74話「恋心の自覚」
そんなわけで、王弟殿下の命を受けたゼアンさんが、王宮の執務室にいるお父様を呼びにいきました。
公爵家にいるロザリンにも使いを出しました。
二人は、別室で王弟殿下に事情の説明を受けてから、私のもとに来るようです。
猫になった姿を、二人に見られるのは少し恥ずかしいです。
でもそれよりも、今はお父様とロザリンを少しでも安心させたいです。
もしかしたら、二人には事情を話す前より心配をかけることになるかもしれません。
やはり人間の姿になるまで、このことはお父様とロザリンには、黙っていた方が良かったでしょうか?
一人で部屋にいるとそんなことを考えてしまいます。
しかし、後悔しても今さらどうにもなりません。
今頃二人は王弟殿下から事情を説明されているはずです。
私には、お父様とロザリンが来るのを待つことしかできないのです。
◇◇◇◇◇
不安な気持ちを抱えながら、待つこと一時間。
私のいる部屋に、お父様とロザリンが入ってきました。
私は二人に心配をかけないように、できるだけ明るい声で「にゃー」と鳴きました。
「お嬢様、アリーゼお嬢様なのですか!?
なんと愛らしい姿に……!
いえ、なんとおいたわしいお姿に……!」
ロザリンは、猫の姿になった私を見て、最初はとても驚いていました。
「でも、お嬢様が無事で良かったです。
昨日、お嬢様がお城からお戻りになられなかったときは、生きた心地がしませんでしたから」
しばらくすると、私が無事だとわかって安堵したようです。
「王弟殿下が、『時間がかかるかもしれないけど、解毒剤を作れる』とおっしゃっていました。
お嬢様が元の姿に戻れると知って、ほっとしました」
ロザリンは目に涙を浮かべていました。
とても心配をかけてしまったようです。
お父様は私のことを見て、目を細めました。
こんな姿になるなんて、公爵家始まって以来の失態です。
お父様にお叱りを受けるかもしれません。
私は体を縮こまらせ、目をぎゅっとつぶりました。
「無事なら良かった」
お父様はそう一言だけ呟きました。
「あとのことは、ロザリンに任せる」
「お任せください、旦那様!」
お父様はそれだけ言うと部屋を出て行きました。
父から叱られることを覚悟していたので、一気に脱力しました。
お父様が私を叱らなかったのは、私に興味がないからでしょうか?
叱られるのは嫌ですが、無反応なのも傷つきます。
「旦那様がやっと穏やかな表情をされました。
きっと、お嬢様の元気なお姿を見て、安堵されたのでしょう」
ロザリンが微笑みを浮かべました。
確かに、いつもの父より穏やかな表情をしていた気がしますが……誤差の範囲な気がします。
「昨日、お屋敷に戻られた旦那様に、『お嬢様が登城されたまま帰宅していません』と告げたら、鬼のような形相をしていました」
お父様は、私が門限を破ったことに怒っていたのかもしれません。
「眉間に皺を寄せ、額に青筋を浮かべ、口角を下げ、目を血走らせ……それは恐ろしい形相でした。
旦那様は、お城で何かあったのだと悟り、護衛を付けてお城に乗り込もうとしていました」
あの冷静なお父様が……?
