43話「二人きりの時は」
「お、お戯れはおやめください……!」
本気にしてしまいます。
殿下を直視できず、顔を逸しました。
「戯れではないよ」
殿下は左の手で私の手を握り、右の手で私の頬に触れました。
頬に手を触れられると、私は彼から瞳をそらすことができなくなってしまいます。
殿下は、私の目を真っ直ぐに見つめていました。
彼に紫水晶の瞳で直視され、私の心臓は早鐘のように鳴っています。
「殿下……」
「ラファエル、二人きりの時はそう呼んでほしい」
殿下が優しい笑顔で、そうおっしゃいました。
「婚約者でもない私が、殿下のお名前をお呼びするわけには……」
「この前は、名前を呼んでくれたよ?」
「それは……!
街で『殿下』とお呼びすると目立つからで……。
殿下の身に危険が及ぶことを避ける為にしたことで……」
あの時の状態が、今考えると普通ではなかったのです。
「僕は、君に名前で呼んでもらえてとても嬉しかったんだけどな」
殿下が私に顔を近づけ、そう囁きました。
きょ、距離が近いです……!
それ以上近づかれたら、心臓が爆発してしまいます!
「アリーゼ嬢、お願いだ。
もう一度『ラファエル』と、僕のことを名前で呼んでくれないか?」
王弟殿下が眉を下げ、悲しげな表情でそう尋ねてきました。
そんな顔をされると、罪悪感で胸が締め付けられてしまいます。
「……エル様。
ラファエル様」
私はなんとか声を絞り出しました。
「名前を呼んでくれてありがとう。
とっても嬉しいよ」
殿下が、満面の笑みを浮かべました。
「あの、お名前をお呼びしましたので、手を離して頂けませんか?」
彼に手を握られ、頬に手を触れられたままでは、心臓が壊れてしまいます!
「これからも、二人きりの時は名前で呼んでほしい」
「それは……」
婚約者でもない私が、殿下を名前で呼び続けるわけには……!
「だめ……かな?」
殿下が捨てられた仔犬のような目で私を見つめてきます。
そういう表情をするのは反則です!
「だめ……という訳では……」
「じゃあ決まり。
これからは二人きりの時は、僕のことを名前で呼んでね」
殿下はにっこりと微笑みました。
彼のペースに流されています。
「そ、それよりも手を……」
彼にずっと手を握られたままです。
「そうだったね。
ごめんね」
殿下は名残りおしそうに、握っていた手を離し、頬から手を離しました。
私の手と頬には、まだ彼の体温が残っています。
彼に、髪や手の甲にキスされたことを思い出してしまいました。
私は気持ちを鎮める為に、お茶を一口飲みました。
今日はまだ殿下にいくつかお伝えすることがあるのに……!
ペースを崩されたままです!
私は何度か深呼吸したあと、彼の顔を見ました。
殿下は朗らかに微笑んでいました。
彼はお顔が整っているので、見ているだけで、心臓がドキドキしてしまいます。
今日の目的は、お礼の品を渡すことと、殿下が欲しい物を聞き出すことと、マナー教室の講師を引き受けるとお伝えすること。
一つずつ、こなしていかなくては……!
「殿下……ラファエル様」
やはり……王宮で彼の名前を呼ぶことには抵抗があります。
先日、彼の名前を自然に呼べたのは、街の散策という、いつもとは違う状況だったからです。
「先日のお礼にハンカチに刺繍を施しました。
受け取っていただけますか?」
私は、木製の取っ手のついたバスケットからシルクのハンカチを取り出しました。
本当は、もう一つプレゼントを用意したのですが……。
王宮のパティシエが作った華やかなお菓子を目にしたら、とても渡す気にはなれません。
ケーキスタンドには、絞り出しクッキー、マーブルスティックチーズケーキ、苺のショートケーキ、ロールケーキ、スフレチーズケーキ、シュークリーム、マフィンなどが並んでいます。
王宮のパティシエが作ったお菓子は、どれも色も形も美しく、見てるだけでため息が出ます。
そのようなお菓子を前にしたら……私の手作りのお菓子などとても渡せません。
「アリーゼ嬢が僕の為に刺繍をしてくれたの?
ありがとう!
凄く嬉しいよ!
家宝にするね!!」
彼はハンカチを手に満面の笑みを浮かべました。
殿下に喜んでいただけたことに、私は胸をなで下ろしました。
刺繍の腕には自信があります。
ですが、それはあくまでも素人にしては上手い程度。
殿下の周りには、その道を極めた職人が大勢いるのです。
幼少期からそれらに触れ、目が肥えている彼には、刺繍入りのハンカチを渡すだけでも緊張します。
「先ほどちらっと見えたんだけど、そのバスケットの中に、他にも何か入っているよね?」
「えっと……これは!」
殿下に見られていたとは思いませんでした!
私は、バスケットを咄嗟に後ろに隠しました。
「聞いてもいい?
それは誰かへの贈り物なのかな?」
殿下は、バスケットの中身が気になるようです。
「ルミナリア公爵への贈り物かな?」
「そういう訳では……」
正直に話してしまい、しまったと思いました。
お父様への贈り物ということにして、持ち帰るのが正しい選択だったかもしれません!
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