暮路野上(上)
「まただ」
一つの机を囲んだ三人の女子学生は、ウンザリした様子で言う。
中学一年生の春。
クラスともようやっと馴染めた頃。
やや問題のある同級生が居ることに気が付いた時は、もう遅かった。
「どうする? また戻しとく?」
一人の女子学生が、机の上に置かれたプレゼントを見ながら厭そうに言った。
「また直接渡されても嫌じゃない?」
もう一人が言う。
クラスの中に一人、おそらくお金持ちの学生がいるらしい。
その学生はなんでもプレゼントをしたがり「消しゴムを貸してくれたから」「教科書を見せてくれたから」となにかしら理由をつけてあげたがる。
最近では、さらにエスカレートしていって「話をしてくれたから」と明らかに高そうな文房具を贈った。
物で友達を作ろうとしている人間。
皮田サヨ子は、クラスでそんな位置付けとなった。
学校が始まって早々、サヨ子はクラスで浮いた存在となった。勿論そんな調子では、友達など出来るどころか近寄る人は少ないだろう。
最初こそ物目当てで近寄った同級生はいたのだが、その独特の雰囲気に圧されて「気持ちが悪い」と早々離れていった。
人に物をあげるのだから、金持ちなのだろう。と誰もが思う。
しかし、彼女の私物はボロボロでとても使い古された物だった。あまりの悲惨さにイジメを疑われても仕方がないようなボロを持ってくる。
机を囲んでいる三人というのは、比較的大人しく押しに弱い面々である。サヨ子はすぐにそれを見抜き、机の上、下駄箱の中、もしくは直接と贈り物をしてくる。
三人お揃いになるデザインのブレスレットをサヨ子が持ってきた時は、流石に眩暈がした。
渋々、友達の付き合いとして受け取り、今もなおつけているが、それはもう一種の呪いに思えて仕方がない。しかも、このブレスレットというのが厄介でおそらくサヨ子の手作りなのだ。
「机の上に置いておこうよ。三人一緒なら声かけられないって」
ようやく結論が出た三人は、可愛くラッピングされたそれをサヨ子の机の上に置き直し、ようやく下校した。
井上 アカリ。
浅川 恵子。
宇野 咲。
この三人の中で一番気弱なのは宇野であった。
友達からの善意を蔑ろにしていると罪悪感を持ちながらも、これ以上頂くのは申し訳ないとも思っている。
正直、嫌気が差しているのだが「嫌だ!」と正面切って言える性格でもない。
気疲れは蓄積し、最近では体調を崩すことが増えた。
他二人もそうなのだろう。
見ている限りあまり調子が良いとは思えない。それでも、休まないのは学校が始まったばかりなのだ。
「ただいま」
グッタリしながら玄関の扉を開けると、生臭さに顔を顰める。
夕飯は魚だろうかと思う反面、魚はこんなに臭かっただろうかと訝しむ。
それに母親が使っている車が見当たらない。
父親も帰宅は遅い。玄関には鍵がしまっていたので、家は無人のはずだ。
だというのに、足音が聞こえる。
それは台所から聞こえる。
パタパタパタ……。
その足音が向かっていると気がついた時、宇野は悲鳴を上げながら扉を閉めた。
その日、母親が帰宅するまで近くのコンビニで時間を潰すしかなかった。
夜、自室で勉強をしている時に視線を感じ何度もペンを置く。集中ができない。寝ようと目を瞑るが、どうも居心地が悪い。
それは日に日に悪化していって――……。
1
私、式野 薫は怪談を題材に小説を書く、いわゆるホラー小説家だ。
私のことを知っている友達、親戚、その友達の友達は「これはネタになるぞ」と自身が体験した話、もしくは聞いた話を提供してくれる時がある。
興味深い話、面白い話もあるのだが、諸々の理由もあって使用するには辞退させていただいている。
今回、書く話は「提供」ではなく「相談」から広がっていった話だ。
また、それは「書いてあげている話」でもある。書いてあげるというのは些か言葉が悪いのだが、それも読んで頂ければ分かると思う。
発端は、中学の時の友人U氏が殆困り果てた様子で
「不思議な事なんだが、家でポルターガイストが起きてる。特に影響を受けてるのが娘で、だいぶ参ってる。相談に乗ってあげてくれないか?」
と、言ったことから始まる。
「えぇと、それは……」
「人の気配を感じるとか、物音がするとか……実際、俺も体験してる。薫ちゃん、そういうの得意だろ?」
「創作をしているだけで、得意とは言えませんよ」
「話を聞くだけでもいいんだ」
「ですが……」
私が渋っていると、U氏が深々と頭を下げ、余計に断り難くなる。
どうしようと頭を抱える私に声をかけたのは店主だった。
「それなら、蛇公に相談すると良いと思いますよ」
