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017

「ほんと…、なんで私、いつもこんな扱いなのよぉ…」


「まあ、元気出してくださいよ…」


「そりゃあね、浮気したことは認めるわよ。でもしょうがないじゃない? あの男、私の顔見るなりビッチとか言い放つの、失礼にもほどがあるでしょっ? 聞いてるっ!?」


「おっしゃるとおりでございます」



ブロンド髪の目の覚めるような美貌の女神が目をすわらせて愚痴愚痴と同じような話を繰り返し、私は気のない返事を繰り返す。


いや、まあ、美人は見ていて眼福なんだけれども、延々と愚痴を聞かされたいとまでは思わない。絡み上戸か…。テキーラ出すんじゃなかったな…。


さて、美の女神アフロディーテである。


なんというか、その華々しい肩書とは裏腹に、神話においては妙に扱いが悪い事で定評のあるアフロディーテさんである。


クロノスによって切り落とされたウラヌスのポコ○ンから生まれたとかいう、卑猥極まりない誕生譚。


オリュンポス十二神の1柱にも関わらず、自分とまったく関係ないところで起こった親子喧嘩のとばっちりで、勝手にキモオタとの結婚が決まったり。


この世界の時間軸ではまだ起こっていないけれど、殺されそうになった息子を助けるために出向いたら、息子を殺そうとした男(アテナの加護付)に泣かされたり。


ヘラなどよりも遥かに上位の、古代メソポタミアの偉大な女神を起源とする彼女に対する扱いとしては、まあ確かにあんまりと言えばあんまりと言える。


でも、私を巻き込まないで欲しいんだ。お願いですので、そういうのはアレスとかを相手にですね…。



「こんなこと男に話せるわけないでしょっ!!」


「アッハイ」



テキーラが注がれたグラスをドンとテーブルに叩きつける酒乱…ではなくて駄女神…でもなくて、美の女神アフロディーテ。



「ううっ…もうなんでなのよぉ…。私が何をしたっていうのよぉ……」



そしておいおいと泣き出した。泣き上戸も入ってるのか…。


いや、アンタも割と色々やらかしてますからね。つーか、私の人生を狂わせようとしたの、貴女ですからね。


貴女の愛人だったアドニスの母親についての顛末とか、正直ドン引きするほど最悪ですからね。



「お゛がわ゛り゛っ!」


「飲み過ぎですよ…」



いったい、どうしてこうなった。





事の発端はおよそ一時間前、私たちが巨蟹宮を踏破し、獅子宮に至った頃にまで遡る。


この辺りまで上ると、オリュンポスのもう少し上の方から強力な神々の気配、そして大兵力の集結を感じ取られるようになり、私たちに緊張が走った。


女一人を迎えるには過剰な兵力集中。それが獅子宮の向こうの処女宮のあたりから感じられる以上、そこに陣をはるのは間違いなく女神アテナだろう。


軍神たる彼女の領分は直接戦闘ではなく、軍団を率いた防衛戦である。準備はしてきているが、厳しい戦いになるかもしれない。


そんな中、私たちが至った獅子宮。そこで私たちを迎えたのは大量の悪質なトラップの山だった。


落石、落とし穴、突き出す槍、飛び出す矢、降りそそぐ毒蛇、呪いのエロ本。


ほとんどの罠は魔法的な手段で解除したものの、エロ本はヤバかった。皆さんも身に覚えがあるだろう。


小学校の下校の道すがら、高架下の隅に無造作に放棄されたエロ本の山。好奇心にあてられて、拾ってページを捲ってしまうことは我々には避けられない。


そしてそれをクラスの女子とか好きな女の子に目撃される悲劇。男子ってサイテー。


凶悪極まりない罠を掻い潜り、多少の尊厳を失いつつ、私たちはとうとう獅子宮へと辿り着く。そこで私たちを迎えたのは、



