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父さんと呼べる人がいなかった

掲載日:2022/05/21




私の父は私が3歳になる前に亡くなった


だいぶん大きくなってから聞いたのは


冬の寒い夜に川に落ちて気を失い

そのまま亡くなったと…


「たぶん凍死だろう」という

 適当な母の言葉だった


たしかに12月13日の事だから

随分と寒かっただろうに


昔は事件性はないと簡単に

判断されていたんだろう


現在はその川は上を塞がれ

見えなくなっているが


しばらくは見えていた

川といっても膝下ぐらいの水深で

雨が降らなきゃせせらぎ程度


ごつごつとした石は多かった



川岸は結構高かったので


はまったというより落下したという

表現が正解だと思う


転落で頭とかを強く打ち気絶して寒さで凍死


これが私の答えだった




だだ、

かなり泥酔状態だったらしいから


さぞかし、楽に死ねたのではないかと……


自ら落ちたのか、そうでないのかは

今となっては分からない



当時、兄弟で営んでいた電気工事会社を出て

独立して電鉄関係の工事会社を

立ち上げたいと相談しに行った夜だったそうだ


それが元で揉めていたそうだが


大人になってから母に

そんな事を聞かされても寝耳に水


母は後の話でも分かるが流されるタイプである  




だから物心付く前から父はいない


その代わり4歳前から父に代わって

どっかのおっちゃんが家にいるようになった



母の再婚でもなんでもなく同居していた




母が女手一つで4人の子供を育てていたので

それを見かねて生活の面倒を見てくれてた

おっちゃんだった



もちろん、母とは男女関係だったと思えるが

いっさいそれは感じたことはなかった



子供たちに気を使い再婚はしていなかった


いや、おっちゃんには

本当の家庭があるので出来る訳がない!




養子だったが 結婚して娘もいて

家も建て普通の家庭があった



にも関わらず、

母の家に入り浸る


生活の基盤は母の家になっていた



私たちはこんな複雑な家庭環境で育った




生前の父と暮らした家から

引っ越す時には


それが耐えられない10歳上の兄は

家を出て中学2年の時から

近くの親戚家に世話になり

離れ離れで生活するようになった



このことがあり、実兄だが未だに

他人のようによそよそしく接してしまう




私は末っ子で3歳上の兄と

ずっと一緒にいた


6歳上の姉は

小さい時は相手してくれなかった

6歳ぐらいからねぇチャンと呼ぶようになった




子供の頃はおっちゃんに家庭があるなんて

当然知らないし


そんな事には何んにも興味がなかった



自分が大人になり思うと

大人の事情があったにせよ


母もおっちゃんも自分たちの事しか

考えてなかったんだろうか?



父は借金を残してその肩代わりも

おっちゃんがしてくれたと聞いていた

だから3人の子供を育てる為にはそうでもしないと

いけなかったんだろう




物心がつき、反抗する時期になると

やっぱりおっちゃんが嫌いになる


嫌いになった一番の理由は酒癖

我が家は酒癖では悪い思い出しかない



酒癖の悪い父、おっちゃん、ねぇチャン


なので男兄弟たちはみな酒を飲まない

意識して飲んでいない



おっちゃんは日増しに

本当に酒癖が悪くなっていった

最初の頃はマシだったんだと思う



次第に悪くなっていったんだろう

家で飲むことはほとんどなく

外で浴びるほど飲んで帰ってくる



当時、駅から5分ぐらいの団地の5階に

住んでいたのだが

駅を降りてから帰ってくる時には


酔っ払って大声で叫びながら

帰ってくるのが家からも聞こえた


当然、近所の人たちも聞こえていた


夏場は窓をあけているので

どの家庭も今日もまたかという感じだった


1階から5階までの階段でもどなりまくる


私は耳をふさぎ布団に入り

その酔っ払いの嵐が過ぎるのを待った



中学の時、珍しく家で飲んでも

くだを巻いたので …

本当に殺したくて包丁で刺そうとした


母に止められ我に返ったが


バカな男にバカな事をするところだった



なので早くこんな家を出たかったし

お金もないので工業高校にいき卒業して

就職と同時に早く家を出るつもりだった



計画通り、卒業とともに家を出た


そして20歳で結婚



その頃には年のせいだろうか

おっちゃんの酒も少なくなり

酒で暴れる事は少なくなっていたそうだ



私も子供ができ、親のありがたみや

大変さを理解でき、すこしづつ

母とおっちゃんを許せるようになっていた




子供が赤ちゃんの時に連れていった事もある


じいじと呼ばせるには抵抗があった

特に嫁は嫌がっていた


けど母がじいじと嬉しそうに

言わしてるのを見ると止める事は

できなかった



酒飲みでも少しの酒の時は

本当に普通のおじさんだった



それと唯一感心できたのは


どれだけ酒を飲んで暴れて

吐いて酔い潰れても


翌朝はひとりで誰よりも早く置き

しっかりと仕事に行ってた

大工だったが

これだけは本当に偉い人だと


趣味の釣りに行く時も同じ




そんな家に不幸が訪れる


その日は

仕事が終わり夜、車で帰宅する時

雨が上がって濃い霧が出ていた


家近くまで帰って来ると

普段はいないところに警察官が

立っていた


何か近くであったのかなと



霧が濃く視界が悪かったので

何か事故でもあったのかなと

思う程度で深く考えず帰宅した



当時私は母の家の近くに住んでいた


食事してゆっくりして寝ようか…と

思ってた時に母から電話があり



おっちゃんが家の近くの道路で

車に轢かれ亡くなったので

警察が来て欲しいと言われた

私は行けないから行ってくれないかと



母が行くべきだろうと強く言ったが

どうしても嫌だと


長年連れ添ったおっちゃんが

亡くなったのに母が行かないのは

おかしいだろうと、何度も言ったが聞かない


気が動転していけないのか?