誰にも聞かれないようにコッソリと言われ、私たちは驚いて店主を見る。五十代の女店主は、そっとバーカウンターの端にいる男性を指差した。
グレイヘアを無造作にハーフアップにしている、三十代ほどの男性。
顔つきは、日本人には見えない。そんなことよりも私が興味を持ったのはその聞き慣れない単語だ。
「ヘビコウ?」
「あだ名ですよ。失せ物探しとか、他のお客さんの相談をよく乗っているんです」
「失せ物、探しですか」
「そういうのが得意なの」
聞いて普通ならば怪しむだろう。
世の中には霊感商法というのがある。
簡単に信じてはいけない。なによりとても、とても蛇公という存在からして胡散臭い。けれど、私はそれ以上に好奇心に弱く、そして刺激を求める小説家であった。
だが、判断するのは私ではない。
どうしようかU氏を見ると、彼も困った様子で私を見つめ返す。相談はしたいけれど、信じていいのか分からないといった具合だろう。
「相談ですって」
困り果てた私たちに助け舟を出してくれたのは、やはり店主だった。
蛇公は店主に指をさされた私達を見て「やれやれ」と呟いたようだった。
私たちは逃げる、など失礼なことは出来ないので、ただ彼の席近くに座った。
「相談を受けるのが、得意ですもんね」
店主が茶化して言うと
「勝手に話を広めないでくれ。俺は話を聞くしか出来ないんだ」
蛇公は苦言を呈するが、そこまで気を悪くはしていないようだ。
「ごめん、ごめん。でも、今にも泣きそうだったから見過ごせなくてね。これは私からのサービス」
店長はそう言って、蛇公にツマミを二皿提供する。
彼はそれを素直に受け取った後、険しい顔で私たちを見た。
「先に言っておくが、絶対に解決出来るとは言えないぞ」
その反応から見るに、このような突拍子もない始まり方に慣れているようだった。
U氏と私は、どうしようか少し悩んだが、それでもいつもお世話になっている店主の前だ断る訳にもいかない。
「たいした事じゃないんですよ。ただ、娘が学校から帰るなりずっと部屋に引き籠もって、家では怪奇現象のようなことが起きるんです。ラップ音とか、人の気配とか……。きっと、実際に話をしてみないと分からないと思います」
「私も本当にそう思います」
U氏が溜め息をついた後、私たちはまだ自己紹介すらしていないことに気がついて慌てて名前を述べた。
それが蛇公との出会いだった。
2
ファミレスの隅。
私達と向かい合うように相談者のU氏。その奥様、問題であるお嬢さんがいる。
三人とも見るからに疲れ果てており、氏が言っていたポルターガイスト現象とは言わなくても疲れさせる問題はあるのだろう。
「貴女に相談をすれば、解決してくれると旦那が言っていたんですが……」
ゲッソリとした顔でU氏の奥様が言い出したため、私は慌てて首を横に振った。
「私ではなく、どちらかというと……」
私は慌ててそう答え、自分の隣に座る男性を見る。
グレイヘア、黒の色素が抑えられた瞳。それだけでは初老と勘違いされるかもしれないが、顔も、体も若々しい。
蛇公。
そういった渾名をつけられた男だ。
彼は時折、居酒屋に行っては、人の手助けをしている。その手助けというのが「失せ物探し」というものなのだ。
話を聞き、相手を見るだけで失せ物をあてる。
それは霊感商法に近いのかもしれない。それでも彼は、金銭を受け取らず、ただ一品二品奢られることに留めている。らしい。
「らしい」と言うのは、私が居酒屋の店主から聞いたからであって、実際見てはいない。
「絶対に解決出来るとは言えないが、話を聞くだけなら……」
という返事の元、来てくれた。
あの時と同じ言葉を繰り返す蛇公に「ありがたいです」とU氏の奥様は答えた。
U氏は娘を紹介してからゆっくりと話をし出した。
「高校入学してから一ヶ月経たず、娘はなんだか悩んでいるように見えました。どうしたのか聞くと
「同級生の一人に変な子がいる。頼んでもいないのに物を贈りつけてそれで友達になろうとしてる」
と、申し訳なさそうに答えるんです。
「断ればいいじゃないか」
と、言っても実行出来ないのは、娘の性格でしょう。優しい子なんです。それに、狭いクラスでの世間体というのもあります。
そうこうしているうちに、娘はすっかり滅入ってしまい、ろくに食事も取れなくなってしまいました、寝ることも難しいというのです。
「そんなに友達が迷惑ならば、親が出てもいいんだよ」と言うと、今度は「そっちじゃない」と言うんです。
今度は、怪奇現象が起きたと言うのです。
