0-1 Alice Memo
入学から九月の文化祭までにおれの周囲で起きた出来事は、推理小説として振り返ることができる――そう気が付いて執筆を始めたのは、夏休みのことであった。
書きはじめるにあたって、小説など、まして推理小説など書いたことのなかったおれは、インターネットで検索するなりその手の経験がある友人に聞いてみるなり、いろいろと作法を学んでみた。するとこれがまた存外に難しいものらしい。
中でも困ったのは、推理小説における暗黙のマナーを守らなくてはならないということだ。フェアだのアンフェアだのというのは聞いたことがあったが、それらをまとめたノックスやヴァンダインのルールに目を通したときは、正直驚きばかりであった。なるほどこれだから刑事ドラマは面白いのかと、明文化されたそれらに感心したものだ。
当然、おれ自身そのマナーに則って書くことができているのか不安になった。できあがった原稿を、推理小説が好きで自分でも書いている親しい人に読んでもらい、その評価を頼んだところ、残念なことに「こんなの推理小説じゃない」と笑われた。一応、ノックスやヴァンダインのいう規則には従ったつもりだったのだが。彼らの提唱する戒律が主観的なものだったといわれていて、破られることも多々あるということを言い訳するほかなかった。
とはいえ推理小説というものが面白いということには気が付いた。読むのも、書くのも。
最初に「入学から」とは述べたが、実のところこれは正確ではなかった。
星宮アリスをめぐる物語が始まったのは、より厳密には一二月、推薦入試のときからだ。そう考えると、先の記述からみておよそ二倍の時間関わっていたことにはなるが、つまり自分から積極的関わったのがその四月から九月までの半年間となるわけだ。
はじまりは唐突であった。運命的というよりは偶然。
あのとき、無事二次試験の面接を終えたおれは、寒い廊下で急ぎコートを羽織り、いち早く帰ろうとしていた。しかし面接が好感触だったからと合格を確信していたせいで気が抜けていたのか、うっかり間違えて校内で迷ってしまっていた。入学後のいまからすれば迷うこともない単純な校舎なのだが、あのときは確か試験を行っていた教室棟から渡り廊下を通って特別教室棟にまで入っていたのだと思う。奇妙な間違いをした割には、どうしてそのような判断をしてしまっていたのか、意外と思い出せないものだ。
そのとき、足元に小さなノート、メモ帳とでもいうべきものが落ちていた。
カバーが付けられていて、ボタンで閉じることもできるかわいらしいものだ。落としていって気が付かなかったにしてはモノが大きい。気になって拾ってみた。
周囲を確認。落とした本人どころか人影がない。あそこは試験に使われていない場所であったから、当然であった。それを確かめたおれは、表紙を捲った。
すると、文庫本の扉のように、『Alice Memo』と記されている。
「アリス……メモ?」
一ページ捲ると、十項目以上もの何かが箇条書きされている。それを読もうとしたとき、
「君、そんなところで何してるの?」
学校職員の女性に声をかけられた。迷ってしまったと伝えると、親切に道を教えてくれた。落としものです、とそのとき伝えていたら、この小説を執筆するには至らなかっただろう。でもそのときはどうしてか、Alice Memoを自分のもののように鞄に入れたのだった。
この日帰宅してから、ノートをいろいろと調べはじめた。入学したら、持ち主を見つけ出して返さなくてはならない、と。