商店街の死屍累々
なんとなく歩き続けて商店街の入り口付近までやってきた。
上を見なくとも、視界の端には商店街の名前が書かれていたであろう大きなアーチ状の看板が掲げられている。看板の表面は錆などで汚れていて、なんて文字が書かれていたのか読み取る事が出来ない。
看板から隔てた向こう側。商店街の外に人影が居た。視線を上に向け、看板を見た後に正面を見たら人影はそこに居た。
外見が分からず、黒い影だけの存在を人と言っていいのか分からない。陽が差し込んでいるのにも関わらず、そこだけが暗くなっている。人の形になぞって切り抜かれた様な感じだ。
人影の表情は勿論、着ている服や性別も分からない。輪郭がゆらゆらと揺らいで影とそうじゃない部分の境目が分からない。視線だけを感じたせいで、人影がこちらを見ているのが分かった。
普通ならこの時点で逃げ帰った方が良いのかも知れない。でも俺の足は動かない。幻想的な光景を目の当たりにして、頭の中は真っ白になった。考えがまとまらない。
時間が経つのが長く感じる。数秒見つめあっているだけなのに、かなりの時間が経過した気がした。永遠に思えたその時間も、俺が先に動いたせいで破られた。じわりじわりと湧き出る恐怖心が俺の足を動かした。遅れてこの事態が普通ではないという事に気付き、痛む足を無視して慌てて逃げ帰った。
「そういう訳で、報告したほうがいいと思って帰ってきたんだ」
商店街でフマルが家として使っている普通の一戸建ての中に俺とフマルは居る。ここまで来るのに外を彷徨っていたが、運よく入谷さんと合流してこの建物まで連れて来てもらった。
フマルの家の中は物で溢れている。衣類を家具に仕舞わない、というより仕舞う家具が家の中にはない。代わりに衣類はビニール袋に纏めて入れられている。
他には筆記用具やA4サイズの紙が床の上に散らばっている。そのうちの一枚を手にとってみたが、紙に書かれている事は理解できなかった。
家の中はそれらのせいで足の踏み場がない。衣類に関してはビニール袋に入っておらず、そのまま床に投げ捨てられているのもある。
物に埋れた足場をかき分けながらフマルの居る部屋に入ると、フマルは机の前の椅子に座って書き物をしていた。
俺がフマルに話しかけると、フマルは椅子の背もたれに寄りかかりながら上半身を左にひねり、俺の方に振り返った。
「何でも相談するのは良い事だ。ほうれんそう、嫌いじゃないよ。で、その影だが、おそらく結界の影響で見えてしまったんだろう」
「ちょっとよくわからない。そもそも結界って何さ」
結界のせいと言われても訳が分からない。そもそも結界が何なのか知らないんだし、分かりようもないんじゃないかこれ。
「一般的に結界というと外と中の空間を分けるってものだろ。でも私の使う結界はちょっと違う。面倒な作業を省いて、ただ範囲を指定するだけでいい。しかもアレンジして結界に条件までつけてるから脆いし、不具合が起き易い。今回の影も不具合なんだろうね」
「じゃあフマルは結界になんて条件をつけたんだ?」
「『人間以外は自由に行き来できる』って設定した。だからくらみんがここに来れたのは変なんだ。まぁそれも不具合なのかも知れないな。どれ、少し結界の様子を見てこようか」
フマルは手に持っていたペンを床に放り投げ、椅子を引いて立ち上がる。そのまま彼女は部屋の外に出て行ってしまった。
汚れた部屋に1人残された俺。部屋を見渡せば洋服に混じって下着類も見かける。目に毒だし俺も外に行こうかな。
結局結界についても分かったようで分からなかった。もやもやした気持ちのまま玄関に向かう。
フマルの家の玄関には靴が置かれていない。それどころか物が1つも落ちていない。玄関だけが綺麗なままだ。玄関だけ掃除するなら家の中も掃除しろよと言いたい。
靴箱を開けると靴が2足だけ。白い運動靴と靴の形をした黒のサンダル。迷わずサンダルの方を掴んで玄関に置く。さっそく履いてみるが、サイズが合わない。でも裸足で外をうろつくよりかはマシだろう、そう考えてこのまま外に出る。
歩くと靴底と踵が離れてカポカポと音を立てる。その音を聞くたびに自分が子供程度の大きさになってしまった事を意識させられてしまう。
しばらく歩いた表を歩いた頃、ふとまだ人影が商店街の入り口に居るのか気になってしまった。やめとけばいいものの、気になりだしたら確認したくて仕方がなくなってしまう。男の悲しい性ってヤツだ。
かっぽかっぽ。一定のペースで足音を奏でながらアスファルトの上を歩いていく。歩いても足の裏が痛くならない、これが文明の力だ!!
