008
「スキュラ、実は昔、どんな質問にも答えてくれる魔法の鏡を作ったんです」
「すごいですねー、さすがメディアさまです」
「でも、ほどなく私、その鏡を割ってしまったんです」
「なぜですかぁ?」
「ちくわ大明神」
「え、え?」
「その鏡が言ったんです。やれやれ、君が私に質問するのは勝手だが、君の作ったものが君以上の答えを出すと本気で思っているのかね? って」
「いやいや、さっき、何か妙な事言いませんでしたか!?」
「?」
「……」
「?」
「……はぁ、それはそうと、メディアさま、次の書類です。テテュス様が処理早めにだそうですよー」
海を見渡せるシーサイドビュー。大きな水晶の窓の向こうには深い群青色の海が広がり、ウミネコがミャーミャー鳴いている。
ウミネコに絶海の孤島のお屋敷、メイド、そして私は魔女。閃いた!
執務室の大きな木製の机、その上にはたくさんのパピルスの紙。私はそれをチェックしては、印鑑を押したり、ペンで注釈したりしていく。
傍には可愛らしい童顔のメイド、たまに触手が生える菫色の髪の巨乳の女の子スキュラが甲斐甲斐しく私の身の回りの世話や整理をする。
私はふと、壁際に置かれた鳥かごの中で忙しなく首をかしげるカナリアをみてため息をついた。
「くっ、これが居候の悲哀ですか…。なんで私が水利権の処理なんかを…。アルノ川はこのぐらい…。はぁ、ちょっと休憩します」
「わかりましたぁ。お茶、新しく淹れなおしますね~。よいしょ、よいしょ」
スキュラは癒しやでぇ。あざと可愛い。私はスキュラのふりふり誘ってんのかよって感じのお尻に手を伸ばし、その手は触手に払いのけられる。解せぬ。
さて、エジプトからの逃避行の後、私はオケアノスおじい様のお屋敷に匿われることになった。
これにはヘカテー様がヘリオスおじい様の協力を取り付け、ヘリオスおじい様から黄金の杯船という魔法の品を貸してもらった事が大きい。
海神オケアノスが住まう西の果てと呼ばれる場所は、座標的には大西洋になるのだけれど、実際に行くにはジブラルタル海峡から異なる位相の神の世界に入る必要がある。
妖精郷とか桃源郷とかそういう類の異界であり、境界であるヘラクレスの柱を越えると旧世界を一周する規模の外洋オケアノスに入ることが出来る。
この外洋を越えるには、海神オケアノスの娘婿である太陽神ヘリオスが所有する黄金の杯船が必要となる。
ヘカテー様はこの黄金の杯船とアルゴー船を同期させることで、私が外洋を越えられるように取り計らってくれたのである。
「匿ってもらってるのに、何も恩返ししないのはダメですので」
オケアノスおじい様は何もせずお姫様してたらいいよって言ってくれたのだけれど、色々と動いてくれた手前、何もしないわけにはいかない。
海神オケアノスの領域にはオリュンポスの神々とて下手に手を出せない。特に、女神ヘラは絶対に海神オケアノスとその妻である水神テテュス、つまり私の祖父母には手出ししない。
何故ならば幼き頃の女神ヘラを養育した養父母こそが海神オケアノスと水神テテュスの夫妻であり、ヘラはこの2神を非常に尊重しているからだ。
また、海神オケアノスは老獪な政治家としての一面も持ち合わせている。今回の私を匿うための謀についても、おじい様の暗躍があったそうな。
彼は神々の覇権をかけた戦いティタノマキアにおいて、オリュンポス側に対して友好的中立を貫きつつ、自分が本来所属するティターンが敗北してもその地位と権能を守り通すなど、その政治手腕には定評がある。
女神ガイアを敵に回したクロノス率いるティターン達に勝機はないと見抜いた彼は、自分の娘メティスがオリュンポス側にあり参戦できないとかのらりくらりしたのだ。
そして同時に密かに女神ヘラを養育し、またティターンの一部を寝返らせるなどの謀略も張り巡らせている。
オリュンポス側の勝利に彼の娘たる女神メティスの活躍が決定的な役割を果たしたこともあり、また女神ヘラの養父母たる彼らがゼウスから厚遇されないはずがなかった。
このため、ゼウスといえど世界中に清らかな水を供給する権能を有したオケアノスとテテュスを軽く扱うことなどできないのだ。
というか、もう書類みたくない。ハンコ押しすぎて手が疲れた。
「スキュラ~、もうデスクワークしんどいのです」
「その割にはものすごく有能だってオケアノスさま、すごく褒めてましたよ」
まあ、前世の関係でこの手の仕事は出来ないわけじゃないけど。21世紀に生きた社会人の事務能力補正が効いているのです。
というわけで、私は癒しのためにスキュラの可愛いお尻にもう一度手を伸ばす。まさぐるように。
メイドを愛でるのは上流階級の務めなのです…って、犬!?
