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011(H27.5.23改訂版)

H27.5.23 女神ヘラに関する事で、プロット上の大きな変更に伴い改訂しています。

ささやき えいしょう いのり ねんじろ! メディアちゃんはまいそうされます。



「死んでねぇですよ!!」


『いや、死んでましたけどね』


「SAN値直葬の臨死体験でしたよ…。ああゆうのってもっと神々しい体験じゃなかったでしたっけ!?」



臨死体験。いや、死んでたのかもしれないが、臨死体験ということにしておこう。でないとまた正気度(SAN値)が削られる。


臨死体験とは肉体的な意味では人間の脳が生み出す危機回避機構の一種だ。魂的な意味ではガチで祖霊とか守護神とかと交信することになる。


一種のトランス状態へと移行し、あらゆる認識や知覚、精神状態が生存のために全力を傾ける。


孤独や苦痛から解放され、根拠もなく自信が湧き、不要な機能をカットし、知覚能力全開で退避経路を無意識で算出し、生存のための最後の悪あがきを行う。


あと、祖霊とかが助けてくれることもある。


それは分かるのだけど、私の場合に限って邪神ックスというのはどういうことなのか。ヘカテー様が出てくるところじゃないのだろうか。


わたし、巫女でしよね? ヘカテー様のリアルご尊顔拝見したり、おっぱい揉んだりしたかったのに。



『大方そうじゃないかと思ってましたよ』


「思考を読まないでください」



そういえば、この世界に転生する時にも、あの《神様》に合うはめになってSAN値直葬されたが、まさかとは思うが私の守護神って…。


やだ、そのうち、本当に狂ってしまうかも。



「なんで私がこんな目に…」


『胸に手を当てて、日頃の行いを思い返しなさい。それが答えです』


「私はヘカテー様の胸に手を当てたい」


『もうやだこの巫女』



つーか、この世界はあの神話系統と繋がりがあるんでしょうかね…。アラブの砂漠に匍匐前進しなきゃ探索できない都市遺跡とかあるんでしょうか?


