すれ違う心はすぐそばに
アホコン回は今回で終了です
『あなたのお母様の容態が急変しました』
私は病院まで、思いっきり走った。途中信号や踏切で、時間をとられるたびにイライラが募った。
息切れをして、服が乱れても、それでも走った。
病院が見えてくると、涙が出てくる。とても不安な気持ちになった。
でも私は、走った。
私は病院に着いた。
私はエレベーターで三百四十階を目指す。だけど、エレベーターが上っていくのがとても遅く感じてしまう。
そして私は、手術室に着いた。
「ハアハア、ハア……ハア……」
私は荒い呼吸を落ち着けるように胸を押さえる。もう走っていないはずなのに、何故か胸が苦しかった。もう走ってないはずなのに、どうしてか足が震えた。どうしてか涙が流れてきた。
「お母さん」
私は無意識に、お母さんを呼んだ。お母さんが入院してから、幾度となく呼び続けた、大切な呼び名。明日からこの呼び名すらも、口にしなくなるかもしれないと、恐怖が離れなくなってしまう。
私は、心の中で大丈夫と繰り返して、何とか立っていることができた。
手術中と書かれたランプがその光を落とした。
扉が開き、中から担架で運ばれてるお母さんと、それを取り囲む三人の看護師が出てきた。
お母さんは、酸素マスクをつけさせられていた。
「お母さん」
私はその姿を確認すると同時に、呟いた。
「あ、由紀子さんのご家族の方ですか?」
私の呟きを聞いた看護師の一人が、私に聞いてくる。
「は、はいそうです。あの、お、お母さんは?」
「それは私から」
私も問いかけると手術室から出てきた男が変わりに応えた。
「お母様のオペを担当した谷崎です。今日はあいにく、主治医の渡辺先生がお休みのため、私が出頭させてもらいました。お母様の治療は無事終わりました。ですが、あまり良い状態とは言えません。山場は、今日のあと数時間だと思います」
「そう、ですか………」
「お母様はこれから集中治療室に運びます。ご一緒されますか?」
「あ、は、はい」
私は、先生の後に続き、集中治療室というところにやってくる。そこに、透明のガラスの向こうに、お母さんがいた。
取り付けられている器具の数が、入院していたときよりとても多く、その事実が、私にことの重大さを知らしめていた。
「お母さん」
私はガラスの向こうにいる、お母さんのことを呟く。
でもその呟きが、お母さんに届くことはない。
今のお母さんを見ているのは辛かった。一瞬一瞬このときが過ぎていくたびに、お母さんの命が消えていく気がして、さっきからある恐怖が不安が、背中に張り付いて離れない。
辛すぎた。今のお母さんを見ているのはこの上なく辛かった。
次に瞬きした瞬間、前みたいに何もかもが無くなってしまうかもしれないと、嫌な考えばかりが先行してしまう。
何かが無くなる怖さを知ってしまってから、私の何かが変わってしまったのかもしれない。
あれだけ一緒にいたいと願った人がすぐそこにいるのに、何故かその向こうに行こうと思えない。
ここにすら、もういたいなんて思えなかった。
私はお母さんに、背中を向ける。
もうこれ以上、悲しみなんて味わいたくなかった。
私はお医者さんに断って、私はその場を離れた。けれどどこに行く気にもなれない。ここにいる気もなければ帰る気も微塵にない。病室にでも行こうかとふと思った。
「――――良いのか?」
「―――え?」
そこには、もうとっくに別れ帰ったはずの、変態がいた。
「良いのか?何も言わないで。こんなところにいて」
変態はいつものようにふざけた感じはなく、ただまっすぐに、私を目を見つめていた。
何でこんなところにいるのと、私は尋ねるが、返ってくるのは良いのかという言葉だった。
「私には、辛すぎるもの」
「お前がたとえ、それで後悔することになってもか?」
「私は、もう嫌だから、お母さんがいなくなっていくところなんて、見たくないから」
「でも、お前は望んでいたろ。おばさんともう一度話すこと。これが最後かもしれないんだぞ」
「分ってる!!分ってるよ………だけど、私の声は届かないから」
お父さんがいなくなってからずっと。
ずっと寂しくて、だけど、その声は届かない。
「俺は今日、ある人から話を聞いた。その人の話はある親子の話だ。その親子は、ある事故がきっかけで、親父さんがいなくなったようでな。母子家庭で何とかやってきたらしい。でもその子供のほうは、それから笑うことはなかったようだ。母親は、何とか笑わせようとがんばったらしい。今までずっと意識が戻らなくなるくらいな」
「へ、変態、それって………」
変態が話し出したことが、誰かさんのこととそっくりで、私は目を見開く。