<ガブッ☆>
「あいたたたたっ!?」
「はわわ、ダメじゃないですかっ、メディア様の手を噛んじゃ」
伸ばした手をガブッ☆と噛んだのは犬の頭。唐突にスキュラのお腹から生えた黒いお犬様がガジガジと私のお手々をいただきます。
やめてください、私の手は美味しくないです。
「わんわんお、わんわんお」
「くっ、セクハラすらも許されないのですか!?」
「ごめんなさいごめんなさい!」
おっぱいが大きくて扇情的で虐めっ子オーラ丸出しのメイドっ子スキュラちゃん。ドジで失敗ばかりだけれど、セクハラについては触手と犬の頭が許さない。
必死になって謝るスキュラちゃんも可愛いけど、でも、その暴力的なお犬様の敵意に満ちた目はいただけません。
「やはり、どうにかしてこの呪いを完全に祓わないと(安心してセクハラできない)…」
「でも、ちょっと可愛いって思いません?」
「……ま、まあ、好みは人それぞれですが」
これも萌ポイントといえば萌ポイントなのかもしれぬと思い直す。思い直してスキュラちゃんのたわわに実った胸を揉みしだこうと手を伸ばし、
ペチッ☆
触手に払いのけられたし。小癪な。もう一度手を伸ばすが、またペチリ。くそっ、くそっ、触手ごときがこの太陽神と海神の尊い血脈に逆らうだとっ!
「おのれ、私はスキュラの巨乳をぇぇ!?」
気が付いたら、私の身体は宙を舞っていた。触手にぽいっと放り投げられたらしい。まったく、やりよる。女の子にエロい事するためだけのものじゃなかったのですね。
完敗です。
「はわわっ、またっ!? ごめんなさいごめんなさいっ」
しかし、このメイド、ガードが堅いな。
◆
オリュンポス山の異なる位相に存在する山頂、そこにはひときわ豪奢な神殿がそびえている。偉大なるオリュンポス十二神が住まう場所だ。
その巨大にして人類には建設できぬ驚異の構造をもつ神殿には、積層する美しい模様を生かした、豪華にして重厚な壁とドーリア式の柱で出来ている。
これは、遥か東方の地で切り出された縞瑪瑙が用いられているからだ。
また、正体不明の白い玉石の板材でできたレリーフには、神々の戦いティタノマキアなどを描く見事な彫刻がなされ、宝石をちりばめたような彩色は人間の手では再現できないだろう。
その神殿の中央、玉座の間にて、神々の王ゼウスと神々の伝令使ヘルメス神が謁見していた。
神々の給仕たる美少年ガニュメデスに酒を注がせ、ゼウスは鼻歌交じりに口を開く。
「ふ~んふ~ん♪ メディアめ、なかなか捕まらぬなぁ。だが、簡単に手に入るのも面白くはない。そうだ、ヘルメス、何か案を出せ」
「えっと、まだやるんですか父上?」
ヘルメスは呆れるように目の前の父、大理石の玉座に座る、偉大なるオリュンポスの王ゼウスに問う。
神々の王ゼウスは白く豊かな口髭をたくわえた威厳のある姿なのだが、それも彼が今夢中なメディア姫の絵を鼻を伸ばして眺めている姿のせいで台無しだ。
加えて、縞瑪瑙で出来た背の壁にはメディア姫を盗撮したと思しき絵を拡大したポスターとかがかけられていて、正直、忠実なる息子を演じるヘルメスとしても心苦しい。
正直、いい加減にしろよこのエロ親父、正直ついていけねぇよって気分。具体的には自分の親父が中学生相手に援助交際しているのを知った気分。
でも、彼の座右の銘によりヘルメスが父に逆らう事はない。
「当たり前だ。この我が欲したのだから、当然、この手に落ちるのが定め。最後には、我がこうすることで喜ばぬ女はいなかった」
ゼウスが助平ジジィの顔をして、手に持つ絵にブチューと口づけをする。ヘルメスは鳥肌が立った。きめぇ。
最悪だなこの親父。もう、チェンジしていいですか? ハーデス様あたりが上司だったらいいのに。
「まあ、父上の中ではそうなんでしょうけれど」
