表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

オオカミの皮をかぶったヒツジ ─最後の優しい嘘─

作者: 茗子
掲載日:2026/06/14

めずらしく童話を書きました。

 深く、どこまでも広がる古い森。そこには、絶対の掟がありました。


「強い者だけが生き残る」


 牙も爪もない一匹のヒツジは、そう信じていました。弱い僕は、誰にも見つからないよう隠れて生きるしかないのだ、と。


 ある日、ヒツジは森の奥で「本物のオオカミの毛皮」を見つけました。

 それをすっぽりと被り、低い声で唸ってみせると、誰もが恐ろしい捕食者だと勘違いして逃げてゆきます。


「食べられてしまうくらいなら、誰とも関わらなくていい。この毛皮の中だけが、僕の安全な世界なんだ」


 ヒツジは分厚いオオカミの皮の中でぬくぬくと、自分の身を守ることだけを考えて生きていました。





 厳しい冬の始まり。

 ヒツジの足元に、群れからはぐれたオオカミの赤ちゃんが転がり込んできました。

 ヒツジが慌てて追い払おうとすると、毛皮の匂いを嗅いだ赤ちゃんは「パパ!」と、ヒツジのお腹に無邪気にしがみついてきたのです。

 一人ぼっちだったヒツジは、その小さな温もりをどうしても突き放すことができず、少しの間だけ「オオカミのパパ」のふりをすることにしました。

 二人の生活は、ヒツジにとって夢のように温かいものでした。


「パパみたいに、かっこよく遠吠えしたいな! アウー!」


 子オオカミが背伸びをして叫びます。


「お、おれは喉が弱いからな。ゴホン」


 ヒツジがしどろもどろに嘘をつくと、子オオカミはへにゃっと笑いました。


「そっかぁ。じゃあ、ぼくも喉が弱いオオカミになる! パパと一緒だね!」


 ヒツジは、自分にべったりと懐くその子が可愛くてたまらなくなりました。雪を掘って甘いベリーの実を食べさせ、夜は身を寄せ合って眠りました。





 しかし、嘘は少しずつほころび始めます。

 木の実ばかりを食べている子オオカミは、ちっとも体が大きくなりません。走ればすぐに息を切らし、自分の足にもつれてよく転ぶようになりました。


 ヒツジは気づいていました。


 この子に必要なのは甘いベリーではなく、本物の肉であり、本物のオオカミの群れなのだと。自分の嘘が、この子を弱らせているのだと。


「でも、もう少しだけ。この雪が溶けて、春が来るまで一緒にいよう」


「明日。明日こそ、本当の群れを探しに行こう」


 ヒツジは自分に言い訳をし、決断から逃げ続けました。

 その結果、真冬の最も寒い夜に、子オオカミはついに高熱を出し、ぐったりと動けなくなってしまったのです。





 ヒツジは、ぐったりとした子供を背負い、猛吹雪の雪山を登り始めました。

 山の頂には、本物のオオカミの群れが住んでいると知っていたからです。

 しかし、吹き荒れる吹雪は容赦なくヒツジの体力を奪います。ズボッ、ズボッと雪に蹄が取られ、何度も何度も前のめりに転びました。そのたびにヒツジは這い上がり、背中の子供をかばいます。

 背中の小さな体温が、どんどん冷たくなっていくのが分かりました。このままでは、頂上に着く前に凍え死んでしまいます。

 ヒツジは、雪の中で立ち止まりました。

 そして、震える蹄で、自分が被っている「オオカミの毛皮」を掴みました。

 それは、何年も自分を守ってくれた鎧でした。

 一人で生き延びるための、完璧な鎧でした。

 これを脱げば、自分は一瞬で凍え死ぬか、オオカミに食べられてしまう。

 ヒツジの蹄は、ガタガタと激しく震えていました。

 何度も、何度も、毛皮を握り直しました。

 怖かったのです。


 けれど――


 ヒツジは、その鎧をバサリと脱ぎ捨てました。


 ヒツジは、自分の体から外した分厚い毛皮で、冷え切った子供の体をぐるぐると温かく包み込みました。

 毛皮を失ったヒツジの体はむき出しです。凍えるような雪の冷たさが、容赦なくその体を刺しました。

 その時、毛皮の温もりの中で、子オオカミが薄く目を覚ましました。


「パパ……どこいくの……? さむいよ……」


「大丈夫だよ。もうすぐ、うんと暖かくなる」


 ヒツジは、ガタガタと激しく震える歯を食いしばりながら、優しく微笑みました。


「……パパも、いっしょ?」


 子オオカミの小さな手が、毛皮を失ったヒツジの体をきゅっと握りました。

 ヒツジは、すぐには答えられませんでした。

 喉の奥がぎゅっと詰まって、声が出なかったのです。


「……もちろんだ。ずっと一緒だよ」


 ヒツジは、最後の嘘をつきました。

 子オオカミは安心して微笑むと、再び静かな眠りにつきました。

 ヒツジの目から熱い涙がこぼれ、雪の上に落ちて凍りました。ヒツジは身ひとつのまま子供を抱きかかえ、一歩、また一歩と、雪山を登り続けました。





 ついに、山の頂にあるオオカミの巣にたどり着きました。

 そこには、巨大で恐ろしい本物のオオカミたちがずらりと並び、牙を剥いていました。

 オオカミたちは驚きました。

 自分たちの巣に、もっとも弱く美味しい獲物である「毛皮を持たないヒツジ」が、たった一匹で立っていたからです。

 恐怖で足がすくみ、今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

 けれど、ヒツジは逃げませんでした。ゆっくりと前に進み出ると、毛皮に包まれた子供を、雪の上にそっと置きました。


「めぇ……」


 どうか、この子を。

 ただ一声だけ鳴いて、ヒツジは子供に背を向けると、雪の斜面をゆっくりと降りていきました。

 ボスオオカミが毛皮の包みを開けると、そこには、かつて行方不明になっていた自分の子供が、暖かそうな顔で眠っていました。

 ボスオオカミは、斜面を降りていく、ヒツジの背中を見つめました。

 自分を守るための毛皮を子供に与え、身ひとつで、捕食者の群れにたった一匹で飛び込んできた、あの弱い生き物。


「追うな」


 ボスオオカミは、群れの仲間に低く命じました。


「あれはただのヒツジではない。この山で一番気高く、強い生き物だ」


 オオカミたちは、遠ざかるヒツジの背中に向かって、深く頭を下げました。






 それから、何年もの月日が流れました。

 毛皮を持たない年老いたヒツジは、今も森の端っこでひとり静かに暮らしています。

 不思議なことに、あの身ひとつのヒツジを襲うオオカミは、この森には一匹も現れませんでした。

 

雪の降る、一番寒い冬の朝。


 ヒツジが家のドアを開けると、真っ白な雪の上に、ヒツジが大好きな「甘いベリーの実」が、どっさりと置かれていました。

 雪の上には、巨大で立派な足跡が、森の奥へ向かって真っ直ぐに続いています。

 ひゅうと、冷たい風が吹き抜けました。

 その風に混じって、小さな頃によく聞いた、あの声が聞こえた気がしました。


「パパ」


 ヒツジは静かに目を閉じました。

 雪の向こうで、大きく立派な遠吠えが聞こえた気がしました。

 ヒツジはそっと、優しく笑いました。




読んで頂きありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