61話「王弟殿下の宝物と悶絶するアリーゼ」
パチパチと薪の燃える音……消毒液の匂い……誰かが優しく背中を撫でる感触……。
目を開けると、そこは見知らぬ部屋でした。
天井から豪華なシャンデリアが吊るされ、洗練された家具がセンスよく配置されています。
高貴な人の部屋のようです。
壁紙や絨毯の色がセルリアンブルーなので、男性の部屋かもしれません。
顔を上げると、王弟殿下と目が合いました。
彼は慈しみの籠もった目で私を見つめています。
どうやら私は、彼の膝の上にいるようです。
「にゃー! にゃー!」
「距離が近すぎます」と言ったつもりが、「にゃー」としか発音されませんでした。
そうでした! 私はイリナ王女に薬を飲まされ、猫の姿にされたのです!
ふわふわした感触がすると思ったら、自分の尻尾でした。
はぁ〜〜本当に猫になってしまったのですね……。
これからどうしましょう?
取り敢えず、殿下に背中を撫でるのをやめさせましょう。
羞恥心でどうにかなってしまいそうです。
私は彼から離れようと、足をばたつかせました。
「目が覚めたみたいだね?
暴れないで、傷口が開いてしまうよ」
右の後ろ足を見ると、包帯が巻かれていました。
「幸い怪我はそれほど深くなかった。
手当てをしたから、直に歩けるようになるはずだ」
王弟殿下は穏やかな口調でそうおっしゃり、優しく微笑みました。
「ありがとうございます」と言いたかったのですが、口からは「にゃー」と高い声が出てきただけでした。
「今のは、お礼を言ってくれたのかな?
どういたしまして」
殿下は嬉しそうに笑いました。
「にゃー」しか言えなくても、殿下には気持ちが伝わったようです。
「みんなに追いかけ回されて、怖かっただろう?
君が目を覚ましたら、警戒されるかもしれないと不安だったんだ。
でも、僕が敵ではないとわかってくれて嬉しいよ」
殿下はそう言って柔和に微笑みました。
不思議です。
彼の傍にいると落ち着きます。
私は彼の手に自分の頭をこすりつけました。
「甘えてくれてるの?
嬉しいな」
殿下の柔らかな声が心地よいです。
身の安全は確保できました。
あとは、私がアリーゼだと殿下に伝えるだけです。
「君は銀色の髪とセルリアンブルーの瞳をしているんだね。
君を見てるとアリーゼ嬢を思い出すよ。
彼女も君と同じ髪と瞳の色をしているんだ」
彼はそう言って、愛しいものを見つめるように目を細めました。
自分の名前が出て、心臓がドキッとしました。
殿下なら、私の正体に気づいてくれるかもしれません。
でもどうやって伝えましょう?
猫の姿では喋れません。
言葉を喋れないと言うのは、思っているよりもハンデが大きいです。
ジェスチャーで伝わるでしょうか?
流石にそれは難しいですよね。
猫の手でも文字が書けると良いのですが……。
その時、机にある本が目に入りました。
そうです!
本を開いてもらって単語を指させばいいのです!
それなら、言葉が喋れなくても意思を伝えることはできます。
「にゃー、にゃー」
私は「本を取って」と伝えたくて、机を指さしました。
「君も気になる?
このミサンガはね、アリーゼ嬢が作ってくれたんだよ」
殿下は自分の腕に巻かれたミサンガを、反対の手で大事そうに包み込みました。
全然、伝わっていません。
文字を指させば正体を明かせると思ってましたが、そもそも本を開いてもらうのも難易度が高そうです。
「アリーゼ嬢はね、とっても器用なんだ。
このミサンガも、初めて作ったとは思えないくらい綺麗に出来てるだろ?」
殿下はミサンガを見つめながら、ニコニコしながら話しています。
彼が、ミサンガをこんなに気に入ってくれるとは思いませんでした。
……自分のいないところで、自分の作品をべた褒めされるというのは、こそばゆい気持ちになります。
「アリーゼ嬢は、ミサンガだけでなく刺繍も得意なんだよ。
マナーも完璧だし、歴史や地理や天文学や算術や幾何学にも通じている。
彼女は我が国始まって以来の才女だよ」
私の話をするとき、殿下は嬉しそうでした。
そんなに褒められると気恥ずかしい気持ちになります。
彼の話を止めないと、元の姿に戻ったとき、殿下のお顔を直視できなくなってしまいます。
「アリーゼ嬢からもらった刺繍入りのハンカチがあるんだ。
額にしまって大切に保管してあるんだけど、君にも見せてあげようかな」
殿下は、私が作った刺繍入りのハンカチを額に入れてしまっていたのですね。
思いがけず殿下の秘密を聞いてしまいました。
一刻も早く殿下に私の正体を伝えないと……!
色々と秘密を知ったあとでは、正体を明かすタイミングを失ってしまいます……!
殿下は机の引き出しから、額に入ったハンカチを取り出しました。
「これがアリーゼ嬢から贈られた刺繍入りのハンカチだよ。見事な物だろ」
にこやかな笑みを浮かべながら、額に入れられたハンカチを見せてくれました。
殿下は本当に、私の贈ったハンカチを額に入れて保管していたのですね。
「壁に飾って置きたいんだけど、そうすると日に焼けて刺繍糸の色が飛んでしまうだろう?
だからこうやって机の引き出しにしまっているんだよ」
壁に飾られなくて良かったとホッとしています。
王宮には目の肥えた方が大勢おります。
プロの職人が作った、芸術性の高い刺繍を目にしている方もいます。
そのような方々の目に、私の作った稚拙な刺繍が触れるなど、耐えられません。
「君には特別に僕の宝物を見せてあげるよ」
王弟殿下は机の引き出しから、木製の小箱を取り出しました。
美しい彫刻が施された高級そうな箱でした。
「これはアリーゼ嬢からお菓子をもらった時、包み紙についていたリボン。
こっちは彼女と庭園を散策した時に、彼女が『綺麗』と言って触れた花を押し花にしたもの。
それからこれは……」
殿下はほくほく顔で箱を開け、中から物を取り出しました。
箱に入っていたのは、私に関連するものばかりでした。
このままだと、羞恥心で心臓が止まってしまいます……!
「こんなこと、なかなか人には話せなくてね。
唯一、僕の気持ちを知っているゼアンに話すと、『またですか……』と言って顔をしかめるんだよ。
僕は宝物を自慢しながら、アリーゼ嬢とのエピソードを語りたいのに」
王弟殿下が悔しそうに眉を下げ、ため息をつきました。
ゼアンさんも苦労なさっているのですね。
彼が苦労している遠因は私にあるので、人間の姿に戻れたら、ゼアンさんにお詫びをしようと思います。
それにしても……。
王弟殿下は、優雅で落ち着いていて、大人の魅力に溢れている方だと思っていましたが、このようにお茶目な一面もあるのですね。
殿下が内面をさらけ出してくれたのは、私が猫だと思っているからです。
正体を隠したまま、これ以上彼の本心を聞くことはできません。
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