ドン引きしているガニュメデスを横目に放っておいて話を進める。銀髪の美青年であるヘルメス神の座右の銘は、長いものには巻かれろである。
「そういうわけだ。メディア姫をオケアノスの地から連れ出す方策を考えよ」
「はぁ。まあ、わかりまし……っ!?」
その時、ヘルメスは酷く悍ましい気配を感じ、ばっと後方の柱のあたりに振り返った。そうしなければ自分の命が脅かされると本能的に確信したためだ。
しかし、ヘルメスは振り返った事に後悔した。そして自らの浅はかな行いにひどく後悔し、その後悔が後の祭りであり、ヘルメスはおしっこをちびりそうになった。
柱の陰に、女がいた。
美女だ。美少女である。ピンク色の髪の、神がかった美貌の女。だが、その瞳は深く深く、どこまでも深かった。
まるでタルタロスの底を覗き込んだような気分。悍ましく、暗く淀み、この世全てを呪い殺すような、恐ろしい瞳だった。正気を失いそうだった。
重油の中に身を浸したような、魂の全てを冒涜され、穢し尽くされた様な気分となった。喉がカラカラになって、ヘルメスは今にも子供のように泣き出してしまいそうになった。
女は小さく呟いていた。
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス……」
<SANチェック>
あなたはとっても可愛らしい女神ヘラ様(片手斧装備)に出会ってしまいました。さあ、10面サイコロを二つ用意して振ってください。2d10/1d100。
ヘルメスはアイデアロールに成功してしまった。
◆
「はっはっは。メディアちゃん、たーんと食べなさい」
「はい、おじい様」
海神オケアノスの屋敷は毎日が宴会である。お金はかからない。みんな貢ぎ物で成立してしまう。
地中海世界および北大西洋東海岸部の水の配分、海流などの調整はそれだけ巨大利権なのだ。利権には多くのマネーが集まるものなのである。
なにしろ、欧州から海にそそぐ全河川、地下水および湖沼に配分される水量がこの場所で決定されているのだ。
少しでも不況買えば渇水だ。渇水すれば水争いだ。戦争だ餓死だ飢餓だ。オケアノスの采配一つで、民族集団が一つ消えるほどの紛争が起こるのである。
当然、生命がかかる以上、人間どもも、その土地の土着の神も精霊も必死になってオケアノスに賄賂を贈る。
うっはうっはである。
まあ、全体の水量は決まっているので、管理する側は相当神経を使うのだけど。基本的に嘆願は突っぱねる方向らしいのが救い。
日本なら戦前あたりの役所仕事のノリである。お役人様万歳。腐敗の温床である。でも、この時代、まだ西暦以前ですので。
「メディアちゃん、この蟹、北海から頂いたのよ」
「とても美味しいです」
さて、そんな巨大利権を扱う権力者、海神オケアノスと水神テテュスなのだが、6000近い子供をもうけるぐらい仲の良い夫婦であり、そして子煩悩であり、孫バカである。
もう、孫娘が可愛くて仕方ないらしく、私を猫可愛がりである。いや、アンタら孫娘いっぱいいるだろうに。
この屋敷には2神では使い切れないほどの貢ぎ物が毎年贈られてくるらしく、この孫バカ二人は私にこれを嫌というほど投入してくる。
新しい服で溺れそうだ。
これが権力。これが利権。いやぁ、一度この甘い蜜をすったら、絶対に手放してなるものかとしがみ付きたくなるという人間の気持ちも分からないでもない。
何しろ、この2神の可愛がりを見た地方神どもの使者たちの手の平返しは、正直見ていて気持ちが悪かったので。
最初は胡散臭そうにしてた連中が、今は完全にゴマすりモードである。虫酸が走るのです。笑顔で賄賂を受け取るのです。
ああ、ちなみに賄賂を受け取ったらダメなんていう法律有りませんから。紀元前なので。だから、賄賂をもらったからって必ず報いる必要もないのです。