あったら絶望ですよ。でも、ネクロロリコンのマスターにならなってみたい。ツンデレ写本も可。でも触手プレイは勘弁な。


というわけで、ティリンスで新しく仲間となった心の友ヘラクレスさんと共に、私は引き続き決戦に向けての準備を進めます。


ペロポネソス半島の某所にて蝮女の死骸を掘り返したり、リュキア(アナトリア半島南岸)でキマイラの墓所を掘り返したり地味な仕事が多いけど。


アタランテちゃんにハゲワシの羽根を回収してもらったり、ヘラクレスさんからヒュドラの血を手に入れたのもそのためだ。


そして、



『しかし、犬は可愛いですね』


「女がペットに逃げたら…」


『あ?(威圧)』


「わぁい、ワンワン超可愛い」



次の目標は生きた犬だ。死骸ばかりあさっていたので、こういう生き物を相手にするのは癒される。


私は犬の無数の首の内の一つに腕を回して撫でまわした。



「よーしよしよしっ。狗は従順に限りますね」


「がうがうっ がうがうっ(いいかげんにしろ、噛むぞクソアマ)」


「あっ? ヘラクレスさんにハグさせますよ?」


「わんわんお わんわんお(調子に乗って申し訳ございません、犬とお呼びください)」



さて、今私がいるのは冥界の入り口である。


私の目の前には恐ろしい50の首を持つ黒くて巨大な犬がいて、私の後ろには腕を組んで見下ろすヘラクレスさんがおられる。


となれば、犬の方は完全に服従の意思を示し、仰向けになるのが当然の成り行きである。いや、まあ、昔に一度チョークスリーパーかけられた記憶が生々しいのだろう。


反抗的な態度も、ヘラクレスさんとちょっと目が合えばこのとおりである。さすがは大英雄やでぇ。


ところで、ギリシア人は犬にでも恨みがあるのだろうか? ギリシア神話に登場する犬はだいたい碌な目に合わないような気がする。


ということで、私は先人の例に倣い、どこからともなくペンチを取り出した。



「というわけでケロちゃん、牙を一本貰いますね」


「きゃいんっ きゃいぃぃぃんっ(やめてください、助けてママァァァっ!)」


「50も頭があるんですから、一つくらい使い物にならなくなっても無問題ですよ」



動物虐待に見えるって? 失敬な、これは≪かわいがり≫です。躾です。愛情表現です。だから合法。


ヘラクレスさんはいつも穴倉の中に引きこもっていたこの犬を外に出してあげたりとか、とっても慈愛に満ちてますし、私もそれを参考に歯の治療をしてあげただけですし。


冥界に哀れな犬の鳴き声が響いたのは、そのすぐ後のことだった。






「う~~、あ~~~っ」



その頃、オリュンポス山の頂、神々の住まう神殿の一室にて一人のピンク髪の女がベッドの上でゴロゴロ横に転がりながら呻いていた。



「うう……」



そうして、時たまメディアちゃんを象った大理石製のフィギュア(手下に命令してひそかに作らせた。彩色済み。)をうっとりした表情で眺めると、すぐに自己嫌悪で柱に頭を打ち付け始める。


そして、思わず強く頭を打ってしまって、涙目でうずくまり、情けない表情で唸り声をあげていた。


美の女神たるアフロディーテにも勝るとも劣らない美貌の女神は、その涙目の表情であっても美しい。(※美女神に限る。)


……美しいのか?


