親愛のキス
何も分かっていなかった幼い日に突然現れたあの人。
彼は自分の父親の恋人を見ているのだと幼いながらにも分かった。
優しく彼がみつめるのは自分ではなくてその後ろにいる人。その視線に気が付いた時から、大好きだった父親や、大好きだったその恋人を疎ましく思うようなっていった。
彼と出会ってから12年。
幼かったあの頃の憧憬とは似ていて全く違う感情に気付いたのは10年前。
その日から、彼の視線の先にいるのは常に自分でありたいという欲望を抱いた。
むかつくガキだというぐらいの印象しかなくても、彼の視界の中に少しでも自分が入っているのが嬉しくてしょうがなかった。
俺が17になった今、彼の歳は29になった。
父親とその恋人は、彼の気持ちに気付いていない。
そして彼もまた、俺の気持ちには気付いていない。
そんな高2の夏だった――――――――。
「ただいま~」
金曜日の昼下がり。その日は終業式で帰るのが早かった。
玄関に入ると、当然仕事に行っている父さんの靴はない。
が、別の男物の靴が一足置いてあった。
ずっと好きだった人の靴だ。見ただけで分かる。
その靴は、父さんの恋人である祐一郎(通称祐)の親友、上谷智明の靴だった。
上谷がうちに来ることなんてしょっちゅうだから、俺は気にしないでリビングの扉を開けた。
目に飛び込んできたのは、祐と上谷のキスシーン。
俺もビックリしたけど、向こうのほうがもっとビックリしたみたいだった。急いで離れるその姿を見て、俺は冷たい怒りが湧いてくるのを感じた。完璧に八つ当たりだとわかっていながらも・・・・。
「ヒサ・・・・・・・」
上谷がいつも呼んでいるように俺のことを呼ぶ。こんな時でも、良い声だと感じてしまう自分が俺は嫌だった。呆然としている祐は、何も言えずに俺の顔を見ている。そんな顔を見ていたら、俺は自分でも思っていないようなことを口走ってしまった。
「何?二人して親父を騙してたってわけ?凄いね。俺、今まで二人がそういう関係だったなんて気が付かなかったよ。安心して。俺誰にも言わないから。騙される親父が悪いんだしね」
「違う。ヒサ、人の話をきけ」
「俺は、自分が見たものを信じる」
それだけ言って踵を返し、自分の部屋のある二階へ上がろうとする。
「久嗣君・・・・・・」
祐が名前を呼んだから、俺は一度だけ振り向いた。顔には嘲笑を浮かべて。
「知らなかったよ。祐ってばおとなしそうな顔して、男だったら誰でもいいって人だったんだね」
絶句する相手の顔を見た。
自分でも物凄く酷いことを言っているのは分かっているのだが、もう後には引けなかった。
次の瞬間、俺は廊下に吹っ飛んだ。
祐の悲鳴が上がる。
俺は上谷に殴られていたのだ。
自分が優しい祐を傷つけてしまったこともショックだったけど、上谷に初めて殴られたという事もショックだった。
口の中に広がる鉄の味。
それは、祐にひどい事を言ってしまったという後悔の味だった。
とっさのことで歯を喰いしばれなくて、血が出たらしい。
唇の端から流れ出た血を、おもむろに手の甲でぬぐってニッと笑った。
殴られた俺よりも、殴った上谷の方が蒼白な顔色をしているのがおかしかった。
俺は今度こそ立ち上がり、自分の部屋へ向かった。
呆然としてしまっている大人二人を残して。
明日から丁度いいことに夏休み。
俺は制服を脱いで着替えた。
旅行用の鞄に洋服や通帳などをつめこむ。
祐にも父さんにも、そして上谷にも合わせる顔がなくて、俺はしばらくの間家を出る決心をした。
行き先は、クラスメイトである豊島の家。
奴だったら俺のモロモロの事情を知っているから、簡単に泊めてくれるだろう。
そうして俺は、ばれないように家を出た。
「あ~らら。綺麗なヒサの顔ってば、随分男前度が上がったじゃん」
俺の頬にできた青痣を見て、開口一番にそう言った豊島は、俺が泊まるのを快く許可してくれた。
母親には、宿題を一週間で終わらせるために、泊りがけの宿題合宿だと言ってくれたらしい。
ベッドに座って黙って話しを聞いてくれていた豊島は、話を聞くなり溜息をついた。
「っつ~か、お前が悪いんじゃん」
「・・・んなこと分かってるよ」
「あ~あ~嫌だね~。ガキの嫉妬は」
「っせぇな・・・」
そんな俺の様子に、豊島はまたまた溜息をつく。
