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問題提起が主

人は長い人生の中で必ず学生だった期間があり、その時期に大多数が「勉強なんて嫌いだ」と口にはしないまでも心の中で思っているものである。私も現在高校生という立場に置かれる中で、このような感情を抱くことはざらにある。無論高校生であるという以上は、義務教育から外れているので、働くという選択肢もあったわけだが、その当時の私は自分から意志を持って学びに行ったというより、周りの同調圧力に負けたというほうが正しく、「勉強が好きでも無いのに、勉強をしに行く」という奇怪な状況を見過ごしたのだった。

17歳になった今、そろそろ周りは大学受験だと騒ぎ立てる頃合いに、私自身が中学時代から抱えていた問題を解決したく、筆を執ることにする。


タイトルにあるとおり、ここでは「高校で学問を学ぶ意味」についての記述であるが、それをする上での比較対象として「義務教育」があげられるだろう。「義務教育」を受ける意味については、社会で使うからとしてある程度までは説明がつくのではないか。確かに、一次関数をそのまま実社会で使う機会のある人はごく少数であるかもしれないが、それらを社会で生き抜くための能力を身につける予行演習と言われると、私にはそのような気もしてくる。一次関数を学ぶ際に鍛えられる論理的思考は、社会で健全に生き抜くのに必要不可欠なものであろう。また、歴史や英語の知識も、日常生活を送る上ではやはり、まったく無いというのは困るであろう。まとめると、義務教育は社会で生き抜くための勉強であり、基本的には必要とされるということだ。


しかし、「高校で学問を学ぶ意味」として、社会で生き抜くため必要だからと言い切れるのだろうか。研究者や専門職に就きたいからという理由ならそうだろうが、一般職、いわゆるサラリーマンになるのに、高校で学ぶものを使う機会などほとんど無いに等しいのではないだろうか。現に有名大学と言われるような大学を卒業した私の両親は、高校数学の基本である三角関数のsin,cos,tanの名称すら答えることができなかった。これがすべてに当てはまることだとは言わないまでも、同級生に聞いてみれば、親が高校の教科書の内容を忘れてるとかで嘆いていたという話を結構耳にするのだ。大人になったらすぐ忘れるような勉強の内容を、我々がする意味などあるのだろうか。中学から高校へ進学する割合は、現在8割を超えるという。人口の8割が研究職や専門職に就くとは考えにくい。ますます謎は深まるばかりである。


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