いや、まあ、その、彼女の奇行がいかに滑稽…じゃなくて、美しくとも、わざわざソレを指摘してヒステリーを食らうような酔狂なものは、この場所にはいなかった。



「うわぁ、お母さん、面白い」


「……あんなお母様は初めて見るわね。エロース様の矢を受けたのだって?」


「みたいだね~。でも、相手が女の子なのはどうなのかな~」



部屋の隅ドーリア式の白亜の柱の陰で、二人の少女が隠れながらヒソヒソと言葉を交わす。


ポニーテールの少女エイレイテュイア、その隣にはニコニコ癒し系のボブカットの少女ヘベ。ピンク髪の二人は主神ゼウスと女神ヘラの娘たちだ。


青春を司るヘベは不老を保証する神酒を神々に給仕する役割を与えられた女神であり、ヘラのお気に入りの愛娘である。


対して、ちょっとだけ気の強そうなエイレイテュイアは出産を司る女神であり、彼女が許可しなければ、このギリシアの地において生命の誕生は許されない。


エイレイテュイアの強力な権能は、流石は主神と神妃の子というべきだが、ヘベの権能は若さであり、そこまで強力な権能には見えない。


まあ、世の女どもにとってアンチエイジングは他人をブチ殺してでも達成すべき夢であるので、彼女に対する信仰は切実に強いのだろうけど。


無事な出産と若さを司るヘラの娘たちは、女にとっては死活問題になる要素を握っていると言ってもいい。


幸福な結婚を司る女神ヘラ(はたして彼女が幸せな結婚生活をしているかどうかは別問題であるが)の信仰を支える重要な従神たちである。


ちなみに、この姉妹、ヘベがいつも美味しいところをかっさらって、エイレイテュイアが碌な目に合わないというジンクスがあったりする。


エイレイテュイアは不憫な子なのだ。


例えば、彼女はヘラの命によりたびたび力ある神にすらその権能の行使をさせられており、例えばアポロンとアルテミスの出産時にも彼女がかり出されている。


おかげで、オリュンポスでも重要なこの2柱との関係はちょっと良くない。


なので、彼女の胃はオールデイズ荒れっぱなしである。ピロリ菌がいたら胃癌になっていただろう。


まあ、生真面目な性格のせいで幸薄い可能性もなくはないのだが。



「エロース様の矢は、もうただの災害か何かと考えないとやってられないけれど…」


「お母さん、可愛いかも~。恋する乙女的な?」


「そんな歳じゃないでしょうに…。母親の思春期状態なんて、娘から見れば微妙すぎるわよ」



二人にとって母親である女神ヘラがあのような状態に陥っているのを見るのは初めての事である。


まるで、思春期の恋する乙女状態の母親。


子供にとって、そんな親の姿を見るのはある意味において悪夢である。つか、想像してみろよドン引きだぜ。



「でもー、お母さん楽しそうだし~」


「あれを楽しそうと言えるアンタの能天気さには、毎度感心させられるわ」



配下の下級神らにメディアの像を作らせ、ニヤニヤしながら眺める母親。下から覗き込んで、スカートの中を見るか見ないかで葛藤する母親。


定期的に若返る美女神でなければ絵的にアウトである。



「っていうか、お父様は何考えてるのよ…。主神の力をもってすれば、なんとか出来なくもないでしょうに」


「えーとね、3Pとか最高じゃね? だって」


「……最悪だ」



両親ともに碌でもないが、彼女らの父親たる主神ゼウスの放蕩振りは、娘であるエイレイテュイア的にも忌避感が強い。


ぶっちゃけていえば、お父さん臭いと言い切ってやりたいぐらい。


そもそも、エイレイテュイアの不幸フラグの多くは彼女の父親に端を発することが多いので、彼女の父親に対する好感度は常時紐無しバンジージャンプ状態だ。


貞節を重んじ一夫一婦制の顕現たる神妃ヘラを前に、事もあろうに3人プレイしたいとか脳味噌に蛆が涌いているとしか思えない。


とはいえ、感情は感情である。エイレイテュイアに主神ゼウスをどうにかできるはずもなく、逆らう事なんて出来やしない。


なので、できるのは責任転嫁だけなのだ。八つ当たりともいう。彼女が願うのは、とりあえずの平穏なのだから。



「これも全部、メディアってやつのせいよ!」


「どぉするの?」


「…お母様の呪いでもどうにもならない相手だものね。私たちじゃ手も足も出ないし…」



エイレイテュイアは自分の仕事を邪魔した女(ヘラクレスの母親の侍女)をイタチにする程度の呪いは扱うことができる。


だが、神妃ヘラですら呪いが届かなかった相手をどうにかするほどの力は持ち合わせてはいなかった。


彼女の権能は出産にのみ特化しており、受精・受胎については管轄外、ましてや専門外の呪詛や魔術などはメディアに遠く及ばないありさまだ。


直接の戦闘能力は言うに及ばず低い。アテナ、アルテミス、クロト、ラケシス、アトロポスといったゼウスの娘たちに比べると、こちらの方面では活躍がない。


ルーツとなった大地母神の明るい側面だけを上手く切り取って独立させられた、男たちにとって都合の良い女神である彼女にそんな武力は存在しない。



「何か手は…」


