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はじまりは黒

「兄上さま」



 颯爽と前を歩く人に声をかければ、その人はどこか困った顔をして振り返る。


「だから、名前で呼べと言っているだろう」


 そう言って、ボクの目の前まで戻ってくると、目線を合わせてこう続けるんだ。


「俺はお前の家族になるとは言ったが、別にお前の兄にも父にもなった覚えはない。あくまで、俺とお前は対等だ。わかるか?」


 蛇のような顔に見つめられるだけで、体は勝手に恐怖にかたくなる。金の瞳に縦に入った瞳孔が、まるでボクを睨むかのように細められる。

 ボクが兄と慕うこの人は怖い、でも、とっても優しい。



「俺ら龍族は基本相手を名前で呼ぶから、ヒトのように続柄で呼ぶのは慣れん」


 そんなことをするのは偉い奴らだけなんだ。

 さらにそう続けて、ボクをひょいと抱えてくれる。目線はほんの少しボクが上になり兄を見下ろすことになる。つやつやとした黒の長い髪が広い背中を流れる様は、下から見上げるよりもずっと綺麗。触れるとサラサラとした触り心地で、高級な布のようでキラキラしてる。




 今ボクが兄と呼ぶ人と出会ったのは、二月前のこと。



 今から大体五ヶ月前に、突然ボクのいた国が兄上さまたちの国を攻めはじめたんだ。

 後から兄上さまたちに聞いた話だと、それはとても無謀なことだったんだって。


 地図で見ると、ボクが元いた国は南、今いる兄上さまたちの国は北にある。

 ボクは北領土、つまり兄上さまたちの国に近い領土にある孤児院で暮らしていた。もうなくなっちゃったけど。


 戦争自体は三ヶ月ほどで終わったらしい。でも、ボクたちはその後が大変だった。

 戦争に負けたボクの住んでいた国の兵隊さんは、お城に戻る途中にあるボクの住む小さな町で好き勝手なことをしていった。


 子供が自分のおもちゃを取られた時みたいに、癇癪を起こして叫んで暴れまわった。それはまるで孤児院にいたボクよりも小さい子に似ていたけど、比べられないほどもっともっと酷かった。



 孤児院はいいところ。貧しかったけど、ボクは大好き。

 おじさんとおばさん夫婦はいつも優しくて、ちょっぴり厳しくて。こんなボクを褒めてくれたし、叱ってくれたし、頭を撫でてくれたし、たくさん話しかけてくれた。孤児院にいた子たちも、いっぱい喧嘩したけど、すぐ仲直りしていっぱいいっぱい遊んだ。


 でも、変になっちゃった兵隊さんたちのせいで、孤児院は、孤児院だけじゃなくて町のいろんなところが壊されて、崩れて、みんないつも泣いてた。



 孤児院に火がついて、真っ暗な夜を赤く染めた炎の色が今でも目の奥にちらつく。怖い怒鳴り声が、聞こえるはずかないのに聞こえる。

 

あの時、おばさんがボクたちを裏口から逃がしてくれた。

 とにかく逃げなさい、走って隠れて、見つからないように。

 その言葉と、最後に「あいしてる」って言ってもらったから、ボクはひたすら走った。町から抜けて森に入って、木のうろに身を縮めて息を殺した。



 ボクはそこで何日か過ごした。わざわざ森に入ってくる兵隊さんはいなかったから、湧き水を飲んだり、果物や草を食べたりした。町に戻るのは怖くて、何も考えたくなくて、ボクは森から出られなかった。

 そうしているうちに、だんだん動くのが億劫になって、うろの中でじっとする時間が増えた。



 そんなときに、ボクは兄上さまに見つけてもらった。


 動くのが億劫になれば、だんだん体は弱っていって、ますます動けなくなった。

 ぼうっと寝そべった地面から見える景色は、毎日代わり映えなく、地面すれすれの世界は淡々と過ぎた。

 そんな世界に突如として現れたのは、ブーツの先。はじめ何かわからなかったそれは黒くて、ボクの視界がついに黒く染まり始めたのかと思った。



「お前、ヒトの子か?」


 その声はこれまでボクが聞いたことないくらい低くて、空腹でぼろぼろのボクの身体にとても響いた。

 返事を返そうとしたけど、声がかすれてうまく言えなかったから一生懸命首を動かした。


「…近くの村の子か?」


 ボクのいたところをボクは街だと思っていたけど、このブーツの人にとっては村なんだなぁ、って思ったけど、近くに人が住んでいるところはそこくらいしか知らないから頑張って頷いた。


