60話「猫になったアリーゼは逃走中!」
「ハァハァハァハァ……」
どれだけ森の中を逃げ回ったでしょう……?
かなり森の奥まで来たと思います。
あちこち走り回ったので、自分が今どこにいるのかわかりません。
見上げると、空は薄暗くなり、日が西の空に傾いていました。
ガラスの破片で切った足が、じくじくと痛みます。
早めに手当てをしないと、歩けなくなるかもしれません。
私は茂みの中に入り、少し休憩することにしました。
「おい、いたか!?」
「いえ、こっちはいません!」
「銀色の髪に青い目の猫なんてそうそういない!
王女殿下を傷つけて逃げてる猫だ!
捕まえればたんまりと報酬がもらえる!
草の根をかき分けても探し出せ!!」
私が隠れている茂みの横を、兵士が通り過ぎていきました。
私の捜索はイリナ王女の侍女だけでなく、この国の兵士も加わっているようです。
王妃殿下や国王陛下が、兵士を動かす許可を出したのでしょうか?
それとも、王妃殿下の侍女のように、彼らもイリナ王女に買収されたのでしょうか?
どちらにしても、今は下手に動くべきではありません。
動くなら日が暮れてから、闇にまぎれた方がよさそうです。
……というより足が痛くて動けそうにありません。
私を探す兵士の数が多いのは、私が逃げる時に、イリナ王女の顔を引っ掻いたからでしょう。
彼女を本気で怒らせてしまったようです。
あの時はああするしかないと思いましたが、もっと上手い逃げ方があったのかもしれません。
怪我をした足が熱を持ってきました。
夜になっても動けるかどうか……。
弱気になってはダメです……!
なんとかしてお父様の馬車に潜り込んで、屋敷に帰らなくては……!
その時、兵士の足音が近付いてきました。
私は茂みの中で身を縮こまらせました。
「おいどうした?」
兵士の一人が茂みの傍で足を止めました。
「今さっき、そこの茂みで銀色のしっぽが見えたような気が……?」
私の尻尾が茂みの外に出ていたようです。
体だけが隠しても尻尾が外に出てるなんて間抜けです。
まだこの体に慣れてないとはいえ、なんたる失態。
ここにいては兵士に見つかってしまいます。
逃げなくては……!
私は痛みをこらえ、なんとか立ち上がりました。
兵士が茂みを覗いたタイミングで駆け出しましょう。
彼らの不意をついて逃げられるはずです。
兵士が腰をかがめ、槍の先を茂みに向けました。
今です!
私は最後の力を振り絞り、兵士の足元をすり抜けそのまま走り続けました。
「いたぞ! 銀色の猫だ!」
「そっちに行ったぞ!」
兵士が叫び声を上げます。
私は痛む足を引きずりながら、必死に走りました。
兵士が私を追いかけてきます。
普段から訓練しているだけあって、兵士は足が速いです。
怪我をした足では逃げ切れそうもありません。
私は小さな茂みを突っ切りました。
茂みを抜けたとき突如障害物が現れ、私は衝突してしまいました。
よく見ると、それは人の足でした。
兵士から逃げてる最中に、別の兵士の足にぶつかるなんて最悪です。
もう、走る力もありません。
今回こそ終わりました……。
「大丈夫、心配いらないよ。
君はそこの茂みに隠れているといい」
聞き覚えのある優しい声が頭上から響きました。
彼の声には、不思議と人を安心させる効果がありました。
私は彼の言われた通り、先ほど通り抜けたのとは別の茂みの中に隠れました。
「猫ちゃん出ておいで〜〜! 怖くないよ〜〜!」
「おい俺が先に見つけたんだぞ! 抜け駆けするな!」
二人の兵士が先ほど私が突き抜けた茂みをかき分けて、やってきました。
「随分楽しそうだね。
君たちは誰の命令で動いてるのかな?