「良くここまでたどり着いたわね下郎ども、褒めてあげるわっ」



あまりにもテンプレート過ぎる金髪の悪役令嬢の高飛車なドヤ顔だった。



「捻りがありません。やりなおし」


「ちょっ、いきなり何なんなのよアナタっ!?」



感情の起伏が豊かな悪役令嬢…じゃなくて、女神ですね。ふむ、しかしこの女神はおそらく、



「アフロディーテ様ですか」


「正解」



私の呟きにアルテミス様が頷いた。ちょっと不機嫌そうな顔なのはどうしてなのか。


しかしなるほど、確かに美の女神を名乗るだけあって美しく華やかだ。男が好みそうな抜群のプロポーションも備えている。


高飛車な態度が異様に似合う派手な容姿。他の女を蔑むような性格の悪そうな瞳。上品とはいえない派手な服装は、派手に遊んでそうな金ぴかな雰囲気を醸し出している。


よって私のこの女神への第一印象は『スイーツの極み』である。なんつーか、粗製乱造されたヒロインのライバルキャラ(踏み台)になってそう。


と、アグロディーテは私たちをよそにアルテミス様に視線を向ける。まあ、同じ女神なんだしそれが自然なんだけれども。



「てか、アルテミス、なんでアンタがここにいるのよ」


「成り行きというやつだ」


「何が成り行きよ。野蛮が似合うアンタがそいつら止めなくて、いったい誰が止めるっていうのよ。ちゃんと仕事しなさいよ」


「うるさいな。お前は私のお母さんか」


「違うわよっ。なんで私がアンタの世話なんてしなきゃならないのよ! …そうじゃなくて、仕事の話しよっ! アンタ、ゼウス様に双児宮を守るように言われてなかった? それがどうして、そいつらと一緒にいるのよおかしいでしょ! アンタがちゃんと働いていれば、私が矢面に立たなくってもよかったのにっ」


「キーキー煩いなお前は。シワが増えるぞ」


「ふっ、増えるかぁぁっ!! 私は美の女神なのよっ!!」



うわぁ、すごく仲が好さそう。


面倒くさそうにあしらおうとするアルテミス様とキンキンとした声で憤慨するアフロディーテ。女のヒステリーは見るに堪えませんね。


ものすごく仲の良さそうな2柱を尻目に、私たちはとりあえず相談タイム。



「噂には聞いていたが、良い女だな」


「おや、ヘラクレスさんはああいう女性が好みですか?」


「組み伏せたくなる」


「いちおう、相手は十二神の1柱なので自重してください」


「む、そうか」



残念そうな表情の両方いける危険人物なヘラクレスさん。つーか、ヘラクレスさんとアフロディーテの間に子供が生まれたら、ものすごい英雄が生まれそうですね。


アフロディーテの子の中でも名高い英雄といえばローマの建国者にして、名門ユリウス家の祖たるアイネイアスである。


建国の祖であり、名門中の名門の祖を輩出したということもあり、ローマ帝国における彼女の信仰は非常に高まったのだとか。


アレスもそうであるが、ギリシアで冷遇されていた神々が、その後継とも言えるローマ帝国において篤く信仰されたというのは、なんとなく面白い。


まあ、ローマ人の節操のなさは有名なので、オリュンポス十二神のうち今いち人気が出なかったのはデメテルさんぐらいだ。


あのヒト、本当に不憫だな…



「それはともかく、早くアレをなんとかすべきだろうメディア。殺るのか? 今すぐ殺るのか?」


「アタランテちゃん、今回は嫌に殺る気まんまんですね。アフロディーテ様に何か恨みでもあるんですか?」


「いや、特には。ただ、なんとなくムカムカするんだ」



なにそれ野蛮。まあ、このメンバーなら非戦闘員の女神ぐらいフルボッコで快勝できるでしょうけど、あの女神は恨みを買うと厄介な性質なので、できるだけ穏便に済ませたいですね。


