55話「アリーゼの決意」
――一方その頃、王宮のとある部屋――
――マナー教室――
イリナ王女が来国されてからも、マナー教室は開かれています。
王弟殿下がイリナ王女と結婚するなら、私はここに来ない方が良いのかもしれません。
殿下の周りを未婚の令嬢がうろついては、周囲にあらぬ誤解を与えてしまいますから。
正直、登城するのは辛いです。
マナー教室の講師を辞めて、領地に引きこもってしまいたい……そんな気持ちになることもあります。
王宮にいると、イリナ王女と王弟殿下が一緒にいるところを目撃してしまいそうで、怖いから。
二人が一緒にいるところを見ると、胸を抉られるような痛みに襲われます。
ですが同時に、殿下の少しでも近くにいたいという気持ちもあります。
王弟殿下が私に向ける感情が同情であっても、今はそれにすがっていたいのです。
私はべナット様に婚約破棄されて、お父様に戦力外通告されたことで、自分でも思っていた以上に疲れていました。
そんなとき、ありのままの自分を受け入れてくれる王弟殿下に再会した。
私のこの思いはただの甘えなのでしょうか?
年上のお兄さんのような存在の殿下に、可愛がられたいだけ?
それとも、子供のように誰かに甘えて癒されたいだけ?
あるいは、もっと別の何かが……?
「アリーゼ様……!
そのような縫い方では手を怪我してしまいますよ……!」
「えっ……?」
気がつくと私は、図案にないものを縫っていました。
ハンカチには、判別不明な何かが刺繍されています。
これを……私が刺繍したのでしょうか?
針を動かしていたような気がするのですが……何を刺繍していたのか思い出せません。
「大変、縫い直さなくては……!」
私は刺繍糸を切ろうとして、ハンカチまでざっくりと切ってしまいました。
「アリーゼ様、今すぐハサミを置いてください!
ハンカチだけでなく手まで切るおつもりですか!」
クララ様が、真っ青なお顔でそう忠告してくださいました。
「刺繍はやめにしましょう。
今日のアリーゼ様は、危なっかしくて見ていられませんわ」
そう言って、マルガレーテ様が大きく息を吐きました。
皆に心配をかけてしまったようです。
刺繍のレッスンは取りやめとなりました。
「アリーゼ様はじっとしていてください! 私が道具をしまいます!」
クララ様が、私の代わりに道具をしまってくださいました。
私がハサミや糸に触れると、危険だと認識されたようです。
クララ様の手により、裁縫道具は箱の中に綺麗に収納されました。
「今日は、皆で詩を作りましょう、
針もハサミを使わないから、危なくないわ」
「マルガレーテ様の意見に賛成ですわ」
「私も異論はございませんわ」
マルガレーテ様の提案で、刺繍のレッスンは、詩のレッスンに変更になりました。
「みんなでいくつか言葉を出し合って、それを元に詩を作りましょう」
マルガレーテ様がそう提案しました。
「ではまずは私から、情熱、真紅の薔薇、優雅。次はクララ様」
マルガレーテ様が三つの言葉を出しました。
「そうですわね、私は思いやり、夢、虹。
次はエミリア様の番ですわ」
クララ様がそれに続きます。
「私は、年下、ときめき、剣術大会。
それでは次はアリーゼ様」
エミリア様に振られました。
「私は……混乱、すれ違い、勘違い、絶望、無気力……」
私が言葉を発すると、重い空気が漂いました。
「う、詩を作るのはやめましょう!
今日は静かに本を読みましょう!
それがいいわ!」
マルガレーテが、手をパンと叩き、読書の提案をしました。
部屋には小さな本棚があり、絵本から小説まで取り揃えられていました。
「アリーゼ様は想像以上に疲れているようですわ。
私達で何か本を見繕ってあげましょう」
「頭を使わない本がいいと思いますわ。
推理小説や、歴史小説は外しましょう」
「寝取られ系や、浮気男が出てくる恋愛小説も避けましょう!」
「絵本なんていかがかしら?」
「あら、いいわね! それにしましょう」
マルガレーテ様とクララ様とエミリア様が、本棚の前で話しています。
「アリーゼ様、この絵本なんかいかがかしら?」
「挿絵が可愛いですよ」
「色使いもフェミニンで、元気が出ますわ」
マルガレーテ様、クララ様、エミリア様が、一冊の絵本を私の前に置きました。
メルヘンチックな絵が描かれた、可愛らしいイラストの絵本でした。
「ありがとうございます」
私は絵本のページをめくりました。
内容はごくありふれたものでした。
王子様が艱難辛苦を乗り越えてお姫様と結婚するというもの。
「王子様のお相手は……やはり可愛らしいお姫様なのかしら?」
絵本の最後のページには、王子様と仲良く手を繋ぐお姫様の姿が描かれていました。
お姫様は桃色の愛らしいドレスを纏っていました。
「絵本には……地味な公爵令嬢など出てこないのですね」
私は、絵本を閉じ深く息を吐きました。
「ちょっと……、誰ですの? この絵本を選んだのは?」
「皆でこれがいいと決めたではありませんか?」
「イラストの美しさに惹かれましたが、内容までは把握していませんでしたわ」
三人がひそひそと話しています。
「あの……皆さんありがとうございます。
気を遣わせてしまって申し訳ありません。
私は大丈夫ですから」
私は皆を安心させたくて微笑みを浮かべましたが、上手く笑えていたでしょうか?
