1.現代1章
巨大なタイヤを軋ませて、ボーイング787型機は鳥取県の米子空港へと降り立った。
両翼に一機ずつ搭載されたジェットエンジンは、ランディングと共に逆噴射を開始し、機内に高音を響かせる。
羽田からの距離は約700km。太平洋側から日本海側へ、日本を横断する航程の飛行時間は約1時間だった。
やがて機体が完全に止まり、小さなモーター音と共に、乗降扉が開き始める。
周囲は、腰のシートベルトを外す音や、頭上に設置された荷物棚のロックを外す音で満ちた。
その中に、森山彩音、拓海の姉弟の姿もあった。
彩音は、今年で高校2年になる16歳だ。両親と拓海の4人家族で、埼玉県の武蔵浦和に住んでいる。
父親は、島根県の松江市出身で、三人兄弟の末っ子だ。名を宏という。都内の電気機器メーカで、経理を担っている。
ひょろりとした痩せ型の体に、面長の顔が乗っており、どこか気弱な印象を受ける。
見た目通りの性格で、彩音も拓海も、この父から叱られた記憶はないのだ。
彩音は、よく自分の父を、綿棒みたいだと表現した。
「細長くて、どこに置いても邪魔にならないし、耳かきした時の優しさが似ているから。」だそうだ。
決して揶揄しているわけではなく、どちらかと言えば、自分の父への好意がうまく表せていると思っている。
母親は、名を春香という。埼玉県内の大手百貨店で、営業企画という部署に所属している。
自宅でも、ノートパソコンを立ち上げて何らかの資料を作っているが、彩音には何をする部署なのかよく分からない。
彩音は母を、「フライパンを振りながら、パソコンを操作できる人。」と表現する。
家族の食事を作りながらも、頭の中では構想を練っているのだろう。
料理の合間を見ては、数歩で机の前に移動し、パソコンのキーボードを一気に叩く。
1分と経たずに、またキッチンに戻る、というような行動をよく目にした。
宏は見かねて、キッチンに立とうとするのだが、春香は笑って首を振った。
家族は、宏の料理の腕前を知っていた。必ず指を怪我をするのだ。それに、春香は忙しい事を楽しんでいる節もある。
代りに、春香は、掃除や洗濯が苦手で、それは宏の方が好んでやっていた。
性格は正反対な両親なのだが、だからこそ、仲良くやれているのかなと彩音は思う。
毎年、お盆の時期には、島根の本家に親族が集まる。彩音の家族も、8月中旬に島根に向かうのが慣わしだった。
しかし今年は、宍道湖の花火を見るために、彩音と拓海だけ先行する事になった。
本家に住む、いとこの菜々美からの電話を、彩音は思い出していた。
今年は、彩音達のはとこ関係にあたる、美緒が来ると菜々美は言っていた。
美緒は、大阪の大学に在学し、一人暮らしをしている。
民俗学を専攻したとかで、石見神楽を見るのが今回の目的との事だ。
彩音より4つ年上の21歳で、すでに酒豪の貫禄が見え初めているらしい。
昨年は、叔父達を相手に、日本酒2升を一晩で空けた。
三兄弟の次男にあたる信二と、特に意気投合し、朝方まで呑んでいたらしい。
「美緒姉の事は、好きなんだけどさ、酔うとちょっと大変で。あたしの部屋に泊まるからね。」
菜々美の苦笑いが目に浮かんだ。
「8月3日から宍道湖で水郷祭もあるし、夏休みに入ったら、こっち来てよ。」
水郷祭は、松江市で開催されるイベントだ。
宍道湖の湖上から打ち上げる、多種多様な花火をメインに、特設ステージでの催し物や宍道湖周辺で、様々なフェスタも執り行われる。
彩音は、笑いながら快諾した。
仕事をしている宏と春香は、そう休みも取れないので、子供達に遅れての到着となる。
飛行機で松江に向かうには、2通りの方法がある。
鳥取県の米子空港を利用する方法と、島根の出雲空港を利用する方法だ。
米子空港の場合は中海を、出雲空港の場合は宍道湖を迂回しなければならない。
どちらの空港を利用しても、空港バスを使っての移動になるし、向かう本家が松江北部の山側なので、いくぶん米子空港の方が近い。
そして今回は、空港まで向かえが来る事になっている。
彩音は、荷物棚から、大きなボストンバッグとリュックを下ろすと、リュックの方を拓海に渡した。
