泡ノ刻
「人魚の死体だ!」
それはまるで、よくできた芸術品のように、そこにあった。
外には、激しい雨が降っていた。
……
港の人知れずの場所に、洞窟が隠してあった。
いや、隠してあったというのも変だろう、元々そうなっているものだから。
しかし、今その洞窟にいる人たちにとっては、隠してあった、としか思わないだろう。
こんな洞窟、今まで探そうも、誰も見つけたことができなかったから。
その洞窟に、見た目からして怪しい黒服の男たちに、一人の美しい女がいた。
可笑しいことに、女は怖い顔して、男たちが怯えていた。
明らかに、その女に怯えていた。
「レッド様! 例の……」
一人の黒服が慌てて、何かを見つけたようで、女に報告した。
レッドと呼ばれたその女は、報告を聞いて興奮した。
「やっと……願いが叶う時!」
黒服が見つけたものは、洞窟の奥にあった。
そこには家具とかが揃っていて、一人で生活できるスペースとなっていた。
そして、その机の前には……
人魚の死体にしか見えないものがあった。
人魚は美しいものだ。
さっき、レッドが美しい女だと書いてあったが、この人魚と比べれば、その辺にいる人とはあんまり変わりないだろう。
人魚の顔に笑顔があって、笑って死んだように見えて、そして、抵抗した跡も一切見当たらない。
レッドは狂喜した。
「お前たち! 速く! 速くその人魚を連れ戻しなさい! 雨に濡れないように!」
黒服たちは慌てて、動き始めた。
「人魚の肉を食べると、永遠の命が手に入れる……」
あまりにも歓喜に満ちたレッドは、腰が抜けてきた。
震いながら、レッドは机に座った。
「ん? なにこれ?」
レッドの手は、一冊の本に触れた。
それは、本にも見えて、ノートにも見えて、あるいは分厚い手紙かもしれないものだ。
「どうでもいいわ、邪魔」
レッドはそれを地面に投げ捨てた。
地面にぶつかって開いた本の中は、日記のようになっていた。
その中に書かれたのは……
……
…………
………………
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私はイアーラ、今日で三百歳になった、仲間外れの人魚。
でも、祝ってくる人も、三百一歳の誕生日を迎えることも、もうないのでしょう。
私はこれから死ぬ。
何故なら、私はまたしてしまった。
許されない恋を、また……
その始まりを、今から告白する。
これが私の遺言。
私の、最期のラブレター。
まだはっきりと覚えているあの日、その晴れの日。
洞窟で生活していた私は孤独に耐えられず、人に会いたくなった。
だから、ちょっとした魔法で、尻尾を人の足を変えた。
これなら、人魚と知られることもない。
久しぶりに、家の隣にある港へと、私は散歩をしに行った。
気持ちのいい海風と、暖かい太陽の光を浴びたのは、いつ以来なのかしら?
私が楽しむその時に、突然大きな音が聞こえた。
人の足音だった。
走ってくるのが顔が怖い、ちょっぴり太っているおじさん。
久しぶりに人間を見た私は、嬉しさのあまりに、話しかけようと。
しかし、緊張する私を見たおじさんは、急に私を強引に捕まった。
急に起きたことに、私は戸惑った。
人間ってこんな感じで挨拶するんだっけ?
そして、向こうからもう一人の男が現れた。
冷静な歩みで、片手に拳銃を握っている。
おじさんを見る途端、銃を構えた。
驚いた私は、動こうとしたら、おじさんに押さえつけられ、盾として使われようとした。
その瞬間、銃声が鳴った。
恐ろしさで涙が出たけど、私は無事だった。
おじさんの押さえつけの力が消え、気が付いたら、おじさんが倒れていた。
私は身体にある返り血を見て、悟った。
今おじさんがその男に殺された。
恐怖で動けない私の前を男が通った。
そして、おじさんの死体の前で……跪いた。
それから、男はおじさんのまぶたを静かに閉ざした。
最後に胸元に手を合わせ、祈っていた……
心から殺した人の冥福を祈るように見えた。
その横顔は、どうしても殺人者には見えなかった。
私は見惚れていた。
人を殺した極悪人なのに、心のどこかに優しさを感じていた。
しばらくしたら、男は起きた。
袋を取り出し、粘土のようなものを拳銃に被らせて固めた。
そして、その拳銃を遠くへ投げ出した。
爆発音とともに、拳銃は砕け散った。
……私がまだいるのが気になったからか、男は私を見つめた。
「君は?」
感情が乗ってない、初めての言葉。
「い……イアーラです!」
慌てて、私は答えた。
男は頷いて、背を向けた。
「俺は清、日野村清」
日野村……清。
そう名乗った後、清は歩いて行った。
殺人者が名乗る……中国ではお前も殺すという意味があるらしい。
本当かどうかは知らないけど、もし本当に殺しに来るなら……
私は何故か期待してしまっている。