まあ、ちょっとは色を付けてやるのもヤブサカじゃないというか。やったらやったで賄賂の量がわけの分からない事になりますが。
げへへ。
「おや、あの鯛。ちょっと踊りが下手ですね」
「あらあら、見苦しいわ。お前たち!」
テテュスおばあ様がパンパンと手を叩くと、屈強なインスマス面の半魚人二人が現れ、舞台で踊っていた鯛と平目たちの中から、踊りの上手くない鯛を捕まえる。
「ああっ、おやめくださいっ。娘だけはどうかっ!」
「おかーさんっ!!」
「ええい離せ。コイツは今から蒸し物にされるのだ!」
「ああっ、酷い。よよよよ」
次は蒸し物ですか。おいしそうですね。これが権力の味。
「そういえば、アタランテ、暇をしていませんか?」
「はむはむ…んむ?」
「ああ、そのマグロステーキ飲み込んだ後でいいですから」
隣で野生児アタランテちゃんがマグロの大きな切り身を焼いたのに齧り付いている。誰も取らないし、食べきれないほどあるので急がなくてもいいのに。
北大西洋クロマグロ美味しいですけどね。
アタランテは口に入れたモノを飲み込み、ビールをくいっと飲み干すと、ようやく話ができるようになった。
「ああ、もう、口のところが汚れてますよ」
「ああ、すまんな」
フキンでアタランテの口元を拭う。もう、本当に野生児なんですから。可愛いんだから、もうちょっとマナーに気を付けてくれればいいのに。
「それで、アタランテ、どうですここでの生活は?」
「うむ、故郷に未だ帰れないのは残念だが、色々な島々を巡るのは得難い経験だな」
「ああ、そういえばカナリア諸島とか回っていたんでしたね」
カナリア諸島、犬の島という意味だ。アザラシが多く生息しているため、海の犬と呼ばれる彼らに由来した名前となっている。
ちなみに鳥のカナリア、金糸雀はこの島々を原産としているのだとか。
「ああ、聞いてくれ。あの島には不思議な木が生えていてな」
アタランテちゃんがいくつもの枝に分裂するような、ブロッコリーをそのまま木にしたような樹木について得意げに話し始める。
あの島には珍しい植生があると聞くし、私も一度行ってみたい。でも、私、籠の鳥なので。
「食事も美味いし、今のところ不自由はない。それよりも、吾はメディアが心配だ。毎日、部屋の中では息が詰まらないか?」
「いいえ、大丈夫です。この前いただいたカナリアのおかげで心も和みますから」
まあ、アタランテが楽しんでいるようで何よりだ。こんな事に巻き込んでしまって心苦しいとは思っていたから。
「それはそうと、イカロスたちは?」
「ああ、今頃、工房で食事をとっているんではないですかね。色々と試したいことがあるみたいですから」
「相変わらずの親子だな」
マッドな親子である。適当にこんなの作ってみたらって言ったら、本当に作るあたりヤバイ。
今はプロペラと翼の研究に勤しんでいて、そのうち飛行機とか造りそうで怖い。
「のう、ワシはいつまで給仕をやらんといかんのじゃ?」
「あ、そこのメイド。さっさとオケアノスおじい様の杯を満たすのです。このノロマ」
「うう…、かつての王がこのような……」
「は? エロいスライムの中に放り込むのだけは勘弁してやったんですから、キリキリ働くがいいのです」
さて、幼女メイドはどうでもいいとして、この先どうするかである。
私はこの屋敷から出られないだろう。どのぐらい出られないかは分からないが、最悪、ギリシア-ローマ神話が廃れるまでということもある。
カニもタコもマグロもサーモンもアワビも食べ放題だけれど、流石にずっとお屋敷の中というのは息が詰まる。
どうにかならないものかと考えていると、
「た、大変ですオケアノス様!!」
「なんだ騒がしい」
