藤原と十月
藤原と十月
呑み友達を誘って、いつもの居酒屋に行く。
呑み友である藤原さんは、定期的に怖い話を提供してくれる。だから、私はその好意に甘えて、ネタに行き詰まるとよく呑みに誘い、話を強請る。
「こんにちは、藤原さん。どうされたんですか?」
私より先に店にいた藤原さんは、頬に濡れたタオルを当てている。何かおもしろおかしな話をしてくれるような雰囲気では無い。
「こんにちは、薫ちゃん。あーあ、かっこ悪いところ見られたなあ」
「突然、暴れ出した女性がいたんだ」
気まずそうに笑う藤原さんの代わりに常連さんが教えてくれる。
「大袈裟にしたくないんだから薫ちゃんにチクるのやめろよ」
「大丈夫なんですか。病院とか……」
「ほら、気を遣わせた~。まったく。大丈夫だよ、薫ちゃん。そこまでじゃないよ。ただ、女の人に殴られたって言うショックが大きいってだけでね」
「何があったか聞いても良いですか?」
「薫ちゃんが思ってる程、面白い話じゃないよ。だけど、う~ん。まぁ、これはこれで面白い話かな?」
藤原さんは、酒を一口飲みながら続ける。
「女性は最初、俺の目の前にいた男性を殴り飛ばした。……なんというか……正気じゃなかったんだよなあ。目の焦点が定まっていなかったんだ。直前まで寝てたのに起きた瞬間、突然「死にたくない」「自殺なんてするつもりじゃなかった」なんて叫び出したんだ。男を殴り飛ばした後、近くにいる高校生たちにも襲いかかろうとしてね」
それで藤原さんが庇い、代わりに怪我をしたということになるらしい。
「殴られた男に話を聞くと、椅子に座り寝ていた女が急に起きて『ココはどこだ?』と聞いたらしい。おかしな質問をするもんだと思って『電車内です』と言うと、動揺したようだ。さらに『次の駅は?』と聞かれ『巣鴨』と答えたら、悲鳴をあげて自分に殴りかかった……というわけだ。周囲が見ていたから痴漢ではないのはたしか。他に目撃者もいたからね」
私はそこで初めてM氏とのやりとりを思い出した。どうしてこういう風に話を繋げてしまうのだろう。と内心思いながら私は藤原さんに尋ねる。
「巣鴨。ということは山手線に乗ってらっしゃった?」
「ああ、そうだね。それで、薫ちゃんは、なんでわざわざ山手線って食い気味に聞いたの?」
藤原さんの鋭い目は、私が何か知っているだろうという確信を持っているようだった。
「とある方からネタを提供して頂きまして、舞台が山手線なんです。巣鴨と聞いて思い出したのですが、小説にするには、まだインパクトが足りないんですよ」
「へぇ、どんな話だい?」
そこまで興味を持ってくれたのだからと、このことを藤原さんに説明をし始める。
彼は、最初こそ面白そうに話を聞いていたが、どんどん真剣な顔になっていく。
聞き上手なのだろう、私は気分を良くして、一部隠すつもりが、すっかり全てを話し終えてしまった。
「それで、O君はどうにかなった?」
「いえ、夢の話ですから」
私が言うと、藤原さんが自身の腫れた頬を指さす。
「夢で殴られた者もいるんだけどなあ」
と、暫く笑っていたが、藤原さんは真面目な顔をして私を見る。
「薫ちゃんも気をつけるんだよ。夢は無防備でそういった怪談話に引っ張られ易い。怖い夢を見た?って言っても、おじさんは急に駆けつけられないからね」
藤原さんを見ていた別の常連客が、クスクス笑いながら
「だあから奥さんにも逃げられるし、モテないんだよ」
と、オチをつけてくれた。
「ちげーよ! そんなつもりで言ったわけじゃなくてなぁ! おじさんはホントに心配して言ってるの!」
そう騒ぐ藤原さんを無視して、私たちは日付が変わるまで楽しんだ。
それからさらに経ったある日のこと。
M氏から、かなり前の日付でメールが来ていたことに気が付いた。
不思議なことにM氏からのメールは本来ならば仕事用フォルダに入るよう設定されている。しかし、迷惑メールとして適応されていた。
