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薄明光線  作者: 田中利明
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4.過去2章

 りんの右腕に大きな傷を残した鷹は、一旦、二人の頭上を通りすぎた。

しかし、すぐに旋回すると、再びりんに狙いを定め、速度を速めて襲い掛かってくる。

りんは亀七を抱え込むと、目を瞑って鷹からの攻撃に覚悟をした。


その時、ザッと草を押しのけて、りんの前に大きな影が立ちはだかった。

りんに襲い掛かろうとしていた鷹は、突如現れた大きな敵に驚き、高度を上げようと羽ばたく。

すると影から一陣の銀光が放たれ、鷹の体を一気に切り裂いた。

全てが一瞬の出来事であった。

2つに両断された鷹の体は、地面に叩きつけられると、一度、大きく弾んでから再び地に落ちた。

鷹は、体を痙攣させていたが、しばらくすると動かなくなった。


刀を鞘に戻す金属音がして、りんは影に目を向けた。

大きな侍だった。身の丈は6尺近いだろう。黒い羽織と袴を身に着けた男が、りんに背を向けて立っている。

侍はりんに向き直り、屈み込むとりんの腕の傷を見た。

「酷い怪我だ。」

懐から手ぬぐいを取り出し、優しくりんの腕に巻きつける。

「早く手当てをしなければ。行こう。」

侍はりんと亀七を立たせようと手を伸ばした。りんは、先程までの恐怖で震えていたが、なんとか言葉を発した。

「あのっ、助けていただき・・・ありがとう・・・ございました・・・。」

しかし、そんなりんの言葉をかき消すように、背後から馬の蹄の音が響いてくる。

「まずいな。」侍は呟いた。

ざざっと周囲の草が揺れ動き、周囲を騎乗した数人の武士が取り囲んだ。

皆、狩衣に身を包んでいる。身なりから、かなり身分の高い武士であることが窺える。いや、ここが鷹場である以上、相手が誰であるかは

考えるまでもないのだ。周囲を囲む武士の一人から怒号が発せられた。

「貴様ぁっ!」

手にした騎馬鞭を向けると

「この鷹を、藩主松平様の鷹と知っての狼藉かっ」

りんを助けた侍は跪いたままの姿勢で

「畏れながら申し上げます。」と応えた。

馬上の武士を見上げる。

「幼子2人を守るため、致し方なく抜刀いたしました。」

馬上の武士は手にした騎馬鞭を投げ捨てると

「ええいっ、黙れ!」っと腰の刀を抜いた。

「たかが町民の子供と、殿の召抱える鷹とどっちが大事かっ」

手にした刀で侍に打ちかかってきた。

「いや、お待ちください。」

侍も仕方なく刀を抜くと、身を起こして打ち下ろされる刀を受けた。

「お待ちください、話を聞いてください。」

馬上の武士は更に激高した。

「おのれ、刀を抜きおったなぁ。」

振りかぶって大上段から再び刀を振り下ろした。

侍は襲いくる刀を再び受ける。激しく火花が散るが、侍の態度はどこか飄々としている。

「いやいや、お待ちください。どうか私の話を・・・」

しかも侍は、受けた刀をいちいち押し返すので馬上の武士はその度に体勢を崩し、落馬しそうになる。

「おのれ、見たところ、金で士分を買った新番組といったところか。」

幾度となく武士は刀を振り回した。

しかし武士の持つ刀は、鷹狩り向けに帯刀した儀礼用の刀であろう。それに対し侍の刀は、刀身3尺以上もある打刀である。

微かに湾曲したその刀は見るからに実戦向けであり、特に鷹場のような遮る物のない広い場所ではその威力が存分に生きる。

受けるだけとは言え、刀の性能が違うため侍の方に余裕があった。

しかも、相変わらず侍は、受ける刀を押し返している。

馬上の武士は歯軋りをした。

「おのれ、小癪なぁ。」

