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空よりも広く、海よりも深い

 水族館をぐるりと一周しつつ、各エリアに設置されているスタンプ台のスタンプを台紙に押印する。スタンプを三種類集めて、出口付近にある土産物屋のレジに持っていくと、毎日先着十名様限定で『キャワイイドラゴン』のマリンバージョン、とやらがもらえるらしい。こんなところでも出会うとは、本当に流行っているのだな。しかも今日が最終日だというから、運がいい。


「「あっ」」


 ぼくと早苗がスタンプラリーの台紙を総合受付で受け取った直後に、高い声と小さな声が重なった。その声の主を見れば、例の後輩とその友人ではないか。


 これまでは制服姿しか見ていなかったが、出かけ先とあって、ふたりとも私服姿になっている。後輩はベレー帽を被り、秋らしい栗色のワンピースを着ているのに対して、後輩の友人のほうはそのまま山にハイキングにでも行きそうなスポーティーな出で立ち。仲の良い友人同士であっても、服装の好みは正反対だ。ふたりの個性が出ていて、よいと思う。


「悟朗さんの知り合い?」

「中学の後輩だ」


 後輩とだけ言ったが、早苗は早くも何かを()()()くれた。こういうときの早苗は、妙に勘が冴え渡る。お世辞にも学業は振るっていないが、推理やクイズは得意で、ドラマや映画をふたりで見ていると、ぼくよりも先に犯人を当ててしまう。


桐生(きりゅう)センパイも、キャワドラ好きなんすか?」


 赤面してもじもじしている後輩ではなく、友人のほうがぼくに話しかけてきた。キャワドラは、この『キャワイイドラゴン』のファンの間での愛称(ニックネーム)。おそらくふたりはぼくと早苗の関係性が気になって仕方ないだろうが、当たり障りのない話題から距離を詰めてくる。


「前に、きみが持っているのを見てから、やけに目に付くようになってしまってね」

「そすか。で、そちらの美人さんは?」


 話を振られて、早苗は「どもども!」と明るくあいさつした。後輩たちの世代は、早苗が中学校を卒業してから入学している。こうして顔を見るのは初めてだろう。早苗も、ぼくから話は聞いているが、顔を見るのは初めてだ。


夏芽(かが)早苗でごわす。ごっつあんです!」

「……え、ああ」

「決まり手は押し出し! 不知火(しらぬい)型!」

「ほえ……」

「早苗。そのぐらいにしておこう。後輩たちが見事にドン引きしている」


 後輩たちが、どう返したらいいかわからず、表情でぼくに助け船を要請していた。だからぼくは早苗を止めたのに、止められた張本人は「どすこい?」と首を傾げている。館内の独特なひんやりとした空気が、この時ばかりは居心地の悪さに変わった。早苗……。


「えっと、高雄です。よろしく」

「みょ、明星です……」


 初めて後輩たちの名前を聞いた。後輩の友人で猫背のほうが高雄、ぼくに告白してきたイラストの上手な後輩が明星か。


 人の名前を覚えるのは得意だ。ぼくはクライデ大陸のミカドとなる身。顔と名前は一致させておかねば、相手に失礼。相手によっては、無礼を働いた瞬間に切り捨てられても文句は言えまい。


「早苗、いいこと思いついちゃった。二手に分かれましょう!」

「わっ」


 早苗はささっと高雄の横に立ち、腕を組んだ。高雄がちょっとイヤそうな顔をしている。


「悟朗さんは、明星ちゃんと二人ねー」

「うぇえ!?」


 この驚きは明星の口から飛び出たもの。高雄と水族館を回ろうとしていたのだろう。


「いくらなんでも横暴だろう。勝手に決めてはいけない」

「桐生センパイとのコンビ、いいんじゃないすか?」


 イヤそうな顔をしていた高雄が、早苗の案に同意した。だが、しかし……。


「高雄ちゃんは()()()()()ねー。早苗、勘のいい子、好きー!」

「二の腕を揉むのはやめてほしいっす」

「なんか運動やってた?」

「ふくらはぎならいいってわけじゃないすよ」


 早苗はさっそく、高雄にセクハラをしかけている。おちょくるのはやめてあげてほしい。目のやり場に困る。


「あ、あのっ」

「早苗の言うことは、無視していい」


 きっと明星は、ぼくとは行動を共にしたくないのだろう。さっきの驚きっぷりを見ていればわかる。早苗の暴走に、後輩たちを巻き込んでしまって、ぼくは謝りたい。こんなスタート地点で足踏みさせてしまっている。早くスタンプラリーを終わらせなければ、ふたりの分の『キャワイイドラゴン』がなくなってしまうかもしれない。休みの日とあって、水族館は混んでいる。


「私、ここの年パスを持ってるんです。桐生センパイがイヤじゃなければ、いろいろと魚の説明ができます!」


 明星は何故か自らのセールスポイントを主張しだした。正直に言って、とても頼もしい。ぼくも図鑑で調べては来ているが、年パス――年間パスポートを購入するほどに通い詰めている人に案内してもらえるのは助かる。


 なるほど、水族館によく来ているから、あのような躍動感のある魚を描けるのだな。優れた観察眼から、良作は生み出される。


「それなら、四人で」

「おおっと。そうはいかないすよ。スタンプは合計六種類で、景品交換に必要なのは三種類。スタンプもコンプリートしたいなら、分かれるのがベストな判断っす」


 ぼくの提案を高雄がさえぎった。ぐうの音も出ない。ぼくは別にコンプリートするほどの熱意はないが、今日がスタンプラリーの最終日とあれば、年パス所持者の明星が次の機会に、とはいかない。


「高雄ちゃんの言うとーり! てなわけで、高雄ちゃん、ラブラブイチャイチャデート、しちゃおっか?」

「デート!? で、デート……?」

「イヤだったら言うんだよ?」

「警備員さんを呼ぶんで」


 早苗が高雄を引きずって行く。女同士で何をするつもりだ。


「センパイ」


 早苗と高雄が通路に消えて、明星がぼくに話しかけてくる。高雄の無事を祈ろう。


「ん?」

「センパイって、いい匂いがしますよね」


 そうか? ……生まれて初めて言われたな。


「夏芽さんからも、()()()()がしました」

「早苗からも?」

「はい。……ここでセンパイに会えるとは思っていなかったので、バッジは持ってきていないんですが、月曜に、センパイの靴箱に入れておきますね。あと、傘も、返さなくちゃですね」


 明星は、どことなく悲しそうに見えた。やっぱり、高雄と引き離されたのはよくなかったのではないだろうか。


「最初に、川のエリアを見に行きませんか!?」

「ほう。マグロではなく?」

「最近、展示がリニューアルされて、サケの遡上(そじょう)が観察できるようになったんですよね! サケっていう魚は、川で生まれて、海を巡って、同じ川に戻ってくる習性があるんですよ!」


 落ち込んだ気分を紛らわせるように、明星はハキハキと説明してくれている。一字一句聞き漏らさないように、耳を傾けなければな。


「水は高いところから低いところに流れていくので、すべての川と、七つの海は、つながっていて! それでも、同じ川に戻ってくるって、不思議じゃないですか!?」


 ぼくも生まれた川に帰れるだろうか。ぼくの川と、この大海原が、どこかでつながっているといいな。

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