M氏とはあれ以来、ろくに話も出来ていない。
そんな彼からの文章は短かった。
『夢の件、まだ覚えてるか? 俺もO君が見た夢に酷似した夢を見るようになった。多分考えすぎたから影響を受けたんだと思う。面白いよな。これはO君から送られたものだ』
画像ファイルが一つ、添付されていた。
『護リニ成ルト云エバ誉レ高イと云フノニ。沢山人ガ居テ河ヲ穢シテ居マスヨツテ在れ程云フタノニ誰モ耳ヲ貸シタリシナイカラコウシテ案内シテ(判読不明)自ラヲ終ルト吼エル癖ニ直前ニ成ルト泣イテ厭ダト云フノダカラ(以降画用紙は破られている)』
読み難いとは思うが、一枚の画用紙に書かれていた文章である。
実際は殴り書きのようになっていた為、判読不明な箇所もあった。間違えている可能性もあるが、これを読み易く直すと
『「守りになる」と言えば誉れ高いのに。
「たくさん人がいて、あの河を汚していますよ」ってあれ程言ったのに、誰も耳を貸したりしないからこうして案内して(判読不明)
「自らを終える」と吠える癖に直前になると「嫌だ」と言うのだから(以降画用紙は破られている)』
そこまで考えて私はゾッとした。
O氏の夢に出てくる車掌と思しき人物を思い出したからだ。
「先生、大丈夫ですか?」
バイトの十月宰さんがそう言って、パソコンを覗き込む。そして、画像を見てしまったらしい。
「あ、勝手に見ちゃってすみません」
彼は、慌てて謝罪しながらテーブルに珈琲の入ったマグカップを置いた。
「大丈夫です。あの……宰さんはM先生とのやりとりを知っていますよね?」
「この前教えてくれたヤツ、ですよね。山手線の話」
「今の画像もそれに関連しています。O君が送ったものとか。見ますか?」
私は宰さんに液晶を向ける。
「うわ、キツ……」
それもそうだろう。
画用紙いっぱいに書かれたその文字は読んでいるだけで頭が痛くなってくる。きついと言っても、十月さんはお盆を片手に解読を試みている。
宰さんは、民俗学専攻の大学生だ。
大人しく礼儀正しい子ではあるが、前髪の一部と一つに結んだ髪が真っ青に染め上げられているので少し目立つ。瞳も深い海のような青をしているため、より一層彼を誤解する人は多い。
助手の雇用には同性を希望していた。が、来るべき筈の子が来られず、代理として彼がいる。気まずく思っているのはお互い様だ。それでも彼は小説を書くにあたり優秀な助手なのはたしかだった。
彼は、時折都市伝説や怪談めいた話を私にしてくれる。そして、今回も彼は私に協力をしてくれるようだった。
「宰さんはどう思う?」
「どう? う~んと。『守りになると誉れ高いのに』ってことは、守りになりたくない人がいたんですかね」
宰さんはそう言い、お盆を片手に持ったまま腕を組む。
「読める文章から考えると「汚れてしまった河」の守りのことでしょうか。それなら龍神様の嫁入りとか思い浮かびますけど」
「龍神様の……」
「はい。龍神、蛇、それらの嫁入りは水害を抑える為の人柱ですので。……うーん、たしかに電車も蛇のように一直線に動きますが……」
「ちょっと待って。もしかしてO君の事を人柱と思っている? 守りってそういうこと?」
「そういった事を勉強してるので思考がどうしてもそっちに偏っちゃうんです。だけど、分かりません。だって、これ夢なんですよね?」
宰さんはそう言って、じっと液晶に顔を近づけた。
「雑誌とかで出てくる心霊写真は写真加工ソフトで作り上げることも出来ます。加工ではなく文章を作るとするとなお楽ですけど……。ましてや夢なんて。……でも、まぁ浪漫ですよね。……それにしても、夢かぁ」
「宰さんは、この話を信じてない?」
「どうでしょう。都合の良い事を信じて、都合の悪いことは信じないというのをモットーにしてるので。でも、一つの話としては面白いなとは思いますよ」
