65話「隠し部屋」
しばらくして、ゼアンさんが薬草を届けに来ました。
王弟殿下は薬草を受け取ると、ゼアンさんを下がらせました。
「少しだけ離れるけど心配しないで。
僕がいない間、誰もこの部屋には入れさせないから」
殿下は私をベッドの上に降ろしました。
「遅くなるかもしれないから、君は先に休んでいて」
殿下は優しい声でそう言うと、私の頭を撫でました。
彼は薬草を持って本棚に向かいました。
いくつかの本を押すと、隠し扉が出てきました。
私に見せてよかったのでしょうか?
隠し扉の存在は機密事項のはず。
殿下は一度振り返り、こちらに手を振ると、隠し扉を開けて奥の部屋に入って行きました。
扉を開けたとき薬品の香りがしたので、隠し部屋は殿下の秘密の研究所なのかもしれません。
扉の向こうから、カチャカチャというガラスが擦れるような音がしたので、試験管やビーカーなどを使っているのでしょう。
薬草の香りに混じって、甘い香りがしました。
王弟殿下は、何の薬を作っているのでしょうか?
私は、殿下がお仕事を終えるのをベッドで待っていました。
殿下が休むより先に、私が寝てしまうわけにはいきません。
ですが……瞼が重いです。
猫の姿で森の中を駆け回った疲れが、今頃出てきたのかもしれません。
庭を駆け回るなんて、子供の頃以来でしたから……。
私が睡魔と戦いながらうつらうつらとしていると……。
隠し部屋の扉が開き、殿下が出てきました。
殿下の姿を視認した私は「にゃー」と鳴きました。
「アリーゼ嬢、待っていてくれたの?」
彼は目を大きく開け、驚いた顔をしていました。
「先に、休んでも良かったんだよ」
殿下は目を細め、優しい声でそうおっしゃいました。
彼はベッドに腰を掛け、私の顎を撫でた殿下の手からは、甘い香りがしました。
この香り……どこかで嗅いだことがあるような?
「用事が終わったし、僕ももう休むよ」
殿下は夜着に着替える為に、一度ベッドから離れました。
私は彼の着替えを見ないように、目を閉じました。
目を閉じると睡魔が襲ってきました。
このまま眠ってしまいそうです。
「お待たせ、アリーゼ嬢はもう眠ってしまったかな?」
夜着に着替えた殿下が、ベッドに戻って来た時、私はまどろみの中にいました。
彼がベッドに入って来たので、一気に目が覚めました……!
今さらですが、私はどこで寝ればいいのでしょうか??
殿下と同じ部屋で寝るわけにはいきません……!
彼と同じベッドを使うなんて絶対にだめです……!
未婚の男女が同じ部屋で一晩過ごすなんて、は、破廉恥です……!
私は布団から這い出し、ベッドの周りをぐるぐると歩き回りました。
殿下はベッドから上半身を起こすと、私を捕まえて、自分の膝の上に乗せました。
「アリーゼ嬢、怪我をしているのだから動き回らないほうがいいよ」
殿下のシルクのパジャマは、するするしていました。
「君のことだから、
『この部屋で寝るわけにはいかない』とか、『同じベッドを使うわけにはいかない』と考えてるんだろう?」
殿下には、私の考えていることがお見通しのようです。
「イリナ王女の手の者はどこにいるかわからない。
だから、この部屋にいるのが一番安全なんだよ」
殿下のおっしゃりたいこともわかります。
わかるのですが……気持ちが追いついていかないのです。
「恥ずかしいことに、僕が思っていた以上に、この国の兵士と使用人は買収に弱いようだ。
僕が王太弟になったら、そういった輩を一掃するつもりだ」
イリナ王女に買収されたのは、王妃殿下付きの侍女と第四隊の兵士……。
私が知っているだけでもこれだけはいます。
私が把握していないだけで、イリナ王女に買収されている人はもっといるのかもしれません。
「六月とはいえ夜は冷える。
床やソファーで寝たら風邪を引いてしまう。
僕は、君をルミナリア公爵から預かっている。
君に風邪を引かせるわけにはいかない」
確かに夜になって、部屋の中が少し冷えてきました。
「それに、君は猫になったばかりだろう?
寝てる間に、君がネズミや虫に襲われたら困る。
僕が傍にいて守らないとね」
王弟殿下の部屋にネズミが出るとは思いません。ですが……絶対に出ないとも言い切れません。
ネズミって猫を襲うんでしょうか?
逆な気がするんですが?
でも大きなネズミが、子猫を襲うという話は聞いたことがあります。
私が寝ている間にネズミが近付いてきたら……そう思ったら恐怖で背筋が震えました。
殿下の傍にいるのが一番安全なようです。
私は尻尾を上げて、彼に自分の体をこすりつけました。
猫の習性なのか、体が勝手に動いてしまうのです。
こうやって、身も心も猫化していくのでしょうか?
「君は……! 猫になった仕草も愛らしい……!」
殿下は、頬を染め口元を手で押さえていました。
尻尾を上げて体を擦り付けるなど、はしたない行為でした!
違うんです! これは猫の性なんです!
言い訳したいのですが「にゃー、にゃー」という鳴き声しか出せませんでした。
「君が今何を言いたいのか、なんとなくわかるよ。
君は、今の行為を『淑女としてはしたない』って思ってるんだろう?」
殿下に私の言いたいことが伝わって、少しだけほっとしました。
「僕は、先ほどのような仕草も、とても可愛らしいと思ったけどね」
殿下はそう言って目を細めました。
猫になってから、彼との距離が近くなった気がします。
身体的な距離も、心の距離も。
彼に会えない期間、ずっともやもやしていたのが嘘みたいです。
人間でいた時より、心が通じ合っている気がします。
「今夜は一緒に寝よう。
ただ眠るだけだから安心して」
王弟殿下は横になると、私の体に毛布をかけてくれました。
私は頭だけ毛布から出しました。
ここが安全だから寝るのであって、深い意味はありません……そう言い訳しながら、私は毛布の温かさを堪能しました。
なぜだかとても、落ち着きます。
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