それとも、ここが君たちの持ち場なのかな?」
その人は冷徹な声で兵士に問いかけました。
「お、王弟殿下……!」
「なぜこちらに……!」
森の中に王弟殿下がいたことに、兵士たちは驚いています。
私を助けてくれた人は、王弟殿下でした。
私の位置からは顔は見えませんでしたが、彼の声を聞き間違えるわけがありません。
彼の指示だったので、私は安心して茂みの中に隠れることができたのです。
「それはこちらのセリフだよ。
第四隊のボニー二等兵と、ジェファ二等兵」
「…………っ!」
王弟殿下が一般の兵士の所属と名前まで覚えていたことに、兵士たちは驚いてるようです。
「君たちの隊はこの時間、訓練場で剣術の訓練を受けているはずだよね?
君達はなぜ、訓練をサボってこんなところにいるのかな?」
「そ、それは……」
王弟殿下に尋ねられ兵士の声は震えていました。
「イリナ王女付きの侍女が、猫を探してほしいと頼みに来たのです。
その猫はイリナ王女に怪我をさせて逃げているそうです……」
「猫を捕まえたらご褒美をもらえるというので、それで……」
兵士は弱々しい声でそう答えました。
「なるほど、それは国王陛下や王妃殿下の許可を得ての依頼だったのかな?」
王弟殿下の言葉は、酷く冷たいものでした。
「いえ、そのようなことは伺っておりません……」
兵士の足は震えていました。
「だとすると、他国の王女付きの侍女が、勝手に我が国の兵士を動かしたことになる。
侍女ごときに、そのような権限があるとは知らなかったな」
殿下は鋭い口調でそう言いました。
「イリナ王女が、サルガル王国から猫を連れてきたという報告を受けていない。
ということは、彼女が探している猫はグレイシア王国の猫ということになる。
猫はネズミから穀物を守るという大切な役割を担っている。
君たちはその功労者を、金品と引き換えに他国に売り渡そうとしているわけだ?」
「そ、そういうわけでは……!」
兵士の体はガタガタ震えていました。
「こんな馬鹿げた捜索は今すぐやめ、訓練に戻れ!
訓練をサボり勝手な行動をしたことは隊長に報告しておく!
追って君たちには厳しい罰を下す!」
王弟殿下は凛とした声でそう伝えました。
「俺達はただ……。
イリナ王女付きの侍女から、イリナ王女が王弟殿下と結婚なさると聞いて……!
イリナ王女は将来俺達の上に立つと言われ、それで従っただけなんです……!」
兵士の一人が己の保身の為にそう言い訳しました。
その瞬間、その場の空気がピリリと凍りつきました。
私には殿下の足しか見えませんが、彼が怒っているのが伝わってきます。
「それは、我が国の国王から正式に発表された情報かな?」
「そ、そうではありませんが……」
「では君は、侍女ごときが言った情報を疑いもせずに信じ、間違った情報を拡散させたというわけだ……?」
殿下は冷酷な声でそう言いました。
「も、申し訳ございません!」
「第四隊のボニー二等兵、君は国王陛下により任じられた隊長の命に背き訓練をサボり、
異国の王女に買収され、
我が国の穀物を守る大事な猫を追いかけ回し、
その上、王族の結婚についてありもしない噂を流した!
君には謹慎を命じる!
今すぐ部屋に戻れ!
追って、重い罰を下す!」
「はい、王弟殿下!
申し訳ありませんでした!」
謹慎を申し付けられた兵士は、力ない足取りでその場を去って行きました。
「ジェファ二等兵、君はこの馬鹿げた捜索をやめるように、捜索に当たってる全ての兵士に伝えよ!
これは王弟命令だ!」
「しょ、承知いたしました! 王弟殿下……!」
命令を受けた兵士は、走ってその場を去っていきました。
兵士がいなくなり、私はようやく息をつくことができました。
「兵士はもういないよ。
大丈夫だから出ておいで」
王弟殿下は地面に膝をつき、私が隠れている茂みに向かって呼びかけました。
私は痛む足を引きずり、よたよたと茂みの外に出ました。
「怖い目にあったね。
僕が保護するから、もう心配はいらないよ」
王弟殿下は私の体を優しく抱き上げました。
彼の体温に触れ、やっと生きてる心地がしました。
怖かった……!
凄く怖かったです……!
「足を怪我してるね。
すぐに手当てをしよう」
私を見つめる優しい眼差し、彼の手の温もり……。
先ほどまで不安と恐怖でいっぱいだった心が、落ち着きを取り戻していきます。
安堵したことで緊張の糸が途切れ……私はそこで意識を失いました。