宰さんはそう言って台所に行ってしまう。
私は黙って送られてきた画像を見る。
所詮は又聞きで、M氏はホラー小説を書いた事がある。夢の話だとしても捏造だとしても、私のためを思いネタを提供してくださるのは有り難いことだ。
山手線という大きな舞台が、気になってしまうのはそこに浪漫を感じ取ってしまったからだろう。
私は執筆活動すら忘れ、検索を始めた。
十五時になり、再度宰さんが珈琲とお菓子を運んでくる。
私は待っていました、とばかりにそこに座って話を聞いてもらうよう指示をする。
「宰さんは鬼門と裏鬼門をご存知ですか?」
鬼門というのは艮(北東)の方角、裏鬼門というのは表鬼門の逆、坤(南西)の方角を示す。
日本では古来鬼が出入りする方角とされ、万事に忌むべきとされている。方角であるからどこにも存在し、勿論家にもある。場合によっては方角では無く時間といった概念でも考えられる。
「有名所だと東京タワーとスカイツリーが鬼門と裏鬼門の関係です」
私が言うと、宰さんはニヤリと笑ってクッキーの箱を開ける。
「知っていますよ。高校生の時、そういうのに興味があって調べた事があるんです。それ以来、東京タワーを舞台に異世界転生や能力を得るとかいったアニメや小説を見るたびに『授けてくれるそれは神ではなく鬼かもよ』なんて思った事があります」
「君も、なかなかに性格が悪いね」
私はそう言って、ノートパソコンを彼に向け、開きっぱなしの検索結果を見せる。
「ホラーも嗜む書き手として、オカルト方面で山手線について調べたんです。上野は裏鬼門、渋谷は鬼門なんです。上野のハチ公像も結構話題に上がっていました」
私は山手線の線路図を見せる。そして、上野と渋谷を指した。
「此処と、此処です。風水から視てそういった位置だと」
「嗚呼、成る程」
普段なら反応薄い宰さんがそう言ったので私は嬉しくなった。けれど、続けた言葉は私の予想を反するものだった。
「だから、河なんですね。まぁ、確かに流れですもんね」
「何がそうなのか、教えて貰ってもいいですか?」
尋ねると勝手に納得している宰さんは頷いた。
「風水の話です。風水には龍脈って言葉が出てきます。大地のエネルギーってヤツですね。その流れは一種の河とも言えます。だから、さっき見せてもらった画像にあった”河の守り”って龍脈を言ってるのかなと。だとしたら、予想はそこまで外れてなかったのかな」
「予想?」
「龍神様の嫁入りです」
「龍脈にも人柱は必要なの?」
「さあ。……あ、それと山手線には有名な都市伝説が」
けれど、その時一通のメールが届いた。M氏からだ。
『今すぐ話がしたい。いつもの喫茶店で十五時、待ってる』
その文章を見、私は不安を覚えた。M氏はこんな雑なアポイントメントをとったことはない。取材でないなら会うよりも通話をした方が早い。そんな事を考える人だ。
「よければ、同行してもいいですか?」
不安な気持ちが顔に出ていたのだろう。宰さんの言葉で私は出かける準備をした。
喫茶店でM氏が待っていた。
M氏の髪はボサボサで、顔はどこかやつれているようにも見える。彼は宰さんを見てあからさまに怪訝そうな顔を浮かべた。
「前にも話をしていたと思いますが、宰さん。私の助手です」
私が宰さんを紹介すると、両者は気まずそうに会釈をした。
「それで、どうされたんですか?」
ケーキを人数分頼んだ後、私は単刀直入に尋ねる。
M氏は世間話をしたそうだったが、それでも私たちの視線に、圧に負けたのだろう。一度頷き、自身のよれた鞄から一冊のノートを取り出した。
変哲もない大学ノートだ。
「メールをくれたO君の日記だ。今朝、連絡も無しに届いた」
「読んでもいいですか?」
「構わない。問題の箇所には付箋を貼った。……読み終わって気分を悪くしても俺のせいにはしないでほしい」
私は頷いてから黄色の付箋の貼られたページを開いた。