66話「初めての添い寝」
「アリーゼ嬢、もう眠ってしまったかな?」
まどろみの中で、殿下の声が聞こえてきました。
「これは僕の独り言だと思って聞き流してほしい。
昼間、君につけていた護衛から、
君を見失ったという報告を受けた時、
僕は心臓が止まるかと思った」
殿下の声から不安が伝わってきました。
殿下は、それほどまで私のことを心配していてくれたのですね。
「君を攫った人物や、
その人物の目的がわからない以上、
目立った行動は慎むべきだと頭では分かっていた。
捜索は部下に任せ、僕は部屋で報告を待つべきだと思った」
王弟である彼が自ら動けば、大事になる可能性があります。
公爵令嬢の失踪というのは、無事に保護されたとしても、良からぬ噂の的になりやすいのです。
失踪中に傷物にされたのでは……と勘ぐる人もいるでしょうから。
王弟殿下が、総力を上げて私の捜索をしなかったのも、この辺の事情を考慮しての事だと思われます。
「だけど、部屋でじっとしていられなかった。
気がついたら部屋を飛び出し、森の中を探索していた」
それで殿下は、あのとき森の中にいらしたのですね。
彼が私のことを心配して探してくれた……それがわかって、胸の奥が暖かくなりました。
「茂みの中で弱って震えてる猫を見つけた時、
なぜだかその猫がアリーゼ嬢のような気がしたんだ。
普通に考えたら、人が猫になるなんてありえないのにね」
殿下が苦笑いを浮かべました。
殿下は、猫になった私を見たとき、なんとなく私だと気づいてくれたんですね。
「猫が君だという確証はなかったけど、猫を放置するという選択は僕の中にはなかった。
気がついたら君を部屋で保護していた」
殿下は優しい目で私を見つめ、そっと頭を撫でました。
「保護した猫を抱きしめたとき、猫からアリーゼ嬢が愛用している香水の匂いがした。
それと、猫が身につけていたリボンに見覚えがあった。
君が首にしていたリボンは、以前アリーゼ嬢に贈り物をした時に、贈り物の袋を閉めるのに使ったものと同じだったから」
殿下は、私に贈ったプレゼントについていたリボンの色まで覚えていてくれたのですね。
「保護した猫の看病をしているとき、
アリーゼ嬢の捜索は続いていた。
アリーゼ嬢が見つかったという報告は入っていないのに、
なぜだか保護した猫の傍から離れられなかったんだ」
それで殿下は、私が目を覚ましたとき、私の傍にいてくれたのですね。
「二週間以上、アリーゼ嬢に会っていなかったから、
猫がアリーゼ嬢かもしれないと思いながらも、
アリーゼ嬢からもらったプレゼントの自慢話をしてしまった」
殿下は頬を染め自嘲気味に話しました。
あれは……聞いていて恥ずかしかったです。
殿下が私からの贈り物を、とても大事にしてくれるのが分かって嬉しくもありました。
「保護した猫が本当に君だと分かった時、驚いたけど、同時に君が無事だとわかってほっとしたんだ。
猫の姿にされて、怪我までしてるから、無事……とは言い難いんだけど。
それでも安堵したのは事実だ」
殿下は眉根を下げ、申し訳なさそうに言いました。
「ごめんね。
君が猫になったのは僕のせいなんだ」
私が猫になったのは殿下のせいではありません。
殿下が責任を感じる必要はありません。
むしろ、殿下は猫になった私を保護し、手当までしてくれました。
猫になった私が何かを伝えようとしたとき、真剣に取り合ってくれました。
殿下には感謝の気持ちしかありません。
「僕がサルガル王国に留学していた時。
イリナ王女はしつこく僕に付きまとっていた。
彼女は僕に近づく女性を容赦なく排除していた」
イリナ王女は、昔からあのような性格だったのですね。
殿下も留学中はご苦労なされたのですね。
「イリナ王女が王妃殿下の話し相手としてこの国に呼ばれた時、君にマナー教室の講師を一旦休んでもらうべきか考えたんだ。
君がマナー教室を続けていたら、遅かれ早かれ、イリナ王女に目をつけられることは分かっていたから……」
そう話す殿下は、苦しそうな顔をしていました。
「だけど君がマナー教室の講師を休み、
その間僕がイリナ王女と一緒にいたら、
イリナ王女が僕の婚約者の筆頭候補だと周囲の者は認識するだろう。
それが嫌で、君にマナー教室を続けてもらったんだ」
殿下は思いつめた表情で深く息を吐きました。
「君に護衛をつければ大丈夫だと思っていた。
いくらイリナ王女が思慮が浅くても、他国の公爵令嬢に滅多なことはしないだろうと思っていた。
僕の考えが甘かった。
君を危険な目に合わせてしまった。
本当にすまないと思っている」
殿下が私の目を見てそう言いました。
私は体を起こし、殿下の額をぺろりと舐めました。
殿下は目を見開いて私を見ています。
人間の姿の時には、絶対にこんなことはできませんでした。
猫の姿になったことで、大胆になってるようです。
王弟殿下には、王弟としての責任があります。
イリナ王女は王妃殿下の客人としてこの国に滞在しています。
他国の王族である彼女を、蔑ろにはできません。
陛下や王妃殿下から、「イリナ王女に宮殿を案内するように」と命じられたら、断るのは難しいでしょう。
私も高位の貴族の令嬢として生まれたので、嫌な相手でも表面上は仲良くしなくてはならない辛さは分かります。
彼の立場を忘れて、イリナ王女が王弟殿下のことを名前で呼んでいたり、王弟殿下がイリナ王女と庭の散策をしているのを見て、二人の関係を誤解して落ち込んだ時もありました。
今日殿下とお話して、胸の奥でくすぶっていたもやもやした気持ちが解消されました。
殿下がイリナ王女を快く思っていないこともわかりました。
全ては、イリナ王女が勝手にしたこと。
殿下が、ご自分を責める必要などないのです。
「こんな僕を慰めてくれるの?
君は本当に優しいんだね」
そういった殿下の表情は、先ほどより穏やかに見えました。
悪いのは、私に猫になる薬を飲ませ、私を地下に閉じ込めようとしたイリナ王女です。
殿下は、ご自分を責める必要はありません。
早く人間の姿に戻って、その事を自分の口から伝えたいです。
「ごめんね、長話に付き合わせて。
今日は色々あって疲れただろう?
もう休もう。
必ず、君を元の姿に戻すからね」
殿下はそう言って私の頭を優しく撫でました。
あなたのその言葉を信じています。