2-6 犯人がいた
月曜日、サッカー部の練習は休みだが、おれは早朝から学校へ出かけた。土曜日よりも朝早かったので、礼奈からはほとんど怒鳴られるようなクレームを受けてしまった。
部長からのメールも届き、準備は整っている。そして、この時間なら間違いなく会えるはずだ――サッカー部の倉庫を何度も荒らしていた犯人に。
駐輪場に自転車を置いて昇降口に来てみると、ちょうど、目的の人物がそこにいた。
「きょうもお菓子、入れるんですか?」
浪漫の下駄箱の扉に手をかけていたその人物はびくりと肩を震わせた。
「驚くことはありませんよ。別に悪いことじゃないでしょうに」
そう言われて、扉をそっと閉じた。
「お見舞いみたいなものですかね? 浪漫は入部早々気の毒にも怪我をしていますし」
こくりと小さく頷く。話は聞いてくれるようなので、おれは少し長めに続けた。
「室戸監督は確かに多数の怪我人を出すほどにハードなサッカーを好む人です。でも、最終的には怪我に強い選手が育つ、と評判がいいらしいですよ。だから、浪漫を憐れむことはありません。期待の新人が室戸監督のトレーニングのために怪我をしてサッカー人生で損をするという心配はわかりますが、まあ、だからってお兄さん――赤川選手のようになるとは限りませんし」
俯きがちだったサッカー部マネージャー、いや、その助っ人が顔を上げた。
浪漫にお菓子を贈っていたのは、二年生の赤川結子だ。
「調べたところお兄さんは室戸監督の下で怪我をして、サッカーを諦めたそうじゃありませんか。室戸監督が県大会で優勝したとき、チームメイトがお兄さんのユニフォームをベンチにかけて試合に挑んでいたことが有名になっているそうですね」
三倉部長は怪我をした部員を調べてほしいというおれの頼みに応え、いくつかの記事をピックアップして教えてくれた。その中に、故障した部員のユニフォームとともに試合を勝ち進む様子を書いた記事があり、そこに赤川という名前を見つけたのだ。
「で、赤川先輩は室戸監督に不信感を抱き、中でも浪漫は期待の逸材だと藤田先輩から聞いていたから、憐れみとでもいうんですかね、そういう気持ちでお菓子を毎日下駄箱に入れていたんでしょう? この時間ならまだ登校してきていないから」
うん、と赤川先輩は消え入るような声で返事した。
土曜日に朝練を見に来たとき、礼奈と髪形の似ている女子生徒を見かけた。よくよく思い出してみれば、それは赤川先輩であった。彼女もまた、黒髪のショートヘアだ。マネージャーに参加の義務がない朝練の日にも朝早くから登校しているなら、それが習慣になっているのだろうと思ったのだ。推測は的中した。
もちろん、そんな頼りない連想だけではない。実力やルックスを考えれば浪漫にファンができることもあろうが、彼はオーバートレーニングで試合出場はおろか練習への参加も満足できていない、遠方からやって来たばかりの新入生である。未知のルーキーに好感を抱きお菓子を贈るような何者かは、サッカー部内にいる可能性が高いと踏んでいた。さらには、浪漫とプレイした経験のある藤田先輩の話を聞いていたのではないか、とも。
「だからって、体力強化メニューを妨害しようというのはどうなんでしょう?」
赤川先輩はぐっと眉根を寄せた。そんなことはしていない、と否定しているつもりらしい。
「いえ、状況からして赤川先輩ですよ……倉庫の片付け位置を滅茶苦茶にしたのは」
「倉庫は、片付けが雑だったの」
赤川先輩がようやくまともに話してくれた。
しかし、それは間違っている。おれは首を振った。
「違います。あれは部員やマネージャーがうっかり間違えた結果ではありません。ビブスと石灰を間違えるなんて、普通はおかしいでしょう? それに、石灰はラインマーカーに入れて使うものですから、倉庫からは持ち出しません。つまり、片付けの最中に移動させることはないので、誰かが故意に動かすしかありませんよ」
