6-2 疲れる休日
腕時計を見ると、時刻は午後二時半を回ったところだ。
おれは仕方なく、ひとり制服姿で私服の五人に加わった。聞くと、前有紗部長以下アニメ文化部の面々は、アニメ映画を見に行く約束で集まっているのだという。
「諒くんも一緒に見に行かない?」
アニメ文化部では部員どうし下の名前で呼び合うことに決めているのだとか。だから、おれのことまで下の名前で呼び、おれも下の名前で呼ぶよう求められている。
「一応、何の映画を観るか聞いておきましょうか」
有紗先輩はよくぞ訊いてくれたね、と言い、ピッと手首を返してパンフレットをおれに渡してきた。いちいち所作や言葉遣いが演技めいた先輩から細長く折られたそれを受け取る。
「劇場版『サービスしましょ』ですって?」
タイトルからして、なんといかがわしいことか。
「あ、タイトルで疑っているな? はあ、そういう誤解が多くて困るんだよ」
有紗先輩はのけ反るようにして背もたれに寄りかかった。ジーンズ生地のシャツの襟が冷房の風に揺れる。
「いいかい、よく聞いてよ――」
長々と語られた作品の概要はこうだ。
テニスは好きでも間抜けで運動音痴な少女、一海歌子は、高校に入学してすぐ男子テニス部の金沢翔馬に一目惚れをする。浮かれた歌子はよく考えもせず女子テニス部に入部するが、名門にしてハードなトレーニングで知られるそこは、歌子の実力では到底ついていけるような場所ではなかった。しかし、サービスの才能だけはあると先輩の風間光に目を付けられて特訓に挑み、それで得たサービスの技術を武器としてついにレギュラー、そして全国レベルまで這い上がる、という物語だ。
その人気は止まるところを知らず、漫画でスタートしたものがあれよあれよとアニメ化、そして映画化となったそうだ。今回の映画は前の三月に放送が終了したアニメ第二期の直後のストーリーを映像化している。
連載当初からのキャッチコピーは「熱すぎるハートと短すぎるスカートで全力疾走!」――やっぱりいかがわしいのではないか。
どう? と語りを終えた有紗先輩は問う。
「どうも何も、おれは別に興味がないっていうか」
「ふうん、取材の一環になると思うんだけどな」
それを引き合いに出されては、おれも断り切れなくなってしまう。
そうと決まればさっそく映画館へ行こう、と有紗先輩は立ち上がる。女性としては背が高く、おれと目線の高さが同じくらいだ。そして、目が合うとなぜか一歩下がりたくなるような真っ直ぐな眼差しを持っている。
「まあ、面白い映画だから見ていれば面白くなるよ。本編を知らなくてもいいようにできているし」
「……観たことがあるような口ぶりですね」
「だってきょうで二回目だもん」
事もなげに言う。
「はあ、なぜ何度も?」
「そりゃもちろん、劇場で配布されるラバーストラップ目当てに決まってるよ」
何がもちろんなのかわからないが、曰く、六種類のストラップが観客全員にプレゼントされるらしく、全種類をコンプリートするだとか、気に入っているキャラクターのものを手に入れるだとかで、何度も劇場に足を運ぶのだという。
トレイや屑ごみを片付けているあいだに、ほかの四人の部員たちに訊いてみると、最初だという部員がふたり、二度目だという部員がひとりいて、副部長の藤岡先輩はなんと三度目だという。
店を出たところで、部員のひとりに肩を叩かれる。振り返ると、それは確か一年生の吉寺という部員だ。修二と呼ばれていた。
「どうした?」
「いや、実はさ……」
申し訳なさそうな声で、引きつった愛想笑いを浮かべている。これは間違いない。お金ならおれは貸さないぞ、と先手を打った。
吉寺は「ああ、やっぱり!」と残念そうに声を上げる。
「頼むよ、いま金欠なんだ」
「でもな、吉寺。お前、さっき二回目だって手を挙げていたじゃないか。一回観たならきょうは止せばいい話だろう。そもそも、一度観たせいでお金がないっていうなら、貸す気も湧かない」
「固いこと言わないで、必ず返すからさ!」
こればかりはおれでなくとも断ると思う。
部員でもなければクラスメイトでもないおれにお金をせがむとは、すでに親から小遣いを前借しようとして大目玉を食らい、部員に返していないお金があり、しかも狙っているキャラクターのストラップがまだ手に入っていない、といったところか。
自業自得だと少し強く突っぱねると、吉寺の様子に気が付いた同じ一年生部員の大和田が止めに入ってくれた。
「岩出にまでせびるな、バカ。俺が貸してやるから」
と、吉寺を引っ張っていってくれる。しかし、大和田も大和田でお金を貸すのは気乗りしないだろうから、建前として、大丈夫なのかと訊いておく。
「俺はいいんだ、バイトしていて余裕があるから。まったく、修二は歌子に貢ぎすぎなんだよ」
うっかり失笑しそうになる。「貢ぐ」か。
利子をつけるからな、と大和田は吉寺を叱りつける。いまにも拳骨を食らわせそうな、まるで父子を見ているかのような。
一年生の男子部員ふたりが後方で問答をしている一方で、前方では二年生女子三人が並んで歩いている。この部には有紗先輩と藤岡先輩のほかに一年の楠神という部員がいるのだが、きょうはいないらしい。代わりにふたりと同じ二年生がいるようで、
「ストラップってどういうふうに配られるの? 選べないんでしょ?」
「あ、そうか。望は初めてだもんね。中が見えない袋に入ってて、入口で適当に配られてるよ」
と有紗先輩と親しげに語らって歩いている。アニメ文化部部長とは対照的に、鞄を両手で持って小さな歩幅で歩く彼女は、大人しげで穏やかな印象の人だ。
その望という人も部員だとすると、新聞部の部活リストに記録されている人数と合わなくなる。有紗先輩の個人的な友人なのだろうか。
「あの、望先輩って部員ではありませんよね?」
後ろから問うてみると、本人が振り返った。
「うん。わたしは漫画部」人ごみの中ではともすれば聞こえないほどの声だ。ゆっくりとした口調のおかげで聞き取れている。「『サービスしましょ』は連載が始まったときから好きだから、一緒に来たんだ」
「周もうちと漫画部を兼部しているんだ」有紗先輩が後ろ歩きになって口を挟んだ。周とは楠神の下の名前である。「部室が隣同士、サブカルチャーって括りで趣味が似ているからね」
周も歌子推しなんだよ、とどうでもいいことも付け足した。
言い終えると、有紗先輩は右足を軸にくるりと回って前に向きなおった。
漫画部員が面白いというなら、いかがわしいとはいえ多少信頼できる作品らしい。そんなことを思っているとまもなく駅ビルに至り、エスカレータを上ればポップコーンの香り漂う映画館に辿り着く。




