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アリスをめぐるミステリー  作者: 大和麻也
夏休み直前特別号
36/58

6-4 あの子はどこへ?

 水曜日、部室棟の階段を汗だくになって上る。アニメ文化部と漫画部の部室は最上階に並んでいる。

 集合の時間まではあと十分ほどだが、アニメ文化部の扉を開けても誰もいない。もしかしたらと隣の漫画部を覗いてみたところ、集中した目つきの望先輩がペンを持った手を動かしていた。

 邪魔だろうかとも思ったが、声をかけないわけにもいかない。

「望先輩、ひとりですか?」

 漫画部の部長が顔を上げる。よほど集中していたのか、おれの来訪に少々驚いたような表情を浮かべながら首を縦に振った。

「有紗先輩たちは?」

「有紗ならいまさっきトイレに行ったよ」

「そうでしたか。ほかの部員はわかります?」

「吉寺くんと大和田くんが来てたよ。ふたりともほかの部活の友達と時間を潰しているんじゃないかな、もうすぐ戻って来ると思う」

 アニメ文化部員はきょう、文化祭で上映するコマ送りアニメーションを作るために集合する。望先輩はその手伝いだ。有紗先輩と望先輩はわざと早く来て、漫画部の部室で漫画を読むなどして一緒に過ごしていたのだとか。ここには歴代の部員たちが置いていった漫画が大量に本棚に並べられており、『サービスしましょ』も全巻並べられていた。

「何を描いていたんですか?」

 望先輩の手元を見ると、歌子が笑っていた。しかも、手本もなしにフリーハンドでさっと描いたものだという。すごい、と素直に感想を述べると、まだ完成してないよ、と作者は照れ笑いした。

「お、諒くんじゃない。望も描けた? ……いやあ、やっぱり上手だね」

 トイレから戻ってきた有紗先輩が漫画部に入ってきた。望先輩はいっとうはにかんで仕上げの作業を始めた。時折違う色に持ち替えながら、さらさらと軽やかにペンを動かしていく。

 それから十分ほど経ってアニメ文化部員たちが集合したころ、彼女は歌子を描き上げた。柔らかい質感の色合いは、活き活きとした歌子のキャラクターとは少し違ったかわいらしさを生み出していて、懐かしい気持ちで見惚れてしまうようなものに仕上がっている。大袈裟にスコートが捲れているのは、原作でもそう描写されているのだからそういうものなのだ。

 たったいま部員が揃って作業をはじめようかというところなのに、アニメ文化部員たちの注意は望先輩の「できた」の一言でそちらに逸れてしまった。その一枚が立派なものだとはおれも思うのだが、それよりも自分たちがやるべきことがあるだろう。ただ、早く進めましょうとおれが言っても、有紗先輩はうるさい、うるさいと取り付く島もない。正論を言っているほうが虚しい気持ちになるなんて。

「ねえねえ、これ、アニメ文化部にちょうだいよ。壁に貼りたいな」

 有紗先輩は喜々として頼み込むが、望先輩は首を傾ぐ。

「でも、壁も天井もいっぱいでしょ?」

 事実、アニメ文化部の部室はありとあらゆるポスターやタペストリーでいっぱいになっていて、何かを新しく飾ろうというのは無謀だ。

「じゃあ、この部屋に飾っていい? 時々見に来るんだ」

 それはいいけど、と絵の作者はまた照れ笑いを浮かべた。自分の絵を飾った部屋で後輩たちと過ごすとなれば当然小恥ずかしく思うだろうが、そういった他者の心理を慮るのに時間がかかるのが有紗先輩ほかアニメ文化部員たちである。

「でも、この部屋も本棚でいっぱいだね」

 藤岡先輩が部屋を見回しながら言う。漫画部というだけあって、部屋の両側に本棚が並べられ、さらにそこには日除けのための薄い布がかけられているから、絵を貼って楽しむという空間ではない。

 理恵子(りえこ)の言う通りだね、と有紗先輩も腰に手を置いて考えるが、すぐに人差し指を立てて妙案を思いついたという典型的な仕草を見せる。

「天井がまだ空いているじゃない」

 確かに天井は、部室にある漫画の限定特典として手に入れたポスターが数枚貼られているのみだから、新しく一枚足すくらいなら問題ない。歌子は比較的大きな紙にカラーで描かれているので、少し小さく見えるかもしれないものの充分に楽しめるだろう。