美の女神たる彼女の権能は《恋愛》だ。恋愛脳スイーツなのである。正史における魔女メディアをイアソンに一目惚れさせたのも彼女だ。


魔法防御高そうな魔女メディアの心さえ意のままに干渉したかの女神が本気を出せば、親子同士の近親相姦だってスーパーフリーなのだから恐ろしい。


事案発生、マザーファッカー。間違いなく人生ブレイク工業である。



「では、どうするのであるか?」


「私にいい考えがある」


「どうせ、また物で釣ろうという魂胆じゃろ?」


「何故ばれたし」



ダイダロスの疑問に自信満々の顔で答えたら、幼女から容赦のないツッコミが来たでござる。


というか、またかという呆れたような表情はやめてもらいたい。いいじゃないですか、今まで上手くいったのなら、これからも上手くいくはずです。



「それ、ヒューマンエラーの原因」


「経験則ですよイカロス。新しいものが必ずしも良いわけじゃないんです」



昨日大丈夫だったから今日も大丈夫。すばらしきかな事勿れ前例主義。非効率でも、安全性に問題があっても、今まで大丈夫だったら今回も大丈夫。


つーか、アフロディーテは一番即物的だろうから、モノで釣るのが正解なのだ。一番難しいのがアルテミスとかアテナなのだし。



「今度は何をつかうんだ?」


「トマトとパプリカ、トウガラシですかね」



本当はチョコレートを投入する予定だったが、まあこれでもいいだろう。何処からともなく、私はザル一杯の野菜の山を取り出した。


新大陸を代表する野菜といえば、トマトである。ジャガイモほどのインパクトを与えたわけではないが、ヨーロッパにおける料理にあり方を根底から改変した野菜の一つだ。


パプリカは日本ではピーマンの陰に隠れて最近まで広まっていなかったけれども、ハンガリーにおいて非常に重要な野菜となった。


まあ、そもそもピーマンそのものがパプリカの一種であるのだから、アジアにおいても重要な野菜であることに違いない。


トウガラシについては言わずもがな。人類の味覚における《辛さ》を規定する香辛料だ。これがなければ、辛い=赤い=熱いのステレオタイプは生まれなかっただろう。


新大陸原産のナス科に属する野菜の代表格。この3つの野菜が基となる暖色がなければ、人類の食卓からは華やかさが大きく失われたはずだ。



「あら、すごく綺麗な色の実ね。これが私への貢ぎ物?」



いつの間にかアフロディーテがザルを覗きこみに来ていた。


目にも鮮やかな赤色、黄色、橙色の肉厚のベルのようなパプリカに、丸や楕円の真っ赤なトマトたち。


旧大陸のどれも変わり映えしない色の野菜とは世界が違うという印象をダイレクトに与えるそれらに、彼女は興味津々のようだ。



「貢がれることが前提ですか」


「当然でしょ。私は美の女神よ。美女を求める全ての男たち、美しさを求める全ての女たちが私の前に傅くのよ」



ハハ、この恋愛脳スイーツ、殴りたい。



「美味しいのかしら?」


「生では好き嫌いが分かれるんじゃないですかね」


「そうなの?」


「では、料理を振る舞いましょう」



トマトとパプリカは過熱してこそ味が出る。生のトマトも悪くはないが、品種改良されていないそれは青臭さが目立つだろう。カプレーゼ美味しいですけどね。


というわけで、クッキンタイム。何処からともなく巨大な大釜を取り出して、魔法の火にかける。



「どうしてここからパイが作られるのか未だに分からない」「気にしたら負けじゃろ」「こういう、過程を飛ばすやり方は好みではないのである」「でも、原理は気になるかも」



好き放題言うギャラリーを横目に、大釜を煮立たせる。さあ、勇気を出して包丁を微塵切りだ…、あれ? 違ったかな。タマネギは必須だから大筋では同じはずだけど。



「へぇ、面白いわねこれ。貴女、本当にまだ人間?」


「人間の血は一滴たりとも流れていませんが、カテゴリー的には人間だそうですよ」



ギリシア化されていなければ、おそらく土着の女神だったのだろうけど。まあ、今さらな話なので、どうとも思わないが。


ともかく、料理にために食材を大釜に投入していく。ポティトォ、トメィトォ、タメィゴォ。


毒々しい液体がポコポコと泡立ち始め、放電するとかどう考えてもヤバ気なエフェクトと共にオーロラのような光を発し始める。



「おぬし、いったい何を作っとるんじゃっ!?」


「え、普通に料理しているだけですよ」


「何かおかしな事になってる?」



幼女ペリアスが何らかの危機感を覚えて叫び声をあげるが、私とアフロディーテは何言ってんのこの幼女? という表情で首をかしげた。


その時のペリアスの表情は「あ、ヤバいこいつらメシマズだ」と言わんばかりの分かりやすいものだった。


失礼な。私はただ、フォーマルなやり方よりも素晴らしい方法を思いついて実行しているだけです。



