ねるまえには金
「ボク、生まれてすぐあの町の孤児院に捨てられてたんです。多分この見た目のせいで。
それで、孤児院で生活してたけど、それでもやっぱりこの見た目のままは危ないからって、いつもは前髪を長く伸ばして目を隠して、フードを目深にかぶってました。
それで、ボクがボクって言うのは、女の子だといろいろ危ないこともあるから、大きくなるまではボクって言おうねって孤児院のおばさんとおじさんに言われたの」
あんまり食べられなかったけど、これまた見たことない豪華で沢山の料理を食べさせてもらった後、夕日色のお兄さんのいた部屋に戻って、ボクのことを聞かれた。
「なるほどな。お前の髪と瞳の色は良い意味でも悪い意味でも珍しいからな。人目につかないよう生活していたのは妥当な判断だろう」
「町での生活はどうだったんだ」
またボクは黒髪のお兄さんのお膝の上にいる。今度はお兄さんの片足に横に座っているので二人とも見える。
「楽しかった、です。おじさんとおばさん、とっても優しくて、すき」
ボクの答えに頷いたのに、納得してないのか黒髪のお兄さんはこの部屋の入り口に立っているクルクさんの方を見た。
「痣や傷跡などで慢性的なもの、古くからのものは御座いませんでした。
切り傷や擦り傷などは真新しいものばかりで、虐待などの痕跡は見受けられません」
「そうか」
今度こそ満足そうに頷いて、黒髪のお兄さんはボクの頭をグリグリと撫でてくれる。
髪は後ろでいつものように一つに結んでいるだけなので、こんなに強くされたら髪はぐちゃぐちゃになってしまう。それでも、ボクは撫でられるのが嬉しくて、やめて欲しくないと思ってしまう。
「アイスターシュ」
不意に名前を呼ばれ、ボクは黒髪のお兄さんに向き合うように体を動かされる。
その金の目には、ボクがうつっていた。
「賢いお前は気付いているのかもしれないが、あの村はもうない。荒らされた住居だけで、人は既に逃げて誰も居なかった。
あの村にいた、お前の家族に会いたいか?」
黒髪のお兄さんの金は、夕日色のお兄さんともちょっと違う。
ちょっと夕日色も入った金の目よりも、黒髪のお兄さんのお目目はずっと黄色っぽい。まん丸のお月様に似てる。
そんな素敵な目を見つめながら、ボクは言葉で伝える以上に目で訴える。
「ううん。おじさんとおばさんも、孤児院にいたみんなも大好きだけど、ボクの本当の家族じゃないもの。
だから、会えないし、会わないです」
ボクが会いに行ったとしても、迷惑だもの。
「そうか。じゃあ、俺と家族にならないか」
黒髪のお兄さんが突然そんなことを言うから、ボクはどう反応していいかわからなくて、これ以上目が開かないっていうくらい見開いて、ただただ黒髪のお兄さんの目を見つめた。
「ノクトタンルが兄か。面白いな、それ」
「煩い。人が真剣に話している時に横槍を入れるな」
「いいじゃないか。お前はこれから“兄上”だ」
「人の話を聞け。続き柄で呼び合うなどお前らみたいな上流階級だけだ。それに家族になるのに、わざわざ俺が“兄”になる必要はない」
「では、“父”か」
「そうじゃない。そういった続柄に囚われずとも家族になれる。あくまで対等な関係で、俺はアイスターシュと家族になろう、と提案しているんだ」
鉄砲玉のように飛び交う会話に、ボクも入り口に立っているクルクさんも口を挟めない。
でも、ただ聞いてるだけでボクはじわじわと嬉しい気持ちが増えてくる。
黒髪のお兄さんがボクを本気で家族にしようと思ってくれてるのが、夕日色のお兄さんとの会話からポロポロこぼれてきて、ボクはそれを受け止めるのに精一杯。ボクは胸がポカポカとあったかくなった気がした。
「あにうえ、さま?」
つい嬉しくなって、口からぽろっと言葉が滑り落ちた。
その響きはボクの耳に馴染んで、目をつむっても黒髪のお兄さんが浮かびそうなほどだった。
「と、いうことらしい。
よかったな、妹が出来て。今日は親友に新たな家族が出来た目出度い日だな」
肩をすくめた夕日色のお兄さんは音も立てずに立ち上がると、戸棚からボクでも持てそうな小さな小瓶を取り出して、黒髪のお兄さんの目の前に差し出した。