「そのときゼアンさんが尋ねてきて、書斎で旦那様とお話をされていました」
ゼアンさんが屋敷に着くのが遅かったら、護衛を連れたお父様がお城に乗り込んできたかもしれないのですね。
「ゼアンさんが帰られたあと、旦那様はいくらかはマシな表情をされていました。
それでも、眉間には深い皺が刻まれたままでした」
お父様がそんな表情をされていたなんて……。
「旦那様が登城を取りやめたので、お嬢様はきっとご無事なのだろうと、何らかの理由があって帰れないのだろうと、私は推測しました。
ですが、旦那様は夕飯も朝食も召し上がらないので、使用人一同心配しておりました」
お父様が食事を召し上がらなかったなんて……。
そんなこととはつゆ知らず、私はお城でミルクとご飯をいただいていました。
お父様にも、使用人にも心配をかけてしまいました。
「旦那様は、王弟殿下のお部屋でも厳しい表情をしていました。
特にイリナ王女の話を聞いている時の旦那様は、恐ろしい表情をされていました。
旦那様の目は、今までに見たことのないくらい冷酷で鋭く、全身から殺気を放っておりました」
お父様が、そんなにも私のことを心配しているとは思わなかったわ。
「旦那様が、イリナ王女と王女付きの侍女を殺しに行くのではないかと、私は気が気ではありませんでした」
お父様が、イリナ王女にそこまで怒りを覚えていたなんて……。
「お嬢様のお姿を見て、旦那様の眉間からようやく皺が消えたのですよ。
穏やかな表情の旦那様を見て、私も安堵しました」
ロザリンはほっとしたように、息を吐きました。
ロザリンの話を聞くまで、私は父に必要とされていないと思っていました。
べナット様に婚約破棄されたとき、お父様に「いらない子」だと判定されたと思っていました。
ロザリンの話が本当なら、私はお父様に愛されていたようです。
以前、王弟殿下はお父様のことを、「不器用な人だ」とおっしゃっていました。
お父様は表現が下手なだけで、家族への思いやりに溢れた方なのかもしれません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
王弟殿下に王宮に用意していただいた部屋で、ロザリンとともに過ごすことになりました。
ロザリンは、猫の姿の私にあわせて、たくさんの服を作ってくれました。
どれも可愛い服なのですが、元の姿へ戻ったら着られないのが残念です。
ロザリンは猫の姿の私に慣れたようで、私を猫じゃらしであやすようになりました。
淑女としてはしたない行為だとはわかっているのですが……。
目の前で細いものがゆらゆらしていると、飛びつきたくなる衝動を抑えられないのです。
しかも、猫じゃらしに飛びつくのが楽しくて仕方ないのです。
人間の姿に戻っても、猫の時の感覚が残っていて、猫じゃらしに飛びついたらどうしましょう?
◇◇◇◇◇
そして三日が過ぎた頃。
王弟殿下が私の部屋を訪ねてきました。
殿下にはいつもの爽やかさがなく、目の下にクマができ、髪が少し痛んでおり、お肌もカサカサしていました。
いつもはアイロンがけされているシャツに、皺が寄っていました。
「アリーゼ嬢、喜んで!
ついに解毒剤が完成したよ!」
ヨレヨレの姿で部屋に入ってきた殿下は、そうおっしゃりにっこりと微笑みました。
彼の手には蓋のついた瓶が握られていて、その中には青色の液体が入っていました。
あれは解毒剤でしょうか?
「ゼアン様、王弟殿下はだいぶお疲れのようですね。
爽やかの化身みたいな殿下が、
こんなにくたびれるなんて、
この数日で何があったのですか?」
ロザリンがゼアンさんに尋ねました。
ロザリンも殿下の変化に驚いているようです。
「王弟殿下はこの三日間、
研究室にこもり解毒剤の開発に当たられていたのですよ。
睡眠は一日二時間、
食事は一日に一回スープを召し上がるだけでした。
解毒剤を開発する前に、過労で倒れるのではないかと、ひやひやしていました……」
王弟殿下がやつれていたのは、そのためだったんですね。
「アリーゼ嬢を、一日も早く元の姿に戻したくてね」
殿下はそう言って、私の顔を見て穏やかに微笑みました。
胸がキュンと音を立てました。
殿下は解毒剤を作るために、そこまでしてくださったのですね……!
ずっと、気づかないふりをしてきました。
もうごまかすことはできません。
私は殿下が好きです。
王弟殿下は、この国の世継ぎになられるお方。
婚約破棄されて傷物になった私では、この国の未来を背負う殿下の隣に立つのには、ふさわしくないかもしれません。
でも猫の姿になって、気持ちを伝えたくても伝えられないことがわかりました。
気持ちを伝えたら、王弟殿下に振られるかもしれません。
殿下が私の気持ちを知ったら距離を置かれるかもしれません。
そうなったら、今までのように気軽にお茶会をすることはできません。
それでも、私はこの気持ちを殿下に伝えたいです。
また、何かの事件に巻き込まれて、命の危険に晒されるかもしれません。
その時、殿下に思いを告げたかったことを、後悔したくはないのです。