二人は荷物を抱えて、乗降扉からタラップを降りる。
「やっぱりこっちも、夏は暑いわね。」
彩音はアスファルトからの熱気に、おもわず呟いた。
「でも、埼玉よりも、だいぶ気温は低いんだよ。」
拓海はリュックを背負いながら、彩音に並んで歩き出した。
「まぁ、それでも暑いけどね。」
米子空港は、米子鬼太郎空港の愛称でも知られている。
ターミナルビルの中に入ると、至る所にアニメに出てくる、妖怪のキャラクターが搭乗客を出迎えた。
拓海は、幼い頃からこのアニメが好きで、この空港に来る度に目を輝かせていた。
今年で11歳となった今は、落ち着こうと心を決めているようだ。
それでも、展示されているキャラクター人形を、ちらちらと横目で見ている様は、逸る気持ちを懸命に抑えているのがよく分かる。
彩音は、拓海を見てクスクスと笑った。
「見てきてもいいわよ。まだ約束の時間まで、だいぶあるし。」
「別に、そんなんじゃないよ。」
拓海は慌てて視線を逸らせるのだった。
到着ロビーに出ると、二人に手を振る美緒の姿が見えた。
ノースリーブのTシャツにショートパンツといった軽装に身を包んだ美緒は、
まだ8月に入ったばかりだというのに、すでに真っ黒に日焼けしていた。
「美緒さん、お久しぶりです。今日からよろしくお願いします。」
「こんにちは。」
彩音と拓海は、美緒の側まで来ると2人揃って頭を下げた。
「彩音ぇ、拓海ぃ。久しぶりだね。拓海、お前ちょっとでっかくなったか?」
わしゃわしゃと拓海の頭をかき回す。
拓海は首をすくめて、されるがままになっている。
美緒の実家は、鳥取で美容院を営んでいる。美緒は、昨日の内に、大阪から車で帰ってきていた。
今日は、米子空港で彩音と拓海を乗せて、松江に向かう事になっている。
美緒の愛車は、黄色のランドクルーザだ。若い女性にとっては、あまりにも巨大で無骨な車である。
しかし美緒は、どこからでも生還する事をコンセプトに作られており、どんな悪路でも平気で乗り越えてくれるのだと、嬉々として語っている。
大阪の中古車店で見かけて、一目ぼれして買ったのだそうだ。
「しかも今時、マニュアル車だよ。」
美緒はクラッチを踏むと、床から長く伸びたシフトレバーを1速に入れた。ガコンと鈍い音がして、車体がゆっくりと動きだす。
このランドクルーザは、2014年に1年限定で生産発売された、復刻版のモデルだ。
見た目は、昔からのデザインを踏襲しているが、最新のV型6気筒4リットル・ガソリンエンジンを積んでいる。
大きなエンジンから生まれる強いトルクは、どんなラフな運転にも応える。
美緒は、バンパーの内側に、巨大なウィンチを付けていた。
ウィンチは、ワイヤー・ロープからナイロン製のロープに巻き変えてある。
「切れた時が危ないからね。」
ワイヤー・ロープは、素線と呼ばれる細い鋼線が、多数撚り合わさって出来ている。
張力の掛かったワイヤーが破断した時、切れた素線は周囲に飛び散るし、勢いの付いたワイヤーは予測不能な動きで跳ね回る。
強度の面では、ワイヤー・ロープの方が高いのだが、破断による影響と使用頻度を天秤にかけて、美緒は判断をしていた。
大学のフィールドワークで、山中に出かける事が多いが、幸いにもウィンチを使う状況には、未だ遭った事はないのだ。
道とも呼べないような悪路を走行する事があるため、あるだけで安心できる、いわばお守りのような存在だと美緒は語った。
窓も、通電が無くても開閉できる手動式だ。
「アナログでクラシック。居住性は二の次ってところが好きなんだ。」
彩音は、エアコンが装備されていて本当に良かったと思った。
3人を乗せたランドクルーザは、431号線に入ると、松江に向かって速度を上げていった。
「うわぁ、空が広いわね。」
ランドクルーザの広いフロントガラス越しに空を見上げると、彩音は感嘆した。431号線は片側2車線の広い道路だ。
すぐ右手には、日本海が広がっているし、左側にも視界を遮る高層な建物がないので、少し上を向いただけで、視界いっぱいに空が広がる。