「“兄上様”に餞別だ。幸あれ」
「余計な事を」
「ほう、要らないのか」
「それは貰っておく」
小瓶は黒髪のお兄さんの手に隠れ、もう見えなくなった。
「兄上さま、それ」
「酒だ。お前には飲ません。って違う、アイスターシュ、俺の名前覚えているか?」
もちろん、忘れるわけがない。
ボクは兄上さまのお月さまのような目をしっかり見て名を呼んだ。
「ノクトタンルさま」
「“さま”もいらん」
なんで? だってみんなそう呼んでるのに。
イルミさんもクルクさんも、ときどき姿は見えないけど誰かの声だけ聞こえる時、みんな兄上さまのことを“ノクトタンルさま”って呼んでるでしょう。
「ふむ、どうやらアイスターシュは賢いようだな」
ボクが不思議そうな顔をしているのを横から眺めている夕日色のお兄さんだけが、一人納得したようにうんうんと頷いていた。
「しっかり周りを見ておるらしいな。大方兵等が様付けで呼ぶのを聞いていたのだろう。侍女二人もそうなのだから、それが正しいと認識しているのだろうよ」
「そういうことか」
「それに、どうやら頑固者の素質もあるようだな。これは何度お前が言ったところで聞かんだろ」
諦めろ、兄上様。
そう言って夕日色のお兄さんは意地悪そうに笑った。そういえば、初めて笑った顔を見たかもしれない。
「まぁ、いい。アイスターシュ、これからよろしくな。安心しろ、俺がお前を置いていくことなどあり得んからな」
金の瞳を細めて、ボクの兄上さまは蛇顔に笑顔をうかべた。
高い高いするように抱き上げられ、兄上さまを見下ろすようになったボクもしっかり兄上さまと目を合わせる。
「よろしく、おねがいします。兄上さま」
それを聞いて兄上さまは一瞬眉を寄せたけど、まぁいいか、と零すと、笑って今度はボクを右腕に乗せるようにして抱っこしてくれた。
兄上さまに抱っこされたまま、ボクは夕日色のお兄さんの立派なお部屋を出る。失礼じゃないのかな、と心配になって兄上を見れば、気にするなとでも言うように頭を一つ撫でられた。
音もなく扉が閉じると、ボクはまた抱っこされたまま移動することになった。
「さて、アイスターシュの部屋を決めないとな。クルク、どこか空いている部屋はあるか」
「今後私室として使用されるお部屋でしたら、二階か三階のお部屋になります。二階でしたら両角のお部屋が空室だったかと思います」
「そうか。よし、アイスターシュ、行って見てから決めるか」
ボクは自分で歩くって行ったのに、兄上さまは、はいはいと適当に返事をするだけでボクを降ろしてくれなかった。
連れてこられたお部屋は、ボクが寝かせてもらった部屋よりももっとすごくて、とっても広かった。孤児院よりも広いんじゃないかって思うくらい、これが一部屋の広さなんて信じられない。
「どうした、アイスターシュ。気に入らないか」
ボクが驚きすぎて言葉も出ないでいたら、兄上さまが心配して声をかけてきた。発想は見当違いだけど。
「ううん、そういうんじゃなくて。とっても広くておどいてたの…おどろいていました」
「敬語など使うな。家族だと、言っただろう」
お月さまみたいな瞳が優しくボクをうつす。
言葉はどこかきついように聞こえても、その目があんまりにも優しい色をしているから、ボクは素直に頷いた。
「この部屋、嫌か?」
ふるふると首を振る。嫌なわけじゃない。凄すぎて、ボクがこんなところにいていいのかと心配になっただけ。
「そうか、じゃあ嫌じゃないならこの部屋でしばらくは生活してくれるか?」
特に理由を聞くことなく、ボクが“うん”か“ううん”だけで答えられるよう問いかけてくれる兄上さま。
うん、と頷き返せば、兄上さまはボクを部屋の奥のベッドまで運んでくれた。
抵抗する間も無く寝かされると、兄上さまはベッドの横にあった椅子に腰掛けて、ボクの頭を撫で始めた。
「今日はもう寝ろ。疲れはまだ残っている。ゆっくり休め」
「あ、にうえ、さま」
「ん?」
全然眠気なんて感じてなかったのに、横になった途端瞼が落ちてくるから不思議だ。だんだん兄上さまが霞んで見えてきて、不安がもやもやと現れる。