「俺を呼んだな?」


「……」「あ、お兄様ぁ」



そんな二人に唐突に話しかけてきたのは、燃えるような赤い髪の、均整のとれた筋肉質ながらも暑苦しさを感じさせない肉体美をもつ美青年だった。


ヘベは男に花のように微笑みかけ、エイレイテュイアは晩ご飯がピーマン山盛りだったかのように顔をしかめた。


赤い髪の美青年は斜め45度で二人に向かい合い、前髪をかき上げ、奥歯をキラリと白く輝かせて流し目を送る。紛う事なきイケメンであるが、ちょっとイラッとくる。



「アレスお兄様ぁ、どうしてここへ?」


「可愛い我が妹たちが悩んでいるような気がしてな。それで、母君のご機嫌は?」



オリュンポス十二神の一角、主神ゼウスと正妻たる女神ヘラとの間に生まれた神界のサラブレッド。彼の名をアレスと呼ぶ。


ギリシアを代表する軍神である彼は、アフロディーテを愛人とし(NTR)、男神の中でも一二を争う美男子である。


トロイ戦争では人間相手に負けたこともあるこの偉大な軍神は、ローマ帝国では特に敬われ崇拝を集めていた。


とかく、ヘラクレスに半殺しにされるエピソードをもつ軍神アレスは主神と神妃の間に生まれた、神々の王の後継者たる素晴らしい存在なのだ。



「悪意のある編集だねー」


「ん、ヘベよ。誰に向かって話している?」


「なんでもないよぉ」



なお、いまだに美人の妹とお風呂に入る勝ち組である。



「こほん、兄様、ヘベについてはその辺りで」


「あ、ああ」


「それでは母様の事ですが…」



エイレイテュイアが事の顛末、ヘラが頭を柱に強くぶつけて悶絶するあたりまで事細かくアレスに説明していく。


ヘベは神界屈指の癒し系女神であるが、彼女に任せていると基本的に話が進まないので、エイレイテュイアが司会役を務めざるを得ない。


なお、これが基本的に彼女が貧乏くじを引く根本的な原因であることに彼女は気づかない。



そして、



「堪忍袋の緒が切れた! 我が母を誑かすとは許さんぞ! メディア!」


「いってらっしゃーい」



軍神アレスは走り出す。ヘベが無邪気に手を振る後ろで、エイレイテュイアはコメカミを抑えて溜め息をついた。



「今の話を聞いて、どうしてそういう結論なのよ…。どう考えてもお母様の自業自得なのに」


「ん~、お兄様はぁ、あんまりヒトの話聞かないからぁ」


「ていうか、堪忍袋の緒が脆すぎるでしょうに…」



オリュンポス最高のイケメン神アレス。なお、ギリシア神話での扱いはすこぶる悪い。







ペロポネソス半島とギリシア本土を繋ぐイストモス地峡。ここにギリシア世界においても随一の交易都市コリントスが存在する。


コリントスはシシュポスというギリシア神話においても一二を争うマゾヒストが創設した都市であり、また私の父アイエテスの出身地でもある。


イストモス地峡に位置するという地理的条件から、本土と半島の交易拠点となるため貿易都市として栄えており、その財力はギリシア世界でも上位に入るだろう。


そんな豊かな都市コリントスは、アイエテスの出身地であることから太陽信仰が篤く、そして我が父アイエテスが統治権を有し、事実、父の派遣した執政が政務を執り行っている。


正規の神話においても、メディアがこの地に訪れたのは、彼女がこの都市の統治権を要求できる立場にあったからともされている。


つまり、この街において、私は筆頭株主とか社長とかのご令嬢と言えるわけで、めちゃくちゃチヤホヤされるのである。



「ウェヒヒ、もっと近うよるのです」


「いやん、メディア様のえっち」


『だらしない顔です。相変わらずの大魔王セクハラーぶりですね』



あてがわれたおにゃのこの胸を揉みつつ、ワインを傾けてこの世の春を謳歌する私。なお、ヘラクレスさんは別の屋敷で杭打ち作業中。


そんな私に呆れ声のヘカテー様の巫女巫女通信。だが、改めない。久しぶりの乳尻太腿である。私は堪能するぞ! ウェヒヒ、ウェヒヒ、ウェェェヒヒッ。



『(もう別の巫女を選ぼうかしら…)では、お便りのコーナーに参りましょう。最初のお便りはアルゴスの無刃さんからですね。72の名を持つイーノックさんはまだ旅をしているの? だそうですよ』


「いや、あれゲームですし。享年365歳ですから、計算上、大洪水の前に死んでるので」


『365歳ですか…、長寿ですね』


「ノアに至っては950歳ですけど」



日本神話における初期の天皇の寿命も酷い盛り方であったが、あれは単純な暦の違いによるものだった。


だが、聖書のアダムの子孫たちの長寿は異常である。寿命900歳オーバーは当たり前。つーか、500歳近くで第一子とかどうなのよ。



「すさまじい童帝力。これは大洪水でも生き残れる」


『つまり、旧約・新訳でのこの辺りの年齢表記は信用できないと』


「ノアは600歳の頃に箱舟を作りました。ノアは父レメクが182歳の時、祖父メトシェラが369歳の子供です。レメクは777歳で、メトシェラは969歳で死にました。ここで恐るべき事が分かります」



