〈第1話〉みんなシャ乱Qを歌ってた時代におれは戻ってきた
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
状況を整理するんだ。
世界史教師の「小滝トゥス」が古代ローマ時代の出来事についてぼそぼそぼそぼそしゃべっている。もちろん全然耳には入ってこない。手に握っている鉛筆が、小刻みに震えている。いや震えているのはおれの手のほうだ。
さっきは山下に言われるがまま、昼の校内放送をするため放送部のスタジオに連れて行かれたが、上の空で訳が分からなかった。
確かにおれは高3のとき放送部に所属して、毎週月曜日に山下と組み、当番をこなしていた。好きな歌を3曲かけて、合間に少し話をするのが役割だったはずだ。
「え?なに?お前、今日、CD持ってきてねえの?」と言われて、おれは黙ってうなずいた。山下が嬉しそうにシャ乱Qだのミスチルだのを学校中に流していく。めちゃくちゃ懐かしい気持ちと、やっぱりおれは過去にタイムリープしてきたらしいという実感が同時にこみ上げてきた。
教室に戻り、みんなが弁当を食べ始めたり、カフェテリアに行ったりしている間もおれは自分の机で腕を組んで考えていた。いや、考えようとしていた。正直何を考えればいいのかさえ分からない。
「昨日のごっつ見た?最近ちょっとつまんなくねえ?」
後ろのほうで誰かがふいに言った。振り返って確認すると吉川だった。センスのかけらもない、つまんないことを大声でしゃべるだけのやつ。立ち上がって、お前なんかにダウンタウンの笑いが分かるのかよとつかみかかろうかとも思ったが、今はそれどころではない。
ていうか、これと同じことが高校時代にもあったような気がする。
そんときは吉川を思いきりぶん殴って、自分の右手痛めたんだっけ。吉川は鼻血を出しながら「おまえ、ダウンタウンのなんなんだよ。アタマおかしいんじゃねえの」とわめきちらしてきたな。もっともな感想だ。
あれは何月のことだったんだっけ。
高3になって割とすぐだったような気もする。「ダウンタウンのごっつええ感じ」は、確か1997年の10月か11月には終わっているはずだから、少なくとも今はまだ秋にはなっていないということか。
というか、おれ、もう自分が1997年の世界にいることを当たり前のように受け入れ始めてるな。普通だったら信じられないと思うのだが、この机や鉛筆の質感があまりにリアルで、これが夢じゃないということだけはハッキリ分かる。
「長瀬。おい、長瀬。早く答えろ」
小滝トゥスの声が耳に入り、我に返った。
そうだ。昼休みも終わり、おれは世界史の授業を受けていたんだ。
「早くしろ」
もう一度促され、おれは「後で答えます」と返事した。
「後っていつだよ」と老教師がツッコむと、教室にくすくすという小さな苦笑が広がった。
そこでおれは重大なことに気がついた。なんで今まで思い出さなかったんだろう。いや、誰でもいきなりこんな状況に陥れば、動転して頭がまともに働かなくなるはずだ。
ともかく。
「小滝トゥス」こと、小滝英二先生は、この1997年の時点でもう生きていないはずなんだ。
そう。おれたちが高2の夏。
先生は死んだ。