留守番をしている間、自分以外はいないというのに誰かいる。足音が聞こえる。見張られている。そういったことを言うんです。
私は最初信じられず、頭の病気を……バカにしたわけじゃありません。疲れ過ぎると幻覚や幻聴が見たり聞こえたりするっていうじゃありませんか。だから心療内科に行くことを勧めていたんです。
そうして、病院の予約を取っている間おかしなことは本当に起きました。
バチン、バチンと誰かが壁を叩くのです。
家は三年前に建てたばかりです。両隣の家は老夫婦が住んでおり、あんな大きな音を出せるはずもありません。
それだけではなく、確かに足音が聞こえてきました。鍵の閉まっているはずの玄関から誰かが入りコチラに向かってきたんです。
妻は驚き、娘は叫び、私は見えない誰かに怒鳴りました。
玄関に向かうと、一面に泥が塗りたくられていたんです。
娘曰く、それは数日前から頻繁に起こることでした。怒られるのが怖くて、心配させるのが申し訳なくて掃除をしていたというのです。
家にいるのが怖いので学校に行っているのですが、それでも見ていて不憫でなりません」
U氏が説明している間、お嬢さんは俯き、時折肩を震わせて泣いている。
それを奥様が優しく背中を撫でて落ち着かせようとする様は見ていて痛々しい。
「何か心当たりはありませんか? 泥が出ているならば、そういったことに関連するような。……例えば、水とか川とか……」
私が問うと、お嬢さんは首を横に振った。
「では、物をあげたがる友達とは解決したんですか?」
私が問うと、お嬢さんは首を横に振った。
「例えば、何を貰うんですか?」
「シャーペンやノート……とか、アクセサリーとか……」
「では、腕につけているソレも貰い物か?」
今まで黙って聞いていた蛇公がお嬢さんに問う。
腕につけているソレと言うのを聞いて、私は首を傾げる。
お嬢さんは、自身の膝の上に両手を置いている。手の甲まで袖を伸ばしているため、何をつけているのか、ここからでは見られないはずだ。
それでも時折、右手首を摩っているような動作をしていたので、蛇公には見えたのかもしれない。
お嬢さんは驚いて顔をあげながら、慌てて右手首につけたアクセサリーを外した。ビーズで出来た可愛らしいブレスレットだ。
「その友達から作って貰った物です」
「嗚呼、そうか。手作りか」
と、蛇公が声を低めて言う。
「これが、どうしたんですか? 教えてください」
U氏は懇願するが、蛇公は難しい顔をしたままブレスレットを見ている。私も蛇公につられてそれをまじまじと見た。
透明と水色のビーズを使用したブレスレット。手作りならば相当、時間はかかっただろう。それほどまでに繊細な作りをしている。
「他にも二人、貰っていました。「三人、お揃いだよ」ってくれたんです……」
お嬢さんは震える声で言う。
「その二人は、今、ここに呼べる状態か?」
蛇公の不思議な質問をする。
「それは、どういうことですか?」
「わざわざ「お揃いだ」と言われて貰ったのならば、その二人にも話を聞きたい。ここに来るように言ってくれ」
蛇公の言葉を聞いたお嬢さんは、すぐさまスマートフォンで二人に連絡する。
3
三家族が揃い、テーブルは三つ、使われた。
「急に連絡をされても困る」
と、独り言を漏らしたのはI氏家族。
それでも父親はわざわざ仕事を早退して来たようだ。
「教えてくれてありがとう」
と、U氏に言ったのはA氏家族。
隣にいる不機嫌なI氏とは違い、A氏はテーブルに着くと、筆記用具を並べた。
どの家族も、子供も明らかに疲れている様子で、そしてどこか怯えても見えた。
三人の女子中学生は、同じデザインをした件のブレスレットをテーブルに置いた。
「今回、呼び出した件ですが……。えぇと……、家で変なこととか起きていませんか? 信じられないかと思うですが、その……。家の中で不思議な音がするとか」
私がそう言い始めると、やって来た二家族は明らかに顔色を変えた。
「いえ、何も」
と、I氏が嫌悪を隠さず即答する横で、A氏は肯定を示す。
「おそらくだが、悩ませているものは、ソレかもしれない」
蛇公は二家族の反応を見た後で、今度こそ確信を持ったのだろう。テーブルの上に置かれた手作りのブレスレットを指差した。
「手作りには無意識にでも念が込められる。良い物ならばお守りとなるし、悪ければ呪物になる。これは後者と断言しておく」
と、続ける。
蛇公の説明に「そんなことも分かるのか」と、私はテーブルに置かれたブレスレットを見た。
私には、その安価なブレスレットが至って普通の物にしか見えない。
作った人物はとても手先が器用で、同級生のために一生懸命作ったのだろうと思う。分かるのはこれくらいだ。