 「そうか…」


 小さくつぶやいたような声も静かな森の中だからか、ボクにはとってもよく聞こえた。すると、そのブーツの人はおもむろにしゃがんで、ボクの目からもその顔が見えた。夜の闇の色に染まった長い黒髪を無造作に垂らしたその中に、一際輝く金の瞳がふたっつ。縦に入った瞳孔が、きゅうぅっと細くなっていくのを、ボクはただただ見つめることしかできなかった。


「お前、生きたいか」


 ボクのうまく開かない眼を見て言われたその言葉は、ボクの身体の芯まで響いた。



 そうか、ボクは生きたいからこんなとこまで死に物狂いで逃げてきて、必死に生き延びようと食べ物や寝床を探していたんだと気づく。

 たったそれだけのことだけど、気づいたら、もうこんなところでじっとなんてしていたくなかった。

 生きたい、死にたくない。そんな思いがボクの身体を痛いほど駆け巡った。



「そうか」


 ボクはまだ何も言ってないのに、黒髪の人は一つ頷いてボクに向かって左手を差し出してきた。


「俺と共に来い。生きたいなら、手を取れ」


 その言葉は、まるで希望のようにキラキラとボクに降り注ぐ。

 もう夕方で日は落ちて来ていて、金目の人の顔はほのかにオレンジ色に染まっていた。そんな薄暗くなりかけの時間でも、ボクにはそんな言葉をかけてくれた目の前の人がただただ輝いて見えて、思わずまぶしさに目を細めそうになった。


 そんな希望を自ら掴むために、腕を伸ばそうとするが全身が重くて指先くらいしか動かない。

 その様子を見かねたのか、今度は両手を伸ばしてきたと思ったと同時に、ボクの身体は宙に浮いていた。


「お前には、生きて幸せを掴む強い意志がある」


 そういってボクを抱き上げ、汚いボクの頭を優しく、まるでこわれやすいものを触るみたいに撫でてくれた。何度も何度も。

 ボクはそれがあんまりにも気持ちよくて、全く知らない人の腕で寝てしまった。





 それから。気づけば森とは似ても似つかない、ボクがこれまで見たこともないようなきれいな部屋にいた。信じられないくらい真っ白なシーツにくるまれていたボクは、目が覚めたとき驚きすぎて声も出なかった。

 恐る恐る起きだして、寝ていたベッドから足を下ろしたら、とてもふかふかのじゅうたんにまず驚いて、ベッドから出て部屋を見渡せば、驚きすぎてボクの頭で考えられる限界を超えていた。


 あんぐりと口を開けて部屋を眺めるしかできないでいると、かちゃっとかすかな音ともにドアが開いた。


「起きたか」


 驚いたけど、体が素早く反応できなくて、声を聞いて入ってきた人を確認した。

 その人の方を向こうとゆっくり体を動かしていたが、その人がこちらにやって来る方がずっと早くて、声を上げる間も無く、ボクは再び抱き上げられていた。


「一眠りしたからか、顔色もずっと良くなったな。先ずは体を綺麗にしなくてはな」




 そう言ってボクを抱き上げたまま部屋から出て、ボクは別の部屋へと連れて行かれた。

 たどり着いた部屋には女の人が二人いて、黒髪のお兄さんの腕から降ろされたボクは二人に引き渡された。


 一人はお兄さんと同じくらいのお姉さんで、もう一人はお姉さんのお母さんくらいに見えた。綺麗な顔とか雰囲気が似ていたので、本当に母娘なのかもしれないな、って思った。


 失礼なくらいじろじろ見ていたのに気づかれないわけがなくて、お姉さんはクスクス笑ってボクの手を取った。


「さあ、綺麗にしましょうね」



 今度はお姉さんに抱き上げられて、ボクは至近距離でお姉さんの綺麗な笑顔を見れて、そんな風に笑顔を向けられたのが嬉しくて、でもそれ以上に恥ずかしくて、慌てて顔を俯けた。


