第5話 苦渋の決断
目の前で次々と息を引き取った隊員たちに、穂高は声を震わせた。倒れた隊員の顔を見つめながら、その表情に絶望の色を浮かべている。
「なんてことだ……少量でも致死量の毒なのか? それに即効性もあるのかもしれない」
「そんな……まさか、こんなに早く……」
麻乃の声も震えていた。目の前で息を引き取った隊員は、つい先ほどまで元気に戦っていた仲間だった。その現実を受け入れることができずにいる。
「あれだけの火だ。敵兵は放っておいてもすぐに燃え尽きて動かなくなる。今は矢の届かない堤防を固めよう」
穂高の冷静な判断が、混乱する現場に秩序をもたらす。もう、なにもしてやれないとわかっていても、放っておけずに温もりが残る手を握りしめていた。まだ完全に冷たくなっていない手のひらが、生きていた証を物語っている。
「まだ退いていないやつがいたら、退かせるように。うかつに踏み込んで矢傷を負わせるな」
「わかりました!」
穂高の指示に動ける隊員たちは砂浜へと駆け出していく。その背中を見送りながら、麻乃は改めて戦場の惨状を目の当たりにした。見開いたままで動かなくなった隊員たちの目を、麻乃はそっと閉じてやった。一人一人の顔に苦悶の表情が浮かんだままだ。それぞれに家族がある。麻乃にとっても、隊員たちは家族同然の存在だった。抑えきれない憤りに体が震え、叫び出しそうになる。
(こんなことをしている場合じゃない……しっかりしなきゃ!)
自分を奮い立たせるように言い聞かせ、立ち上がった視線の先で、川上が敵兵を相手にしていた。その動きがいつもより鈍く見える。川上の背中が小さく丸まり、落ちた刀が砂浜に突き立った。
(斬られた!? まずい!)
心臓が跳ね上がるような恐怖を感じながら、すぐさま駆け寄り、刀を抜きざまに逆袈裟で敵兵を斬り倒し、また動き出さないように足も斬り落とした。返り血が顔にかかり、鉄の匂いが鼻を突く。
斬られた様子もなく、大きな怪我も見当たらない川上の姿に、ホッとため息が漏れる。しかし、その安堵も束の間だった。汗を拭って大きく息を弾ませている川上の腕を掴んで引き寄せた。
「射かけられているのは毒矢らしい。ここにいちゃあ危ない。いったん、堤防まで下がるよ!」
麻乃の声には緊迫感が込められていた。先ほど目の前で倒れた隊員の最期を思い出し、同じことが川上に起きてはならないという強い思いが胸を支配する。
「毒矢って……隊長、俺……俺……」
川上の表情がさっと曇り、右手を見つめた。その視線には恐怖と諦めが混じっていた。その視線に釣られて麻乃も川上の右手を見た。手首の少し上から血が流れている。小さな傷だが、その意味するところは重大だった。
「――当たったのか!」
麻乃の問いに、川上が小さくうなずく。その瞬間、ぐらりと目の前が揺れた。世界が一瞬で色を失ったような気がする。
(即効性もあるのかもしれない)
穂高の言葉が頭をよぎる。あの隊員たちの死に様が脳裏に蘇り、恐怖が麻乃の心を支配した。
即効性があるのなら、迷っている暇などない。けれど――その選択肢は残酷すぎた。
(だけど、でも――!)
体中から冷や汗が噴出しているように感じる。手のひらが湿り、心臓の鼓動が耳に響く。掴んだ腕が震えているのは、麻乃が震えているからなのか、川上が震えているからなのかさえもわからないほど、感覚が麻痺している。二人の恐怖が混じり合い、区別がつかなくなっていた。
ふと視線を上げると、川上の目が真っ直ぐに麻乃を見つめていた。
その表情は、覚悟を決めたかのように見える。川上の顔には、死を受け入れたような静けさが宿っている。
ぎゅっと目を閉じた川上は、そのまま、ゆっくりと右腕を水平に上げた。それがなにを意味するのか、言われなくてもわかる。毒が回る前に、自分の腕を斬り落としてくれという無言の懇願だった。
「許せ、川上――」
麻乃はそう呟くと、刀を抜き放って肩口近くから一気に腕を斬り落とし、刀を投げ捨ててシャツの袖を引き裂くと、傷口を固く縛り上げた。刀が肉を断つ感触が手に残り、吐き気がこみ上げてくる。
目の前にいる川上の叫び声が、麻乃の耳には遠くで響いているようにしか聞こえない。現実を受け入れることを拒否するかのように、感覚が遠のいていく。
声を聞きつけた穂高の隊員たちが駆け寄ってきて川上を背負うと、落ちた腕を拾って堤防へと駆けて行った。血に染まった砂浜に、川上の腕が残した跡が生々しく残っている。穂高が素早く指示を出し、そのまま医療所へ運ばれていくのを、麻乃は黙ったまま見送った。
心臓を鷲掴みにされたように胸が痛み、気が狂いそうなくらいの怒りが湧き上がる。自分の手で仲間を傷つけなければならなかった無力感と、敵への憎しみが入り混じる。目の前が暗転して倒れそうになるのを必死に堪えた。
(こんなときに……落ち着け、気を失っちゃだめだ!)