なんてどうでもいい事を考えて調子に乗っていると、俺の方に向かって走ってくる人を見かけた。
息を切らしながら全力で走ってくるその人物には見覚えがある。売れないバンドマンみたいな髪型をしたあの男は大野だ。着ている服がチノパンとパーカーの軽装なので、学校が休み又はサボった事が分かる。
大野は俺に気付いたのか、走るスピードを徐々に緩めて俺の目の前で足を止めた。
「きみっ、はやく逃げて」
そのまま大野に手を引かれ、俺が来た道を走り出す。
人間は商店街に入れないんじゃなかったのか。大野は何から逃げているのか。色々と聞きたい事はあるが、今は大野の足に着いていくのに精一杯だ。奴は俺の足の長さが短い事を考えてないのか。
「お、おいちょっと待てって」
「ごめんよ、でも今は、我慢して走ってくれ」
そのまま速度を落とすことなく大野は走り続ける。
なんとか首を後ろに向けて大野が逃げてきた方向を確認する事に成功した。
ゾンビだ。ゾンビが1体俺達の後方に居る。そのゾンビは俺達に向かって小走りで近づいてきている。足を上げて一歩一歩踏み出すのではなく、足を引きずる感じだ。腕に力が入らないのか、体の揺れに合わせて腕もぶらぶらと揺れている。
何故そんな微妙なスピードなのか疑問に思ったが、今はゾンビがパルクールをする時代だ、そんな些細な事は気にする必要はない。
ゾンビの服装は汚れていないのに対して、顔が爛れて皮膚がぐずぐずに崩れている。それでも平然とこちらに向かって来ているので、少しだけ怖くなった。
このままじゃ埒が明かない。というより俺の体力が持たない。ならば仕方ない、ヤるしかない。
大野の腕を振り切って立ち止まる。大野が俺にやめろと声を荒げたが、気にせずゾンビに向かって走り出す。サンダルのせいで走り難いものの、ゾンビにある程度接近したところで地面を踏み切ってジャンプ。ゾンビの腹、鳩尾に跳び蹴りをぶち込む。蹴りを入れた右足に皮がずれる様な嫌な感触が伝わる。ぐちり、そう音を立ててサンダルがゾンビの腹に食い込む。俺の蹴りに耐え切れずにゾンビは体をくの字に曲げて吹き飛ばされた。
サンダルに付着した物をアスファルトに擦り付けて落としていると、大野が駆けてきた。
「大丈夫か!?」
大野はおどおどして落ち着きがない。まぁこんな状況で落ち着いていたら怖いけど。
「大丈夫」
そう俺が言うと間髪入れずに俺の手を握って、元は喫茶店だったであろう建物に入っていく。中は机と椅子とカウンターぐらいしか残っていない。食器類は綺麗さっぱりなくなっている。残されたのは埃ぐらいなもんだ。
喫茶店に入ると大野は入り口に鍵を閉めた。その後はカウンター前の席に座って息を落ち着かせている。俺も奴の隣に腰掛ける。椅子が高くて座るのに少し苦労した。足も地面に届かない。
「キミは何で此処に居るんだ? お母さんはどうした?」
足をぷらぷら揺らして遊んでいると、呼吸を整えた大野が俺に問い詰めてくる。そんなにいっぺんに聞かれても答えられないだろ。
「あー……、えっと、その」
なんて答えようか悩む。本当の事を言うわけにはいかないし、嘘を言うにもこういう場合の対処法をまったく考えてなかったので、何も言えない。
自分の座っている椅子を回転させ、大野と向き合う。それで俯いてもじもじと言い淀んでいると、何かに気付いた大野は「『くらみ』ってお前、智晴の妹か!?」といきなり大きな声を出した。
胸の名札でも見たのだろう。ちなみに智晴は俺の名前。倉見が苗字で智晴が名前。
「いやぁ、まぁそうです」