暫くすると、1車線の道幅になった。中海と日本海を結ぶ運河に架かる、境水道大橋に近づくからだ。
この鉄橋は、腰の高さほどの柵があるだけなので、背の高いランドクルーザの助手席からだと景色がよく見えた。
「海だ。」
彩音と拓海は同時に声を上げた。
助手席の窓から見ると、進行方向となる右手側に山々が、左手に街並みが広がっている。
正面には、ゆるく左に曲がって流れる運河が続いており、日差しを浴びた水面が輝いていた。
「なんか、二人を見てるとこっちまで嬉しくなるね。」
美緒は、2人に笑顔を向けた。
松江に入ってしばらくすると、城北通りへと入った。この辺りになると、民家が目立つようになる。
通りに沿って更に進むと、37号線と交わり、美緒は右へウインカーを出した。
「あっ、美緒さん、そこのコンビニに寄ってもらえますか?」
彩音はコンビニエンス・ストアの看板を見つけると、指差した。
聞きなれたチャイム音と共に、店内に入った。
彩音は、買い物カゴを手にすると、菓子パンの売り場に行った。
「あっ、あった。これこれ。」
彩音は目当ての菓子パンを見つけると、嬉しそうにカゴに収めた。他にお茶のペットボトルが入っている。
「おっ、バラパンかぁ。」
美緒は、両手いっぱいに乾き物や酒類を持ってくると、彩音のカゴに入れていく。
「ちょっ、ちょっと。」
彩音は、急に重みを増したカゴに目を丸くした。
「僕はこっちだな。」
拓海は、コーヒー味と書かれたパッケージを手に取って、やはり彩音のカゴに入れていく。
バラパンは、細長く加工されたパンにクリームを塗り、薔薇の形状に巻いた菓子パンだ。
バラパンを食べるのが、彩音と拓海の島根に来た時の楽しみの一つだった。
島根から帰る時も、いつも2~3個を土産に持ち帰るようにしている。
「もう、しょうがないな~。」彩音は、苦笑いしながら、他にも菓子をいくつか選んで、レジへと向かった。
レジには、背の高い青年が一人で立っていた。ゆるくウェーブした黒髪が、ほっそりした輪郭に似合っている。
「いらっしゃいませ。」
青年は商品を丁寧に袋に詰めていく。
「少し重いと思うので、袋を2つに分けますね。」
青年はにっこりと微笑むと、彩音にそっと手渡した。
「どうも。」
彩音は、青年の笑顔に、わずかに胸の高鳴りを感じて、そそくさと店を後にした。
「ありがとうございました。」
背後から青年の声が聞こえてくる。
助手席に戻ると、美緒と拓海が笑いながら見ていた。
「彩音、顔が赤いよ。」
「えっ?なんで?そんな事ないよ。」彩音は、頬を両手で覆った。
「彩音は、ああいう線の細そうな感じがタイプなのか?」
美緒と拓海は、彩音の持っていた袋をがさがさと漁ると、自分の選んだ菓子パンを引っ張り出した。
いつの間にか、美緒も自分の分を追加していたらしい。和風と書かれたパッケージを開けると、豪快にかぶりついた。
「そんなんじゃないですよ。嫌だなぁ。からかわないで。」
美緒も自分のパンのパッケージを開くと、一口分の大きさに千切って、口に運んだ。
クリームの甘さとパンの柔らかい触感が口いっぱいに広がる。
「ん~、やっぱり美味しい。こっちじゃないと、なかなか食べれないよね。」
後部座席を見ると、拓海が、一直線になったパンの隅を咥えて、もぐもぐと懸命に口を動かしている。
巻かれたパンを一旦解いて伸ばしてから、一気に食べるのが、拓海流だ。
食べにくいだろうと彩音は思う。
本家は、敷地への入り口が2つある。玄関口が向いている門と、玄関から回り込んだ先にある門だ。
玄関口に繋がる門を正門、もう片方を裏門と親族は呼んでいる。両方とも、通りに面してはいるが、裏門の方がいくぶん
広く土地を空けており、駐車場として使っている。
美緒も裏門からランドクルーザを乗り入れると、空いているスペースに駐車した。
「おっ、来たかぁ。」
玄関口に向かった3人を最初に迎えたのは、叔父の信二だった。
信二は3兄弟の次男で、島根の漁業組合の職員をしている。がっちりとした体の持ち主で、太い腕に、スーツの上着を掛けている。