これは今後の資料になるのではないかと考えたあたりで蛇公は「誰も持って良い物ではない」と告げた。
本来なら疑いを持ち、信頼に値しないと怒るだろう。だが、三家族は誰も蛇公の言葉を肯定せざるを得ない現実に直面している為か否定はしない。
そんな物を受け取ったお嬢さん方は、自分たちが今まで身につけていた物を凝視した。
「嫌なのにどうして律儀にブレスレットをつけていたんですか?」
ふと疑問に思ったことが、つい口から出てしまった。
彼女たちはきっと責められていると思ったのだろう。みるみるうちに目には涙が溜まっていく。
「つけないと怒るんです。「折角あげたのに!」って。朝チェックするから余計に外せなくて」
「言い返せないのか?」
I氏が強い口調で娘に言い付けると、とうとうお嬢さんたちの涙は溢れ出した。
自身に向けられた非難の目が一斉に向かわれるのを気にせず、I氏は今度蛇公を睨みつける。
「証拠はあるのか? まさか、そういった詐欺じゃないだろうな?」
流石にI氏の奥様が「ちょっと!」と声をあげたが、I氏の耳には届いていないようだった。
「「説明しろ、証拠を見せろ」と、言われると難しい。「そんな雰囲気がある」としか言えないんだ」
I氏の態度に怯むこともなく、蛇公は毅然とした態度のまま正直に答える。
「俺は「相談を受けろ」と、言われて受けているだけだ。知恵を貸せるかもしれないが、それをどうするかは個人の自由だ」
蛇公は怒鳴ってもいない、表情も変えていない。ただ、静かに答えている。だが、それが余計に彼をどことなく異様に、また恐ろしく見えた。
I氏は「馬鹿馬鹿しい」と答えながらも再度席についたのは、それでもどこか心当たりがあるからだ。
「他に貰った物は、使ってしまったか?」
蛇公の問いかけに、女子中学生三人は頷いた。
「お菓子とかは、食べちゃいました」
あまりにも申し訳なさそうに言うので、見ているこちらが辛くなる。
「誰だって同級生から貰った物を断るなんて難しいよね」
そうフォローを入れると、三人はポロポロと涙し、頷いた。
親もどう言葉にすればいいか分からず、母親たちが娘のフォローに回る。
「そうか。ならば、解決出来そうだな。手順は色々とあるが、そうは難しくない。お返しすればいい」
暗い雰囲気の中、蛇公が明るくそう言い出した。
「お返し?」
と、I氏が訝しげに言う。
信じられない。そんな言葉が顔に浮かんでいる。いい加減、隣にいるU氏とA氏が彼の態度に嫌気がさしているようだった。
「貰ってばかりじゃないです。お菓子とか……渡してます」
と、U氏の娘が興奮気味に言うのを父親が諌めた。
「普通の相手ならそれで良いが、今回は普通ではない。……さて、行動する前に食事だな。好きな物を食べて、話をしよう。解決出来るんだから、説教や後悔はしてはいけない。贈り物を選ぶために、出来るだけ明るい気持ちになってほしいんだ」
蛇公が優しい落ち着いた口調で言ったのを、母親たちはすぐに察した。
「良かったわね」
「安心してお腹空いちゃった」
などと言って、娘達をこれ以上怯えさせないよう、わざと戯けてみせる。
「大丈夫なんですか?」
私はケーキの注文をしながら蛇公に尋ねる。
彼はコーヒーとケーキを頼みながら頷いた。穏やかにしているが、テーブルの隅に置いたブレスレットから目を離していない。
「上手くやればな」
彼は低く呟いて、メニュー表を閉じた。
■□■
「蛇公なんて変わった名前ですね」
A氏が蛇公を見て笑って尋ねた。
その無礼な態度に母親が咎めたが、それでも興味津々と言った具合に見ている。
正直、私も彼の奇妙な渾名の由来を知らないので、話題を変えることもしない。
「あぁ、俺も不思議に思う。いつの間にかそう呼ばれ始めて、定着してしまったんだ。一体、どんなセンスをしているんだか」
蛇公は苦笑しコーヒーを一口飲んだ。
「お名前を伺っても?」
「嗚呼。そのことだが……、悪いが教えられない。前にこういった事があった時、付き纏があって大変だったんだ。警察に相談もしたし、引っ越しをした……。君たちもそうだとは言わないが、人の噂は尾鰭背鰭がついてしまって、俺では制御出来なくなってしまう」
相当苦い思い出があったのだろう。申し訳なさそうに蛇公が言うので、私は黙って聞いている。
三家族も疑問は持つだろうが、今まで受けた経験から無理に聞くのも申し訳がないだろうと空気を読んでいるようだ。
「こういった仕事をされているんですか?」