すなわち、洪水直前に父と祖父を亡くしているのだ。ちなみに祖父が死んだ歳と洪水が起こった歳は同一である。


大洪水で多くの知り合いを亡くすだけでなく、その直前に父と祖父を失うなんて、なんて不幸なノア。同情しますね。


ちなみに、父と祖父を亡くすことに関するドラマは聖書には描かれない。なお、映画では描かれたが、当の映画の評価は微妙。



『ただの数字合わせですね分かります』


「箔を付けているのだと表現してあげてください。シュメール神話の伝説上の王様の寿命もそれなりに盛ってるので、珍しい事じゃないです」



シュメール文明における伝説上の王アルリムの在位期間は28800年と伝えられている。それに比べれば1,000年以下なんて可愛いものだ。


しかし、昔の人間たちの寿命は長いなぁ。きっと食生活が良かったのだろう。マンモスの肉とかすごい滋養があったに違いない。


まさかアンブロシアの正体って絶滅種の骨髄…、いや、まさかね。



『…ではお別れに一曲、藤圭子で《女のブルース》を。ご清聴よろしくお願いいたします』


「そのチョイスはどういう基準なんでしょうね…」



てか、この時代にブルースなんて無いですし。別に私は構わないんですけど、演歌がギリシア世界発祥になったとしても私は悪くないので。


古代ギリシアの発明に演歌が加わる。哲学とか数学、弁証法とかの隣に演歌が並ぶ。なにそれ怖い。


そうしてヘカテー様が熱唱していると、外からハトが私の傍に舞い降りた。



「くっくどぅどぅどぅ」


「おや、ようやくですか」



私は立ち上がり、執政の屋敷のベランダからフワリと港の方へと跳躍する。境界もあいまいな群青の海と空に浮かぶように在るコリントスの街並みを眼下に横切る。


日干し煉瓦と石で造られた方形の建物は漆喰で白一色。青空に映えて眩い白い街並みの合間には雑多な人波があり、それらが青いエーゲ海に迫るのは美麗だ。


日除けのための布を張った市場が通りに面する建物に沿って連なっているのを一跨ぎする。


それらの日除けの布はカラフルに染められていて、かつて日本で生きていた頃の縁日の屋台を思い出させる。


まあ、売ってる食べ物はたこ焼きやカステラじゃなくて、串焼きやドライフルーツとかなんだけれども。


遠くまで芳香を漂わせる香辛料の山、鮮やかに赤い紅玉髄や青く目に映えるラピスラズリと金銀で造られた宝飾品、中央アジアからの毛織物、遥か東方より運ばれた絹織物。


アンフォラになみなみと容れられたワインや蜂蜜。色とりどりの野菜、嘶く家畜たち、溢れんばかりの穀物。


エジプトには及ばないものの、古代ギリシア世界屈指の交易都市には多くの舶来品が集まり、商人たちが声を上げて市を賑やかにしている。


港へと近づくと、私は白い湾岸に停泊する無数の商船に見知った顔を見つけ出した。



「アタランテっ!」


「メディアかっ!」



私はそのままアタランテちゃんの胸に飛び込んだ。過剰なスキンシップは女子の嗜み。


アタランテは私を苦も無く受け止め、勢い余って私を受け止めたままクルリとターンして、そのまま私たちは笑いあった。



「首尾は?」


「上々だ。そちらも上手くいったようだな。港で噂になっていたぞ。ヘラクレス殿がコリントスに来ていると」


「貞操の危機を覚える今日この頃」



いや、マジで。あの大英雄。両刀だから性質が悪い。


ギリシア文明は男色に寛容というか、大人の男が少年を手取り足取り導くのがオシャレっていう腐女子大歓喜な文明なのだけど、それだったら男一本に絞ればいいのに。



「ふふ、簡単に体を許すタマでもあるまいに」


「嫌ですね。私はか弱いお姫様ですよ。ところで羽根つき親子は?」


「船の様子が気になるらしい。あの二人にも何かさせたのだろう?」