「お前、二人の言い訳聞いてやったのかよ。・・・って、聞いてる訳ねぇよな。聞いてたらたぶんここにはいないし」
「どうゆう意味だよ」
「ん?まぁ、こっちのこと。で、お前一週間はここにいるとしても、その先どうすんだよ」
「・・・・・・・・・」
「計画性もゼロって訳ね。まるっきりガキと一緒じゃねぇかよ。そんな子供な君に、俺がある解決方法を教えてあげよう♪」
「いい」
どうせろくでもない事だと思って、俺は即答した。が、相手は全くめげなかった。
「そう言わないで聞いとけって。お前さ、上谷さんに告って、でもって祐一郎さんに謝ってきな。あの二人のことだから、別に浮気とかってんじゃなくて、何かしら理由があんだろ」
「絶対やだ」
駄々っ子みたいにかたくなに二人に会うことを拒んだ。俺より全然精神面で大人な豊島は、まぁしょうがないかという感じで、軽く流していた。
「分かったよ。でも俺のところにいるのは一週間だけだ。それ以上の延長なんてないからな」
「分かった」
いつも俺に甘い豊島が一週間だと念入りに言った意味が分かるのは、まさにその一週間後だった。
一週間、俺はグルグルと考えていた。
あの二人が・・・と言うより祐が父さんを裏切るはずがないというのは分かっていた。
分かっていたが、だったら俺が見たあの光景は一体なんだったんだろうって思う。
上谷が無理やりした・・・とか?
そう考えて、俺はまた落ち込む。
上谷は少なくとも俺と知り合った12年前からずっと祐のことが好きだったのだと思う。
いや、好きだったのだと断言できる。
祐を見る上谷は、いつも俺が落ち込むぐらい優しい目をしていたから。
はぁ、と溜息をつくたびに、豊島から『うっとおしい!!』って言われたけど、知らず知らずのうちに出るんだから、それぐらい大目に見て欲しい。
大切な人を二人も傷つけるという最低最悪な失恋をしてしまった俺。
もう何もかも嫌になってきて、毎日ダラダラと過ごしていた。
そして、約束の一週間が来た。
豊島と約束した期日である日の夕方、家を出ようと門の外まで出ていた。
見送りには豊島がでている。
何故か上機嫌の彼だったが、俺は特別不信とも思わずにいた。
一台の見慣れた車が門の前で止まり、中から一人の男が出てくる。俺はその男を知ってた。
「んじゃ、俺がお膳立てするのはここまでだから」
そう豊島に言われた瞬間。
豊島が上谷に連絡をとったのだということを知った。
「テメェ、裏切ったな!!」
「心外だ。俺は誰の味方でもないの。あえて言うなら物事が円満に解決するように色々手助けする愛の使者ってところかな~♡」
俺に睨まれても何処吹く風でニコニコ笑っている豊島に俺は半ば本気で殺意を覚えた。
「ヒサ・・・・・」
上谷に名前を呼ばれた。どんなに会いたかったか知れないが、俺は上谷とどんな顔して会えばいいのかわからずに俯いた。
「かっわいぃ~。俺といる時もそんぐらい大人しいと助かんだけどね~。んじゃ上谷さん。後のことはよろしく。あんまいじめないでやってね」
顔は見なかったから分からないけど、雰囲気で上谷が笑ったのが分かった。
「善処はするよ。ありがとう、豊島君」
「いえいえ。じゃ」
そう言って豊島はさっさと自分ちの中に入ってしまった。後に残されたのは俺と上谷だけ。
「乗れよ」
そう言って上谷は助手席のドアを開けてくれた。
俺が上谷のいう事に逆らえるはずもなく、すんなりと乗り込む。
上谷は運転席に回って乗り込むと、車を発進させた。
無言の車内。俺はこの空間が息苦しくてしょうがなかった。
「どこ行く気だよ」
「俺のマンション」
短い質問に短い返答。
たいして豊島の家から遠くないマンションにはすぐについた。
車から降りて、俺は黙って上谷についていく。
部屋の中はいかにも上谷らしく、シンプルだった。
部屋の中に入った途端、俺は腕を引かれる。
体格と力の差で、俺はいとも簡単に上谷の目当ての場所に連れて行かれた。
寝室のベッドの上に、俺はポーンと放り投げられる。
「ってぇな!!何すんだよ、馬鹿力!!!」
言い終わるか終わらないかのうちに、上谷はベッドの上で倒れこんでいる俺に覆いかぶさり、俺の罵倒事を唇を封じた。
身体全体でのしかかられ、両手は奴に片手で頭上に縫い付けられてしまった。
上谷のもう片方の手は、俺の顔を背けさせないようにと、顔を抑えている。