「そういえば、あのキモオタもそうだったけど、みんな私の料理にケチつけるのよね。ちゃんと食べてくれたのはアレスだけだったわ」


「それはそれは…。ところで、作ったものを味見したことは?」


「ないわ」


「ですよねー。相手のために作ったものを、自分で食べるなんてナンセンスですよね」


「あら、話が合うわね」



いえ、貴女と同じにしないでいただきたい。私は話を合わせているだけですので、仲間意識とか迷惑ですから。


ポイズンクッキングとか前世男の私からしたら大罪に等しいカルマである。


野菜を洗剤で洗うまでは許そう。残留農薬問題に敏感なんですねで済む問題だ。大陸の住人たちの間では常識らしいし無問題といえよう。


コメを洗剤で洗うのは…、うん、しっかりすすいで下さいね。界面活性剤が残らないなら、まあ、セーフ。


え、この農家から貰ったお米に茶色い色がついてるから漂白したい? それ、玄米です。その塩素系しまってください。気になるなら精米してくださいお願いします。


ほう、隠し味にコーヒーですか。オシャレですね。いいですねブルーマウンテン。でも、その隠し味、隠しきれていませんよ、つーか、もう、口の中が苦みしかない。


それと、焦げ過ぎを注意したからと言って生という逆切れは勘弁してください。半生とか、もう、食感がヤバい。お腹壊します。つーか、加減というものを知れ。


なるほど、健康に気を使って体に良い野菜をふんだんに使用したと…。すみません、それなら私の精神の健康にも気を使ってもらえませんか?


ふふ、一部のリア充の方のトラウマを刺激してしまったでしょうか。でも、恋人ならまだマシです。これが母親だったなんて事だったら目も当てられません。


下手すると、初めて食べたインスタント味噌汁の美味さに涙を流すことになります。この味噌汁、これちゃんと塩の味がするとかそういうの。


はは、このカップ麺すげぇ旨ぇ。今の世の中は、こんなにも旨いものが家で簡単に食べられるんだね。僕、初めて知ったよ。かがくのちからってすげー。


減塩も 行きすぎたなら 不健全。


それはともかく、小麦粉や豚肉、牛乳や様々な野菜、塩やスパイス、ハーブ類、オリーブオイルを無造作に釜の中に放り込み、大きなしゃもじで混ぜ混ぜすること15分。


大釜内部の液面下の謎空間で料理がこんがりと焼きあがっていく。うん、そう、焼きあがるのだ。


訳が分からない?


はは、考えてもみなさい。オッサンを美少女に変えるこの炉心の中でまともな物理現象が起こっているわけないじゃないですか。


ちなみに、液面は高エネルギー中性子が外部に漏れないための結界です…って言ったら信じちゃいます?



「というわけで、完成です」


「あら、すごくいい香りね」



しゃもじで液面の下から掬い上げたのは、こんがりと焼きあがったトマトをふんだんに使ったピッツァ、パプリカに肉などの具を詰めたドルマ、具だくさんのラタトゥイユ。


地中海系の料理でまとめてみました。



「さあ喰らえ。近世近代現代にかけ新大陸を蹂躙搾取した果てに生み出された20世紀の料理の洗練を味わうがいい!」



そう、そうして私は女神アフロディーテに料理を振る舞ったのだ。会心の出来だった。


珍しい食材。トマトの酸味と旨味、トウガラシのアクセント、パプリカの食感。それら初めての感覚に美の女神も目を丸くした。


もちろん美食には酒がつきものだ。ワインは当然として、新大陸の産物から作られる珍しい酒も用意した。


完璧だと私は思っていた。女神は大変満足しているし、これらの野菜が美容や健康に貢献することを知ると、さらに喜んだ。酒もすすんだ。


そう、酒もすすんだのだ。


そうして、話は冒頭に戻るのである。





「わたしだって辛いのよ…、なのにアイツらときたら私の事…、うっ、ぐぇ…、うぇぇぇぇぇぇん」


「ええええ、分かりますとも」


「も゛う゛一杯」


「もうお酒やめませんか? 体に悪いですよ」



おかしい。いったい、私は何をやっているのだろうか。


私の横には酔いつぶれた美の女神。バーのカウンターの向こうで何故かイカロスがグラスをキュッキュッと布で拭きあげている。


おっかしいなー、何で私、一応敵のはずのアフロディーテの頭を撫でてるんだろう。そして、なんで延々と愚痴を聞かされているんだろう。



「もう男なんて最低よぉぉぉ」


「いや、愛と美の女神が何言ってるんですかね。つーか、貴女には恋人いるじゃないですか」



飛び切りのイケメンの武神が彼女の愛人だったはず。まあ、イケメンって言っても残念なという枕詞が付く類であるが。


ちなみに、この二人の間に生まれた子供たちはいずれも、なんというか、《敗走》と《恐慌》の兄弟に、報われない運命の娘《調和》の3人で、正直、どこまでギリシア人はこの二人の事嫌いなんだろうって思わずにはいられない感じ。



