朝露の冷たさ
クライデ大陸を統べる王・ミカドたるもの、万人に愛される名君でなければなるまい。ぼくの伯父は、いい手本だ。伯父は、そそっかしくおっちょこちょいで先走りがちな面があれど、欠点を補って余りある善政で、民に支持されている。
格式高い竜の血を継ぐ王族でありながら、愛嬌と純真さを兼ね備えた、稀代の賢帝。伯父の『失策は失策として認め、反省し、すぐに修正する即応性』が評価されているのだと、ぼくは考えている。この世界には『過ちて改めざる、これを過ちという』という古い言葉があるが、まさにこれだ。過ちは誰にでもある。間違いに気付き、原因を突き止め、繰り返さないようにしなくてはならない。
「なんだ悟朗。もう起きてたんか」
万人から愛されたいぼくにも、苦手な人間はいる。桐生家の構成メンバーで言えば、四男の志郎が、特に。
朝。洗面所で身支度を整えていたら、出会ってしまった。志郎は不愉快そうな顔をしている。ぼくもできるかぎり遭遇しないように行動しているが、住んでいる場所は同じ。鉢合わせしてしまうことは多々ある。
長男から三男は大学生活のため、村を離れて久しい。ぼくとは正月にはじめて顔を合わせている。ぼくという異分子とは付かず離れず、弟として、というよりは、一人の子どもとして対応してくれた。彼らは彼らなりに、ぼくを慮ってくれたのだろう。これでいい。日常生活をともに過ごす相手ではないのだから。
「おはようございます、お兄様」
ぼくは長男である。が、この桐生家では『五男』だ。男ばかりの四人兄弟に、末っ子として預かっていただいている立場にある。したがって、どれだけウマの合わない相手だろうと、形式上は兄だ。年長者への敬意を込めて『お兄様』と呼んでいる。
クライデ大陸にいるぼくの家族は、父上と母上と、お姉様たち、で、女性の比率の高い五人家族だ。お姉様たちは双子で、ぼくとは年齢が離れている。父上の業務を手伝う母上に代わって、ぼくはお姉様たちと乳母に育てられた。ゆえに、年上のきょうだいがまったくいなかったわけではないのだが――。
「昨日も早苗ちゃんが来てたんだって?」
志郎はぼくにあいさつを返さないどころか、目を合わせようともしない。高校一年生の志郎は、昨年度まで、早苗と同じ学び舎で学生生活を過ごしていた。早苗の尻を追いかけるように神佑高校を受験してはいるが、不合格。
現在は、桐生家の次男の卒業校と同じ男子校に通っている。この夏芽の村からは(片道二時間の神佑高校ほどではないにせよ)遠い。もう家を出ているものだとばかり思って、油断していた。
「ああ、まあ」
「早苗ちゃんは、お前のどこが気に入ったんだろうな」
「さあ?」
「毎日わざわざお前に会いに来るなんて、おかしいぜ。それなら、神佑に進学しなくてもよかったろ。車で行き来しないといけないわけだしよ。そうは思わないか、悟朗」
「……まあ、そうですね」
いつもこの調子である。そして、決まってこう言うのだ。
「幼馴染みはこの俺なのにさ」
この四男様から見て、ぼくは『俺から幼馴染みの早苗を奪い取った存在』にあたるらしい。要は『寝取った側』である。ぼくが。
とんでもない言い草だ。早苗は四男様のことを『かつての同級生』としか思っていない。
ぼくが(ぼくなりに気を遣って)婉曲的に、四男様の印象を訊ねると、早苗は「志郎くん? ああ、いたねえ。最近は見てないけど、大きくなったかな?」と、逆に問いただしてきたぐらいだ(ぼくは「なんでもない」とごまかして、会話は終わった)。
ぼくと早苗の関係は、早苗から迫ってきたことから始まっている。ぼくはいずれクライデ大陸に帰らねばならないから、早苗には嫌われたいと思っているというのに、この、早苗との同じ年に同じ村に生まれただけの関係性に固執して、肉体関係も持てなかった志郎にああだこうだと言われたくはない。せめて寝てから言え。
「この銀髪が、ミステリアスで魅力的に見えんのかな。俺も染めてみっか?」
「これは地毛ですが」
「へえ?」
「気安く触らないでいただけますか、お兄様」
無遠慮に触られたから、ムキになって言い返す。この髪色については、学校でも真っ先に問題視された。校則違反ではないかと。ソーイチローや早苗が味方してくれて、校長を含む先生方が納得してくれたから、今、誰も指摘してこない。
「あっそ」
志郎は在学中だったから、ことの次第を知っているはずだ。よほどぼくのことが気に食わないらしいな。
「ところでお兄様。学校は」
「今日は休み。開校記念日で」
「ああ、そうですか」
「習慣づいていると早くに起きちゃうもんよね。今日も早苗ちゃんは来るの?」
「さあ?」
「ふーん……そう。ま、俺はこれから二度寝するわ。午後から『竜の伝承』でも調べるとするよ。父さんの研究、面白いよな」
どうぞご勝手に。
こういう人間ともうまくやっていかねばならないのが、王を目指す者のつらいところだ。ライバルや反対勢力とも向き合わねばならない。志郎は今後、敵となりうるだろうか。……いや、ないな。