「あらあら。ノクトタンル副隊長、この子名前なんて言うんですか?」

「知らん」


 あ、ボク名前名乗ってなかった。

 名前も知らないボクのことを助けてくれたんだと思うと、嬉しい以上にちょっと怖くなった。そんなに優しい人っているのかな。


「そこはちゃんとなさってください。

 初めまして、私はクルクです。あなたのお名前は?」

「ぁ…ボク、あ、ア、イスタ…シュ」


 ちゃんと伝えたいのに、ボクの体はまだ全然回復してないみたいで、うまく声が出ない。自分の名前もちゃんと言えない。


「体を綺麗にして、食事を摂らせたら聞くつもりだったんだ」


 頼む、とお姉さん二人に言って、ボクの頭をグリグリと撫でて、お兄さんは部屋から出て行った。あっという間のことで、引き止める間も無くお兄さんの姿はドアの向こうに消えてしまった。

 ちょっとさみしくなって下を向く。


「大丈夫ですよ。綺麗にしたら、ノクトタンル副隊長様の元に参りましょう」


 クルクさんの温かい手で撫でられたところから、ポカポカ温かくなる気がして、お母さんってこんな感じかなって思った。




 二人に連れて行かれたのはお風呂だった。


「ピッカピカにするわよー」


 イルミさんというお姉さんにそう言われ、腕から降りたボクはちょっと怖くなって逃げ出しそうになった。全然自分で動けないからできなかったけど。


「…ボク、うごけない」

「大丈夫ですよ。私たちがお手伝いします」

「ぼくはじっとしてなさいね」

「でも…、おふろ、ひとり」

「私たちがお体の隅々まで綺麗にします」

「恥ずかしがんなくていいわよー」

「ぇっ」



 ……ボク、この時が人生で一番恥ずかしかった。

 お風呂は毎日は入れなかったけど、孤児院の知ってる子らと入るのは楽しかった。でも、普通自分の体を洗うのは自分だし、誰かに洗ってもらってたのは、うんとちっちゃい子だったから、ボクが綺麗なお姉さん二人に洗ってもらうのは、とても抵抗があった。


 でも、体に力が入らないボクが二人から逃げられるわけもなくて、あっという間に服のままお風呂場に引きずり込まれた。






 イルミさんとクルクさんが言ってたように、身体中をピッカピカにされたボクは、見たことない服を着させてもらって、お兄さんの元にやってきた。

 もちろんうまく歩けないボクは、今度はクルクさんに抱かれてだけど。



「失礼いたします」


 ある扉の前まで来ると、イルミさんが偉そうなドアを開けて、クルクさんとボクが先に入室した。



 中には助けてくれた黒髪のお兄さんと、もう一人別の人がいた。

 信じられないくらい綺麗な人で、夕日みたいな色の髪をきっちり結んで、お兄さんと向かい合うように座っていた。まつげも長くて、すっとしてて、びっくりするぐらい綺麗な人で、顔を見ただけじゃ女の人なのか男の人なのかわからない。


「この少年か、お前が拾ってきたのは」

「ああ」

「なるほど、銀の髪に金の目か」


 さっきまでイルミさんとクルクさんにゴシゴシと洗われていたボクは、土埃とか色んな汚れが落ちていて、普段隠していたそれが丸見えだった。


 クルクさんから次はお兄さんに抱っこされると、夕日色のお兄さんの前に戻ったお兄さんの膝の上に座らされる。

 くいっと上げられた前髪はボクの目の色を隠してくれなくて、目の前の夕日色のお兄さんに見られているのに顔をそらしてしまった。



「俺もこの少年がこんな色をしていたとは知らなかった」


 後ろで黒髪のお兄さんがそう言った。

 やっぱりお兄さんもキモチワルイんだ…、体に響く黒髪のお兄さんの声に、ボクはいらないって言われるんじゃないかって思って拳を握る。

 …また捨てられちゃったらどうしよう。



「その金の瞳は龍族のものだろう。恐らく、先祖の中に龍族がいて、その血がこの少年まで辿り着いたということか」

「祖父母、曾祖父母の色が出るのは珍しいことではないからな」


 そう言って前髪を戻して、頭を優しく撫でてくれた。

 

「少年よ、名はなんという」


 撫でられる心地よさに思わず目を細めていたら、目の前の夕日色のお兄さんに声をかけられた。

 ボクのこと、だよね…?


