〈第5話〉この小説、結構序盤でM1関係なくなっちゃった©ハライチ
吹き抜けの天井窓から、五月のまぶしい陽光が差し込み、図書館全体を照らしている。
閲覧コーナーに腰を下ろしたおれは、地元新聞社の縮刷版のページをめくり始めた。
元いた世界で、小滝先生が何者かに殺されたのは1996年のお盆。終戦記念日だったはずだ。
しかし今いるこの世界の、1997年の時点で先生が生きてるってことは、あの事件自体が起こらなかったということなのだろう。そう考えていた。
しかし次の瞬間おれは息を呑み込み、手を止めた。
[天文館で通り魔9人死亡 ナイフで次々10人重傷 白昼の惨劇、犯人は逃走]
一面トップに躍る大きな黒抜きの見出しが目に飛び込んできて、おれは自分の予想が完全に外れていたことを知った。
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十五日午後二時半ごろ、鹿児島市千日町の繁華街、天文館の歩行者天国の通りにトラックが突っ込み、通行人をはねた。運転していた男は車から降り、約百メートルにわたって通行人や県警中央署の署員をサバイバルナイフで次々に刺し、九人が死亡、十人が重傷を負った。騒然となった現場から男は逃走。県警は捜査本部を立ち上げ、殺人容疑で男の行方を追っている。
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記事の書き出しを読んだだけで、あの戦慄がまざまざとよみがえってくる。
この世界でも事件は起きていたのか。
ならばどうして先生は生きてるんだ。
「天文館19人殺傷事件」の記事は一面以外のページも埋め尽くしていた。ほかに目を引いたといえば、大リーグでドジャースの野茂が二けた奪三振で12勝目をあげたというニュースぐらいだ。
だけど何かがおかしい。
オレは紙面から立ち上る違和感がなんなのか分からないまま、すべての記事を読んでいった。
当時から思っていたことなのだが、お盆とはいえ、多くの目撃者がいたであろう現場から、犯人はなぜ逃げることができたのか。男の顔を見たという人はいないのか。どの記事を読んでも疑問は解決しなかった。
しかし今、おれの心に引っかかっているのはそれじゃない。
なんだろう。
「天文館19人殺傷事件」
19人殺傷?
うん?
そうだ。
19人ではなかったはずだ。
あの夏よく聞いたのは、たしか「天文館20人殺傷」という事件名。おれんちの壊れかけのテレビデオは、壊れかけのラジオのように「20人殺傷」と繰り返すアナウンサーの声を流し続けていた。
そうすると、元いた世界では死んでしまった被害者が1人、この世界では生きているということなのだろうか。
つまり、それが小滝先生なのか?
混乱した頭を抱えながらおれは、1996年9月分や10月分の縮刷版も棚から取り出し、関係ありそうな記事を片っ端からコピーしていった。そしてようやく図書館を出た。
久しぶりに酒が飲みたい。
思えば相方に一方的に別れを告げられてからというもの、一滴も飲まない日が続いていた。
すでに暗くなりはじめていた街を歩きながら、おれは「J」に行ってみようかと思いついた。
天文館にしょっちゅう買い物に行っては必ず寄っていたバー。ご時世の違いと言えばそれまでだが、高校生が学ラン姿で入っても、ヒゲのバーテンのおじさんはいつも笑顔で迎えてくれた。
「お湯割りでいいな?」
いつ行ってもこう言って、常連のように扱ってくれたのもうれしかった。
天文館の外れの薄暗い地下一階の奥にある、看板も何もないドアを開けると、おじさんがいた。ほかにまだ人はいないようだ。
カウンターに6脚だけの椅子が並ぶのを見て、懐かしさでおれは涙が出そうになった。
つうか、おじさんって言ってもまだ30代前半ぐらいだったのかな。ずいぶんと若く見える。でもまあ、17歳だか18歳の今のおれからしたらやっぱり十分おじさんだ。
こっちにとっては20年ぶりの再会だけど、向こうにしてみりゃ、よくくる高校生のガキが今日もまた来やがったって感じか。
端っこのスツールに腰掛け、おじさんの「いつもの」セリフを待っていたオレは、自分の耳を疑った。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」
え?
なんだ。このよそよそしい態度は。
驚いて視線を向けると、おじさんはなぜか、戸惑ったようにその顔をゆがめていた。