高ぶる気持ちを抑えようとして自然と呼吸が荒く、浅くなる。
全身の毛が逆立つような感覚、ざわついて全身を駆け巡る血の勢い、頭の芯が痺れるように痛んだ。
すると突然、地を揺るがすような轟音が響き、麻乃はハッとして身を縮めた。
「今度はなに――!?」
高ぶっていた感情が、すっと引いていく。
「やっと始まったな」
穂高を見返すと、入り江の崖に目を向けている。
「始まったって、なにが……」
「梁瀬さんたちだよ。あの崖の上……砦にいる」
「砦に? なんでそんなところに……あっ! まさか、大砲?」
「そう。まぁ、長いこと使ってなかったうえに、今じゃ手入れもろくにしていない。多分当たらないだろうけど、ロマジェリカの連中はそれを知らないからね。普通に考えたらあれで退くはずだよ」
崖の上には、昔はよく使われていた砦があり、いくつかの大砲が設置されている。
今、その場所から第二部隊隊長の笠原梁瀬が、隊員たちとともに砲撃を行っているという。
最後に使われたのは麻乃がまだ子どものころで、しばらくは手入れをされていたけれど、ここ十年ほどは、それすらされていなかった。
「まさか、まだ使えるとは思いもしなかった」
「うん。けど、なかなか大したものだと思わないか?」
風に流された煙の切れ間から、大きく揺れる戦艦がチラチラと見える。
照準を合わせることができなくても、次々と撃ち込んでいるせいか、何発かは命中しているようだ。
「梁瀬のやつ、やけっぱちで撃っていやがるのか?」
気がつくと、修治が隣に立っていた。
見た限り、怪我はないようだ。無事だったのだと、じわりと安堵が広がる。
「修治、無事だったんだ」
「おまえも無事のようだな」
修治の手が麻乃の頭をクシャクシャとなでた。
そのせいで髪が乱れ、穂高がそれを見て、くすっと笑う。
「梁瀬さん、ありったけの砲弾を撃ちまくるって、息巻いていたからね。数撃ちゃ当たる、なんて言っていたよ」
敵艦が少しずつ遠ざかっているのは、引き潮で流されているだけでなく、撤退を始めたからのようだ。
被弾しても沈ませるほどではないのが悔しい。
「やっと引き揚げてくれるか。座礁して動けなくなったら、今の状況じゃあ、向こうに不利だろうからな」
「砲撃がもう少し遅かったら、次の部隊が出てきたかもしれないね。いつものやつらが控えていただろうし」
「最初は楽に防衛できると思ったが、やつら……とんでもないことをしてくれたな……」
忌々しそうに修治が呟いた。珍しく怒りをあらわにしている。
ロマジェリカの戦艦を睨んでいる修治が刀を鞘に納めるのを見て、砂浜に刀を置き去りにしてきたことを思い出した。
堤防から降り、改めて周囲を見渡してみる。
もう火は弱まってくすぶり始め、人が焼け焦げた独特の臭いを漂わせていた。
敵兵もほとんどが燃え尽きて黒い塊がいくつも転がっている。その中には麻乃の隊員もいるだろう。波打ち際に倒れている遺体の中にも見覚えのある服がいくつも見えて、堪え切れない悲しみに押し潰されそうになった。
「一体、何人が残ったんだろう……」
麻乃の中で、またふつふつと怒りが込み上げてきた。
ロマジェリカのやつらに対しても麻乃自身に対しても。
これまでは、こんなに火を出すような攻撃をされたことがなかった。それに、まさか生きた人間に……味方であるはずの火をかけるなど、考えもしなかった。敵の戦術は想像を超えていた。
けれど途中からなにか違和感を覚えてはいた。敵の動きに今までとは違う何かがあったのだ。もっと周りをよく見て冷静に判断していたら、こうなることを予測できていたかもしれない。
そうすれば、もっとうまく指揮することができて、炎にまかれた隊員は減ったかもしれない。毒矢に倒れた隊員も減ったかもしれない。
(川上の腕を斬り落とすこともなかったかもしれない……)
指揮官としての責任の重さが、麻乃の肩にのしかかる。すべてが結果論だとわかっていても、引きつるように痛む火傷と左肩の傷が、じくじくと疼いた。まるで自分の判断ミスを責めているかのように。
積み重なって倒れた黒焦げの遺体の傍らに、紅華炎刀を見つけた。
近寄って伸ばした左腕を、突然黒い塊につかみ取られた。
ハッとして手を引いても、今にも崩れ落ちそうな黒こげの腕が、その姿とは裏腹にがっちり掴んで離さない。まるで最後の力を振り絞るかのように、執念深い力が込められている。
「おまえが……」
もうなにも判別できない顔をこちらに向けた塊が、明らかに麻乃を認識し、なにかをつぶやいている。その声には恨みと憎しみが込められていた。
握られた左腕に、ジリジリと焼けるような痛みが走った。まだ燃えかすが残っているのか、それとも憎悪の炎なのか判然としない。
落ちくぼんだ二つの穴に、真っ青な瞳が見えた。
戦闘の最中に麻乃を見つめ、殺気を放った視線と同じだ。その瞳は麻乃への憎しみを宿して見える。
足がすくんで動けない。声も出ない。気味が悪くてたまらないのに、その瞳から目が離せなかった。呟いている言葉はわからないけれど、やけに耳に残る声だ。まるで呪いの言葉のように、麻乃の心の奥底に響いてくる。
全身に冷や水を浴びたような寒気を感じ、麻乃は必死にその腕を振り払った。
体から力が抜けていく。戦闘の疲労と精神的な衝撃が一気に押し寄せてきた。
ゆっくりと後ずさりすると、そのまま意識を失った。最後に聞こえたのは、あの耳に残る声だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ここで、麻乃のイメージイラストを入れてみました。
私の力量ではイラストを描けないので、AIで作成したものです。
順を追ってその他の蓮華たちのイラストも公開していこうと思います。




