4-6 失念
料理部取材の仕上げに、ミーティングの様子を見に家庭科室を訪れた。ついでに、きのうの宮村の話に片を付けたいと思っていた。
「ああ、岩出」出迎えたのは秋津だった。おれの顔を見た瞬間からいやらしい笑みを浮かべている。「残念だったね、ひとみなら風邪ひいて休みだよ」
あ、と声が漏れる。
きのうまでに散見された、宮村の異変を思い出したのだ。やや火照った顔、食欲がないという話、そして、弱々しく口から呼吸をしていた。それらはすべて、宮村の体調が崩れかかっているサインだったのだ。それなのにおれは、都合よく浮かれた解釈をしようとしたり、心配もせず目を逸らしたりで――挙句洋菓子店に誘おうとまでしていたのか。
おれは予定していた質問を二、三しただけでそそくさと料理部を去った。
恥ずかしさのあまり頬が熱くなり、廊下を歩いていると寒気まで覚えた。
――そのとき、天地がひっくり返るような衝撃に襲われた!
「わ、ごめん! 大丈夫?」
ぼやけた視界に飛び込んできたのは、丸刈り頭にジャージ姿の、体格のいい生徒。そうか、雨で野球場が使えない野球部が階段でダッシュしていたのか。ああ、これもきのう宮村が言っていたではないか、おれとしたことが忘れていた。
「おれは平気です。練習なら、早く行ったほうが」
「ごめんな、本当に。ごめん!」
部員は何度も謝って、上の階へバタバタと大きな音を響かせながら走っていった。
こんなに大きな音がするなら、不注意だったおれのほうが謝らなければならなかった。
「とことんダメだな……」
体を起こすと、階段のところから数メートル吹き飛ばされていることに気が付く。また、妙に視界が悪いのは眼鏡が外れたからであった。周囲を見回すとレンズの端がきらりと光ったので、そこに這っていく。
眼鏡はブリッジのところで真っ二つになっており、レンズも外れていた。
つい、失笑がこぼれる。
「まあ、コンタクトに変えようと思っていたしな」
新聞部の部室で記事を完成させ部長に提出したが、評価はひどいものだった。
「先月、『来月はもっと工夫しよう』って言っただろう。その点に関しては手伝わなかった俺も俺だけど、だからって誤字脱字だらけなんてそれ以前の問題じゃないか。岩出らしくもない」
部活特集の最終稿は六月号の中で最も遅くなり、最後には田崎や水橋からも意見をもらってようやく完成させる有様だった。
途中、眼鏡はどうしたのかと何度か問われた。眼鏡がなくて調子が狂うのではないか、という冗談で部員たちは笑っていた。軽い励ましのつもりだったのだろう。水橋はたまたま持っていたマシュマロのお菓子をくれた。ひとつもらって食べたが、果たしてマシュマロとはあれほど不味いものだっただろうか。
作業していると、携帯電話にメールが届いた。先ほど、眼鏡を壊したので週末にコンタクトレンズを作りに行きたいと母親に送っておいたのだ。ちょうどいいから礼奈も一緒に家族で買い物に出かけようという話になった。
礼奈の名前を見て、日曜日に夕食が用意されていなかったできごとを思い出す。
そしてそれは、料理部の一件にも共通するものがあったのではないかという考えに行き着いた。
おれは最初に、プリンが不足する際のふたつの状況を示した。プリンは元々少なかったか、盗まれたかであり、後者のほうがもっともらしいと。しかし、それが勘違いだったのだ。
城崎先輩はそもそもプリンを人数ぶん購入していない。
とはいえ、それは故意ではない。
理由は礼奈と同じ――用意するべき個数を間違えていたからなのではないか。
城崎先輩はOGであり、進藤先輩を中心に料理部員と頻繁に連絡を取ってはいるものの、料理部員が何人いるかについて具体的に知らないのが自然だ。城崎先輩は現役部員たちのチャットグループに加わっていない。
だから、城崎先輩は差し入れのプリンを何個買えばいいか確かめる必要があり、進藤先輩にそれを問うたのだ。
しかし、進藤先輩も受験生となってからは水曜日と土曜日の普段の活動には参加できていない。いわば幽霊部員の状態だ。日曜日に待ち合わせに現れたときも、部員である宮村ではなく、その取材に来ているおれを見つけて声をかけてきたくらいだ。つまり、進藤先輩も部員数について確かなものはなく、誰かに訊かなくてはならない。
そこで進藤先輩は「いま部員って何人?」と問うのだが、タイミングが悪かった。
質問に返答した野々村先輩は「カップは十個出してくださいね」と言った。日曜日にその場で手製のプリンを食べるための小さなカップを出そうというときだから、進藤先輩の問いはその個数の確認だと思ったのだろう。「今年度は何人の部員が所属しているか」という進藤先輩の質問に対して、「いまカップが必要なのは十人だ」と応じてしまった。
進藤先輩は十人のうち、玉田先生とおれを除いた「八人」が部員数だと早合点して、城崎先輩に連絡してしまう。城崎先輩は玉田先生のぶんをそこに再度足して、九つのプリンを購入してきたのだろう。
結果部員には八個しか残らない、というわけだ。
推測の域を出ないこの結論は、自分の中に仕舞って誰にも話さないことにした。自分が見聞きし記憶していた情報の中から最も合理的な筋道を立てたに過ぎず、実際には無数の窃盗犯候補のひとり、あるいは数人がプリンを盗んだ可能性だって否定できない。
そもそも、料理部員たちにとってはほんの些細な出来事だったのだ。おれは取材に料理部を訪れただけであって、それ以上ではないのだから、わざわざ彼女たちが気にも留めていないことを詮索しなくたってよい。
ただ気になる異性の存在に浮かれて、軽はずみに見栄を張ってしまっただけ。
以来、宮村の手料理を口にしたことはない。この先口にすることもなかろう。
「そうだ、岩出。次の原稿が来ているんじゃないかな」
六月号のレイアウトを終えた田崎がパソコンの席を譲ってくれた。
フリーメールにログインして、一覧を開く。そこでひとつくしゃみをしたはずみで開いたメールが、ちょうどアリスからのメッセージだった。そういえばAlice Memoによると、ついに今回からミステリーとしての波乱が訪れる。
おれは時折咳に見舞われながら、目を凝らしてゆっくりと読み進めた。
『六月号の原稿です。確認お願いします』