何がどうなってんのか分からなくて、俺はギュッと目をつぶり、歯を喰いしばった。
何度も何度もあやすように唇をすわれ、俺はそのうちに身体の力が自然と抜けてくる。そうなると上谷は、舌で俺の歯列をこじ開け、俺の舌を絡めとってきた。
何度もそうされるうちに、俺はただ気持ちよくなりたくて、自ら舌を絡めていた。
ピチャピチャとなる音をどこか遠くで聞いていると、突然上谷が唇を離した。
そして今度は、俺の耳を軽く噛んでから、囁く。
「いいか、覚えとけ。これが俺の本気だ」
「何を・・・言って・・・・」
「あの日お前が見たのは、キスはキスでも頬にする親愛のキスだ。もう一度よく思い出してみろよ」
熱く囁かれるその言葉に誘われるようにして、俺はあの日のことを思い出す。そうして思い立った事実があった。二人がキスをしていたことがショックで今まで思い出すこともできなかったが、言われてみてようく考えると、確かにキスをしていた場所は頬だったような・・・・。
「・・・・・・なんだぁ・・・・」
少し幼いその言い方に、上谷はどっぷり深い溜息がでる。
「ったく、お前の勘違いのせいで、俺のこの一週間は最悪だったんだぞ?」
「でも、勘違いされたのが俺でよかったじゃん。親父だったら大変だったよきっと」
「祐にはそうかもしれないが、俺にとっては最悪だったよ」
そう言ってまた溜息をつく。何故自分に見られて最悪なのか意味が分からなくて、俺は眉を寄せた。
「俺は、お前を愛してるんだよ」
「嘘だ」
間髪いれずにそう断言した俺に、上谷は今まで俺が見てきた表情の中で一番情けない表情をした。
「この体勢でなんで嘘だと思うんだよ・・・・」
この体勢?言われて今の自分の体制に気がついた。
そういえば俺は、今上谷に押し倒された格好なっだっけか?
それを自覚した途端、顔が、一瞬で赤くなったのが分かった。が、ここで引き下がってはいられない。
「上谷は、ずっと祐のことが好きだったじゃん」
「でも今はお前が一番なの。俺は自分の初恋にけりつけるために、祐にねだって頬にキスさせてもらったんだよ。つまりあれは、子供の恋愛ごっこだった初恋の幕閉めってわけ。ってか、ふざけてただけなのに、お前タイミング良すぎるんだよ。悪ふざけを本気にする裕も裕だけどな」
自分勝手な事を言ってくる上谷の言葉も今は気にならなかった。
今気になっていることは一つだけ。
「マジ!!上谷ってば、祐が初恋だったんか?」
今年29になる男が大真面目にそんなことを言ったのが、俺には爆笑を誘うほどのネタだった。
笑われて、上谷の機嫌は最高潮に悪くなる。
「悪いかよ。俺は一途な男なんでね。だから、俺に本気で愛されたら幸せになれるぜ?」
ふっと笑いながら言った上谷の言葉に俺は真っ赤になった。
上谷が異様にモテるのは小さい頃から一緒にいるから知っている。
そんな男に流し目されて、赤くならない方がどうかしてる。
「あんたなんかに愛されたら、気の休まる日がねぇよ」
嫉妬に狂うという言葉が俺の中には浮かんでいた。
「それもいいと思わないか?まだ若いんだから、気なんて休めるなよ」
言いながら、上谷は俺のTシャツの下に手を入れてきた。
「・・・・この手は何だよ」
「愛の確認」
「俺、好きだなんて言ってないんだけど・・・」
「え!?だってお前、俺のこと好きだろ?」
「・・・・・・・・・・」
時々っていうか、いつも上谷は強引だと思う。
「絶対俺はお得だぜ。なんたって経済面はしっかりしてるし包容力だってある・・・・。好きって言っとけよ」
「・・・・・絶対やだね・・・・・・・」
俺が本気で言ってるわけじゃないことを上谷は知っているみたいだった。
どうせ豊島が言ったのだろう。あのおしゃべりが。
「ま、いいさ。それはまた今度の機会にな。今はこっちが大事」
綺麗な笑みを浮かべて、上谷は俺のTシャツを脱がせにかかった。
好きな人の腕の中で目覚めた初めての日、俺は幸福感に包まれていた。
暖かい腕に顔をうずめて、俺は見上げるようにしてまだ寝ている上谷の顔を見た。
寝ていて表情が消えている上谷は、文句なしにかっこよかった。
頬に手をのばしてそっとキスをすると、いきなり上谷の目が開いた。
「おはよう」
慌てて手を引っ込めようとした俺の手を逆に掴んで、上谷は俺を見ながら手のひらに口付けを落とす。
