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商店街の魔女②

 二日目、自分の姿が変わった日の翌日。

 いつも仰向けで寝る俺にとって、ケモノの尻尾が生えてないのが救いだった。

 朝は普通に目が覚めた。仰向けのまま目だけを開いてもまだ眠気が残っている。もう一度目を閉じて寝てしまいたい。そんな欲に狩られる。起きようと思っていても欲に負けてしまった。

 起きてから長時間横になったまま、うとうとと睡眠の余韻を楽しんでいた俺に悲劇が訪れる。幸せな時間は長くは続かないのだ。

 突然の尿意。どうしようもないぐらい耐えられない尿意が俺の下腹部を襲う。

 トイレに行こうにもトイレの場所を聞いてないので分からない。それにいきなり歩けるのだろうか。いやだめだ、考えている時間が惜しい。

 シーツを体の上から退かし、ベッドの上から勢いよく跳び下りる。羽織っただけの患者衣はほぼ脱げたも同然だが、気にしている暇は無い。

 着地に失敗してしまい、頭から地面に落ちてしまうのを両腕をがむしゃらに前に突き出して防ぐ。なんとか衝撃を緩和することに成功した。腕、腹、膝と順に着地出来た。が、変に力んでしまったせいで我慢の限界が……。

 うつ伏せのまま腰だけを上げた状態でもらしてしまった。それでも充満していた膀胱が縮んで行く感じが気持ちいい。開放感を感じつつ、出し切ってしまえば後悔と罪悪感と水溜りだけが残る。


「おはようくらみん」

 突如開かれるドア。元気に入ってくるフマルは昨日と同じスウェットを着ていた。髪もボサボサだし風呂に入っているか怪しい。


「あぁ――」

 言葉にならない呻き声を上げて泣くのを堪えている姿を見られてしまった。もらしてしまった時点で後の祭りなんだが。

 それでも見られたくなかった。いい歳しておもらしだなんて最悪だ。

「おう、そんなに恥じる事はないよ。体の構造が違うのだから仕方の無い事だ」

 避けられない事だ。そう言ってフマルは入谷さんを呼びに行こうとしたのだが、俺とフマルの間の空間に紙が提示される。宙に浮くメモ用紙は入谷さんの仕業だ。というかこういうことが出来るのは彼女しかいない。


『眼福じゃ!! ありがとうございます!!』

 紙に書かれた字と、紙を持つ手の振るえで入谷さんの状態がなんとなく想像できる。きっと1人で悶えてるんだろうな。ということは入谷さんは俺が起きる前から部屋に居たのか。何でいるんだよ。何してたんだよ。


「入谷さんはくらみんを風呂に入れてやってくれ。私は後片付けしとくから」

「ご、ごめんなさい」

「いいから、そのままだと風邪引くよ。早く風呂にひたってこい」

 下半身は洪水起こっちゃったからな。今は濡れてしまって冷たいし若干痒い。このままだと風邪を引いてもおかしくはない。


『(≧ω≦)b』

 入谷さんの返事は顔文字だけだが、これだけでも嬉しそうなのが分かる。

 俺の手を引いて立ち上がらせてくれる入谷さん。彼女の透明な両手に引かれて、転ばない様に一歩ずつゆっくりと歩いていく。


 途中立ち止まって俺から両手を離し、取り出した紙に何かを書いている入谷さん。書き終わったメモ用紙をメモ帳から取り外した。それを口にくわえた後、俺の両手を引いて風呂場へ歩いていく。