「いいや、違うさ。時折、こうして頼まれているだけ。「ナクシタ」と相談されて、話を聞いている間に勝手に本人が思い出して探し、そして、実際出てくる。本当にそれだけなんだ」
蛇公が話をしている間、私は先程から視線を感じる方を向く。
二人のバイトであろう女性が話ししながら蛇公をチラチラと見ている。
おそらく、彼が顔立ちの良さと、その聞き心地の良い低音の声に持っているからだろう。
「式野さんは小説家なんですよね。こういった事をよく相談されるんですか?」
不意に尋ねられて私は少し動揺して聞き返した。
A氏の興味は今度、私に向かったらしい。時折、手帳に書き込みながら嬉しそうに私を見ている。
「あ、えぇと。殆ど無いです。しがない小説家なので、今回も友人からの話だったので……。蛇公とも偶然お会いして……」
申し訳ないですとU氏に頭を下げながら言えば、U氏の家族は「それでも助かります」と仰ってくれる。
三人のお嬢さんは、最初こそ緊張していたが、次第に落ち着いていったようだった。
暫く他愛も無い会話をして一時間。落ち着きを取り戻した後、蛇公は話題を戻した。
「渡すお礼だが、出来ればぬいぐるみが良い」
蛇公にそう言われ、私を含めた全員が不思議に蛇公を見た。
「でも、ぬいぐるみなんて値段が……」
「小さな物でいい。それに出来れば、だ」
三家族は悩み、話し合った結果、U氏がようやく答えた。
「それで解決出来るんですか?」
直接すぎる質問に、蛇公はやはりまっすぐ彼を見て答えた。
「あぁ。上手くやれば出来るさ」
4
近くのデパートにてお菓子を抱いているクマのぬいぐるみを購入した。デザインも可愛ければ、千五百円と予算としても丁度良い。
「まず、今夜は三人、一緒に過ごす。泊まっている間、一人はクマの背中を裂き、一人はこのクマの中に三人分のブレスレットを入れ、一人はその背中を縫い直すんだ。そして、明日、三人一緒で相手にこの贈り物を渡すといい」
ぬいぐるみの購入直後、蛇公が何事もないようにそう言った。
突然の儀式めいた行動への指示に、蛇公以外の人間は再び緊張する。
たしかにこんなお返しは普通では無い。それこそ貰った物を返している。
この三家族、ましてやこの純粋な子たちが考え出すのは難しいだろう。
「他に貰った物があったとしても、返す必要はない、気持ちが悪いなら捨ててしまってもいい。それは個人の判断に任せる。だが、これは必ず渡さないといけない」
三家族はクマのぬいぐるみとブレスレットを入れた紙袋を見つめた。
「ですけど……」
「本当にそれで解決するんですか?」
と、まだ不安げに尋ねるのも仕方がないだろう。
蛇公は少し悩んだ後で頷いた。
「明日の十九時丁度、俺は式野と先のファミレスにいる。渡してからもう一度、会おう」
勝手に私が居ると宣言してくれたが、異論は無いので頷いてみせた。三家族は納得した様子で神妙な顔をしたまま頷いた。
誰も経験した怪奇現象に悩まされていたのだ、解決はしたいのだろう。
翌日、十九時。私達は再度、指定の場所に集まった。
「良かった。無事に渡せたのか」
誰も、何も言っていないのに蛇公は三家族を見るなり、安堵しながらそう呟いた。
「どうして分かるんですか?」
「そう思っただけだ。一ヶ月は様子を見て、何かあった時は式野か、あのお喋りな店主に言うといい」
蛇公が突然そう言い出したので、私は面食らったが、それでも慌てて頷いた。
「お守りとかは、貰えないんですか?」
家族の問いかけに、蛇公は悩んでいる様子だった。
「うぅん……。お守りが欲しいなら、それこそ寺や神社に行った方が良いな。俺は知恵を貸しに来ただけだから」
申し訳なさそうに言う蛇公に三家族は納得するしかないようだった。
「相談を受けて知恵を貸す」
たしかに蛇公はそう言っていた。後は本人たちでどうにかするしかないだろう。
「お金は……」
と、言い出したU氏に蛇公は首を横に振った。
「要らないさ。気持ちだけ受け取っておく。信じるのが難しいのに金がかかるなんて嫌だろう?」
その目はI氏に向けられており、彼はやはり嫌悪感丸出しで目を逸らした。
I氏を抜いた家族は、蛇公に感謝を述べた後それぞれ帰路についた。
三家族が去ってすぐ、私は蛇公に尋ねた。
「どうしてすぐにブレスレットが問題だと気がついたんですか?」
「その話だが、もう止めた方がいい」
「どうしてですか?」
「怖いから」
蛇公が突然戯けてみせたので、私は驚いて彼を見る。
声音こそ明るくしているが、彼の横顔はどこか緊張しているように思われた。
「……ということだ。きっと解決するだろう。それでも難しかったら店主に言うといい。俺は毎日あの店にいるわけではないが、顔を出すよう心がけるから」