必死になって兄上さまを呼んだ自分の声は、自分の声じゃないみたいに遠くで聞こえた。
「安心しろ。朝、目が覚めても、お前はここにいる」
そうじゃない。そうじゃないの。
兄上さまがいるかいないか、それが問題なの。こんなふかふかのベッドだって、綺麗なお部屋だって、美味しい食事だって、今僕を撫でてくれてる兄上さまのあったかい大きな手にはかなわない。
そんな言葉は口にするのも怖くて。
ボクはもがくようにするする滑るシーツから手を出して、ベッドに置かれた撫でる手とは反対の手を掴んだ。
ボクが掴むちょっと冷たい左手。
ボクの頭に置かれた大きな右手。
目も上手く開かないなか、兄上さまはボクの手を握り返してくれたのに気づく。
「うん、大丈夫だ。
朝目が覚めても、俺はここにいる」
そのうんと優しい声にボクはほっとすると、柔らかいベッドにどんどん身体が沈んでいく。
つないだ右手だけを頼りに、ボクはお月さまのような金の目を思い出しながら、ボクを強く誘う眠りに身体を預けた。
◇◇◇
「如何なさいますか」
「こうなると離れるわけにいかんな」
手を掴まれて困ったというより、既に信頼されているという事実に自然と笑みが零れる。
「では、椅子と布団を持ってまいります」
クルクはそう言って、足早に部屋から出て行った。どことなく嬉しそうな顔をしていたのは気のせいではないだろう。
「大変だぞ、アイスターシュ」
龍族は来るもの拒まず去るもの追わず、気に入ったものは地の果てまで追いかける執着者ばかりだ。アイスターシュを甲斐甲斐しく世話するクルクとイルミの母娘は、すでにアイスターシュを気に入ったようだ。
夕食以降姿を現さないイルミなど、自室でアイスターシュ用の服づくりに邁進しているというから驚きだ。きっと明日には、この小柄な身体に合った服が出来上がっていることだろう。
「お待たせいたしました」
一人掛けのソファーと少し厚手の毛布を持ってクルクは戻ってきた。
置かれた椅子に座れば、柔らかいクッションの使われた椅子をわざわざ持ってきてくれたようで、夜は冷えるようになったこの季節に合った毛布とともに座った体勢ながらもよく眠れそうだ。
「明日の朝にはアイスターシュ様の着替えをお持ちできるかと思います。朝食はこちらにお持ちしてよろしいでしょうか」
「ああ、俺もここで食べる。アイスターシュが起きたら呼ぶから、起こしに来る必要はない」
「畏まりました。では、私は失礼いたします」
「ああ、もう休んでくれて構わない。イルミにもほどほどにするように言っておけ」
綺麗に一礼すると、クルクは音もなく部屋から出て行った。
それを見送ってオイルランプに灯る火を消す前に、じっとアイスターシュの顔を見る。
寝台の脇に置かれたランプの火に照らされて、ほんのり橙色に染まった真っ白な少女。
薄汚れて木のうろで命の灯火を絶やさないよう必死だったヒトの子は、蓋を開けてみれば艶やかな銀の髪に日焼けを感じさせない肌と蜂蜜のような濃い金の瞳を持った異質な少女だった。
銀の髪はこの大陸では珍しく、海を越えた国でも少し見られる程度というほど希少だ。
少し垂れた目を彩る金の瞳は、先祖のどこかに龍のいた証しだろう。
これらを隠すためにマントなどは常に身につけていたはずで、日に焼けていないのは当然だが、それも髪や目の色の珍しさと相まって異質なものとして認識されていたであろうことは想像に難くない。
肌の色も髪の色も淡く薄い色というのは貴重で、それこそ珍しさと一種の神々しさも加えて各国の王族や神格化された地位にいることが多い。
思わぬ拾い物が、気づけばその日のうちに家族になってしまった。何度言っても“兄上さま”と呼び続ける“妹”を思い出し、知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。
残念ながら、まだまだ表情の機微は乏しい。全力で生きたいと言ったこの娘が今まで以上の幸せを感じられるよう、こちらも全力で甘やかしてやろうではないか。
戸惑いながらも、頬を緩め喜びに輝く金の瞳を思い出しながら、俺は一人掛けソファーに体を預けた。
勿論、繋がれた手はそのままに。