『あんよが上手 あんよが上手』

 高い位置にある紙にはそんな事が書かれていた。完璧幼児扱いだコレ。

「ちょっとやめてくださいよそれ」

 フマルを相手にする時とは違って何故か敬語になってしまう。

 ポイして欲しいところだが、入谷さんは首を振って拒否した。口にくわえた紙のおかげで、どうにか首を振った事が分かった。


 立った状態で初めて落ち着いて周りを見渡す事が出来た。それで初めて俺の身長は40cm以上縮んでいることに気付いた。道理で手と足の距離感がおかしい訳だ。

 初日は普通に立てなかった。だから今まで身長が変わっている事に気付かなかった。


 廊下を歩いていると、1階へ続くであろう階段を見つけた。

「ここって2階なんですか?」

 首を縦に1回振る入谷さん。

「下はお店なんですか?」

 同じ様に首を縦に1回振る入谷さん。

 不便そうだしここらで話しかけるのは止めよう。


「入谷さん服は脱がないんですか?」

 脱衣所に着いた。中は洗面台と洗濯機が置かれているだけのシンプルな構造だ。物が多くて少し狭そうだが、この体ではそこまで狭いとは感じなかった。

 お湯を沸かす為にパネルを弄る入谷さんに尋ねる。ちなみに俺の着ていた患者衣は部屋に置いてきた。もうこのまま風呂に入れる状態だ。

『常に全裸だけど?』

 やはり服を着たら服だけが浮いて見えるのだろうか。見えないから関係ないのかも知れないが常に全裸ってどうなんだ?

 少し引いている俺に『全裸は開放感がすばらしい』と『全裸になろうぜ』勧誘してくる入谷さんに抵抗しながら、風呂場に手を引かれながら連れて行かれる。


 風呂場の中は2人で入っても余裕がある。橙色の優しい色の蛍光灯が風呂場を照らしている。蛇口の下にはシャンプーとリンスのボトルが置かれていた。その隣には石鹸を入れるシンプルな白い容器と、それに入れられた石鹸が目に映った。

 湯船が暖かくなる前に、全身を洗っておく事に決めた。

 シャワーで体と頭を濡らし終えると、シャンプーのボトルのディスペンサーを押してシャンプーを手のひらに垂らす。

「あ、勝手に使って良かったのかな?」

『OK』

 曇った鏡に文字が書かれる。紙が持ち込めない代わりに曇った鏡で文字を作っている。書かれた文字は湯気や湿気ですぐに薄れていった。

 許可が出たので遠慮なく頭をわしゃわしゃと洗っていく。シャンプーを出す前に聞けば良かったかな。

 ケモミミはぺたんと前に倒れ、水や泡が入るのを防いでいる。まだ自分で動かし方は分からないが、自衛はちゃんとしてくれるみたいだ。

 髪を洗う時に体が縮んだという事を意識していれば、両手を使えることが分かった。

 男の時とは違って、伸びに伸びた髪を洗うのに梃子摺っていると、入谷さんが頭を洗ってくれた。他人に頭を洗われるのは悪くないな、気持ちいい。

 目を細めて「あ~~~」とだらしない声を出していると、入谷さんの熱い鼻息が首筋に当たり始めたので止めた。


 髪の泡を洗い流した後は体を洗う。蛇口に置かれていたスポンジを石鹸で泡立てようとして、石鹸に手を伸ばす。ぶりゅんと嫌な音を立てて掴んだ石鹸が粉々に砕けてしまった。焼く前の餅を砕く様な感触だけが手の中に残っている。

『あちゃー』

 と鏡に書かれてた文字を見て、入谷さんが片手をでこに当てて「あちゃー」と言っている姿が想像できた。石鹸を握り砕いた事をそこまで気にしている様には思えない。

 新しい石鹸を脱衣所から取り出してきた入谷さんが、俺からスポンジを取り上げて泡立ててくれた。


「ありがとう、後は俺がやるよ」

 そうは言っても宙に浮くスポンジはそのままだ。渡してくれる様子はない。

『洗っていい?』

「あーいいよいいよ」

 鏡に書かれた文字を見て、先に自分の体を洗ってしまいたいのかと思ったが、違ったみたいだ。入谷さんは俺の手首を掴んで持ち上げ、腕をスポンジで優しく洗ってくる。

「そういう意味――」

 下手に暴れると入谷さんが怪我をしてしまうかもしれない。そう考えると抵抗する訳にもいかず、なされるがままだ。

 口から出した言葉を無理やり途中で止めたのは、くすぐったくて気持ちいい様な不思議な感じがして、変な声を出してしまいそうになったからだ。初めて体を洗って気持ちいいと思えた。これも体が変わってしまった影響なのだろうか。

 歯を食いしばって声が出ない様に耐えていたのだが、お腹を洗われている時に「はふぅ」と変な声をだしてしまい、顔を赤く染めた。


 体を洗い終わる頃にはピーピーと風呂が沸いた事を知らせる音が鳴った。

 入谷さんが俺の脇の下を持って湯船に入れてくれる。

 何故か入谷さんの上で浴槽に入る形になってしまった。逃げようにも頭の上には入谷さんの顎が置かれ、お腹に手を回されてしまっているのでどうしようもない。

 風呂場だけでなく、浴槽も2人で入っても狭さを感じない程の大きさだ。

 足を伸ばしても入谷さんのつま先に触れない。廊下を歩いていた時の口の位置からして、入谷さんは背が高い部類の人なのかな。俺から見たら大きく見えただけかもしれない。実際のところ長身なのかどうなのかは分からない。