ダイダロスとイカロス親子が船の中からヒョイと頭を出して手を振ってきた。表情を見る限りにおいては、仕事はうまくいったようだ。



「ご苦労様です」


「いや、自分にとっても遣り甲斐のある仕事であった。イカロスにも良い経験になったのである」


「メディア姫、準備は出来てる」


「ん…、まだいいでしょう。船旅で疲れたでしょうから、一服してはどうです?」


「そうじゃのぅそうじゃのぅ。喉も乾いたしの」



口下手でマイペースなイカロスにそう答えていると、いつの間にか傍にいた幼女ぺリアスが私の言葉にうんうん頷いていた。いや、手前ェの宴席はねぇから。


全員集合ということで、改めて一緒に美味しいものでも食べようかと考えていると、



『おやメディア。敵です』


「今度は誰ですか…。ヘラ様は契約で縛ったはずですよ」


『ドラ息子の方です』



マジかよ…。そうして北方、オリュンポス山の方向から、驚くべき速度でそれはやってきた。


大地を踏み揺らし、まるで間近で巨躯の馬が駆ける足音を聞かされるような。それは真っ直ぐにこちらを目指して近づき、最後にドンっと大きな衝撃音が響いた。


それと共に一人の赤い髪の、金属の胸当てと脛当て、兜を身に纏った男が上空から膝を抱えて前方回転しつつ落下してくる。


迎撃してやろうかとも思ったが、相手が神様っぽいので取りあえず様子見していると、男は港のど真ん中に着地する。


着地と共に大地はへこみ、クレーターとなるとともに衝撃が周囲を襲う。港の水夫たちが一様に弾き飛ばされ、積まれていた荷物が崩壊していく。



「大迷惑じゃないですか…」


『神とはそういうモノでしょう?』


「メディア…、あの男、いや、あの方はまさか…」


「そのまさかですよ…」



アタランテたちが表情を引き締め男に視線を集める。相手は神だ。ギリシア神話での評判は散々とはいえ、オリュンポス十二神に名を連ねる偉大な神の一柱である。


腕を水平に伸ばし、見事な着地を決めた男。その瞳が私を射抜き、そしてこちらを指差した。



「貴様が我が母を誑かす女狐か?」


「女狐かどうかわ分かりかねます。まずは御名をいただけますか?」


「ふっ、神に対して不遜な態度。だが、敢えて言わせてもらおう! 戦神アレスであると!!」



赤い髪の超絶イケメンはそう名乗った。私は獰猛な笑みを浮かべ、心の中で独りごちる。イケメン死すべし慈悲はないと。


アレス。


主神ゼウスと神妃ヘラの間に生まれた最高の血統を有する神であり、戦争の狂気を司る残忍な戦神である。


専守防衛を良しとしたギリシア文明での評判はアテネに大きく譲るものの、軍事を重要視した古代ローマでは篤く敬われた。


弱肉強食侵略上等なトラキア人によく信仰されており(ディオニュソス信仰もトラキア発祥なので野蛮極まりない)、信仰を集めている点でいえば侮れない勢力をもつ。



「これはご丁寧に。私、コルキスの王アイエテスの娘、メディアと申します」



相手は神なので、とりあえずカーテシーで礼儀は払う。しかし、アレスか。また話の出来なさそうなのが来たな。


戦神アレスといえば戦争の狂気を司る脳筋である。感情で動き、論理を軽視する。お高く留まってインテリぶる古代ギリシア人から受けが悪い理由でもある。


ギリシア神話では粗野で残忍で不誠実と描かれるが、自分の娘がレイプされた時などは相手の男を撲殺したりと、意外にマトモな逸話もあったりする。



「此度は何用でしょうか、偉大なる戦神アレス様。コリントスは我が父アイエテスの領域。先のコルキスの事もあり、太陽神ヘリオス様と海神オケアノス様からオリュンポスに抗議があったはず。この地で問題を起こすのは、流石に貴方様でも少々不味いのでは?」