首を横に振る。そうだとしてもわたしじゃない、そういうことだろう。
「では、具体的な状況証拠を述べましょう。
第一に、米原先輩が倉庫を開錠して、それから別のマネージャーが道具を取り出しに来るまでに時間が空く。誰も倉庫に目を向けないこの間に、赤川先輩は倉庫に侵入することが可能です。
第二に、片付け場所が動かされていたのは、軽いものばかりでした。ミニハードルやメディシンボールなんかは無事でしたからね。これなら、赤川先輩でも短時間で犯行が可能です」
でも、いつやるの? ――赤川先輩が問う。
「簡単です。木曜日と金曜日、手芸部に参加する日ですね。その日の、授業終了直後」
手芸部は非常におおらかな雰囲気だから、誰がいついてもいなくても気にしない。部活を始める前のその時間、さっと倉庫に忍び込んで棚を荒らす。このとき、それを目撃する人物はまずいないだろう。なぜなら、カギをあらかじめ開けておく部活動はサッカー部くらいで、しかも時間が一番早い。赤川先輩が短時間で倉庫の近くから立ち去れば、ほかの部の部員がやってくる前にすべてを済ませることができる。
部員たちが倉庫荒らしは偶然のミスだと思い込んでいたのは、このタイミングが原因だったのだ。はじめに倉庫の中を見るのは、米原先輩がカギを開けるときではなく、道具を取り出すとき。つまり、この間に荒らされると、あたかも前日の片付けの時点で散らかされていたように見えるのだ。
「――そうそう、田崎が手芸部を取材したときの写真がね、おれがサッカー部で写真を撮るのに使ったカメラのメモリに残っていたんですが、赤川先輩は一枚も映っていませんでした。田崎は取材を活動開始までの短時間で終えていたようですから、赤川先輩が席を外していたせいで撮られなかったんでしょうね」
女子マネージャーの助っ人はずっとおれと目を合わせていたが、耐えきれなくなったかのように視線を外すと、ふう、と息をついた。
「妨害っていうか、あの練習に不満のある部員がいるって伝えたかったんだ。一年生が片付けに参加するなら、乱暴に片付けを済ませる部員がいてもおかしくないでしょ? ひょっとすると、それを監督に対するメッセージとして受け取ってもらえるかもって。……はあ、無駄だったしバレちゃったから、もうやめようかな」
監督を信頼してもいいんでしょ? と微笑んだ。
記事は日曜日のうちに仕上げていたので、放課後一番に部長に見せてみた。
ところが「冗長」だの「主語をはっきりしろ」だの「主部と述部のつながりがおかしい」だの、挙句は「見直しをちゃんとしろ」とダメ出しの連続だった。
田崎や水橋に訊いてみたところ、やはりふたりもそれぞれ部長や安斉先輩に厳しく修正されたのだという。存外に手厳しいものだったが、先輩たちも通った道なのだろう。井野が言っていたやりがいのある高校生らしい部活動とは、こういうところから始まるのだ。
おれの文章の校正をし、ほかの部分のレイアウトなども新入部員への指導を交えて終えたころ、部長がパソコンの席を譲ってくれた。新聞で残る作業は、アリスの小説のみであった。
「星宮アリスからお前への返信は来ていない」部長は言った。「だが、今号の原稿が届いているぜ。誤字のチェックを兼ねて、お前が最初に読め。岩出はある意味、星宮アリスの最大のファンだろうからな」
といっても、Alice Memoを持っているから物語の展開は全部わかっているんだけどな。
譲られた椅子に座り、部長と顔を合わせてにっと笑った。
おれはメールをスクロールし、サッカー部では得られなかったアリスの次なるヒントを探すべく、第二話に意識を集中した。
『新入部員特別号の原稿です。確認お願いします』