79話「王妃殿下の策略」
「王妃殿下がこの国に嫁いで来られたのは、サルガル王国とグレイシア王国の友好のためですよね?」
少し考えてから、私はそう答えました。
「それも一つの目的だけど、大きな目的ではないわ」
王妃殿下が首を横に振りました。
彼女は深く息を吐き、窓の外を見つめました。
それから私達に向き直り、こう告げました。
「私の目的はね。
サルガル王国の王家の血を引いた子を、グレイシア王国の世継ぎにすることよ」
そう告げた王妃殿下の目には、強い意志が宿っていました。
彼女はその目的を果たす為に、少数の使用人を連れ、知り合いも友人もいないこの国に嫁いできたのです。
その覚悟は、私の想像を超えていました。
王妃殿下がこの国に嫁いできたのは、今の私と同じ十八歳の時です。
私が、ベナット様と婚約していた時、彼はまだ第一王子の身分でした。
王族に嫁ぐのは覚悟がいることです。
ですがそれでも、私はまだ気楽でした。
国内であれば実家にも帰れますし、お城にはほぼ毎日お父様が登城します。
大臣の中には、お父様の派閥の人間が何人もいます。
私にはたくさんの味方がいました。
ですが、王妃殿下の味方は、母国から連れてきた少数の使用人のみ。
自分を守れるのは、サルガル王国の王女という身分のみ。
生半可な覚悟では、嫁いでは来られません。
「でも……結婚して十年経過しても、陛下との間に子はできなかった……」
王妃殿下は目を伏せ、沈んだ声でそう話しました。
彼女は切なげな表情をしていました。
「私が十年間子供が生めず苦しんでいる間に、
先代の国王陛下と王太后殿下の間に男の子が生まれた。
ラファエル、あなたのことよ」
王妃殿下が王弟殿下を見つめる目は、母親が息子を思うような慈しみがこもっていました。
「王太后殿下は優秀なあなたを見て、あなたを世継ぎにしようと画策していた。
私もそのことを知っていたわ」
王妃殿下は言葉を区切り、息を吐きました。
「あなたがこの国の世継ぎになったら、サルガル王国とグレイシア王国の血を引く子を世継ぎにするという、私の野望は潰えてしまう……。
だけど十年間グレイシア王国で過ごし、公務をこなすうちに、私の中にこの国への愛情が芽生えていた……。
ラファエルなら良き王太弟になれる、そのためなら私の野望を諦めよう、そう思ったわ。
だからあのとき私は、あなたがこの国の世継ぎになってもいいと、本気で思っていたのよ」
そう話す王妃殿下の表情は穏やかで、嘘をついているようには見えませんでした。
「王太后殿下は私にこう言ったわ。『王弟であるラファエルを世継ぎにするためには、現在の国王が子供を作れない体だと、周囲に知らしめなくてはいけない。そのために側室を五人一度に娶る必要がある』と。
私はそのとき、王太后殿下の意見に反対しなかったわ」
王妃殿下はそこで言葉を切り、カップに口をつけました。
話していて、喉が渇いたのでしょう。
「私は陛下との間には子供を作れなかった。
どんな理由であれ国王が側室を娶るのは、仕方がないことだと思った。
これからは、ラファエルの義理の姉として、あなたを支え立派な国王にしようと思っていたわ……」
王妃殿下は、落ち着いた表情で話していました。
彼女の当時の心境を思うと、いたたまれない気持ちになります。
サルガル王国の血を引く王子、もしくは王女を産むことが生むことが、彼女の目的だった。
それは彼女の目的というより、サルガル王国の王族の目的だったんでしょう。
その目的を果たすことができず、後から生まれた義理の弟が、この国の世継ぎになる。
夫が子供を作れない体だと証明するために、側室を五人も一度に娶ることを、容認しなくてはいけない。
私が、彼女の立場だったら耐えられたでしょうか?
「だけどその計画の途中で王太后殿下は逝去され、しばらくして側室が懐妊していることが判明した」
王妃殿下は眉根を寄せました。
ここにきて、彼女の人間らしい表情を見た気がします。
自分は子供を作れなかったのに、王室に嫁いで一年足らずの側室が懐妊した……。
その衝撃は計り知れなかったでしょう。
今までは、子供ができないのは陛下側に問題があると思われていたのに、自分の側に問題があると突き付けられたのですから。
女性として、これほどプライドが傷つけられることはありません。
「陛下は大喜びしていたし、重臣たちも喜んでいたわ。
待望の世継ぎの誕生に、国をあげて祝福ムードだった」
彼女は、紅茶に口をつけました。
感情を表に出さないように話す彼女の胸中には、どのような思いが渦巻いているのでしょう?
「多少嫉妬はあったけど、側室が子供を生んだら、その子を世継ぎにしようと思ったわ。
ラファエルには悪いけど、王弟より王子や王女の方が継承順位は上ですからね」
王妃殿下は側室の子でも、支えようとしていたのですね。
「側室が子供を産んですぐ亡くなったと知った時、私は継母として、生まれた子をしっかりと育てようと決意したわ」
彼女はどこまでも純粋で、グレイシア王国のために尽くそうとしていた。
そんな彼女の思いは、この後踏み潰されてしまったのですね。
「でも……」
王妃殿下はカップをソーサーにゆっくりと戻しました。
彼女の表情に僅かな怒りが滲んでいるのが、見て取れました。
「二年ほど経過して、側室が生んだ子は……べナットは、陛下の子ではないとわかった……!」
王妃殿下は穏やかな表情を一変させ、眉間にシワを作り、唇を歪めました。
彼女は、グレイシア王国のために働き、この国に長年尽くしてきた。
陛下との間に子供ができなかったことを、責める人もいたでしょう。
陛下が側室を迎える時、思うところもあったでしょう。
ラファエル様を世継ぎにと言われたとき、自分が用済みと言われた気分だったのかもしれません。
そんな思いを抱えながら、王妃殿下はずっと耐えてきました。
側室が一年足らずで懐妊したことに、嫉妬もあったのでしょう。
側室の子を世継ぎに据えることに葛藤もあったのでしょう。
王妃殿下はそういう負の思いを全部呑み込み、
良き妻、民に愛される王妃、優しい姉、賢く思いやりに溢れる義母であろうとした。
側室の托卵がわかった時、王妃殿下の思いは粉々に打ち砕かれてしまったのですね。
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