「だから、お待ちくださいと言っているのに。」侍は続ける。

「子供とは言え、領民は藩の宝ですぞ。そんな宝をご自分の鷹が傷を付けたと知ったら、殿も悔やまれましょう。」

私は殿のために動いたのですと侍は嘯いた。


すると後方に居た馬上の武士から豪快な笑い声が響いた。

「面白い奴じゃ、もう良いわ。」

先般まで刀を振り回していた武士は

「然し、殿っ」

と気が済まぬ面持ちで振り向いた。そんな家臣を手で制し

「然しながらその方、自分よりも上位の者に刀を抜いたのはいただけぬぞ。」

侍は

「それにつきましては、ご覧くだされ。」と自らの刀を見せた。

「某の刀には刃が立っておりません。」

見ると、なるほど、侍の刀は刀身全体が丸みを帯びている。それを見て、刀を振り回していた武士から悲鳴が上がった。

「ああっ、某の刀が刃こぼれしておる。」

刃の立っていない、いわば鉄の棒を相手に満身の力で刀を打ち付けていたのだから無理もない。

武士の刀は広い範囲が大きく欠けていた。

後方の武士は再び大笑いをすると、

「もう良い。今日は十分に獲物も捕った。ここから立ち去るがよい。」

りんの方を見て

「童、怪我をさせて悪かったな。」と言った。

侍は刀を鞘に納めると、りんと亀七の手を取って湿地から出て行った。

刃こぼれした刀を見ていた武士は

「殿っ」と向き直った。

後方の武士、名を松平斉貴という。9代目の松江藩藩主である。

「見てみろ。」

斉貴は地に横たわる鷹を指差して言った。

「見事に両断されておる。あ奴、刃のない刀でいかなる技を使ったのか、面白い奴じゃ。」


りんと亀七を助けた侍は、近くの寺の手水場まで二人を連れて行き、りんの右腕から手ぬぐいを解いた。

傷を見ると、大きく抉られた傷口からはまだ血が止まらずに染み出している。

「少し沁みるぞ。」

侍は柄杓の水を暫く眺めるとそっと傷口にかける。最初、焼けるような痛みでりんは目を瞑った。

傷口は小さく泡立ち、清められていく。

侍は、柄杓の水でりんの傷口を繰り返し洗った。柄杓の水は、細かく泡立つ不思議な感触だった。

やがて痛みに慣れてくると、りんは、柄杓の水を興深く眺めた。どうやら、りんの知る水ではなさそうだ。

「可愛そうに、この深さでは、痕が残るやもしれん。」

しばらくして侍はじっと傷口を見たまま考えこんだ。りんは不安そうに自分の傷口と侍を眺めている。

「やむを得ん。」

侍は掌をりんの傷口に(かざ)した。

りんは自分の右腕に熱を感じた。焼けるような熱さではなく、日差しの温かみのような熱だ。

「これでよい。」

しばらくして侍は覆っていた掌を外した。見るとりんの右腕は、先程までの傷は跡形もなく消え去り、元の白い素肌に戻っていた。

「えっ?」りんは目を疑った。

「えっ?何で?」

すでに痛みもない。傷口のあった辺りを擦ってみたが、滑らかな自分の素肌があるだけだ。

「ん?んん?」

りんは目を丸くして自分の右腕を何度も擦る。侍は笑いながら

「こら、そんなに擦ると傷になるぞ。」


亀七も子犬を抱いたまま、驚いた表情で固まっている。

りんはふと我に返り、改めて侍に向き直った。

「本当にありがとうございました。」

深々と頭を下げる。亀七も慌てて頭を下げた。

「すごく不思議なんですけど、助けていただいて、傷まで治していただいて。」

りんは、困惑しながらも礼を述べた。


侍は袂から桜色の小さな御守袋を取り出し、りんに渡した。

「これを落としただろう?」

見るといつもりんが持ち歩いている御守であった。

「大橋川の橋の上で落としたのを見かけたんだ。」侍は言う。

「わざわざ届けてくださったのですか?」

りんは御守袋を受け取ると大事そうに胸に抱いた。

