78話「ラベンダー色の部屋」
その方の部屋は、ラベンダー色で統一されていました。
薄紫色のカーテン、薄紫色のソファーと同色の絨毯。
職人が精魂を込めて作った木製の家具が、統一感を持って配置されていました。
そこは、洗練された大人の女性の部屋でした。
その部屋の主は漆黒のドレスを纏い、応接用のソファーで優雅にくつろいでいました。
歳を重ねても衰えない美貌。
優雅で洗練された立ち居振る舞い。
この国の女性の頂点に立ち、誰もが憧れ、尊敬する存在。
「王妃殿下、お時間を取っていただき感謝いたします」
王弟殿下が、王妃殿下に向かって挨拶をしました。
「王妃殿下、ご無沙汰しております」
私も彼の後に続いて、王妃殿下に挨拶をしました。
「いいのよ。
ラファエル、アリーゼ。
そろそろ二人がこの部屋に来る頃だと思っていたわ」
王妃殿下は優雅に微笑みました。
王妃殿下が黒幕……?
直接お会いしても、実感が湧きません。
王妃殿下は、私がベナット様に婚約破棄された時、泣きながら謝罪してくれました。
もしかして、王妃殿下は黒幕について何か知っているのかもしれません。
王弟殿下は、黒幕の情報を得たくて、彼女を訪ねたのかもしれません。
ですが私の希望的観測は、王弟殿下の表情を見た時に打ち砕かれました。
王弟殿下は、厳しい目つきで王妃殿下を見据えていました。
彼の表情を見て、王妃殿下こそが事件の黒幕なのだろうと……察しました。
幼い頃に母を亡くした私にとって、王妃殿下は第二の母親のような存在でした。
私の目標で、憧れで、最も尊敬していた人物でした。
その方が……このような恐ろしい事件の黒幕だったなんて……。
にわかには信じられません。
「ラファエル、そんな怖い顔で立っていられると話もできないわ。
二人ともソファーに掛けなさい。
私に聞きたいことがあって、この部屋に来たのでしょう?」
王妃殿下は落ち着いた声でそう言いました。
彼女に促されたので、ソファーに掛けることにしました。
私と王妃殿下は並んで長椅子に腰掛けました。
ローテーブルを挟んで対面のソファーに王妃殿下が座っています。
王妃殿下は侍女にお茶とお菓子を用意させました。
侍女が、私と王弟殿下の前にお茶とお菓子を置きました。
侍女たちがお茶とお菓子を並べ終えると、王妃殿下は人払いをしました。
この部屋にいるのは、王妃殿下と私と王弟殿下の三人だけです。
「それで、あなた方は私に何を聞きたいのかしら?」
彼女は穏やかな表情を称え、そうおっしゃいました。
王妃殿下は、なぜこのように落ち着いていられるのでしょう?
自分が事件の黒幕だと、バレない自信があるのでしょうか?
いえ、彼女の表情からはそういった自信の類は感じられません。
むしろ……全てを受け入れ諦めているような……そんな雰囲気です。
王妃殿下が眉尻を下げ、私の顔を見ました。
「アリーゼ、人間の姿に戻れたのね。
よかったわ。
猫の姿から戻れないかと思って、心配していたのよ」
彼女にそう言われ、私は驚きを隠せませんでした。
私が猫になっていたことは、一部の人間しか知らないはずです。
それとも、王弟殿下が王妃殿下に伝えたのでしょうか?
私は隣に座る王弟殿下の顔を見ました。
王弟殿下が、鋭い目つきで王妃殿下を見据えました。
王弟殿下が、王妃殿下に教えたわけではなさそうです。
「アリーゼ嬢が猫の姿になったことは、限られた者しか知りません。
なぜ、王妃殿下がそのことをご存知なんですか?」
王弟殿下の表情は厳しさの中にも、どこかやるせなさを含んでいて、瞳に影が差していました。
王弟殿下にとって、彼女は義理の姉です。
その彼女を追い詰め、黒幕として逮捕しなくてはいけない……。
王弟殿下の心労を思うと、胸が痛くなりました。
「ラファエルは、おかしなことを聞くのね?
私はあなたが生まれるより前から、王宮にいるのよ。
お城で起きたことで、私の知らないことはないわ」
彼女は目を細め、口角を上げ、そうおっしゃいました。
「そうでしたね。
あなたは僕よりも長くこの城にいる。
この城で起きたことを、あなたに秘密にできると思ったのが間違いでした」
王妃殿下は、三十年前にこの国に嫁いで来ました。
王弟殿下は二十六歳。彼は八年間サルガル王国に留学していました。
王弟殿下より、王妃殿下の方が、お城のことに精通していても不思議はありません。
「アリーゼ嬢が猫になったことを知っているなら、当然このことも知っていますよね?
イリナ王女がアリーゼ嬢を離宮に呼び出すとき、王妃殿下付きの侍女を使いました。
王妃殿下付きの侍女だったので、アリーゼ嬢も信頼して、彼女の後をついて行ってしまった」
「そう」
侍女のことを言われても、彼女は顔色一つ変えませんでした。
「僕は初め、王妃殿下付きの侍女がイリナ王女に買収されたのだと思いました。
しかし、途中で考えを改めました。
一般の兵士ならともかく、王妃殿下付きの侍女が買収されるとは考えにくい」
そこまで言ってから、王弟殿下は目を伏せ、長く息を吐きました。
息を吐いている間、彼が何を考えていたのか私には分かりません。
王妃殿下を追い詰める策を練っていたのか、それとも彼女を追及するための覚悟を決めていたのか……。
しばらくして顔を上げた彼は、冷たい表情をしていました。
おそらく彼の中で、王妃殿下を追い詰める覚悟ができたのでしょう。
王弟殿下は、王妃殿下を冷徹な目つきで見据えました。
「今回の事件に王妃殿下も関わっていますね?
いえ、言い方を変えます。
事件の首謀者はあなたですね?」
王弟殿下は、静かにしかしはっきりした声でそう告げました。
彼にそう言われても、王妃殿下は眉一つ動かしませんでした。
王妃殿下は、逃げ切れる覚悟があるのでしょうか?
だから全く動揺していないのでしょうか?
「惜しいわね。
でも少し違うわ」
王妃殿下は紅茶を一口飲み、カップをソーサーに戻しました。
「イリナがサルガル王国から来たとき、私付きの侍女たちにはこう伝えていたの。
『もしもイリナか、彼女付きの侍女から力を貸してほしいと言われたら、事情を聞かずに協力してあげなさい』とね」
王妃殿下は落ち着いた態度でそう告げました。
彼女には、不安や焦りの色は見えませんでした。
王妃殿下には、今日断罪されることが分かっていたかのようです。
「事件への関与を認めるのですね」
王弟殿下は、追求の手を緩めませんでした。
彼は険しい表情をしていましたが、どこか疲れているようにも見えました。
「ラファエル、アリーゼ。
私がこの国に嫁いで来た目的は何だと思う?」
王妃殿下からの突然の問いかけに、私はどう考えていいか困惑しました。
彼女がこの国に嫁いできた意味?