「読書はやめておしゃれの話をするのはいかがでしょうか?」
クララ様が提案しました。
「良いですね。
流行を取り入れ商売に活かすのもよし、自分の手で新しい流行を作り出し利益を得るのもよし!
流行を知ることも、実家の利益に繋がりますわ!」
マルガレーテ様がクララ様の意見に賛同しました。
「ではまずは私から。
アリーゼ様が髪に付けている紫のリボンは素敵ですわね。
以前よく身に着けられていたアメジストの付いた銀細工のバレッタもよくお似合いでしたが、紫のリボンも上品ですわ。
イメージチェンジした理由をお伺いしてもよろしいかしら?」
エミリア様が私のリボンを見て言いました。
「このリボンは……」
髪飾りを無くした翌日、ロザリンが私の頭にこのリボンを結んでくれました。
『王弟殿下からのプレゼントの包に付いていたリボンです。
綺麗だから取っておいたのですが、公爵家の令嬢であるお嬢様には、質素過ぎたでしょうか?』
ロザリンは申し訳無さそうに言いました。
私は、このリボンが気に入ったので毎日結んでもらっています。
王弟殿下を近くに感じることができるから。
「とても大切な方からの贈り物の一つです」
そう……私に取って、王弟殿下はかけがえのないお方。
「エミリア様、アリーゼ様の髪飾りのことを聞くのはタブーですわよ!」
「そうですよ!
アリーゼ様が元気が無くなったのは、銀細工の髪飾りを着けてこなくなってからですのよ!」
エミリア様は、マルガレーテ様とクララ様に責められていました。
「えーー!? そうだったんですか?」
「まったく、エミリア様は何を見ていらっしゃるの?」
「傷口を抉ってどうするのですか?」
皆さんが、私を元気付けようとしているのが伝わってきます。
屋敷では、ロザリンも私を元気づけようとしてくれました。
私は……卒業パーティで婚約破棄された時は一人でした。
今はたくさんの仲間がいます。
彼女達の為にも、いつまでも落ち込んではいられません。
「マルガレーテ様、クララ様、エミリア様。
私を励まそうとしてくれたのですね。
皆様のお気持ちを嬉しく思います。
心からお礼を申し上げます」
彼女達に励まされて、少し元気が出ました。
今度は自然な笑顔を作れたと思います。
「私達がアリーゼ様を励まそうとしていたことに、気が付いていましたのね?」
マルガレーテ様が恥ずかしそうに言いました。
「はい、とてもわかりやすかったですから」
王弟殿下のことを考えるとドキドキする、この気持ちの名前はまだわかりません。
イリナ王女と殿下が一緒にいるところを見ると、苦しくなる理由もわかりません。
でも、私には傍にいてくれる人がいます。
イリナ王女と王弟殿下を避けているだけでは、何も解決しません。
二人に向き合うのは辛いし、苦しいです。
今より傷つくかもしれません。
でも、これ以上逃げるのは嫌です。
勇気を出してこの気持ちと向き合ってみようと思います。
私はまだ、二人の関係を正確には把握していません。
イリナ王女の侍女から聞いた話を、確認も取らずに信じてしまっただけ。
彼女達が話していたことが、真実かどうかもわかりません。
まずは、それを確認することから始めようと思います。
領地に引きこもるのは、それからでも遅くはないはずです。
私はもう、イリナ王女からも、王弟殿下からも逃げません。
王弟殿下に、今の気持ちをぶつけたら、胸の痛みの正体がわかるかもしれません。
この気持ちの正体を知るのは怖いです。怖いけど、逃げたくはありません。
気持ちを受け入れ、現実に立ち向かってみようと思います。
読んで下さりありがとうございます。
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