インスマス面の半魚人が突然、食堂に駆け込んできた。オケアノスおじい様は眉をひそめるが、テテュスおばあ様が手で制して半魚人に話すように促した。
「コ、コルキス王国が竜に襲われ、壊滅的な被害を出したとっ!」
「は?」
◆
「酷いな…」
アタランテは目の前の惨状に眉をひそめた。
短い間しか逗留しなかったものの、美しい国だった。緑豊かで、水が豊かで、多くの資源に恵まれていた。
一面の麦畑には多くの実がもたらされ、人々は活気に満ち溢れ、街並みはギリシア本土よりも美しく整然としていた。
だが、それらは無残に破壊し尽くされていた。
オリュンポスの神が遣わした無数の竜によって、美しかったこの国は焼き払われてしまったのだ。
街は瓦礫と化し、火災によって灰となり、今もまだ燻る火によって煙が上がる。子供たちは泣き、大人たちは生気の抜けた顔で天をただ見上げている。
その目から生気は失せ、口からはすすり泣きと神々を呪う言葉がかすれるように漏れるのみ。
「これが神々の回答であるか。なんと無体な。ただ求婚を拒んだだけではあるまいか」
ダイダロスが悔しそうな表情をしつつ、金床で鎚を振るう。復興には多くの資材が必要であり、メディア姫は彼ら親子に協力してくれるよう頭を下げたのだ。
私はメディアと共に生存者を探し、またその治療を行っている。
海神オケアノスはメディアがコルキスに戻ることに難色を示したが、メディアは頑として聞き入れず、故国にすぐさま舞い戻った。
彼女は惨状を見て唇を噛み、そして黙って何とか生き残った王と謁見し、復興に手を貸し始めた。
彼女の活躍で多くの命が救われたが、しかし失われたものはあまりにも多く、大きい。
私はメディアの傍に寄り話しかける。彼女の眼もとには隈ができていた。美貌ではあるが、酷い顔だった。
「メディア、三日間寝ずに働きづめではないか。休んだ方がいい」
「ありがとうアタランテ。しかし、これは私が招いたことですから」
「お前に責任などないだろう」
「ですが、私が黙ってゼウスを受け入れていれば、不幸は私だけに収まったでしょう。亡くなった方々になんと申し開きをすればいいか…」
かくも理不尽な話があるだろうか。
そしてふと、メディアは焼け焦げた家屋からネックレスを拾い上げた。焼け焦げて良く分からないが、魚をモチーフとしたペンダントトップにも見える。
「この家の女の子は、死んでしまったようですね」
「知り合いなのか?」
「いつも付きまとってきて、ちょっと大変でした。このネックレスは彼女のお誕生日に贈ったものなんですよ。外洋に出没する怪魚の骨から作ったんですけどね。泳ぎが下手だっていうんで、水中でも呼吸ができるおまじないをかけたモノだったんですけど、火には意味が無かったみたいです」
「そうか」
「ちゃんと、葬ってあげなくてはですね」
そう言い残し、メディアは儚げな笑みを浮かべて立ち上がった。
◆
どんよりやわ。
「これが神のすることかよ…、はぁ」
いや、まあ、あいつらそういう連中だけど。色恋ざたでこれはないわ。
コルキスにだってゼウスを信仰している者はたくさんいたのだ。祭りとなれば多くの供物を捧げてきたし、神の怒りに触れるような罪を犯すような人々でもない。
多くがただの人間として、ただ人間らしく生きていた。それを、これか。
神々の行いは自然災害と同じだ。嵐や地震、そういった現象をもって自然のバランスをとるのも重要な仕事である。
嵐は大気循環における重要なファクターであり、地域による温度差を是正する重要なシステムの一環だ。
地震はマントル対流の行き起こす地殻の歪みを是正する現象であり、一定間隔でこれを行わなければ大きな破滅を生じさせる。
その結果として、理不尽な自然災害の前に多くの人間が亡くなったとしても、それは自然のサイクルの一環だと納得はできる。
だけど、これはダメだ。こんなのはあんまりだ。