発達した胸筋と上腕二頭筋が、ワイシャツをはち切れんばかりに押し上げている。
宏とはあまりにも対照的なので、本当に兄弟なのかしらと彩音は思う。
「こんにちは。」
彩音と拓海は叔父に向かって頭を下げた。
「あれっ、叔父さん。今日は仕事は?」
美緒は、手を振って、フランクな挨拶を叔父に向けた。
「いや、これから戻らなきゃいけねぇんだ。」
信二はタオルで顔の汗を拭いながら答えた。
「うちのガキ共を連れて寄っただけでな。夜にまた来るからよ。そうそう、居間に酒を置いといたから、今夜呑もうや。」
美緒は満面の笑みになりながら、「うまい肴も期待してるよ。」と言った。
居間に入ると、悟と昭雄の兄弟がゲーム機を手に遊んでいた。
この兄弟は、信二の子供で、兄の悟は拓海と同じく小学校5年生、弟の昭雄は小学校2年生だ。
弟の昭雄は、元気いっぱいのやんちゃな性格で、兄の悟は、活発な性格ではあるが、弟の面倒見の良い兄貴分という印象だ。
二人は拓海を見ると近寄ってきた。
「俺達も今日から本家に泊まるからよ。もう、部屋も決めてあるんだぜ。」
「えっ、近所に住んでるのに、泊まるの?」
拓海は少し驚いて聞いた。信二達家族は、本家から歩いて数分程度の近くに住んでいる。
「俺達が帰ったら、拓海が退屈するだろ?だから、俺達も付き合おうって、昭雄と決めたんだ。なっ、昭雄。」
「俺達も拓海に付き合うんだ。」弟の昭雄も歯を見せて笑った。
「ありがとう。」拓海は、少し照れくさそうに礼を言った。
「部屋に行こうぜ。2階なんだ。」
「美緒姉ぇと彩音ちゃんは、今年も私の部屋ね。」
隣の台所から、菜々美が顔を出した。菜々美は彩音と同じ、高校2年生で、歳は17歳になる。
3兄弟の長男、洋平の娘で末っ子だ。高校ではテニス部に所属していて、そのためか、髪は短く刈り上げている。
「菜々美ちゃん、こんにちは。」
「菜々美ぃ、久しぶり。」
「二人とも疲れたでしょ、一息ついてよ。」
菜々美が、よく冷えた麦茶を持ってきた。
「お菓子買ってきたよ。夜にお話ししながら食べようね。」
彩音はコンビニの袋を差し出す。
「おっ、そうだ。ビール、冷蔵庫に入れておいてもらおう。」
「美緒姉ぇ。私の部屋では呑まないでよ?」
美緒は袋からビールと乾き物を取り出すと、テーブルに置いた。
「そういやぁ、この近くのコンビニの店員に、彩音が惚れちまってさぁ。」
「ちょっと、美緒さん。私は別に何もないですよ。」
菜々美は、チョコレート菓子を袋から取り出すと、パッケージを開けた。
「あー、あのコンビニね。確かに、あの店員格好いいね。」
菓子をぽりぽりと齧る。
「でも駄目駄目。うちの学校の女子も何人か、連絡先を聞いたみたいだけど、振られちゃったって。
他にも、お店で携帯の番号聞いてる女の人見るけど、駄目みたいだね。」
「意外だな。もっと遊びなれてる、いい加減な奴だと思った。」
美緒も菓子を口に運びながら言う。
「もし彩音に色目を使うようなら、一発かましてやろうと思ってたのに。」
美緒が、ごきごきと右手を鳴らしながら拳を作った。
「美緒さん、私の話を聞いてました?私は別に、何でもないんですよ?」
美緒が、豪快に笑いながら彩音の肩を叩いた。
「おっさんだ」と彩音と菜々美は思った。
3人が談笑していると、隣の台所から叔母の恵が顔を出した。
「菜々美、蔵からテーブルを一つ持ってきてくれる?」
敷地には、古い蔵があった。2階建てのかなり大きい蔵だが、どのくらい昔から建っているのかは誰も知らない。
住居も古いが、祖父の子供の頃に建て直しがあったと聞いた事がある。蔵はもっと以前から、そのままで使っているとの事だ。
古いが、今でもだいぶしっかり建っており、ひび割れ一つない。
「え~、兄貴は?」
「お父さんと畑仕事に出て、まだ戻ってないよ。暗くなる前に、運んできてね。」
「う~ん、しょうがないなぁ。」
菜々美はしぶしぶ腰を上げた。
「菜々美ちゃん、私も手伝うよ。」
「じゃ、あたしも動くかね。」
3人で蔵へと向かった。蔵は、重い鉄製の扉に、これも古くて大きい南京錠がぶら下がっている。