そう言って、蛇公はそれ以上の詳しい説明を拒否した。
5
一ヶ月後、三家族から報告があった。
問題の学生は、プレゼントをした後、数週間もせずに引っ越しをした。
蛇公に相談をしてからすぐ怪奇現象も止んで、娘たちの体調も良くなった。
蛇公を怪しんでしまった謝罪と解決してくれたお礼をしたい。しかし、連絡手段がないため、どうしようもない……、等々。
それを蛇公に報告しようとしたが、私も連絡手段がない為、偶然居酒屋で会うことを期待するしかない。
「興味深いね」
私はいつもの居酒屋で、U氏と共通の友人のS氏にそんな話をした。
氏は前のめりになって話を聞いていたが、終わると満足といった具合で息をついた。
「蛇公って人にも会いたいな。普通なら連絡手段くらい教えてくれても良いのに」
「本当です。でも、誰にもそうらしいんですよ。何かあったら店主に言ってくれって常に間接的らしくて」
私の話を信じてくれたらしい。氏は「残念だあ」と心の底から呟いた。
「詳しく話を聞きたかったのに」
「私もです。ですが、話すのを嫌がっていたようなんですよ」
「それだよ。そこが気になる。すぐに原因を見抜ける程の彼がどうして嫌がるのか。きっと知っているんだよ」
氏はそう言って、私の話をメモした手帳を見つめている。
「ちょっと調べてみようかな。学校も知っているし、ここの問題に関わった人たちも知らない人じゃ無い」
「え、それは大丈夫なんですか?」
「分からないよ。分からないから調べてみたいんだ。教えてくれてありがとう」
氏はそう言って満足そうに手帳を閉じた。
6
人に物をあげる。
人の為に作ってあげていたものが、実は呪物だった。
その事件のような、おかしな相談事から数ヶ月。やめろといわれたのにもかかわらず独自調査をしていたS氏から連絡が来た。
会って話がしたい、と興奮した様子で言うので、私は都合をつけるため、仕事をカン詰めになって終わらせた。
一人の意見ではなく中立的な意見も欲しいので私の他に一人呼ぶ。と、氏に言うのは建前だ。正直なところ、人見知りであったし、なんとなく私一人で行くのも嫌だった。
藤原さん、蛇公、彼らとは連絡がとれなかった。結局、助手であり家事手伝いの十月 宰さんに同行を頼むことにした。
「行っても良いですけれど、人が止めろと言うことを態々するのはどうかと思います」
小声で宰さんはそう言ったが、私もそれに賛成だった。
――「その話だが、もうやめた方がいい」
そう言ったのは、蛇公だ。
彼は視えるだけではなく、その対処を知る得意な人であった。だからこそ、そういったありたがい忠告は素直に従うべきだろう。
しかし、S氏はその忠告を無視して自営業という事を利用し、独自で調査したと言うのだから困りものである。
約束の五分前に指定していたファミレスに着いた。
わたし達よりも先に到着していたS氏は店の隅に座っていた。彼はすぐにコチラに気がつくと、気さくに片手をあげた。
挨拶もそこそこに、S氏は興奮した状態で幾つか茶封筒を広げてみせた。
形から入る性格らしい、封筒もそれに使われた紙もなかなか上等で品がいい。
「わざわざ「秘密だ」と、言われると、暴きたくなるのが人間という者です。そうでなくても、私はその一人です」
彼はそう言いながら使い古されたであろう手帳を開いた。
「色々調べたんですよ。気分はまるで探偵でした。まずは事件の後日談をしましょう。
人に物を贈るという女子生徒がいました。問題のあの子です。あの子は件の相談後から一ヶ月も経たず家庭の事情を理由に引っ越し、転校したそうです。ちょっと疑問には思いませんか? 引っ越しをしたのは六月で、学校が始まって二ヶ月しか経っていない。普通の家庭ならば子供のために引っ越しはしても学校には通わせると思うんですよ」
「いえ。まだ学校が始まったばかりだからこそ、転校するのは今しかないかと思います。まだ友達グループもしっかり出来上がっていないと思われますし……」
宰さんがおずおずと言うのを、S氏は「そうかなあ」と納得がいかない様子で答えた。
「で、問題のその子は……。そうだな。Kちゃんと呼ぼう。Kちゃんは他に何か不思議なことをしていたかと思ってクラスメイトたちに少し話を聞いたけれど、物を贈るだけで他は至って普通だったという。
勉強も、運動も至って普通。過度に物を贈るという異常行動ばかりが目立って、それを除けば、目立たない影の薄い子と認識されていたようです。
家に着いても、今年の春に引っ越しをしてきて六月に再び引っ越しをしたそうで。転勤だとしても早くないでしょうか?」
