第五回 あの子の話
夏休み直前特別号掲載
『手紙を開くとき』
星宮アリス
泣きじゃくるこのみを見送って、美穂と正樹は昇降口に立ち尽くしていた。
このみが涙を流す姿を見て、ようやく教室は鎮まった。とはいえまだ協力して作業をできるような空気ではなく、皆が散り散りになってそれぞれがそれぞれに必要だと思っている作業を再開していた。
「ねえ、ひとりで帰してよかったの?」
このみが校門のところを曲がったのを見届けて、美穂は呆然と正樹にそう問うた。
「それは美穂のことだろう?」
正樹もまた、上の空で答える。
「私、解ってて言ってるんだけど」
「……そうか。お気遣いどうも、余計なお世話だぜ」
ふたりは教室に戻ろうとはせず、ただ静かにこのみの話を続けた。
「私、このみとは小学校も中学校も同じなの」
「知ってる」
「だろうね。でも、このみが小学校高学年から中学二年生くらいまでいじめられていたのは、知らないでしょ?」
「……なんとなくそうかもしれないとは思っていたよ。雰囲気とかから」
「まあ、正樹はいつもこのみを見てるからね、そう感じるかも。あの子ちょっと人見知りで無口なところがあるし、転校生だったし、家も比較的裕福だったから、いま思えば少し世間ズレしてたのかも」
美穂はずっと心配していた。友人といえる友人が自分くらいしかいない、しかもその自分がおそらく唯一無二の親友であるこのみにとって、直登は眩しすぎるのではないかと。そう思ってからは、このみと直登が親しく振舞っているようでも、どこか表情が硬く見えていた。
正樹が訊く。
「なあ、もしかして『あれ』もそのときのいじめのせいなのか?」
その『あれ』に心当たりがあった美穂は、心臓を握りつぶされたかのような心地になった。高校中で自分しか知らないと思っていたし、このみも『あれ』からは抜け出せたものと信じていたから。
「え? まさか見たの? あの子、止められていないの?」
「落ち着いてくれ、美穂。俺が見たのは一回だけだ。このみもそのとき魔がさしただけかもしれない」
「ねえ、一応その『あれ』っていうのを確認してもいい?」
正樹は頷く。ふたりはじっと互いの目を見つめ、アイコンタクトで「せぇの」と声を合わせた。
「万引き」
美穂は頭を抱え、正樹は天を仰いだ。
正樹によると、このみが犯罪に手を染める瞬間を目にした場所は、駅に続く道にあるスーパーでのことだったという。確かにそこは店内がかなり煩雑で、店員もそれほど多くはない地元のスーパー、という感じの店舗。万引きに都合がいいのかもしれない。高校生が通うには違和感があるかもしれないが、このみは予備校に夕食を買って持っていくためにしばしばそこを訪れている。
「いじめられているときに何度もやらされて、そのうち自分も癖になっちゃったのかな」
信じたくない、というふうに美穂は首を横に振った。
「俺も見たなら止めなきゃいけなかった。でもそのときは、その……」
「言わなくていいよ、私にも気持ちはわかる」
「……そう言ってくれると助かる」
ふたりは踵を返し、階段を上りはじめる。数歩先を行く美穂の背中に、正樹は問いかける。
「なあ、美穂が俺の気持ちを勝手に理解したように、俺もお前について、話していないことを勝手に理解したことにしてもいいか?」
美穂は踊り場で歩みを止める。決して振り返らない。悲壮感漂うその背中を正樹に見せつけるかのように。
「いいよ、たぶんそれで間違いないから」
【次号、最終回】