「でも、アイツ、戦争にしか興味ないし…、私の事ちゃんと考えてくれてるのか分かんないんだもん……」



なるほど、《だもん》と来たか。順調にアルコールが回っていますね。もう酔いつぶれて寝てしまえよ…。


それはともかく、なんでよりにもよってアレスに惹かれたのだろう。相性がすごく悪そうで、接点もなさそうなのに。



「いやその…、落ち込んでた時に優しく声をかけてもらって……」


「うん、それで?」


「えっと、その、それだけなんだけど……」


「ちょろいなお前」



話を聞いていけば、なんという惚れやすさ。攻略難易度がマイナスに突入しているほどのチョロさである。チョロインである。


とはいえ、この辺りについてはギリシア神話独特の事情も絡んでいる。つまり、上位に属する女神たちの貞操観念の高さである。


オリュンポス12神あるいはそれに比肩する女神のうちアテナ、アルテミス、ヘスティアは処女神であり、当然、妊娠出産は不可能だ。


さらに、神妃ヘラは貞節の女神故にゼウスとの固定カップリングで、冥界の女神ペルセポネは基本的にハデス一本である。


このあたりで、メジャー級の女神で残っているのは我らがヘカテー様と、女神デメテル様、そして女神アフロディーテぐらいになってしまう。


ここでヘカテー様は地母神としての性質があるにもかかわらず、死や魔術と言った暗い側面が強調されているためか、その血を受け継ぐ子供についての神話はほとんどない。


デメテル様も同様なのかどうなのか分からないが、ペルセポネや名馬アレイオンなどの3人ぐらいと、豊穣神にもかかわらず、それほど子だくさんとは言えない。


で、その辺りのアンバランスさの犠牲になったのがアフロディーテともいえる。彼女はとにかく多くの男と夜を共にし、子を産んだ。


これはゼウスのケースと同様で、ギリシアの諸国家の多くの名家や王家が自らの血統に神の血を入れたいと願った結果であろう。


それはある意味において、初期の古代ギリシアにおいて彼女に比類なき人気があったことの証左ともいえる。


そもそも同じルーツをもつアスタルテなどは、カナン地域においては多産の属性を持つ豊穣神であったから、過酷な古代世界では盛んに信仰されていたとしても不思議ではない女神である。


が、後世、ギリシアにおいて都市化・文明化が進み、知識人や権力者たちがオサレになっていくと、そういった原始的な多産への信仰はむしろ淫乱として忌み嫌われていくこととなる。


たくさん子供を産んで少しでも生き残りを模索した時代の正義は廃れ、人権とか倫理とか甘っちょろい思想が支配的になった時代に、彼女の属性はむしろ避けられるものとなってしまったわけである。


とはいえ、美の女神という属性は未来世紀においてこそ需要のある信仰だ。彼女に必要なのはイメージチェンジ。新しい属性の開拓である。


すなわち、女受けを良くすると、いい感じになるんじゃね的な。



「つまり、貴女に必要なのは女友達です」


「へ? いきなりなんなの?」


「僕と契約して友達になってよ」


「ちょっとまって、文脈から事態が判断できないわ」



私の唐突な勧誘に、女神アフロディーテは戸惑うように手のひらを前に突き出して待ったをかけ、コメカミを抑えながら考え出す。


いや、そんなに難しい事を言ってるわけじゃないし。もうちょっと健全な人間関係、いや、神間関係? を構築しましょうという提案なのである。


ぶっちゃけ、ギリシア神話における女神たちの人間の言動に対する過激な反応は異常だと思う。メドゥーサの件にしかり、アラクネの件にしかり。


確かに嫉妬から相手を貶めるというのは、女子にありがちな傾向でむしろ人間臭いリアクションで、人間臭いギリシアの神々らしいといえばらしい。


でも、なんというか、それってむしろ余裕がないように見える。正直に評するなら、ものすごくかっこう悪い。ダサい。醜悪極まりない。



「それと、友達とどういう関係があるのよ」


「いや、そういう極端な反応って精神的なゆとりが不足してるからだって思うんですよ」



We need ゆとり。ゆとり教育の理念そのものは間違ってはいなかった。受験ありきの詰め込み教育の限界は6年も英語勉強させながら全く身につかない事からも明らかだ。


