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002 朝顔の季節

少女にとってそれは大きな変化だった。

「ちょっと、キミ?しっかりしなさい!」

ああ、私また倒れちゃったんだ。

いい加減しっかりしないと……。



私は生まれつき、喘息持ちだった。

要はタバコの煙、運動、天候状態などいろいろな原因で咳が酷くなる病気のことで、私の場合、特にハウスダストに酷く反応する体質だった。

体育の授業は休みがち。病院へ行くために早退しがち。いきなり咳き込んだかと思うと、過呼吸になったり、酸素がうまく体内を駆けることが出来ず、苦しさのまま倒れこんで意識を失っていたり。おかげで、周囲の半数は事情を誤解して、『弱いフリ』とか『幽霊』と言った。避けられたことは数知れず。

ただ生まれつき病気を患ってるだけで、『病気が移る』『病原体』だなんて。

私だって、望んでこんなハンデを背負っているわけではない。

そう考えながら、ため息をついて歩いていた。

過去に悪口を言われていた所為か、人と話すことが苦手となっていた私は、一人で帰路に着くのが日課となっていた。

数メートル先、眉間にしわを寄せ、中年の男性がタバコを吸っていた。

すれ違いざま、その苦しさを運ぶ魔の手がするりと私の喉から肺へと滑り込む。

その瞬間、私は咳き込んでいた。酸素を捕まえ損なって咳き込みにくくなる。やっと酸素を捕まえてもタバコの煙がまた私の気管に襲いかかっていく。あまりの苦しさに思わず膝から崩れ落ち、コンクリートが映る自分の視界がぼやける。

「おいキミ?大丈夫かい!?」

通行人だろうか、タバコを吸っていた人ではない男の人がうっすら映る。

ああ、もうダメ……。

そんなことを考えながら、私は一度意識を手放した。



次に意識を拾い上げることが出来たのは、病院のベッドの上だった。

真っ白い小さな空間と、どこか見慣れた窓の景色がはっきりと映る。さっきまで見ていたのは青い空のはずだったが、もうすっかり橙色に染まっていた。

黒く長い髪をそっとかきあげ、左から右へと視線を映した。看護師さんと目があって、具合はどう?と聞かれる。

大丈夫です、と返事して身体を起こす。立ちくらみが無いことから、いつもよりは症状が軽いことが分かる。

「気をつけてね」

にこやかな看護師さんを残し、ありがとうございましたと軽く一礼ををした。



靴音を響かせながら私は一人廊下を歩く。蛍光灯は規則的に一本道を照らしており、明るく見える。

親にはさっきテラスで連絡を入れ、安否を伝えた。

これから帰ると言ったら了解と言われたので、今度こそ帰路に着こうと思う。

曲がり角に差し掛かったときだった。突然、私は何かにぶつかった。反動で私はその場に倒れ込み、反対側からは、カラーンというまっすぐな音をたてた。

「いってえ……」

人だ。私は人にぶつかってしまったのだ。

「ごめんなさい!」

私は慌てて立ち上がり、松葉杖を拾う。さっきの音はきっとこれが原因なんだろう。そのまま目の前の人に手と松葉杖を差し出す。

「おーサンキュー」

慣れない手つきで立ち上がってにっ、と笑って見せる。その笑顔は、蛍光灯よりも明るく見えた。

「あの……大丈夫ですか?」

「あー平気平気。そういう君こそ大丈夫?」

「私は、大丈夫」

そっか、と言ってまた笑う。自分と同じくらいの年の男の子だ。左足を包帯で覆っている。右足に履いているのはこの病院のスリッパだ。

「えっと……どこかへ向かう途中だったのですか?」

そう聞くと、ちょっと困った顔をした。

「そうなんだ。ちょっと軽いリハビリがてらその辺でも回ってようかと思ったんだけど、戻ろうと思ったら自分の病室がどこか分かんなくなっちゃってさ……」

それは確かに困った話である。正直この病院は広く、似たような部屋も多いから、迷子になる患者が跡を立たない。地図を見ても分かりにくい位だから尚更たちが悪い。

出来れば目の前の彼を助けてあげたい。だけど、こんなにも人と話すのが苦手なのに、ましてや自分と同級生くらいの人とこれ以上関わっていいのかという疑問も沸き上がってくる。

だが、思考よりも行動の方が早かったらしく、あの、と呼び止めた。今にも松葉杖をついて廊下を歩こうとしていた彼は振り向いた。

「あの、良かったら一緒に手伝ってもいいですか?」

「ホントか!?」

そしてあの明るい顔を更に輝かせる。

「病室の番号は?」

「あーっと……確か106だったはず」

「じゃあB棟だね。こっちの方からだと近かったはず……」

こうして、久しぶりの話し相手を連れて、私は玄関から遠ざかる形で案内を始めた。



運のいいことに、迷わず目的地へ辿り着くことが出来た。窓をちらりと見ると、もうすぐ闇夜が訪れることを予告しているような空になっていた。

「ごめんなー遅くまで付き合ってもらっちゃって」

「ううん、いいの。ちゃんと辿り着けてよかった」

そっか、と言って松葉杖を支えにしつつ、頬をかく。

「ありがとうな!」

にっ、と笑う。

何でだろう。

この笑顔を見ていると、自然と頬が緩むのだ。

「やっと笑った」

また笑う。

外はあんなに暗いのに、ここはまだ太陽の光が射しているみたいだ。

心臓が忙しく動く。大きく。速く。

またな、って言ってもう歩き始めている。

掴めそうで掴めない光。

届きそうで届かないなんて。

そんなの――――



「ねえ」


「また……会いに……来て……も……」



「それにしても驚いたなあ!いきなり倒れちゃってさー」

「もう……たまたま人がいたから良いものの……」

「すみません、迷惑をかけてしまって」

太陽がこの部屋を照らし始めた時には、もう看護師さんと話が出来るようになっていた。

その場に居合わせていた彼曰く、声をかけられ振り向いた時には、もう意識が飛んでいってたらしい。

あんまり人と話さなくなっていたのが原因だったのか、一時的に精神への負担がかかっていたようなのだ。

「メンタルをもっと強くなさいね」

そう叱られてしまった。

喘息もあるのに、これ以上病気を増やしたくない。

「あ、そうだ」

思い出したかのように、突然切り出す。

「どうしたの?」

「ほら、あの言葉の続き」

えっ、と戸惑う私にあの笑顔で笑う。

ああ、なるほど。

そう呟いて、彼の目を見つめ、噛み締めるように言う。



「また、会いに来ても、いいですか……?」



彼の返事は、私の瞼に焼きついて離さない、あの笑顔。

朝顔の咲く季節のことだった。


まさか約半年も経つとは思ってませんでした。

時というものは足早に駆けて行くのが好きなのでしょうか。

言い訳はともかく、少しでも速く新たな物語を紡げるようにと、多忙な日々と戦うことにします。

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