「どうもありがとうございます。」

侍は微笑みながら、

「君は足が速いね。追いつくのが大変だった。」と言った。

「でも、そのお陰で二人を助けられた。」

侍は、恥ずかしそうに俯くりんと、未だに呆然と立ち尽くす亀七を眺めた。


「君はりんだね?」唐突に侍は言った。

「えっ?」りんは驚いた。まだ名乗ってはいなかったはずだ。

「あの、どうして私の名前を?」

「私は梅屋の者だよ。たびたび私の店に使いに来てくれるのを見かけていたんだ。」

りんは再び驚いた。

「それじゃ、梅屋のご主人」

「私は、父の代に武士の家格を松江藩から買ったからこんななりをしているけど、本筋は商人でね。」

侍は立ち上がると

「さぁ、帰るとしよう。」と歩きだした。

りんは慌てて尋ねた。

「あの、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

侍は振り返ると

「私は、風見忠治だ。」にこやかに応えた。


「風見忠治様。」

家の座敷に座り、りんは庭を見ている。

忠治に助けられてから数日が経った。庭では亀七が、助けた子犬と遊んでいる。

結局、亀七は子犬を家まで連れ帰ってしまった。自分の名前にちなんで、はちと名付けたらしい。

もしかすると亀七は、自分の名前をそれほど嫌ってはいないのかしらとりんは思う。


ふすまが開きしづが顔を出した。

「りんはまたぼうっとしているのかい?」

庭で犬と遊んでいた亀七も、縁側に身を乗り出して言った。

「姉ちゃんはあのお侍様の事を考えているんだ。」

りんは耳まで赤くなりながら

「そんな事・・・」っとぼそぼそと呟いた。

「しかたのない子だね。」

しづは微笑みながら、

「梅屋さんのご主人には、私も会った事がなかったけれども、お前たちが助けられたと聞いたからね。

御礼に行こうと思っていたんだよ。」

一緒に来るかい?としづはりんに聞いた。りんは勢いよく立ち上がると、いそいそと身支度を整え始めた。


梅屋の暖簾を潜ると、大福帳を付けていた番頭の佐吉が顔を上げた。

「おや、針屋さんじゃないですか。今日はおりんちゃんもご一緒なんですね。」

しづは

「お世話になっております。」

と、帳場から出てくる佐吉に頭を下げた。

「実は先日、手前共の子供が、こちらのご主人に危ない所を助けていただいたそうで。今日はそのお礼に参りました。」

佐吉は框から降りると

「それは、どうもご丁寧に。さぁ、どうぞこちらへ。」

店の脇の木戸まで二人を案内する。


「こちらから手前共の庭に回る事ができます。」

木戸を通り抜け、佐吉は二人を連れて庭に出た。

庭には、大きな梅の木が1本と、梅を囲むように紫陽花や牡丹、椿の木が植えてある。

母屋までは飛び石が渡してあり、その周囲を白い玉砂利が敷いてあった。

「この木が、手前共の店名の由来でして。」

と佐吉は梅の木を見ながら歩みを進める。


「旦那様。」

佐吉は座敷に声をかける。

座敷には忠治が、文机に向かって何かを書いている。

「旦那様、針屋さんがお越しになられました。」

忠治は筆を置くと、笑みを浮かべてしづとりんを迎え居れた。

「さぁ、どうぞお上がりください。」

佐吉に勧められ、二人は縁側から上がると、座して頭を下げた。

「この度は、手前共の子供を救っていただいたそうで、ありがとうございました。」

忠治は、縁側で頭を下げる二人の側まで近寄り、

「いえいえ、とんでもございません。さぁ、どうか座敷までお上がりください。」

さぁと勧める。

「いきなり縁側に案内して申しわけありません。実は当家の門口は店の反対側でして、回りこませるよりもと番台は考えたのでしょう。」

忠治は二人に向き直って座ると、改めて挨拶を交わした。

