一 孤児院
夜も更け、月の光もなく闇へと染まった林の中を、一人の男が息をきらして走っていた。
その男の後を、四人の男女が追いかける。
「助けてくれっ!」
必死に逃げるこの口からは、もうその言葉以外は出てこなかった。
「往生際の悪い」
「助けてくれと言って助ける馬鹿なら、こんなに必死に追いかけてないよ?」
「こんなことしたって、どうせ逃げ切れるわけないじゃないの!」
「くっそっ! 何でもいいから止まりやがれ!」
四人はペースを速めて男を追いかける。
男は捕まるものかと走るが、暗い林の中、そううまくは走れず、木の根に足を引っ掛けて大きく前に転がった。
「こんな獣道をそんな速さで走れるやつなんて、ここに数ヶ月くらい住んでないと無理なんだよ!」
男の前に立ったのは、まだ十五、六の少年だった。腰に手を当てて、下を向く。
「と、いうことは、フォードはここに数ヶ月住んでいたってこと?」
「言葉の文だろう! だいたい、こいつとは鍛え方が違うんだよ!」
フォードと呼ばれた少年の向かい側に立ち、逃げた男を挟み撃ちにして立ったのは、彼と同じ年の少年だった。
「というか、昔からこういう林の中で遊んでただろう! お前も一緒に」
「でも、そこまで早くは走れないかな? 俺、基本的に身体動かすのは得意じゃないし。で、それよりも、この男……」
「ああ、やっと捕まえたぜ。しぶとく逃げやがって」
男は転んだ拍子に打ったらしい頭を擦りながら、腰を起こして頭を上に向けた。
逃げることを諦めたのか、ため息を吐いて項垂れた。
「その男を連れて早く戻ろう。あまり騒ぎ立てれば俺たちが危ない」
「ぬし様が目覚めないうちに、ここを出たほうがいいわね。さっきから守護林たちに見られているから」
男を囲んでいる四人は、四方八方から感じる威圧感と視線で、少しだけ身体を緊張させた。
「さて、やっと捕まえたことだし、夜も遅くなっちゃったから、向こう側に連絡をいれるわね」
そういって、フォードたちよりもやや年上と思わせる少女は、男に背を向けて連絡をし始めた。
その様子を男は項垂れながらも確実に見ていた。どこかで隙がないかと待っていたが、男三人は隙など一瞬も見えない。
しかし、横にいてしかも後ろを向いている女なら隙があると、男は彼女に向かって飛び込んだ。
逃げ回って疲れているにもかかわらず、その瞬発力には誰もが驚かされた。
少女の首に自分の腕を巻きつけ、持っていた刃物を突きつける。
「へっ、形勢は逆転した。どうだ、これで一歩も動けないだろう」
「今どき、こんなにさらっと悪役のセリフが出てくるって人も珍しいなぁ」
「おじさん、あんたすぐに後悔するよ。ミサリアを人質にとったこと」
「なんだと!」
「いつものことだ。女だからと力で何とかできると思って油断する男の行動は」
「こういう状況に置かれて一番強いのは、彼女だよ」
「へ?」
男が間の抜けた声を上げるとほぼ同時だった。
「ぐっ……身体が、勝手に……」
自分の意思とは関係なく、自然にミサリアから身体が離れていくことに、男は驚愕のあまり声が裏返った。
少しの間隔があき、ミサリアはトンファーを持つと男の腹に叩き込んだ。
ぐっという嗚咽と共に、男の身体は後ろへと倒れる。
「だいたい、こんな夜中に連絡も何もないでしょう? 今頃みんな夢の中。こんな時間に起きている人なんて、あたしたちみたいな仕事をしている人くらいのものよ」
「わざと……だったのか……」
「この状況に置かれても、まだ逃げる気でいたあなたの動きをどうしても止める必要があったの。あたしの身体に触れた者は、数日の間あたしの思い通りに動くからね」
ミサリアが男と話している間に、糸を持った少年が、せっせと男を縛っていく。
フォードと同年代のこの少年、ミシェル・ウォーカーに糸を持たせれば怖いものなし。
「多分、ミサリアの力で動けないとは思うけど、動こうなんて思わないほうがいいよ? おじさん、怪我したくないでしょう」
笑顔で、身体に巻きついている糸を指で撫でると。指の腹に鋭い亀裂がはいり、そこから赤い血が流れ出る。
ひぃと、言葉にならない悲鳴を上げる男は、それ以上動こうとはしなかった。
「大丈夫。糸を横撫でしなければ切れないから」
「よっし、この男も捕まえたことだし、俺たちもそろそろ帰ろうぜ!」
「じゃあ、あたしはこの男を連れて役人のところに行ってくるわ」
「俺も行く」