「分かるぞ分かるぞ。その良く回る口で我が最愛の母を誑かしたのだろう?」



いえ、ただの偶然で矢が刺さっただけですので。


つか、ウゼェ。本当にこの脳筋は…。コイツの信仰の中心地に300年ほど大旱魃起こしてやろうか。


オケアノス様の屋敷でちょっと事務仕事滞らせるだけで、降水量半減になるんやで。



「さあ、武器を執れ。このアレス、我慢弱いぞ!」



戦神アレスはどこからともなく巨大な槍を手にし、それを大きく回転させて構える。暴風が巻き起こり、港は滅茶苦茶になってしまう。


なんという営業妨害。


こんな場所で戦っては御近所迷惑甚だしい。逃げ切る自信はあるが、コリントスの被害は甚大なものになるだろう。


さてどうしようと悩んでいると、



「「「あ」」」



私たちはアレス神の後ろに見覚えのある巨躯の影を認めると、思わずそんな呆けた声をあげた。





さて、話は少しだけ時間を遡ります。


この日、コリントスには『偶然』にも著名な大英雄が訪れておられました。どなたとは言いません。いや、まあ、皆様の予想通りのあのお方でございます。


港で件のちょっとした騒動(大英雄視点)が起こるその頃、彼は彼に見初められた幸運な女を相手とした杭打ち作業を終えられ、しばしの賢者タイムを楽しんでおられました。


※公共放送でも放映して大丈夫な健全な描写です。(ただし、大英雄に限る。)


しかしながら、そんな彼の穏やかな一時を邪魔する騒音が町の外から響いてきました。


なんという不敬でしょう。これは騒音を起こした者に相応の天罰が下らなければいけません。


というわけで、ちょっとばかりイラっとこられた彼は、不機嫌そうな表情で鼻をほじりながら港へ向かわれたのです。


おお、勇ましい。鼻をほじられるその姿でさえ神々しさに溢れています。


そうして、彼は、騒音の元となる赤い髪のヤンキーを見つけると、おもむろに腕を振るいました。





「うるさい」


「ぷげらっ!?」



次の瞬間、アレスが巨躯の何者かにぶん殴られて吹き飛んだ。Z戦士とかが活躍するようなアニメばりに甲高い風切り音を立てて弾道飛行する。


そのままエーゲ海の海面に叩きつけられると、水平線の向こうまで水切りしながら跳ねていった。



「「「うわぁ」」」



大惨事である。ドン引きである。私とアタランテちゃんとぺリアスは同時にハモって同じ感嘆詞を口にしてしまった。


いやあ、もう、そんな感想しかありませんよ。ええ、本当に。


さあ、皆さんクイズです。鼻をほじりながらアレスをぶん殴りになられた巨躯の何者かはいったいドナタでしょう。


ヒント① 超つよい大英雄。

ヒント② 超えらい大英雄。

ヒント③ 超かっこいい大英雄。


分かりましたか? ええ、もちろんですよね。えへへ。当然です。いやぁ、さすがギリシア世界最高の英雄はやる事が違いますね。尊敬します。



「さすがヘラクレスさん。いやぁ、かっこいいですね。よっ、世界一!」


「港が騒がしかったので来てみたが、アレはなんだ?」


「ただのギリシア神話最小の小物ヤンキーです」


「ヤンキー?」


「素行不良って意味です。貴方のような大英雄が関わるべき相手じゃありませんから、さあさ、船も着たところですし出発しましょう」


「急だな」



ここに留まっていても、あのドラ息子がやってくるだけである。ヘラクレスさんほどの大英雄様ならまだしも、下々の者たちには厳しい状況になるので。


ほら、あのヤンキー弾道飛行が海の方じゃなくて街の方にいったら、割と普通に死人が出ますので。



「仕方がないな」


「むむ、一服できると思っていたのじゃが」



物わかりのいい大英雄様。全然下々の民の事を考えないクズ幼女。どちらが英雄としての器があるかなど一目瞭然なのである。


そうして私たちは急ぎ船に乗り込む。補給はオケアノスお祖父様の屋敷で済ませればいいだろう。


そうして、必要なものを積載し、出発しようとすると。



「うぉぉぉぉっ、待て!! 行かせん! 行かせんぞぉぉぉっ!!」



水平線の向こうから滅茶苦茶クロールで追いかけてくるイケメンヤンキーを見た。顔面は歪んでいないようだ。クソッ。


しかし、しつこいですね。



「待てと言われて待つ奴はいねぇですよ! ダイダロス、イカロス。準備は出来ていますか?」


「万全なのである」


「問題なし。いつでもいける」



頼もしい。私は船の穂先に立ち、水平線を指さした。



「ふひっ、実現できるかどうか分からなかった、私の夢がまた一歩…」


『ロマンですね。でも、私も好きですよそういうの』


「BGMはⅢでいきましょう」


『ぴこぴこですね。前世での年齢が割れますよ』


「いーんですよ。あのシリーズのⅢは何度もプレイしましたからね。思い出深いんです」


『では、BGMスタート!』


「新生アルゴー船、テイク・オフ!!」


「がってんだ姐さんっ!!」



私の言葉を合図にバックグラウンドミュージックが鳴り始め、《物言う木》が威勢よく返事し、それと共に船が大きく揺れ、振動を始めた。


揺れる船上で事情を知らないアタランテとぺリアスが近くのマストなどに掴まり驚く声を上げる。



「な、なんじゃ!?」


「おおっ、これは!?