私は悲しさの前に慌ただしく


仕方なしに代わりに警察署にいった


行ってその理由がわかった



そこには戸籍上の奥さんが

友達に付き添われ来ていた


私は身分を名乗り挨拶をした



対面の長椅子に座らされて

ずっと待っていた


気まずい空気が流れる中

えらく、長い時間待たされた



もう夜が明ける前に


やっと警察の方が来られ


明日、検体解剖があります


兵庫県監察医務室で司法解剖を

実施します


目撃者と状況から判断して

ひき逃げ事件の可能性があるので

司法解剖をして死因をしらべるので

その許可をいただけますでしようか?と


間髪入れずに奥さんはお願いしますと……

私も、わかりましたと



私はその場所と始まる時間を教えてもらった



これだけの為に延々と待たされていた

事件性が高いので止むを得ないと

納得していたところに




奥さんから、あとは全てこちらで

しますのでと


この時は全ての意味がなんとなくしか

理解できていなかった

あとでそういう事かと



私はもう電車もタクシーも

ないだろうから


送ってくいきますと言ったが

一度は断られたが友達に促され

乗ってもらい送り届けた


すでに夜が明けていた



住所を知られるが嫌だったのだろう


だいぶん離れたところで

「ここでいいから」と車から降りた



明日、最後の顔をみさせて頂いても

よろしいですかとお願いした



最初は拒絶されたが、なんとか

それだけはさせてもらえるようになった



人の旦那を奪っておきながら言える

立場でない事はわかっていたが



30年近くなぜ今まで家に帰って

来なかった不徳な旦那を今更

面倒見たいのか ?

夫婦とは何かわからなくなってしまう



おっちちゃんは

なんとなく養子で居心地が

よくなかったんだろうか…



なんとなく理解できる気がしたが

ケジメを長年つけれなかったのは

おっちゃん、奥さん、母の3人は

みな同罪だと思う



帰って母に伝えるが悲しむどころか

向こうの嫁さんは保険金目当て

で今頃、奥さん面していると


やめろと!

いくら言っても母さんには勝ち目はない


母さんとは事実婚だとしても

戸籍は抜いて無かった理由が

おっちやん夫婦には

あるんだろうと




すると

また、財産目当てだ!と


人の悪口を言えた身分かと怒鳴った


悪態をついていたが

母は母なりに本当は悲しんでたんだろう




兄弟全員に連絡して


翌日、兵庫区の兵庫県監察医務室の

ところで解剖後顔を

みさせてもらった、

なぜか向こうの家族は来てなかった

私たちと顔を合わせたくなかったのか




少し打撲箇所はあったが

まだ、寝顔のような顔だった


痛かったんだろうな…と

寝てたから感じなかったか?

なぁおっちゃんよ …



母の家まであと2分の所で

酔っ払って道路に寝てた所を

車でひかれたそうだ




目撃者がいて

救急車と警察を呼んでくれた


車は白ぽいワンボックスだったと



警察の人いわく


道路に寝た状態で車に轢かれると

ほとんど、証拠となるのもが

現場に残らず

犯人は見つけるのは難しいとの事



それでもしっかりして欲しかった警察


怠慢じゃやないかと思うが犯人は

未だにつかまっていない

もう無理だろう


あれから何十年も立つが命日には

道路に手を合わせるようになった



酔っ払って轢かれて亡くなったのだから

苦しむ事は無かったのだろう

どうだったよ、おっちやん

もう少しだけ歩いたら助かってたのに



あのとき、奥さんの家では

しっかり供養して貰えただろうか


歩道に立つと色々と思いだされる



この事件は新聞でも小さく載って

いた、犯人は何か轢いたと思ったなら

新聞を見ていたはず


もしくは、引いた感じも無かったの

なら何も気にしてなかっただろう


ただ、あの地域一帯に住んでいる

白いワンボックス車の持ち主には

全部にあたったらしい


ならば気づいてるはず


今も犯人はどこかでまだ生きている

だろう、人殺しが普通に暮らしてる


代わりに酔っ払いのおっちやんが

1人亡くなっただけである



おっちゃんは母の家が好きだったん

だろうか••


私達の事はどう思ってたんだろう


聞いとけばよかった••


なぜ、歩道から道路に出て寝てしまったんだ?


死にたかったのか?





肝心なときには逃げ出した母も

もういない


みんないなくなっていく

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