いや、これは違う話か。


まあ、あれである。そういう、余裕とか威厳とかない行為というのは、日常に楽しみがないからだ。だから、つまらない事に目くじらを立ててしまうのである。


そういうのは、もっと健全で面白い方向で発散すべきなのだ。人間の不用意な言動に対して罰するにしても、もうちょっと遣り方があるだろう。


3の倍数でアホになる呪いとかそういうの。


なんて言葉を吐いてみると、女神さんはいったい何がツボに入ったのか、肩を震わせ笑い始めた。あ、笑い上戸入ってましたか。



「ぷっ、3の倍数でアホになるって、くくっ、なんなのそれくだらない」


「おかしいですね。3300年後には世界中で流行るんですが」


「何なのそれ。未来の人間って相当頭わるいんじゃない?」



いや、そこまで体震わせて笑いながら言っても説得力のかけらもありませんからね。


そうして、美の女神(笑)はひとしきり笑い転げると、我に返ると共に自分の失態に気が付き、そそと服と髪の乱れを整え、



「ま、まあ、それなりに楽しめたわ」


「そりゃあ、良かったです」



取り繕ったような言動。なるほど、高慢ちきに見えて実は加虐心をそそる性格か。この容姿でこの性格ならさぞDQNにモテるだろうさ。



「褒美として、ここ、大人しく通してあげるわ」


「はい、ありがとうございます」



ふむ、ようやくクリアか。神殿による結界が解かれ、さらに上へと続く山道への道が開かれる。


正直気疲れしたなーなんて思っていると、何やらアフロディーテ様、顔を赤らめて何か構って欲しそうに、チラッチラっとこちらに視線を向けてくる。


分かりやすいな。ツンデレまで実装したか。



「何でしょう?」


「べ、別にっ。ただ、その、あれよ。さっきの話だけど」


「はぁ」



しかし、彼女はもじもじと、重ねた両手の指をくるくると弄びながら、視線を泳がせて黙り込む。


しばらく、そんな風にじれったい感じで黙り続けた後、ついに一念発起したように口を開く。



「そ、そのねっ、と、友達になってあげなくはないっていうか…。べ、別に貴女の話を真に受けたからってわけじゃないのよ! そこのところ勘違いしないでよね!」


「ちょろいなお前」



安易すぎるそれに、思わず私はつっこんだ。







山頂の神殿から抜け出してしばらく、今は人馬宮のあたり。眼下にはここからでも分かるほどの軍集団の気配。


オリュンポス十二神ほどではないものの、神々の席に名を連ねる兵達の熱気がここにまで伝わってくるようだ。


それらの神々は白銀に輝くオリハルコン製の兜と胸甲、脛当て、円盾といった防具で身を包み、鋭い槍を手にしている。


兵達は大きく二つの集団を形成しているようだった。


一つは異様な熱気を孕み、雄叫びをあげて士気を鼓舞し合う、天変地異を体現したかのような暴力的な集団。


もう一つは軍隊にもかかわらず、まるで砦を築くかのように土塁を盛りあげ柵を立てる、しかし、異様なほどに統制がとれているように見える集団。


二つの軍集団併せておよそ総勢1万柱。


同時代のエジプトとヒッタイトの衝突において動員された兵員が双方合わせて5万程度と考えれば、この時代のギリシア世界における軍勢規模としては十分すぎる大軍である。


確かに彼女はしぶとかったけれども、ここまでしなければならない相手だったか。



「やり過ぎじゃないかしら」


「何だか楽しそうなコト起こりそうだねっ、ヒャッハーッ!!」



私は場違いに飛んだり跳ねたりして何故か知るはずのない梨の妖精を彷彿とさせる変態を意図的に無視して、眼下の軍隊を見下ろし佇む。


すると、後ろから聞きなれた声が私を呼びかけてきた。



「どうやら、気になって仕方がない様子だな。ヘラよ」


「ごきげんよう、兄上」


「ポセイドン伯父さんチッスっチッスっ!」



円筒形の上部に半球を乗せたものに短い手足を生やした得体のしれない存在を無視して、私は白いあごひげを生やした大柄の体格の良い老神に挨拶をする。


海神ポセイドン。夫ゼウスの兄であり、また数少ないゼウスに匹敵するほどの権能を持つ強力な神だ。


ゼウスが天を、ハデスが冥界を司るなら、彼が司るのは現世そのもの。