「なら、俺たちは先に帰ってるよ」
二手に別れ、四人はそれぞれの道を歩きだした。
* * *
村から少し離れた丘の上にある民家に朝の光が照りつける。
民家といってもそうとう大きな建物である。しかし、建物自体が大きいだけであって、飾ってある装飾品や、置物などは一切ない。
その上、普通の民家よりも、若干ボロくみえる。
壁の塗装は剥がれたところから茶色の木が姿を見せて、家の中の床もフローリングとは呼べないほど傷が入って今にでも壊れてしまいそうだった。
国からの資金も、これだけ大きい家を修理したり立て直したりするほどの援助はしてもらえない。一日の生活で精一杯だった。
それでも、暮らせないことのないこの家には、三十人ほどの人が一緒になって暮らしていた。
最年少は一歳から、最年長は十五歳までの子どもが住んでいる。この子どもは親から捨てられたり、虐待を受けてきたりした子どもたちの住むところだった。
一般的に言われている『孤児院』というやつだ。
三十人といる子どもが住む家では、一人一つの部屋を与えられてはいない。七・八人の割合で四つの部屋がある。
春夏秋冬と名前が分かれていて、春、夏で女の子の部屋。秋、冬で男の子の部屋となっている。
そのうちの、秋の部屋の扉が勢いよく開かれた。
「おらおら! 朝だぞ。いつまで寝てるんだ!」
部屋に飛び込んだこの孤児院に住んでいる十七歳の男、フォード・デューイは木刀を片手に寝ている子供たちの身体を優しく叩いた。
十七歳にもなって孤児院で暮らしているのは、彼が二年前までここの孤児院で育ってきたからである。十五を過ぎて孤児院を出てから、一年をあけて、今年ここに手伝いに来たのだった。
彼は、木刀で叩かれて起きる子や、布団にもぐりこむ子どもたちに、
「あと十秒のうちに起きて布団を畳まないと、朝食はなしっ!」
そう一気に叫ぶと、子どもたちは一斉に布団から飛び出した。
その様子に満足いったのか、フォードはドアを開けたまま、別の部屋へと入り同じことを繰り返していた。
その無理矢理の起こし方に、子供たちは不平不満を吐く。しかし、それはフォードには聞こえないようにだった。聞こえてしまえば朝食のおかずを一つ取られるからだ。
「フォード! そんな起こし方をして、さわやかな朝を台無しにしないでよ!」
すでに三つ目の部屋の子供たちを起こしているフォードの後ろを追い、彼と共にここで手伝いをしている一つ上の女性、ミサリア・スノウは、彼のやり方に注意する。
ミサリアの声が聞こえると、子供たちは部屋から飛び出し彼女に駆け寄った。
「姉ちゃんだ!」
「ミサリア姉ちゃん、おはよう!」
「オレ、今度から姉ちゃんに起こされたいよぉ」
まだ十歳にもなっていない子供がしきりに訴えてくる。
その一歩後ろには、彼らよりも年上の女性が立っていた。
「おはようございます、ミサリアさん」
「おはようカノン」
カノンと呼ばれた少女は、ミサリアとは別の部屋を与えられた。ミサリアを除いた孤児院にいる女の子の中で最年長なため、部屋の子どもの責任を任せれている、いわば部屋長という役目をしている少女だった。
白銀の癖のない真っ直ぐに伸びた綺麗な髪と、スカイブルーの瞳の色が、十四歳という実年齢よりも高く思わせる。顔は童顔だが、小さな口から漏れる小さな声や、物静かな仕草からもそれは伺える。
「さ、カノンも早く朝食食べよ!」
「はい」
カノンは満面の笑みを浮かべ、一階にあるリビングに降りていった。
ミサリアの指示で周りにいた子供たちも、カノンと共に下へと降りていく。
居間にある長いテーブルには、すでにいくつかの料理が並んでいた。
あらかじめ子どもがどこに座るか場所を決めてあるため、子どもは迷わずに自分の席へと座る。
キッチンは居間と同じところにあるが、それを隔てているのは、カウンターと薄い壁である。
そこでは、この孤児院の経営者である三十代後半の女性、カピリア・サルタが朝食の準備をしていた。
十六年前、夫と子供を亡くして以来、自らの家を改築し孤児院を建てたのである。それから一年前までの間、彼女一人で経営してきた。その一年前からは、昔、孤児院にいたフォードたちが手伝いに来ているのである。
手伝いといっても、毎日この家で暮らしているために、彼女にとっては息子娘と同じだった。
その息子のうちの一人、フォードと同年代の男、ミシェル・ウォーカーも、彼女の隣で朝食の準備をしていた。
