金木犀の香りに誘われて
この強い香りは、金木犀の香りだ。去年の秋に初めて出会った。図鑑で調べたところ、かつては便所の近くに植えられていたらしい。確かに、このぐらい強烈な香りがあれば、悪臭を打ち消してくれるのだろう。
風向きが変わるたびに、校庭のどこからでも同じ香りが降ってくる。目には見えない花の雨だ。
「ここが!」
羽黒さんがぼくを乗せてきてくれた。もちろん、早苗が桐生家の前まで車をよこしてくれたおかげである。
「神佑高校です」
今日は神佑高校の文化祭だ。ぼくは早苗の言いつけを守り、おばけ屋敷については何一つ調べていない。
「高校って、でっかい……!」
校門の堂々とした文字列にさえも感動してしまう。各クラスや部活動の呼び込みの声が、あちこちから聞こえてくる。フライヤーを配る高校生たちは、ぼくより一回り大きい。
高校とは、高等学校の略だろう? クライデ大陸出身のぼくからすれば、学校を卒業してなおも勉学に励み、青春を過ごす学び舎があること自体が素晴らしく思えるのだが、同世代と見られる女の子たちにくすくすと笑われた。……はしゃぎすぎたか。反省。
「では」
「ちょいと待たれよ」
時間を告げられる前に、ぼくは制止する。車での移動中に、ぼくは閃いた。
「?」
「羽黒さんも、行きませんか?」
「はい?」
ぼくに誘われた羽黒さんは、困惑している。それからスーツの袖に隠れた腕時計を確認して、思案顔だ。
「ご予定があるのなら、そちらを優先してもらっていいです。毎日早苗がお世話になっているので、こういうときだからこそ、お話ししたいなと思いまして」
無理強いはできない。早苗が高校に上がってから、羽黒さんには迷惑をかけっぱなしだ。今日だって、文化祭というイベントのせいで、早苗の送り迎えだけでなくぼくのお迎えが発生している。それと、車内での早苗の様子が気になるので、聞いてみたい。
「……お嬢の教室まで、送りましょう」
提案に乗ってくれた。嬉しい。業務外ですので、と断られるパターンも考えていた。断られても全然かまわない。急に言い出してしまったぼくが悪い。
「教室までと言わず、羽黒さんもおばけ屋敷に行きましょうよ」
「お嬢は、悟朗さんと入りたがっています。いつもはクールな悟朗さんが怖がっている姿を見たいのでしょう」
「怖がる?」
「?」
おばけ屋敷とは、怖いものなのか。早苗に怖がる姿は、なるべく見せたくない。ぼくが怖いのは虫ぐらいだ。人間を怖がることはない。ましてや『おばけ』なんて、人間の思いついた妄想だろう? クライデ大陸に生息しているモンスターたちに比べれば大したことはない。
「早苗はぼくのことを知っているのに……おばけごときで怖がるだのと、ずいぶんと見くびられたものだな」
ぼくの正体はドラゴンで、王族だ。高校生が知恵を出し合って怖がらせようとしても、ぼくは怖がらない。おばけを演じているのが人間だとわかっていれば、怖くない。
「……こほん」
咳払いされた。なんだろう。
「なんですか? 虚勢だって言いたいんですか?」
羽黒さんの視線が生暖かい。こんな威勢のいいこと言っちゃって、と内心では思っていそうな目をされているので、ぼくはつい突っかかってしまう。
「何も言ってません」
正体が見えないように工夫された人間は、なんだか厄介だ。本当のところはどう思っているのかなんて、外からはちっともわからない。
「……早苗はぼくのこと、なんて言っているんですか……」
神佑高校の敷地内を、羽黒さんと並んでいる。ぼくは声をひそめて、羽黒さんに問いかけつつ、受付の列の最後尾に並んだ。早苗は教室にいると言っていたから、聞こえるはずもないのだが。
他にも秋の花は咲いているのに、金木犀の香りがもっとも激しく自己主張している。さまざまな色や柄のティーシャツを着た高校生たちが、せわしなく歩き回っている姿も見えた。
「お嬢に『羽黒さんが言っていた』と教えないと約束してくれるのなら、言います」
「秘密にしろと」
「ええ。自分には、業務上知り得た情報の守秘義務がございますゆえ」
「……なら、いいです。ぼくは早苗に隠し事をしたくないので」
なんとなくわかった。早苗は直接ぼくに『かわいい』とは言ってこないが、羽黒さんにはきっと『かわいい』と言っているのだろう。
女の子は、カッコイイ、だけでなく、いつもはカッコイイのにかわいいところもある、みたいなのが好きなのだ。と、早苗が以前図書館で借りていた恋愛小説に書いてあった(ぼくは早苗が読んでいたから気になっていて、学校の図書室で貸出を始めたあとに読んでいる)。
「面白いですね、悟朗さんは。お嬢が夢中になるのが、よくわかります」
羽黒さんからのこの評価は、褒め言葉だよな。ぼくは褒め言葉として受け取っておく。