「その母親さんは、意識が戻ってからも、意識が戻っていないように偽ったらしい。何で笑ってくれないのか、どうしたら笑ってくれるのか、ずっとずっと悩み続けていたらしい。ただ、お子さんが、どうやったや笑ってくれるのかをずっとだ。そう、今まさに集中治療室に運ばれるほどぼろぼろになりながらな。その人は、意識が戻っている間、見舞いに来たそのお子さんが話していることから悩みの種を見つけ出そうとしたらしい。まったく、笑っちまうよな?だって、そのお子さんが望んでいることなんて、
ただお母さんと一緒にいたい、
それだけなんだから」
「…………ねえ、変態。一つ聞いて良い?」
私は静かに口を開いた。
「ああ、いいぜ」
「届く、かな?」
「届くさ」
その一言を聞いて、私は、駆け出した。私の声が届く場所まで。
「もっと良い声の掛けかたなかったの?お兄ちゃん。せっかくの感動シーンなのに」
「うるせい。俺は不器用なんだよ!知ってるだろ?」
「知ってるよ」
「あいつもちゃんと向き合ってくれるかね?」
「向き合うんじゃない?それよりせっかくかわいい女の子を落とすチャンスだったのに。良いの?一生童貞だよ?」
「うるせえよ!………良いんじゃないか?俺がどうのこうの言う資格なんざないけど」
誰だって気付かないうちにすれ違っていって、とても簡単なことなのに目が行かなくなることなんてたくさんあるのだろう。それはとても愚かな行為だ。
「相手のことを考えても相手のことを思いあわなくても、理想と現実なんてものは勝手に食い違っていくもんだ。だからみんなは悩む。だけど、抱えてる悩みなんてもんは、本当はちっぽけなものなのかもしれない」
だったなら、いっぱい悩んだ先に行き着いた答えが、受け入れられないものだったことだって多いだろう。
「それはただすれ違って出来ただけのもの。あいつもそれは同じだ。本当に近くにいた。ただすれ違ってただけだ」
ピンポーン、そんな騒動の日々があってから、一週間が過ぎたある日のこと。
俺の家の呼び鈴がなった。
俺は扉を開ける。
……そこには金髪ツインテールのほのこがなにやらモジモジとしていた。
「何やってんだお前?」
「べ、別にあんたに用があってきたんじゃないんだからね」
この一週間でどうやらこいつはツンデレをマスターしたようだ。
「そうか、だったら閉めるぞ」
「え、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「何だよ?と言うかお前のとこのおばさん、今日退院じゃなかったっけ?お前こんなところにいていいのか?」
「あ、あの、その、だから……久しぶりに帰って来るお母さんに………なんて言えば良いのか分からない」
ブチっと俺の脳内の血管が何本かぶちぎれた音がした。
「あのな、そんなこと言っててどうすんじゃあああ我ええ!!!」
「はあ」
私は変態と同じように溜息を付いていた。
結局あの場ではがんばると言ったものの(言わされた)、どうすれば良いのかほんとに分らない。
とか何とか考えていたら、家までついてしまった。
もうすでにお母さんは家にいるはずだけど……とか思ってみるも、外からでは中の様子が見えなかった。
私はドアノブを手に取る、私があの時お母さんに言った理想は、そこにあるのだろうか?お帰りなさいが、もし返って来なかったらどうしよう。
私は頭に浮かんだ邪念を振り下ろす。
私は深呼吸をし、ドアノブをあける。
そこには、
私の望んだ現実があった。
「お帰りなさい」
私は夢でも見ているような気分になる。今まで返ってこなかったものが、そこにはあった。
「ご飯できてるわよ」
そして、私の大好きなカレーの匂いが漂ってきた。
そのカレーの味は、なまっているのか記憶の中にあるもののほうが美味しかったように思う。だけど、決して記憶の中にはない、暖かい温もりがあった。
私はそのカレーを涙を流しながら食べ、お母さんはそんな私をただじっとやさしい眼で見ていた。
そして、ただ一言。
「美味しい?」
その言葉に、止められない涙を流したまま、私は笑ってお母さんに返す。
「うん、美味しい」
その私の顔を見たお母さんも、笑った。
そこには、お帰りなさいがあって、ただいまがあった。
美味しいご飯の匂いがあった。
ずっと見てなかった、お母さんの笑顔があった。
今までなくしていたものが、本当に近くにあって、この手に取り戻すまで、ずいぶんと遠回りなことをやっていた。
だけど、この手に戻ってきたことが嬉しくて、
私は今も変わらず笑顔を向けてくるお母さんに―――
「―――ただいま」
ただ短くこう返したのだった。
まだまだ続きます。
面識ない方のご感想批判など大歓迎ですバンバン書いてください。
本当はもっと細部を細かく描くつもりだったんですけど……
ですが本当に簡単なことで解決できる悩み事はいっぱいあると思います。
私もどうやって試験をサボろうかと、あれこれ考えました。
簡単でしたね、バイクで事故って停学になれば一瞬で終わりました。(嘘です)
次回はしばらくばらばらと日常を描いていくつもりです。
具体的には、幸のお誕生日とか……