「船が…、船の形が変わっている!?」



歯車と擦過音。それと共にただのガレー船でしかなかったアルゴー船の形が大きく変わり始める。


3本のマストから大型の3枚羽がせり出し、両舷からも小さなプロペラを備えた突起が突き出す。そして船尾にも2枚のプロペラがせり出した。


そして、それらが高速で回転を始め、



「あははははははっ! キタキタキタキタァァァァァ!!」


「きばるぜぇぇぇぇぇ!!」


「な、なんじゃっ!? 船が、船が浮いて!?」



物言う木の気合の入った雄叫びと共に、船はゆっくりと海面から宙へと浮上を始める。そしてゆっくりと大空へと向かって走り出した。



「と、飛んでいる…?」


「がっはっはっは、すごいなメディア姫は。船が鳥のように飛んでいるぞ!!」



アタランテは唖然と眼下を見下ろし、ヘラクレスさんは愉快そうに大笑いする。船の後方では羽根つき親子がハイタッチした。


ちなみに、ぺリアスはマストに掴まってガタガタ震えている。



「これぞ剣と魔法の世界の醍醐味《飛空艇》! 滾りますね!!」


『私も乗ってみたいかも…』


「ヘカテー様も来ればいいのに」


『貴女に直接会うのはちょっと…』


「なにげに酷いコト言われたような…」



正直、セクハラ発言しすぎたかもしれないですね。とはいえ、私の中身なんてまるっとお見通しされているので、今さらどうにもならないのですが。



プロペラは揚力を生み、その反作用はとても立っていられないほどの風を下方に叩きつけるはずだが、そのあたりはちょっとした反則(ファンタジー的ご都合主義)で。


船が浮上するというあり得ない事象を目撃し、コリントスの人々は空を見上げ、大人たちは目を丸くして、声も出せずにそれを見守る。


喜んで飛んだり跳ねたりするのは好奇心の強い子供だけだ。犬どもは吠えて恐怖を紛らわせ、馬は嘶き厩にて暴れた。


そして海の上で何やら喚いている軍神アレス。


それらを見下ろす形で、飛空艇アルゴー号は遥か空の上へ。



「ひゃっはー、これが俺様の真の姿だぜぇぇぇ!!」



しかし、この工業製品もの、えらくハイテンションである。改造しすぎたか…。


ようやく揺れが落ち着いて、アタランテが私の傍にやってきた。驚きから、今は興奮した様子で私に問いかけてくる。



「メディアっ、これがあの親子にさせていた事なのか!?」


「ええ、本当に実現できるとは思いませんでしたけど」



実際のところ、こういう形状の船を空に飛ばすこと自体がナンセンスともいえる。だが、船体の強度とか揚力あたりは、魔法的な意味で程度解決できたりする。



「出力が問題であったのだが、流石はオケアノス様の屋敷、希少な金属を提供いただいたのである」



加えて太陽神ヘリオスの黄金の盃船を基盤に、核融合炉をせっちあげ、オケアノスお祖父様から貰った大量のオリハルコンで作ったタービンを用いた。


ダイダロス親子によって鍛造された、熱核エネルギーによる小型高出力のタービンエンジン。それがこの船の動力だ。



「さあ、みんな。ニューヨークに行きたいかぁ~~!!」


「ニューヨークってどこなんじゃ!? というか、落ちる! 降ろせ、降ろしてくれぇぇっ!!」



そしてぺリアスは叫び、船は西を目指す。


最近、ヘスティア様が人気ですね。このビッグウェーブに乗らなければ(使命感)。

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