「おしづさんとは、お初にお目にかかりますね。おりんさんとは先日ぶりだ。当家主人の風見忠治と申します。」

「お仕事中にお邪魔いたしまして。」としづは畏まる。

「あっ、仕事ですか。いえいえ、そんな大層な事をしていたわけではないのですよ。」

忠治は書いていた紙を二人に見せた。紙には下駄だろうか、世辞にも上手いとは言えない絵が描いてあった。

「下駄でございましょうか。」

しづは戸惑いながら答えた。

「はい。下駄です。強いて言えば下駄の鼻緒です。」

忠治は嬉しそうに鼻緒の部分を指した。

鼻緒の部分には、何か小さな花弁のような物が描かれている。

「下駄の鼻緒に飾りを付けたら、若い娘にとって、楽しいのではないかと考えまして。」

忠治は満更でもなさそうに自分の絵を見た。しづとりんは暫くそんな忠治を見ていたが、可笑しくなって笑った。

大店の主人である忠治が、真面目な顔で下駄の画と睨めっこしていた姿を思い出したのだ。

「失礼いたします。」

すっと襖が開き佐吉が入ってくる。

「お茶をお持ちしました。」

佐吉は3人の前に茶と菓子を出した。

「でもっ」とりんは話しかける。

「とても素敵です。そんな下駄、私も履いてみたいわ。」

笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭いながらりんは言った。

「そうか。」

忠治は顔いっぱいに喜びの表情を浮かべた。

「聞いたか佐吉、りんは分かってくれたぞ。やはり俺の考えも捨てたものではない。」

佐吉は苦い顔で

「おりんちゃん、あまりうちの主人を煽てないでおくれ。」

りんは手を振って

「とんでもない。本当です。とても素敵だと思うわ。」

「ほら見ろ佐吉。」

益々喜ぶ忠治に佐吉は

「いいえ、足の指の間から花が咲いていたら、可笑しいです。」と言った。


「しかしなりん。」っと忠治は言う

「この飾りをどう留めるかで、頭を悩ませておるのだ。」

留めるですか?とりんは小首をかしげる。

「そうだ、簡単に付け替えができないかと考えていてな。簪のように金具を使うのは危険な気もする。」

「紐で結わえたらどうでしょうか。」

「いや、それだと紐が花弁の飾りの邪魔になるのだ。鼻緒の裏に隠そうとすると、履き心地が悪くなる。」

うむぅっと忠治とりんは考え込んだ。

「それでは、こうしたらどうでしょう。」

りんは顔を輝かせながら忠治の側に近寄ると、文机の紙に書き出した。

「こうして、紐の部分は葉の形にするんです。飾りの花弁だけではなく、紐の部分も含めて飾りとすれば。」

「おおっ、なるほど。」忠治は手を打った。

「これであれば邪魔にはならないし隠す必要もない。」

二人とも筆を執って文机に向き合うと、何やら話ながら描き出した。


そんな忠治とりんを、しづと佐吉は微笑んで見ていた。しづは佐吉に

「りんから聞いて心配になったのですが、」

僅かに神妙な面持ちになり

「梅屋さんにとって、お武家様は大口のお客様でございましょう?手前共と致しましては、子供を救っていただき有難いのですが、

その事が、こちらの商いに差し障りがあるのではと心配になりまして。」

佐吉は明るい表情で返した。

「主人から聞いた話では、松平様自ら放免になさったそうですし、それに手前共の主人はあまり店には出ません。

おそらくその場にいらした何方様も、梅屋の主人とは分からなかったでしょう。」

と返した。

その後、佐吉はしづに、忠治がまだ幼い頃に両親を亡くし、自分が父親代わりとなって育てた事、忠治が今年で19歳となる事などを語った。

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