海神としての属性を有するがそれは後付けの権能であり、元々の本質は大地に関わるもの。故にその力は天変地異を自在に引き起こす。



「アテナは随分と本気のようだな。他の神殿から人員を全て引き抜き、あの処女宮の守りのみに兵力を集中しておる。しかも、後方に予備兵力を置く周到さよ」


「大人げないねっ! もっと楽しいことしようよ! しゃるうぃーだんす?」



私たちは場違いに飛んだり跳ねたり奇声を発したりする変態を意図的に無視して、二人で会話を始める。


つか、コイツは梨じゃなくてむしろ葡萄なのに、どうして梨を思い浮かべたのか。わけがわからないよ。


……さて、本来ならあの1万はすべてアテナが率いていたのだという。


金床となる神殿の守りにより敵を拘束し、何かあれば結界の内側に伏せた予備兵力を投入する布陣だったのだとか。


簡易ながらの野戦陣地と立てこもる数千の大軍をどうにかするのは困難であるし、攻めてがどうにも手出しできない処女宮の向こう側に伏せられた予備兵力も厄介な問題となる。


そして、その準備のためにアフロディーテの残る獅子宮にいくつかの罠を設置し、メディアたちの足止めを行ったのだ。


罠というのはいくつかあれば、他にもあるのではという疑念を抱かせるので、多少の足止めには効果があっただろうとのこと。



「が、あの馬鹿者がアレスにも兵を与えてしまってな。あの通りの戦力分散というわけよ」


「ちょっと、僕の事ムシするわけ? 酷くない酷くない? 僕泣いちゃうよ?」



アテナはアレスの軍を伏兵とし、陣地での敵拘束の後に突入するように交渉したようだが、空気の読めないアレスは一番槍を頑なに主張した。


アテナはそれに折れて、というか諦めて、当初計画に拘るか、あるいはアレスの何も考えていない突撃に併せた攻勢戦術に切り替えるか迷ったようだが、


守りの陣地を捨てた場合、少数精鋭と思われる敵側に浸透突破を許す危険性を考慮に入れた場合、安易に野戦による決戦という手段はとることができなかったとのこと。


そして、ごらんのありさまだよ!



「侵略戦争を司るアレスと防衛戦争を司るアテナ、共同戦線を張ることは出来なかったということね」


「アテナちゃんもアレス君も仲良くすればいいのにねーっ。そうだっ、一緒に踊れば仲良くなれるよ。ひゃっはー!!」



敵の拘束からの包囲は戦術の基本であるが、二つに分けた軍の連携がうまく取れない場合は各個撃破されるのがオチというもの。


機動戦力が何よりも先に突出してどうするんだっていう。


ヘラは余りのグダグダさに思わず頭を抱えた。



「それはともかく、アテナは処女宮に?」


「いや、姫さんは陣頭指揮をとっている。処女宮に入っているのはヘスティアだ」


「一つの領域に3柱が守りにつく。本来は必勝の構えのように見えるのに…」



女神ヘスティアはゼウスの取り計らいにより処女神でいることを許されているため、基本的にはゼウス側の神である。


神々にあるまじき比較的まともな性格の持ち主故に、アテナからの信頼も厚い。武力の方はいまいち期待できないが。



「ねぇねぇ、返事してよっ! 葡萄汁ブッシャーしちゃうよっ!!」


「いいから黙りなさいディオニュソス」


「ぷげっ!?」



いい加減うっとうしくなってきたので周囲を飛んだり跳ねたりしている変態を殴って黙らせると同時に、眼下の軍勢に動きがあったのに気付いた。


そろそろ始まるようだ。


私は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。



アフロディーテ。DQN派手系美人、高慢ちき、ビッチ。これにチョロイン、ツンデレ成分を添加してみた。


男遊びが好きなのではなく、簡単にホイホイされる系として描いてみます。処女ビッチ・縦ロールは神話設定上泣く泣く却下したもよう。



ディオニュソス…、いったいどうしてこんなことに……。(´;ω;`)ブワッ


ついさっきまで存在を忘れていたんですよ。プロット上も一切触られてなかったよ。だからってこの扱いはあまりにも酷い。こんなの絶対おかしいよ。



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