「あ、ボクの、なまえは、アイスターシュ、です」

「アイスターシュ、お前は戦争孤児か」


 戦争のせいでじゃないけど、孤児院にいたのは本当なので頷いておく。


「では、アイスターシュ。お前の国はどこと戦争していたか、知っているか」

「北の、龍の国と」

「そうだ。お前は自分の生活を台無しにした龍を嫌うか? 憎むか?」



 夕日のお兄さんはとても偉そうな人だ。

 聞き方もだし、その態度とかも。でもそれがとっても似合っていて変じゃない。


 そんな姿をじっと見ていると、夕日色のお兄さんのボクを見る目が、ボクと同じ金色なのに気づいた。でもボクよりももっともっと透明で、日に透かしたら透けちゃいそうなくらい綺麗な金色だ。ボクとは違う。


「龍なんぞいなくなれば良いと、思うか?」


 重ねて聞いてくるその声に凄みが増す。

 でもボクはそんなこと思ったこともないので、フルフルと首を振る。


「きらい、ない。憎むも、しない」


 そう答えれば、目の前の人は少し驚いた顔をした。そんな顔もお人形さんみたいに綺麗。


「何故」

「ボクのいたまち、こわしたのは龍じゃない。人なの。兵たいさん、とってもこわくて、まちのみんな…泣いてた」

「そうか」


 ボクの答えをどう思ったのかわからないけど、何度かうんうんと頷いた後、夕日色のお兄さんは微笑みを浮かべた。


「後は少年本人の意思次第だな。

 龍族の第五皇子としても、この隊を指揮する隊長としても、俺はアイスターシュがここにいることを認める」

「助かる」

「お前が責任持って育てろよ」


 ボクの頭の上をポンポンと話が飛び交う。ボクのことみたいだけど、ボクに話しかけられたわけじゃないから口は出さない。



「さて、お前はアイスターシュというんだな」


 今度は体の向きを変えられて、膝の上だけど黒髪のお兄さんの方を向く。


「気付いているかもしれないが、俺らは龍族だ。お前の故郷と戦争していた、お前から見れば悪い奴かもしれん。

 だが、俺はお前の生きたいという強い意志を気に入っている。ここで暮らせば、何不自由ない生活をさせてやる。生きるために必要な力も教えてやる。

 お前は、どうしたい?」



 真剣な顔は怒っていないとわかっていても、ちょっと怖い。

 でも、黒髪のお兄さんがボクに酷いことはしないって、こんな短い時間しかいないのにボクはもう信じちゃってる。


 ボクを気に入ってくれてるのも、ボクに至れり尽くせりなのも、ボクからすればとてもありがたい。帰るところなんてないから、もう必死になってボクはこの黒髪のお兄さんにすがりつくしかない。


 ボクがうん、といえば、それで全て解決。そういうことなんだ。


「ん、ボク、おにいさんと、いたい。生きたい」


 すると、黒髪のお兄さんは嬉しそうな顔をして笑ってくれた。細められた金の目は、こわくない。


「よし、じゃあお前は今日から俺の家族だ。

 俺の名前はノクトタンル。よろしくな、アイスターシュ」

「ふぁっ」


 いきなり抱き上げられたまま立ち上がったので、ボクはびっくりして黒髪のお兄さんにしがみつく。

 気付いてパッと手を離したけど、綺麗なボクの知らない服は少しシワになってしまった。でも、気にするなと言って頭を撫でられたので、ボクは悪いことをしたのにうっとりしてしまう。



「ようこそ、我らトゥルンジェムエイリュル皇国第七騎士団へ。ヒトの少年、アイスターシュよ、歓迎する」


 カッコよくそう言った夕日色のお兄さんも立ち上がって、部屋の奥の机の方に行って、立派な一人がけの椅子に腰掛けると、手でしっしっ、と追い払うような仕草を見せた。


「殿下の広い御心、感謝いたします」

「さっさとその少年に食事をさせてやれ」

「わかってる」



 ボクは黒髪のお兄さんに抱きかかえられたまま部屋を出るところで、クルクさんが小さく声を上げた。



「発言をお許しいただいてもよろしいでしょうか」

「許す」

「ありがとうございます」


 綺麗な角度でお辞儀をした後、クルクさんは特に表情を変えないで、穏やかな顔のまま続きを話そうと口を開いた。



「先程から少年と仰られておりますが、アイスターシュ様は女の子です」



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