 背中に当たるやわっこい感触に体をガチガチに硬くしている俺に対し、入谷さんはただ何もせずお風呂に浸かっているだけだ。頭を撫でる訳でも、ケモミミを弄ってくる訳でもない。


 お風呂に満足したのか、入谷さんは俺の頭から顎を退けて、俺の体をまた持ち上げて浴槽から出してくれた。

 脱衣所に出ると俺の体と髪をバスタオルで拭いてくれる。

 体が綺麗になると、次は何か着る物が欲しくなる。でもここに俺の着れる服はなさそうだ。仕方が無いので水気を含んだバスタオルを体に巻きつける。

 帰りは入谷さんに片手を引かれただけでも歩いていけた。コツを掴めば歩くのに慣れるのは早いもんよ。


 部屋に戻ると水溜りも、汚れた患者衣もなくなっていた。

「戻ったか。いや、まぁそんなに気にしなくていいから」

 部屋の椅子に座ってマグカップに口をつけて中身を飲んでいたフマルは、俺の顔を見てマグカップから口を離して慰める様なことを言ってきた。

 そりゃ情けなくてフマルに合わせる顔がない。あんな失態をしてしまったんだからなぁ。


「で、風呂はどうだった?」

「気持ち良かったよ」

 俺の気を紛らわす為か、話題を変えてくるフマル。そこは素直に返事をしておく。

「でも石鹸を1つ握り潰してダメにしちゃった」

 石鹸1つでも備品なんだ。一応報告しておこう、謝ってもおこう。

「気にしなくていいって。我が家の様に使ってくれていいから」

 椅子から立ち上がって俺の元まで歩いてくるフマル。動かずにじっとしていると、そのまま頭を撫でられる。

「わかった。ありがとう」

 自然と笑顔になってしまったが、デレてしまった訳ではない。フマルには少し強くわしわしと頭を撫でられた。それが返事らしい。

 自分でも表情がころころ変わっていくのに驚いてるんだ。体が変わった影響が精神に現れているのだろうか。

 いつの間にか俺の手の中から、握っていた入谷さんの手が消えていた。姿が見えないせいで探しようがないので放っておく。自由人だからね、きっと用もない時にふらっと現れるだろう。


「昼食作ってくるから、それまでゆっくりしてな」

 フマルは後頭部を片手でボリボリと掻きながら部屋から出て行く。

「わかった。あ、何か着るものが欲しい」

 俺の注文にフマルは頭を掻いた方とは逆の手を振って答えた。


 ベッドに座ってぼーっとしていると、フマルが手に皿を持ってやってきた。皿の上ではホットケーキがいくつも積み重なって、小さな山を作っていた。満遍なくホットケーキにかけられたメイプルシロップの匂いが、俺の食欲を掻き立てる。

「お待たせ、料理はこれぐらいしか作れないんだ」

「美味そう! 食べよう」

 ベッドから降りる俺を見て、皿を灰色のデスクの上に置いたフマルは、俺にフォークを差し出してくる。銀のフォークを受け取ると、すぐにホットケーキに向かう。

 フマルが一緒に持ってきたテーブルナイフでホットケーキを切り分けてくれた。それを俺がフォークで突き刺して口に運んでいく。もちろんフマルも自分で切り分けたホットケーキを食べている。

 前の俺だったら全部食べたのに、今じゃ前ほど食べれなくなっている。ホットケーキを数枚残して食事を終了した。


「ご馳走様でした。美味しかったよ」

「おう、そりゃよかった」

 美味しかったと言ったのは本心だ。普段ホットケーキは食べていなかったが、久々に食べたせいか非常に美味しく感じた。昔から甘い物が好きだったからなぁ。

 美味しいと言われたのが嬉しかったのか、フマルは白い歯を見せて爽やかに笑った。

 

「さて、片付けたら服を持ってくるよ」

 ホットケーキがまだ残っている皿と食器を持って部屋からフマルは出て行った。

 お腹が満たされたせいか眠くなってしまった。ベッドに移動して少し眠ることにした。

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