宰さんも、私も転勤を経験したことが無いのでなんとも言えない。同級生に転勤族はいなかったし、おそらく十月さんもそうなのだろう。
「で、私は調査をするのにあたり、色々と素人です。言うなれば、調べることが他にあるか思い浮かばなかったんです。Kちゃんの性格だとかになると、今度は引っ越し先を調べなくちゃいけないでしょう? そこまで聞こうとしたんですが、皆は「興味が無い」とまで言ったのです。
これでは蛇公が何を忌避していたのか分からず、残念に思っていたところでした。
仕事も一段落してから、気分転換にとある田舎へ行ってきたんですよ。ドライブが趣味でしてね。そして、そこで偶然Kちゃん家族の話を聞いたんです、本当に驚きましたよ。こういうのが縁なんだなって思ったりしました」
S氏は興奮しながら言った。
きっと早く私達に言いたくて堪らなかったのだろう。
「田舎が嫌で引っ越しをして、事情があって再び田舎に戻った。そんな感じだと私は思いました。さりげなくKちゃん家族について聞き出そうとしましたが、村人はとても厭な顔をして話そうとしませんでした。それどころか
「あそこの土地の者には近づかない方がいいよ」と言う始末です」
「土地ですか? 家族ではなく?」
私の質問にS氏は「そう、そこなんだよ」と興奮して答えた。
やや話す速度も、声量も上がったため、隣にいる宰さんが圧に負けて少しのけ反っているのが分かる。
「人じゃなくて土地なんだ。蛇公が「業が深い」と言っていたのは、もしかして土地を視ていたのかもしれない。だから、私は遠目からでもその家を見ようとしたんですよ。
田舎だから並ぶ家の間隔はとても広くて、隣家とは言えません。件の家は丁字路の突き当たりにありました。豪邸とまでは言えないけれど、庭も広い立派な家でした。
驚いたことに警察が来ていましたよ。場所が場所だから交通事故かと思ったけれど、警察官は家の中に入って行ったようでした。
用事があったのは家の中にだったんですよ。
「何があったんですか?」
と、周囲の人に聞いても答えてくれない。
普通。そんな田舎だったら暇を持て余した老人たちを中心とした野次馬がいて良いはずです。しかし、不思議なことにその家には誰も本当に近寄ろうとはしなかったんです。
私は仕方なく近所の……いるでしょう? 話をしたがりな孤独な老人というものが……。そういう人に聞いたんですよ。
手土産に酒も、料理も、タバコも持って行ってね。最初こそ話すのを拒んでいたんだけれど、しだいに酔いが回ってきたのかポロッと言っていました。
「おそらぐ、まだ刳れだんだべ。近寄らねぇ方がいい」
聞き慣れない言葉に私は驚いて阿呆のように「刳れた?」と鸚鵡返しをしてしまったんです。ですが、老人はうんうんと深く頷きました。
「あそごはそんな所だ」
「でも、アソコも、ここの村の一部ですよね?」」
「一部だがらこそだ」
そう言っていたんです。
だけれど、話をしてくれるのはそこまでで、彼はグッスリ寝てしまいました。
翌日、詳しく話を聞こうとしましたが、もうそれ以上話をしてくれることはありませんでした。それどころか
「これ以上、関わらない方がいい」と言うのです」
聞いていた宰さんは腕組みしてジッとS氏を見ている。
「同じ村だから話をしてくれないんだと思います。もし、他の人が聞いて非常識的なことだったり、村の大事な何かしらに関わるなら余計口は堅いと思います。それでも知りたいのでしたら、少し離れた村の人に聞いた方が良いですよ。自分のことは言わないけれど、他の人の話はするって人、いますよね? そうすれば、きっと教えてくれます」
そこまで言って宰さんは「出過ぎました」と慌てて口を閉じる。しかし、S氏はしっかり最後まで聞くと熱心に手帳に書き込んでいた。
「君は、こういった調べ事が得意なのかい?」
「彼は……」
「いいえ。なんとなく。そう思っただけです」
宰さんは民俗学専攻の大学生である。と、言おうとした私を遮って彼は、はっきりと言った。
「次はそういった線で調べてみようかな。いや、とても気になるんだよ。「また刳れる」という発言から複数回、起きていることは明白です。警察も来ていたのに新聞には載っていない。それと、コレなんだけれど……」
と、彼は手帳をペラペラと捲り、そこを私達に見せた。
”暮路野上”
手帳には一枚の写真が挟まれている。
矢印で場所を示すように作られた簡素な板にはそう掘られていた。おそらく土地の名前だろう。