「カピリア、これ持っていっていい?」
ミシェルが、平らな皿に乗った料理を見つける。
カピリアはちょっと待ってというと、すぐに料理の前により、皿の端にポテトサラダを添える。
ポテトサラダといっても、ポテトと胡瓜しか入っていないものだ。
国に払う税金のために、なかなか豪華なものを作ることも食べることもできない。それでも、一人分の量にしては丁度よかった。
ポテトサラダが乗ったオムライスをミシェルが運ぶと、子供は待ってましたとばかりに騒ぎ出した。
しかし、席を立ち暴れ回ることはしない。それは子供を起こしに行ったフォードが今はリビングのドアの前に立ち、一歳の子の面倒をみているからである。席を立てばすぐにおかずをとられてしまう。それがわかっている子供たちだからこその、我慢である。
全員分の食事を用意すると、一斉にいただきますの挨拶をし、食べ始めた。
一人で食べられる五歳以上の子供達とは別の、小さいテーブルに腰をかけたフォードたち手伝い組は、カピリアと共に一・二歳の子供の食事の手伝いをしていた。
食事は同じだが、他の子供よりもやや柔らかくしてあるために、幼い子供でも食べやすいようになっている。それをスプーンで食べている一、二歳の子供がこぼさないように、しっかりみてあげなければならない。
「そういえば、ラデンの奴はどこに行ったんだ?」
フォードは思い出したかのように、ミサリアに問いかける。
「ん〜? ラデン部屋にひなはったほ?」
食事に夢中のミシェルが、口にものを頬張りながら逆に問う。
それに答えず、フォードはミサリアの返事を待っていた。
「んー。なんか寄るところがあるから一人で帰ってくれって。仕事終わったあとに別れたんだよね」
昨夜のことを思い出し、ミサリアは簡単にそう説明した。
「あ、多分あそこ……」
思わずそう口にして、はっと手で口を塞いだ。
「あそこ?」
「ううん、何でもないの。気にしないで」
二人とも気にしていた様だが、フォードの隣に座っていた子供が食べ物をこぼしたため、それを拭くことに気をとられ、それから追求してくる気配はなかった。
それからは仕事の話や孤児院の状況など、会話は盛り上がった。
食べ終った子どもが、外に遊びに行くのも毎日のことで、それを見ていなければならないフォードが、子どもの面倒をカピリアとミサリアに任せて外に出た。
それに付き合わされるミシェルも、嫌々そうにしているが、本心は楽しんでいるようだった。
食事の後を片づけるのは、女性の仕事。カピリアの手伝いは、ミサリアの担当だった。
そして、外に遊びに行かない子供の面倒は、カノンが担当している。外に遊びに行かない子供の大半は女の子が多い。女の子は同性同士で遊ぶのが楽しみなのだと、カノンは引っ張りだこである。
カピリアが食器を洗い、ミサリアが食器を拭き戸棚に戻す。
「ミサリアにも話していたのね」
「え?」
「ラデンのこと……」
食器を洗っている途中、唐突にそう言われて何を言っているのか分からなかった。
「あ、うん。あたしは、最近聞いたんだけどね。カピリアはいつから知ってたの?」
「あなたたちがここに手伝いに来てくれた時、初めに言われたことがそのことだったの」
「そうなんだ……」
「秘密って言われてたんでしょう?」
やはり、食事中に口走ってしまったことは、ばれていた。
「うん。フォードたちは気にしてたみたいだけど、何も聞いてこないからよかったよ。あたしに言ったのは、多分、仕事でよく組むからみたいだけどね」
「そう?」
カピリアはクスッと笑った。
「今日も町に出て仕事探してくるね」
食器を拭き終わったミサリアは、そういうとエプロンで手を拭いた。
「昨日もやったのに、あまり頑張り過ぎないでね」
「大丈夫、大した仕事じゃなかったし、そんなに疲れてないから。それに、お金だってそれほど稼げてないから、少しでも稼ぎたいの」
ミサリアの仕事に対する誇りは、彼女も分かっていた。
「分かったわ。もうなにも言わない。けどね、絶対に生きて戻ってきて。賞金稼ぎに出て戻ってこない村の人は大勢いるの。それに、命に替えたお金なんて、もらっても嬉しくないわ」
「わかった。約束する」
「約束じゃだめ」
「え?」
「誓ってちょうだい。誓いは、約束と違って、ちゃんとした契約よ」
「はい」
ミサリアはそう微笑むと、そっとカピリアに抱かれた。