俺の名前が出た事と、いきなりの大声にビクッと上体が持ち上がった。焦って咄嗟に肯定してしまったが、問題は無いだろう。
「妹も兄を探しに着たのか?」
「そうです」
そんな事はない。でも面倒だから適当に相槌をしておく。
あーそういえば外では俺の事を行方不明者として扱っているのだろうな。連絡も誰とも取ってないし。
「えーっと、倉見妹。さっきのアレだが助かった、ありがとう」
さっきのアレとは俺の跳び蹴りの事だろう。
大野は言葉を探す様に俺に話しかける。言いたい事が色々とあるのだろう。
「どいたしまして」
と返事をすると大野は黙った。少しの沈黙の後、大野が口を開いた。
「俺はお前の兄貴の友達の大野だ。アイツを探してウロウロしていたらこの場所を見つけて、近寄ってみたらゾンビに追いかけられた」
ほう、自分の正体を明かしてきたか。そりゃ初対面でいきなり幼ごほんごほん、少女の腕を掴んで走り出したら危ない奴とでも思われてしまうからなぁ。腕を掴んだ相手が俺でよかったな大野よ。
「それで、妹は何歳なんだ? 名前は?」
適当に返事をしているとそう聞かれた。
「じゅ、じゅっ歳」
突然の事でかなり焦った。そのおかげで挙動不審気味で答えるハメに。こういう設定は何も考えてなかった。そもそもこの姿で俺の事を知らない奴に合うことを想定していなかった。
「え、えと……名前は『なつ』です」
智晴→春で春と名乗ったらバレそうだから、咄嗟に夏と答えた。我ながら良いアドリブだ。
「なつちゃん、兄が消える前に変わったところはなかったかい? 心当たりがあれば教えて欲しい」
すだれの様な前髪の奥には熱い眼差しを持っていると思わされた。そんな熱の篭った大野の言葉に答えようとしたが、喫茶店の入り口のガラス戸を叩く音に邪魔される。
なんだと思って外を見るとあのゾンビが居た。俺が蹴飛ばした奴だ。服が所々汚れてよりゾンビらしさが増している。そのゾンビの他に新しいのが2体。1体はパリッとしたスーツを着た女のゾンビ。長い髪が痛々しい。もう1体は小太りな男のゾンビ。計3体のゾンビが入り口でわちゃわちゃと喫茶店の入り口のガラス戸の前で腕をガラスに叩きつけている。店内に入ってくるのも時間の問題だろう。
「下がってて」
椅子から飛び降りてテーブルに近づく。そのままテーブルを両手で掴んで持ち上げる。このテーブルは床に固定されているタイプだったが、そんなの俺には関係ない。無理やりテーブルを床から引っこ抜く。バキバキと音を立てて床から剥がれたテーブルを入り口のガラス戸目掛けてぶん投げる。
ガラスの割れる音と戸の枠がへしゃげる音が響く。ゾンビはテーブルに巻き込まれて吹き飛んだ。これで
ふと大野の方を見ると、奴は椅子に座ったまま口をぽかんと空けて呆然としていた。そりゃ少女が机を力ずくで引っぺがして分投げたらそうなるわな。
「で、あれで生きてたらどうすりゃいいんだよ」
「頭でも潰してみたらどうだ?」
愚痴だ。独り言の様に呟いたが、それに大野は答えた。流石に普通の少女がこんな事しないと悟られたのか、今までの子供に対する気遣いが消えている様に感じた。
表に出て地べたに転がる3体のゾンビに近づく。他にはガラスの破片とボコボコになったテーブルが落ちている。そのテーブルを手にとって、小刻みにピクピクと動いているゾンビに近づく。そのままテーブルをゾンビの頭に振り下ろす。頭蓋骨が砕けるのがテーブル越しに感じ取れた。
就活は早いうちに終わりましたが、これだけ書くのにめっちゃ時間かかった。
4月から仕事始まるので更新不定期は続きます。