3-3 どうしてここに?
きょうのおれは冴えているようだ。でも全然嬉しくない。
おれとともに部室棟へ行くことに決まったのは、ほかでもない岡本である。
「新聞部なんでしょ? 名前なんていうの?」
おれの数歩先で、両手を広げ跳ねるように歩く岡本が問う。
「岩出諒」
「あたし岡本唯花。よろしく」
それは知っている。生物室で聞いたばかりだ。
「何組?」
「D組」
「あたしH組。どこ住んでるの?」
「この近く」
「バス通学?」
「自転車」
「眼鏡だけど、目が悪いの? あたしもコンタクトなんだ。裸眼だと視力〇・一を切っちゃうんだよねぇ。諒は裸眼でどれくらい?」
「もう忘れた」
「……諒って不愛想だね。もっとテンション上げていこうよ。つまんないよ?」
余計なお世話だ!
さっきから岡本独特の「間」にはついていけない。ついていけそうにないし、ついていかなくてもいいかとは思う。川崎も気にするなと言っていた。
「諒からあたしに訊くことないの?」
「別に」
「ほら、取材の一環だよ。ほら、あたしって美少女だし?」
こういう言葉は使いたくないと思っていたが――うざい。
強いて問うなら、そうだな。
「リボンはどうした」
岡本は制服を少し着崩しており、ブレザーの前は閉めないし、スカート丈はやや短く見える。そしてその裾から体育着のショートパンツがちらちらと見える。何より、リボンもネクタイもしていない。
「面倒だからしてない。うまく結べないんだよねぇ、あたし左利きだからかな? 中学のときは襟に引っ掛けるだけのとか、後ろをホックで止めるだけのとかあったんだけどなぁ」
…………。
いろいろと言いたいことはあるが、黙っておこう。寝起きの礼奈と似たようなものと思えば少しくらい腹が立っても黙っていられる。
渡り廊下から教室棟に戻る。教室棟の東側――生物室と中庭を挟んで向かいにあたる――には生徒会室や会議室があり、おれたちの第一の目的地である職員室は西側にある。ところが、岡本はその中間で進路を変えて昇降口へと向かった。
「おい、どうして外に出るんだ?」
「部室棟でカートを借りるんだよ」岡本は靴を取り出しながら答える。「エサとかマットって結構重いからいつもそうするんだよ。それとも手で持って六階まで運ぶ? 大変だよぉ」
……なるほど。
昇降口を出て一、二分ほど歩いたところにある部室棟には、玄関に靴を履いたまま訪ねることのできる事務室がある。ここで待っているおじさんに小窓から声をかけると、部室の鍵を借りたり領収書を渡せば部費の出納を頼んだりできる。新聞部の鍵はいつも三倉部長が一番に借りてしまうので、おれはあまり利用したことがない。
この時間になるともう利用者は多くない。岡本は使い慣れているのかさっそく小窓の前にあるベルを鳴らすと、おじさんがこちらを振り向いた。
「おじさん、生物部の鍵とカートを貸してください」
「はいはい、まただね」
おじさんはクリップボードに挟んだリストのようなものを取り出す。その一覧は鍵の貸し借りを管理するための用紙のようだ。確か、借りた時間と名前やクラスを書き込み、生徒手帳を渡すと鍵を受け取れる仕組みだった。
だが、おじさんはその手を止めた。
「あ、鍵はもう借りられているよ。だから、台車だけね」
岡本と顔を見合わせる。誰が開けたのだろうか?
間もなく脇のドアを開けておじさんが台車を出してくれた。岡本が生徒手帳を渡し、交換に渡された鍵をブレザーのポケットに押し込んだ。
がらがらと音を立てて台車を押し、教室棟に戻る。荷車は一度昇降口に置いておいて、職員室から段ボールを運び出す。岡本が言っていたとおりなかなか重く、岡本がひとつ、おれが往復してふたつ運び、車に乗せた。
一気に重くなったカートを進め、再び部室棟へやってくる。玄関のところには雑巾が置かれているので、それで車輪を拭いてから建物の中へ入る。原則利用が禁止されているエレベーターに乗り込み、六階へと上った。普段乗らないエレベーターに乗るのはいけないことをしているようで緊張する。
六階の角部屋に生物部の部屋がある。先刻言われたように鍵はかけられておらず、岡本がドアを足で押さえながらおれと台車を招き入れた。どういうわけか、川崎はいないらしい。
そこはほかの部活の部室とはかなり様相が異なる。まず強烈な土のにおいがする。机や椅子はひとつもなく、代わりにケージや瓶がびっしりと並べられた棚があり、布がかけてあるところもある。空調は特別な許可がされているのか、つけっぱなしだ。
布を少し捲って中を見てみる。
――後悔した。
「まさか虫が怖いの? 情けないなあ」
「別に怖くはない……もぞもぞと蠢く奴らがちょっと苦手なだけだ。それくらい誰だってあるだろう」
くすくすと笑われながら、段ボールの中に入っていた袋や箱をここに置いて、あそこに置いてと指示される通りに片付けた。あくまで倉庫なので、備蓄ということになる。同じものはある程度生物室にもあるらしい。だから、虫の世話以外では普通誰も来ないし、来るにしても逐一鍵を借りては戻るときに返してしまう。
「そうだ、ミルワームを持って帰ってあげよう」
げ、と声が漏れる。
「ミルワームって、確かハエの幼虫だよな?」
「違うよ、ゴミムシダマシの幼虫。時々ハムちゃんにあげると喜ぶからねえ」
岡本はおがくずが敷かれた虫籠を取り出した。そこにはたくさんのイモムシが――ああ、見たくないどころか、想像もしたくない。
「ハムちゃんって……ハムスターがその蛆虫を食うのか?」
「蛆虫はハエの幼虫! で、もちろん食べるよ、雑食だもん。むしろ好きみたい。そんなのも知らなかったの?」
……聞き流しておけばよかった。
生物室に戻る前に、空になった段ボールをふたりで潰していると、なぜか四つ目の箱が見つかる。使われていない飼育箱などとともに置かれていた。岡本にも覚えがないという。
「何が入っているんだろう?」
それは別段テープなどで閉じられているわけではなかったので、躊躇いなく中を見ることができた。
おれはまた何か飼育に必要となるグロテスクなものが入っているのではないかと身構えたが、そうではなかった。そこにあったのは、紙である。大量の、紙。
「これ……投票用紙か?」