重陽の節句
九月九日は、重陽の節句だ。夏芽家のつながりで、菊農家にお邪魔している。
去年は、ぼくがこの世界に来てまだ半年だったことから「キレイですね」とか「鮮やかですね」とか、当たり障りのない感想を述べていたが、今年のぼくは事前に学習してから、来た。
するとどうだろう。去年とは異なった見方ができる。
十月頃から各地で開催される菊の展覧会に向けて、丹精込めて育てられてきた花たち。撮影されて、本に掲載されている花たちよりも美しく見える。もちろん、書物に残されている花たちだって、肉眼で見られたとしたら、優劣は付けられない。おそらく、写真では体験できないこの“香り”により、美しさに拍車がかかっているのだろう。
今は、ぼくと早苗のふたりきりだ。菊農家は(ここまで連れてきてくれた)早苗の父上とともにこの場を離れており、早苗が飽きるまで花を見てから、合流して、村に帰る約束となっている。
「ねーねー」
見とれていたら、早苗に人差し指でつつかれた。この表情は「早苗のほうがキレイだよ」の言葉を待っている。
花たちと早苗を、美しさでは比較できない。お世辞でもウソがつけないのは、ぼくが不器用だからだ。だからといってああだこうだと早苗に講釈を垂れる気はない。説教は、右の耳から入って左の耳から出ていく。
一本一本、ひとときの美しさのためだけに育てられた花たちは、残酷なことに、人間の有識者たちによって評価されるらしい。素人の目では、点数を付けられない。どれも美しい。同じように見えて、個性がある。甲乙付けるのは人間の都合でしかないが、この評価に、菊農家の将来はかかっている。綺麗事ばかりを言っていられないのが人の世だ。
「おいしそう、って思ってない?」
違った。しかも、このぼくを食欲に囚われた存在のように言ってくる。
「思ってない」
食用の菊もあるのは知っているが、こちらの菊は観賞用。朝から出かけていて空腹ではあるにせよ、この大輪にはかじりつかない。
「そーお?」
「キレイだから、よく見て、記憶しておきたい。これもこの世界での思い出だ」
菊の花はいくらでもあるが、今日のこの姿が見られるのは今日だけ。明日はまた、異なる表情を見せてくれるだろう。
クライデ大陸に、花を愛でる習慣はない。山頂付近でのみ採取できて、特殊な瓶に詰めておかなければ下山までに枯れてしまう花ならある。この花は麓の村で名産品として販売されているが、わざわざ育てようとはしない。農家は食料を作るのが仕事だ。
「なら、早苗のことも、もっと見ておいたほうがいいね?」
そう言う早苗は、寂しそうな顔をしている。あんまりこういう顔はしてほしくない。覚えておくのは、笑顔の早苗のほうがいい。ここで、何をしたら笑ってもらえるだろう?
ぼくは帰らなければならなくて、クライデ大陸には早苗を連れて行けない。必ず、別れは来る。ぼくはミカドになるために、育てられてきた。この世界に居座るわけにはいかない。
「何を今更」
「んー。花に嫉妬?」
「やきもちか」
「早苗のお花もキレイだって、悟朗さんだけが知ってるもんねー」
父上がいらっしゃらなくてよかった。……まあ、いらっしゃらないから言ったのだろうが。