 よいしょ、と有紗先輩が靴を脱いで椅子の上に乗る。テーブルに片足を乗せたところで、おれか吉寺か、とにかく入り口付近に立っていたおれたち男子を睨み付けた。

「ちょっと、男子は出て行ってよ」

「はあ、どうして?」

「うちの制服は歌子たちのほど短いわけじゃないけど、念のため」

 なるほど、スカートか。

 男子三人はすぐに気が付いて一旦部屋の外に出た。大和田などはなかなか背が高いのだから、有紗先輩が机に上がることもなかったのに。

「あ、英雄(ひでお)くん。ついでだから隣の部屋から鞄を取ってくれない?」

 大和田が最後にドアを出かかったところで、有紗先輩が頼んだ。いいですよ、と返事した大和田はさっと無人のアニメ文化部へ入り、言われた通り鞄を持ってきた。中を見ないようにドアを半開きにして、鞄を手渡した。

 廊下から部屋の中を見ることができるのは、天井付近の小窓からのみとなる。有紗先輩の腕やら影やらがちらちらと動いているのがわかる。貼る位置を決めたのか、藤岡先輩に自分のペンケースを出してほしいと頼む声が聞こえた。天井に画鋲で貼るわけにはいかないので、セロハンテープを使うためだ。

 だが、次に有紗先輩の声が聞こえてきたのは、絵を貼り付けるには至らないほどの早いタイミングであった。


「あ、あれ? なんで歌子がいないんだ?」


 何を言っているんだ、と大和田と顔を合わせる。間髪入れず、中で有紗先輩が机から飛び降りたものだから何事かと余計に不思議に思う。扉を開いた眼鏡の部長自身、心底驚いている様子だった。

「何事ですか?」

「歌子が……私の歌子のストラップがなくなった!」

 なんだ、その程度か――と感じるのはおれだけで、部員たちにとっては一大事である。何せ、一海歌子のラバーストップは配布数が少なく、希少価値が高い。

「鞄の中には落ちていなかったんだ、この部室のどこかにはあると思うんだけど……」

 同好の士である部員たちにとっては、レアな歌子のストラップは共通財産ともいえる。これを紛失してしまっては、二度と目にすることができないかもしれない、という思いが湧きあがる。

 直ちに部屋の中の捜索が始まった。机の下、ゴミ箱の裏など、みな身を屈めて目を皿にする。おれも例外ではなく、部員ほどのモチベーションではないにせよ遺失物の発見に努めた。

 それにしても埃っぽい。おれもあまり埃が得意なほうではないから、咳払いしながらの捜索だ。漫画部は紙を大量に使い、細かく道具を使い分ける作業があるから、散らかってしまって清掃が行き届かないのだろう。加えて、先ほど有紗先輩が天井をいじったから、蛍光灯の裏の埃が舞ってしまったのではないか。

 五分ほど探したが、見つかりそうにない。

 はあ、と息をついて有紗先輩が立ち上がる。切羽詰まった様子で、全体に聞こえるよう大袈裟に言う。

「学校に来てからペンケースは鞄から出していない。でも鞄に入れたとき、ストラップは間違いなく付いていた……ということは、盗まれたってことじゃない?」

 苦々しい顔で腕を組む。部員たちのことは疑いたくないが、疑うほかない――そういうことを暗に訴える表情である。

「部室はしばらく開けっぱなしだったんでしょ?」諭すような口ぶりの藤岡先輩である。「泥棒が入っても仕方がないかもね。レアものだからなあ」

 どの部員も、目の端で吉寺を捉えている。本人は気が付いていないようだが。

 ただ、吉寺に疑惑が向けられるよりも先に、藤岡先輩の言葉に対してふたつのリアクションが帰って来る。

 まず大和田が手を挙げた。

「あの、もしかしてみんな未だにガセを信じていたんですか? 歌子のストラップは別にレアではないそうですよ。配布数はほかのキャラと同じだって、おととい『ダッシュ』の広報がSNSで発表していましたから」

 そしてもうひとり、望先輩。

「盗むって言ったって、きょう六階で部室を使っているのはわたしたちだけだよ?」

 柔らかな彼女の声だが、その意味するところはひやりと冷たい。

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