『メディア』
「ヘカテー様」
ヘカテー様の声が聞こえてきた。巫女巫女通信だけど、その声は暗く悔やむ思いが見え隠れする。
まともな神様というのは苦労しやすい。
『なんと言ったらよいか…』
「いえ、結局オリュンポスはどう動いたんですか?」
ヘカテー様が説明してくれる。案の定、計画を指示したのは主神ゼウスだ。しかし、その知恵を貸したのはヘルメス神だったという。
こういう卑怯で下劣な策を考えるのが得意な神だ。
このことについて神々の合議は為されず、ゼウスの独断によって事がなされた。
今回、コルキスを襲った竜は北欧に生息する炎の竜ファイヤー・ドレイク。財宝をなによりも好むこの竜は、ゼウスに示された財に目がくらみ、コルキスを襲った。
父であるアイエテスは果敢にもこれと戦うも、多数に無勢、大けがを負い戦線を離脱。叔父であるペルセスも怪我を負った。
弟のアプシュルトスは幼く、戦場には出なかったため怪我もなかったが、姉であるカルキオペ姉さまは逃げる最中に大事ではないが怪我をしている。
『事は私がオリュンポスに呼ばれている時に起きました。この事を主神に詰問しましたが…』
「知らぬ存ぜぬの一点張りですか」
神々の犯罪を知る権能を有するヘカテー様であるが、主神ゼウスがそれを絶対に認めないならば、それ以上の追及は出来ない。
だが、言外の意味は分かる。
次はどうなるか分からないぞと、そういう意味だろう。
「最低ですね」
『……申し訳ありませんメディア』
「ヘカテー様を責めているわけではありません」
女の子手に入れるために実家に圧力かけるとか、クズ過ぎて言葉も出ない。神話ではゼウスに無理やり犯されたなんていうエピソードも多いが、この分だと信憑性高そうだ。
すると、天より一人の男が駆け寄ってくる。銀色の髪の優男。イケメンであるがいけ好かない。
メディアは立ち上がり、優男を睨みつけた。
「そう怖い顔をしないでほしいね」
「何のご用でしょうか、ヘルメス様」
神々伝令ヘルメス神。旅と智慧、商売と泥棒を司る多くの権能を有する神であり、女神ヘラからの覚えもめでたい。
翼の生えたサンダル「タラリア」、かのメデューサを討った不死殺しの剣ハルペーを始めとして、多くの神具を持つという。
ただし、その好色については父ゼウスから受け継いだものらしく、多くの女性を甘いマスクで騙してきたという。
死ねばいいのに。
「いやぁ、僕はただの伝令係さ。君に伝えるべきことがあってね」
「ほう」
「意地になるなと。それだけだよ」
露骨である。
それだけか。これだけの事をしてそれだけか。そうかそうか。そんなにこの私を怒らせたいのか。
「なるほど、では半年後、直接オリュンポス山に出向きますわ」
「半年後?」
「女には準備という者が必要なのです」
「……なるほど、そうかい。まあ、お手柔らかにね」
ヘルメスは含み笑いでそう答えると、その通り伝えるよと天に戻っていく。相変わらずの不真面目。
彼の姿が消えた後、アタランテが私の傍に走ってきた。
「メディア、良いのか?」
「何がです?」
「オリュンポスに行くと。本当に、ゼウスに体を許すのか?」
「さあ、それはどうでしょう」
私は口元を歪め、そう答えた。
さあ、戦争の時間だ。
女神ヘラ(ギリシア神話) → 女神ユノ(ローマ神話) → 我妻由乃(未来日記)
じゃあ、10面サイコロを2振ろうか。面倒くさい? なら私が代わりにやってあげよう。うん、感謝しなさい。私は誠実だから安心するといい。
良かったじゃないか(私にとって)成功だ!
ああ、礼はいいよ。君のためならいつだって、僕が代わりに、このちょっと出目に偏りのあるサイコロをふってあげるからさ。
じゃあ、もう一度、10面サイコロを2振ろうか。引く数値を決めなきゃだからね。