ふたりきりの食卓
炊飯器が鳴いた。早苗が家を出る前にセットしていた栗ごはんが炊けた合図だ。ぼくはいそいそと服を着て、ソファーに座る。
「むふふ……炊飯器は偉大……! 材料を入れてポチッとな。タイマーであら不思議。お残しは、許しまへんでー」
早苗はぼくのぶんの夕食一式をお盆で運んできた。お茶碗にこんもりと盛られた栗ごはん、お麩の浮かんだみそ汁と、肉じゃが。どれも湯気が立っている。
「いつの間に」
クライデ大陸の魔法による調理と、ほぼ互角だ。やはりこの世界は、魔法がない代わりに、技術力が優れている。炊飯器の仕組みも、学ばなければ。
「みそ汁は、悟朗さんがお布団でゴロゴロしている間にさくっと作った。肉じゃがは、家を出る前に作っていたのを温め直したの。お料理は、家のお手伝いさんに教えてもらったから、結構自信ありマス」
説明しながら、早苗は色違いのお茶碗をテーブルに置いた。こちらが早苗のぶんか。
「一人暮らしなのに、食器が二セットあるのか」
「なーに? 浮気を疑ってるの?」
「いいや?」
「将来的に二人で、いや、五人で暮らすんだもの。家族でお揃いにしたほうが、こう、テーブルの上に統一感があっていいでそ?」
「……ふむ」
早苗としては、この家で生活していきたいようだ。早苗の計画では、ぼくとの子どもが三人欲しいとのことだから、五人家族か。一人暮らしには広い家だと思っていたが、使われていない部屋のことを考えると、五人家族ならちょうどいいぐらいか。都市部に近いぶん、夏芽の村よりも利便性は高い。ショッピングモールにはスーパーが併設されている。この間行った図書館があれば、少し足を伸ばすのに便利な鉄道の駅も近い。
にしても、気が早すぎる。ぼくは中学二年生。早苗は高校一年生だ。この世界の基準で考えると、まだ学生という身分。社会的に一人前として認められていない。
「いっただっきまーす」
「向かいで食べるのか?」
早苗はぼくの隣ではなく、テーブルを挟んで向こう側に座布団を敷いて座り、手を合わせた。ぼくもおなかは空いているので早く食べたいが、早苗の一挙一動が気になってしまう。
「悟朗さんの『おいしー』って顔が見たいからねー」
「ああ、そうか」
正面から見たいのか。横顔ではなく。普段の夕飯は早苗が帰ってしまってから食べることが多いので、早苗と食卓を囲むのは、……初めてか? 外で食事をしたことはあるが、こういうプライベートな空間で、早苗の料理を食べる。
「どーお?」
「特別感がある」
粒の大きな栗は、木の実らしくほろりとしている。米のもちもちした食感と合わさって、いくらでも食べられそうだ。さくっと作られたというみそ汁も、しっかり味の染みこんだ肉じゃがも、おいしい。
「いっしょに暮らしていけば、これが『特別』じゃなくて、日常になっていくんじゃなーいの?」
今日の早苗は、いつもより積極的だ。ぼくに将来を意識させようと仕向けてくる。
「そうなれば、いいな」
ぼくのために、クライデ大陸への帰還方法を探し回ってくれているソーイチローには言い出しにくいことだが、帰り方がわからないことを理由にして、ぼくはこのまま、ずっと、この世界に居座りたいと、心が揺らいでしまっている。
ぼくが王族として生まれてきた意味は、ゆくゆくはミカドの座に就くためだ。修行先に定住するためではない。本当は、もっと茨の道を進むべきだ。こんな贅沢をしていては、いけない。
「悟朗さん。早苗の家に泊まっていこ?」
「……え」
「朝までずっと、明日も、明後日も」
大胆な発言をしてから、早苗はぼくから目をそらす。髪の先っぽをイジり始めた。
「先に寝ちゃったほうの負けでー、負けたほうは、勝ったほうの言うこと聞くっていうのはどーお? 早苗が勝ったらー、悟朗さんには早苗のセーラー服を着てもらいますー」
恥ずかしがりながら、さらに具体的な案を出してくる。負けでなくても、早苗のセーラー服なら着たいが。わざと負ければいいのか?
しかし、ぼくと早苗は『許嫁』という関係ではあっても、両家の両親から、泊まりは認められていない。午後九時には羽黒さんがぼくを夏芽の村に帰らせるべく、インターホンを押してくる。
「どうもこうも、ぼくは泊まれないだろう?」
魅力的な仮定の話はおいといて、ぼくは現実を見なければならない。ぼくには桐生家での立場がある。約束を破れば、この交際は認められなくなるかもしれない。それはイヤだ。絶対に。早苗を狙っている志郎という存在を知っているから、余計に。
「うん……そうだけど、ほら、結婚前の男女は、一定期間同棲したほうがいいって話があるじゃない?」
食い下がってくる。いっしょに暮らしていくうちに、見えてくるものがあるのだろうな。
「早苗の気持ちはわかっているつもりだ」
「ほんとにー?」
「ああ」
ぼくの返答に、早苗は納得したようなしていないような顔をする。それから、小さな口に栗を入れて「ずるいなー……」とつぶやいた。