菜々美は南京錠を外すと、扉を引き開けた。ぎぎぎっと軋む音を立てて、扉が開いていく。
入り口近くのスイッチを入れると、天井から下がった蛍光灯が点滅し明かりを灯した。
蔵の中は雑多な物が置いてある。ほとんどの物は、埃よけの大きな布で覆われているから、何があるのか分かり難い。
「さて、テーブルは確か2階だったかな。」
3人はぎしぎしと軋む階段を上っていった。
2階はあまり人が立ち入らないのだろう。少し空気が淀んでおり、昼間だというのに、肌寒さを感じる。
蛍光灯や小窓からの明かりはあるが、全体的に薄暗く、どこか怪しげな雰囲気が漂っている。
美緒は周囲を見回すと小さく眉をしかめた。
「う~ん、何か居る気がする。」
「ちょっと、美緒姉ぇ、やめてよ。あたし住んでるんだから。」
菜々美は慌てて美緒の背後に隠れた。
彩音は、そんな二人のやり取りを聞いて、くすくす笑いながら辺りを窺う。
2階部分は棚が多い。古い木製の箪笥や最近のスチール製の棚まで多様だ。
テーブルは棚には入らないだろうから、きっと立てかけてあるだろう。
案の定、奥の方に布を被った板状の物を見つけた。
「菜々美ちゃん、美緒さん、きっとこれじゃないかしら。」
布を捲ってみると、彩音が毎年目にする木製のテーブルだった。
「あったわよ。」
彩音は、掛けてあった布を丁寧に畳みながら、二人に声をかけた。すると、彩音の頭に何かが落ちてきた。
おそらく、棚の上に置いてあった物が、布を剥がした時に煽られて、バランスを崩したのだろう。
頭に当たった感覚から、そう重い物ではなかったが、ちょっと危ないなと思う。
やがて、菜々美と美緒もやってくると、落ちた物を覗き込んだ。
「びっくりした。何かしらこれ。」
見ると、30cm足らずの細長い木の箱だった。蓋が紐で結わえられている。かなり年代物らしく、木箱は煤けて紐も色あせている。
彩音は木箱を拾い上げると、埃を払った。菜々美と美緒も、興味深げに彩音の手にある木箱を見ている。
「彩音ちゃん、開けてみてよ。」
「誰かのへその緒じゃないか?」
「う、うん。」彩音は、紐を解くと、へその緒じゃありませんようにと祈りながら、ゆっくり木箱の蓋を開けてみた。
「うわっ、綺麗っ。」
中身は綿が詰められており、中央には、大事そうに簪が1本収められていた。
簪には、3cm程の藍色をした玉が付いており、雪の結晶のような模様が浮かび上がっていた。
うっすらと玉自体が光を放っているように見える。
「おばぁちゃんのかな?」
木箱の蓋の裏には何か書いてあるが、文字が薄くなっていて読めない。
「今度の水郷祭の時に、使ってみたら?」
水郷祭には、3人で浴衣を着る事になっていた。確かに、彩音の浴衣によく似合う簪だ。
「えっ、でも。私が使うのは何だか、悪いわ。」
「私は、この長さの髪だし。美緒姉は?」
「あたしも浴衣は着るけど、この髪型が楽だからな。」美緒はポニーテールを揺すって見せた。
「う~ん。」彩音は煮え切らない。
「じゃ、とりあえず、おばぁちゃんに見せようよ。」
3人は運んだテーブルを居間で組み立てると、早速、祖父母の部屋を訪れた。
祖父は名を洋一、祖母は由紀子という。二人共70歳を過ぎていたが、まだ元気に畑仕事を続けている。
この時は、洋一は畑に出ていたが、由紀子はコーヒーを啜りながらテレビを見ていた。
「3人とも、どうしたの?」
由紀子は3人を見ると、目を細めて微笑んだ。
「おばぁちゃん、これを見て。蔵で見つけたの。」
彩音は木箱の中身を祖母に見せた。
「簪?」
「これ、おばぁちゃんの?」
由紀子は少し考えながら、
「私のじゃないよ。でも、もしかすると、おりんさんのかもしれないね。」
「おりんさん?」
彩音達はお互いの顔を見合った。
「って誰?」
由紀子は、くすくす笑いながら語りだした。
「御伽噺みたいな話があるのよ。江戸時代だから、ず~っと昔のご先祖様に纏わる不思議な話なんだけどね。
でも、私も、義母さんからちょっと聞いただけだから、あまり思い出せないわ。変な話だったから、印象には
残っているんだけど。」
彩音達は身を乗り出して、由紀子の話に耳を傾けた。