カァーっと赤くなった顔を満足そうにながめてから、今度は掴んでいた手を離し頬に手を当てた。
「・・・痕は消えたんだな」
しんみりとした声が呟く。それが殴られた時のことを指しているのを知って、俺は優しく笑ってやた。
「元々痕にはなんなかったよ。ただ、いきなりだったから歯を喰いしばれなかっただけで」
「本当に悪かった」
「いいよ。俺が悪いんだって分かってるし。もし上谷さんが祐にあんなこと言ったら俺だって殴ってる」
「もう絶対に手なんてあげないから・・・」
「それは当たり前。恋人に手を上げる奴なんて最低だよ。まぁ、時と場合によるけどね」
後半の言葉を上谷がきちんと聞いていたかは分からない。
恋人といった瞬間に、メチャクチャ嬉しそうな顔をして、俺を思いっきり抱きしめてきたから。
少し苦しかったけど、今はその苦しみさえも甘く感じる。
「祐と冬嗣さんが心配してる」
冬嗣というのは俺の父さんの名前だ。
「・・・うん」
「祐なんか、俺に早く謝れって言ってきたんだぜ?俺も殴ったの謝ろうと思って二階に行ったんだけど、そしたらお前いないじゃん。すげぇ焦った」
そう言って彼は笑った。俺は黙って話しを聞いている。
「探しに行こうと思ったら豊島君から連絡があってさ。なんかお前がボロボロで、悩んでるみたいだけど、理由はどうせ俺のことだろからしばらくはそっとしておいてくれって言われた。祐に冬嗣さんと付き合ってるって言われた時より、お前が他の男の家で俺以外の奴に相談もちかけてるんだって思った時のほうがへんこだよ」
「うん」
「帰ろう」
俺はすぐには返事ができなかった。祐にどんな顔して会えばいいのかまだ分からなかったから。
俺が返事しない理由が上谷にも分かっているのだろう。
諭すように言ってくれる。
やっぱり上谷は大人だった。
「祐には謝ればいい。ずっと一緒に住んできた家族だろう?大丈夫だよ。それにあいつは少しボケてる所があるから、お前に言われたことなんて忘れてるよ」
「・・・・・・俺、ちゃんと謝る。祐が許してくれなくても、何回でも謝る」
子供にするように、髪をクシャッと撫でられた。
その瞬間。ベッドサイドに置いてあった上谷の携帯がなる。上谷が片手を伸ばして携帯をとり、名前を確かめた。
「祐からだ」
そう俺に伝えてから電話にでた。
「はい。・・・・ん?うん、ヒサはちゃんと捕まえたよ・・・・うん。分かってるよ」
そう言ってから俺に電話を差し出す。寝たままの状態で、上谷が俺を抱きかかえたまま腕を放してくれなかったから、俺はかなり電話にでにくかった。
一回深呼吸して、携帯に耳を当てる。
「・・・・祐?・・・」
『久嗣君!?本当に久嗣君なんだね?よかった。』
「祐・・・ごめん。・・・ごめんなさい・・・」
『謝らなくていいから、俺のお願いをきいて。家にきちんと戻ってくること。約束してくれる?』
暖かくて優しい祐の声に。俺は涙がでそうになった。
「約束する。家には帰る。・・・本当にごめん。俺、祐が好きだよ」
家族として、俺は祐が本当に好きだった。電話の向こうで、祐が笑った気がした。
『知ってるよ。俺に色々言ってた時、久嗣君凄くつらそうな顔してたから、言われなくてもあれが本心じゃないことは分かってる。だから安心して?それともう一つ。俺もちゃんと久嗣君のこと好きだから。これだけはわすれないでね』
「うん」
久々の祐との語らいは、上谷によって邪魔された。携帯をいきなり俺からとりあげると、
「じゃあそういうことだから」
というと勝手に切ってしまった。
「何すんだよ!!」
「お前が好きなのは俺だろ!?」
何言ってんだこいつは。と思ったが、どうやらさっき俺が祐に好きだよ、と言ったのが上谷の中では問題になっているらしい。
つきあってられなくて、俺は上谷に背を向けて寝ようとした。が、上谷に肩から押さえつけられて仰向けにされる。
なんだか昨日と体勢が似ていて、俺は嫌な予感に襲われた。
「あえて聞くけど・・・何する気?」
「俺の愛が上手く伝わらなかったみたいだから、今度こそちゃんと伝えようと思って」
と言ってニッコリ笑った。俺はこのニッコリが曲者だということを既に知っている。
「絶対やだ!!伝えなくていい!!」
その言葉は上谷の濃厚な口付けによって途中で封じられた。
祐、ごめんなさい。もしかしたら俺は、今夜も帰れそうにありません(泣)