「件の家の少し離れた場所にあったんです。それがどうにも引っかかって……。方角的にも件の家の方向を指しています。「上」と書かれているのに、指した方向は湿地帯、土地も低い所でした」
「なんて読むんですか?」
私の問いかけにS氏は「分かりません。聞いても教えてくれませんでした」と首を横に振った。
「とにかく、Sさんはその女子中学生が先程の土地と関連してるって思っているんですね?」
宰さんは写真を見ながら言う。
「はい。もしかしたら、良い題材になるかもしれない」
「まだ、お調べになるつもりですか?」
「うん。少し取っ掛かりが出来たのだから、このチャンスは見過ごせません」
「もし、土地の読み方が分かったとしても現代に至るまでに何度も名前を変えてるかもしれません。複数人に聞いた方が良いかもしれませんね」
宰さんの助言を、S氏は再び手帳に書き込んだ。
7
「宰さんも気になりますか?」
帰り際そう尋ねると、彼は首を横に振った。
「気にならないと言えば嘘になります。が、横取りしてまで調べたいとは思いません。それに、何度も言いますが「やめろ」と言われたことにわざわざ触れる程、やる気に満ち溢れてないので……」
宰さんはそこまで言うが、顔はとても真剣で思い詰めているようだった。
「土地が悪いというのは、なんとなく分かります」
仕事場に戻り、十月さんは夕飯の準備をしてくれながら言う。
「間違ってるかもしれません。けれど、話を聞く限りそこは三叉路です。風水的に言うと、路沖殺に当てはまります」
「ろちゅうさつ?」
「風水です。その他にも、三叉路の突き当たりには鬼が溜まり易いと云われています。彼がこういったことに興味があり詳しいなら……だからこそ、調べたいと思っているのかもしれません。蛇公さんがコレは良くないと言ったのを証拠だと思っているんでしょうね」
「彼は鬼の仕業じゃないか、と思っている……?」
「馬鹿馬鹿しいと思うかもしれません」
「私は仮に怪談小説家です。バカになんて思いません。それどころか小説の題材にいいなと思うほどです」
「……でしたら」
と、宰さんは家事の手を止める。
「さっきの土地名はもしかしたら、上座、下座で命名されたのかもしれません。彼は何も言っていませんでしたが、三叉路に魔除けとして有り難い何かしらが置かれているはずです。もし、そういった類のモノが置かれているならば、俺の中では少し納得できます。……まぁ、見なければ何も分かりませんけれど」
宰さんはそう言って話をするのを止め、私のためにコーヒーを淹れてくれる。私もS氏について思考を巡らせ始めたので、当然ながらお互い無言になった。
暫く沈黙が部屋に流れ、なんだか気まずさを覚える。
宰さんは手慣れた手つきでコーヒー豆を挽き、お湯を適切に淹れ、正確に時間を計りカップに注いでくれる。
まるで喫茶店に居るような気分になるこの瞬間が好きだった。
「豆から挽いてくれるんだもの。それはもう十月さんの手作りだよね」
何か話題提供できないかと、淹れてくれたコーヒーを飲んで私がそう言うと、宰さんは飛び上がるように驚いた。と、思った途端におどおどし始めた。
「俺は……。あの、そういったつもりではなくて……。嫌でしたか?」
そこで初めてとても失礼な物言いをしてしまったと悟り、慌てて謝る。
手作りしてあげた物が結果が、無意識から来た呪詛になった。という話で頭を悩ませている時に出すような言葉ではなかった。
「違う、違う! 勘違いさせてごめんなさい。私だったらインスタントで済ませてしまうから、凄いなあって思っていたの。十月さんが作ってくれるコーヒーは美味しいのよ! もっと仕事を頑張ろうっていう気持ちにもならせてくれましたし!」
慌てて並べた言葉たちは焦れば焦るほど言い訳にしか聞こえない。それでも、宰さんは首をブンブンと横に振る。
「いえ、いいんです。気にしていないです! 俺の方が過敏でした!」
と、その時、私と宰さんのスマートフォンが鳴った。
タイミングに苦笑いする私をよそに、宰さんは相当傷ついてしまったらしい。青い顔をしたまま光ったままのスマートフォンを見つめていた。
申し訳ないと思いながら私は着信に出ることにする。
宰さんも自分の声が邪魔にならないようにと気を遣って廊下に出て行ってくれた。
編集からの電話でこれから忙しくなると直感し目眩を覚えた。
その直感というものは、厭だと思う程当たってくれる。
あまりの多忙具合に悲鳴と少しだけの歓喜を覚えれば、数ヶ月も経たず、S氏との話など忘れてしまっていた。しかし、その一年後、突然S氏から原稿が届いた。
以降はS氏が書いた原稿であり、読み易いようにいくつか加筆修正をさせて頂いている。