の小説を人質に取る論調にならないよう、彼女をその気にさせる文章を工夫した。

 返信はないだろう、と心の中でため息をついてから、送信ボタンを押した。

 彼女は果たして、自作のためにAlice Memoに書かれた規則を破るのだろうか。

 どれくらい待ってから諦めて眠ろうか、などとくだらないことを考えていると、画面が切り替わるのに気が付いた。返信が届いたのだ。


『岩出さん。メールを読みました。拙作の心配をしてくれて、ありがとうございます。でも、最終話は改変しません。我儘を言うようですが、自分が描いたそのままの形で掲載してもらいたいと思います』

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