22話「サルガル王国への留学」王弟視点
――王弟ラファエル視点
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僕が十八歳、アリーゼとベナットが十歳の時に事件は起きた。
季節は春だったが、風が冷たく、冬に逆戻りしたのではないかと思えるほど寒い日だった。
その日は、べナットとアリーゼ嬢のお茶会の日だった。
僕は、なんとなく気になって様子を見に出かけた。
アリーゼ嬢は、凍えるような寒さの中、ガゼボで二時間も待機されていた。
当時ベナット付きだった侍女は、ベナットが来るまで、アリーゼに帰ることも、お茶を飲むことも、お菓子を食べることも許さなかった。
自分たちだけ厚手のコートを羽織り、アリーゼ嬢には薄着をさせていた。
侍女達はベナットの指示で動いていたのだろう
べナットは自分の母親が子爵家出身なことにコンプレックスを抱き、血筋の良いアリーゼ嬢に嫉妬していた。
僕は、寒空の下で震えているアリーゼ嬢を放っておけなかった。
すぐさま彼女の元に駆け寄り、侍女を怒鳴りつけた。
僕は震えている彼女を温室に連れて行き、暖かいお茶とお菓子を出した。
暖かいお茶を飲んで、ほっとしたように顔をほころばせた。その時の彼女の笑顔は今でも覚えている。
アリーゼ嬢のあどけない笑顔を見て、普段は凛としていても、中身はまだ十歳の子供なんだと思った。
彼女のことを守ってあげたいと、強く思った。
僕は、国王と王妃にお茶会での出来事を報告した。
お茶会での、アリーゼ嬢の待遇の改善を求めた。
それからは、ベナットとアリーゼ嬢のお茶会の時間は一時間と決められた。
三十分経過しても、べナットがお茶会の会場に来なかった場合、アリーゼ嬢は帰っていいことになった。
もちろんべナットを待ってる間、アリーゼ嬢はお茶もお菓子も自由に食べていいことになった。
お茶会の場所も室内に限定した。
ベナットは、お茶会のルールを決められ憤慨していた。
アリーゼ嬢の出自に嫉妬していた彼は、お茶会の時にアリーゼ嬢を散々待たせ酷い待遇をすることで、日頃の鬱憤を晴らしていたのだ。
べナットは、僕がお茶会でのアリーゼ嬢の待遇を、国王と王妃に報告したことについても憤っていた。
彼は、優秀な僕と比べられる度にへそを曲げていた。
その怒りが、今度の事で爆発したらしい。
べナットは、国王に「叔父上と比べられる人生は嫌だ! 叔父上をどこか遠くにやってください!」とわがままを言った。
ベナットに甘い国王は、彼に泣きつかれ、彼の願いを叶えた。
国王は始め、海を跨いだ遥か遠方の国に僕を送ろうとしていた。
留学先を聞いた時、べナットだけではなく国王も、僕の存在が邪魔だったのだと痛感した。
それを止めたのが王妃殿下だった。
王妃殿下が「そんなに遠方にラファエルを送るのは可哀想です。私の祖国であるサルガルに送りましょう。サルガルには王立学園の魔法研究所があります。勉強熱心なラファエルなら、きっと楽しく暮らせますわ」と言って、国王を説得してくれたのだ。
名前も聞いたことのない遠方の国に送られずにすんで、僕はホッとしていた。
王妃殿下にはこの時の恩がある。
いつか彼女に、この時の恩を返したい。
留学するに当たり、心残りなのはアリーゼ嬢のことだった。
べナットと上手くやれるといいが、彼の性格では難しいかもしれない。
何よりも、アリーゼ嬢に会えなくなることが寂しかった。
彼女は甥の婚約者で、八つも年下なのに……可愛らしい、愛しい、傍に置きたい……そう思ってしまった。
べナットを生かすと決めた時、僕は王弟として何も望まない人生を送ることを選択した。
王位継承者が不安定な状況で、王弟である僕が結婚したら、状況がもっと悪化する。
僕に子供ができたら、王位継承権を巡る争いがさらに複雑化してしまう。
べナットとアリーゼ嬢の間に子供ができて、その子が立太孫するまで、僕は結婚できない。
好きな人ができても、その人に思いを伝えることもできない。
自分で選んだ道だが、時おりやるせない気分になる。
◇◇◇◇◇
複雑な思いを抱え、僕は隣国サルガルへと渡った。
隣国での生活は思いのほか快適だった。
僕が留学した場所は、サルガル王立学園の魔法研究所だ。
魔法研究所は、サルガル王立学園の卒業生が多く使う場所で、ほとんどの生徒は家を継がない次男や三男だった。
一応学園ということにはなっているが、魔法好きが集まり、それぞれが好きに研究をしている場所だった。
優秀なものは、サルガル魔導士団からスカウトされる。
自分で魔導士団の入団試験を受けて、そちらに移動していく者もいた。
サルガル魔導師団は、王族直属の魔法のスペシャリストが集まる場所だ。
僕も、そこから何度もスカウトされたが、その度に断っていた。
僕がスカウトを断った理由は二つ。
一つ目は、グレイシアの王族である僕が、サルガル王族直属の魔導士団に所属することはよくないと考えたからだ。
グレイシア王族である僕を、サルガル王国に取り込もうとする人間が必ず出てくる。
そうなると面倒だからスカウトを断っていた。
二つ目は、サルガル国王の長女イリナ王女の存在だ。
彼女はアリーゼ嬢と同い年だ。
サルガルの国王の子供は三人。息子が二人と娘が一人。
イリナ王女はきょうだいの中でただ一人の女の子ということもあり、国王からも、王妃からも、二人の兄からも、甘やかされて育った。
そのため、手のつけられないわがまま娘になっていた。
僕は、なぜかイリナ王女に気に入られてしまった。
サルガル国王に呼ばれ城に行ってみたら……イリナ王女とのお茶会だったということもあった。
イリナ王女は、香水の匂いがきついので、傍に寄られると香水臭くてかなわなかった。
彼女が話すことといえば、演劇のことや、流行りのドレスや、お菓子のことばかり。
政治や、経済や、天文学や、哲学や、文学作品の話などは全く出てこなかった。
カーテシーも満足に出来ないし、ケーキの食べ方も品がない。
イリナ王女からは知性も、気品も感じられなかった。
彼女とのお茶会の時間は、とても苦痛だった。
これがアリーゼ嬢だったら……。
アリーゼ嬢は、十歳の時には三か国語をマスターしていた。国内の地理や歴史に詳しかった。
世界各国の文学作品にも精通していた。星座にまつわる神話にも詳しかった。哲学者たちの思想についても深い理解を示していた。
それにアリーゼ嬢は、十歳の時には美しいカーテシーを身につけていたし、お茶会での振る舞いも完璧だった。
イリナ王女がアリーゼ嬢と同い年だということもあって、ついイリナ王女とアリーゼ嬢を比べてしまう。
サルガル魔導師団に入団すれば、イリナ王女専属の護衛にさせられるのが、目に見えている。
彼女と四六時中一緒にいるなんてごめんだ。
だから僕は、魔導師団への入団の話をのらりくらりと躱していた。