人魚からも、人間からも拒まれた私に、会ってくれる人がいるなら……
いるなら……
二度目の出会いまでは、それほど長くはなかった。
あの人を……清をまた見たのは、私が洞窟から、港を眺めている時。
拳銃を構える清と、同じ拳銃を構える男が対立しているのを見た。
何が起こったのは知らない、ただ……
ただ私は、目を離さなかった。
銃声が同時に鳴った。
清の撃ち出す弾丸は見事男の頭を貫いた。
しかし、男の弾丸も、清の身体に当たっていた。
私は思わず港へ飛び出した。
清のところに着く時、清はすでに意識を失っていた。
その姿を見て、私は……
……清を洞窟へ運んでしまった。
元々、人間と接触すべきではない私が、人間を自分の洞窟に運ぶのは、いけなかった。
でも、助けたかった。
人を殺す極悪人を、助けたかった。
清を尻尾に乗せ、治癒する力を持つ歌を、歌っていた。
人間を操れてしまうから、人魚の歌が嫌いだった。
そんな私が必死歌っていた。
清を助けるために。
弾丸が清の身体から飛び出し、傷跡が治って行った。
清がよくなったのを見て、歌をやめた。
清の寝顔を見て、私は楽しんでいた。
大事にしていた笛を取り出し、私は笛を吹き始めた。
昔人間に教わった、優しい曲を吹いていた。
しばらくすると、清は目覚めた。
私を見て、身を起こそうとしたら、倒れた。
「もう少し休んだ方がいいよ」
「……わかった」
私が人魚であることに、清は何も言わなかった。
ただ静かに休んでいた。
「清はなんで、人を殺すの?」
清は黙った。
沈黙がしばらく続いた後、清は口を開けた。
「何故俺を助ける」
その言葉を聞いて、私は笛を取り出した。
「この笛は、大切な人からのプレゼントだった……」
清は何も言わず、私の話を聞き続けた。
私は、人間が好き。
だから、愛する人間と一緒に暮らそうとしてた。
それを知った人魚の仲間たちは、わがままな私を放逐した。
故郷を失った私は、愛する人のところへ行った。
人間は、笛を私にプレゼントして、私と結婚することになった。
だから、人間を信じて、私の最大の秘密を教えた。
私は人魚だって。
でも……
いつの間にか、涙を流していた。
清は静かに私を眺めていた。
「私が……化け物だって……」
人間からも拒まれた私は、一人になった。
孤独に暮らすしかなかった。
「それでも、人間を嫌いにならない……私はバカだから……」
笑顔を作ってみた。
「人間が好きだから、助けたいの」
「……そうか」
清は何も言わなかった。
呆れたのかしら。
「知ってる?」
冗談でも言いたかった。
「人魚の肉って、食べると永遠の命を得られると言われているの」
私は、指を清の口元に当ててみた。
「食べる?」
「断る」
清は立って、背を向けた。
「もう行くの?」
「……」
清は洞窟を出て行った。
死体のところに、祈りでも行ったのかしら?
それが、二度目の出会いだった。
それから、会えない日が続いた。
清が現れることを、いつしか望むようになった。
彼にまた会いたいという願いが、私を狂わせたのかしら。
もう一度、私は魔法をかけた。
尻尾が足になっているのを見て、私は思った。
清に会いに行くって。
私はいけないことを繰り返す、悪い人魚。
三度目の出会いは、その時。
清を探すために、港に出た私は、たくさんの人間を見た。
嬉しかった。
例え会話をしてなくても、人を見ただけで心が踊っていた。
そして、清を探すために、私はあちこち清のことを聞きまわった。
変なことに、清の名前を聞く途端、優しかったみんなはまるで別人のように態度を変え、逃げていった。
私はまた、一人ぼっちになった。
泣きそうになる私が、帰ろうとしたら、清らしき人を遠目で見た。
気が付くと、私が追いかけていた。
しかし、ある倉庫の前に着く時に、人影を見失った。
悲しむ私は突然、背後から声が聞こえた。
「例の清とかいうやつ、最近調子乗ってんな」
二人の男が清の話しながら歩いてきた。
慌てた私は、隣の大きな箱の中に隠れた。
箱の中にはよくわからないものたちが入っていた。
清の話をもっと聞きたい私は、耳を澄ました。
「ほっとけほっとけ、どうせあいつは組織の犬でしかねぇ」
「それもそうだ! 自分が誘拐されたのを知らずに、未だに組織が自分を拾ったと思うようなバカだしな」
「組織の洗脳教育も凄いもんだ、あそこまで人の感情を消せていたからな!」
二人の男は笑っていた。
でも私は、笑えなかった。
どうやら二人は、いい人ではないみたい。
私は二人がいなくなってから箱から出ることにした。
「で、例の箱はこいつか」
足音は、遠くへいかなかった。
二人は私のいる箱の前に止まった。
……見つかってしまう。
「これ、開いた痕跡ねぇか?」
「何だと!」
男たちは焦って箱を開けた。
見つかった。
抵抗することもできず、二人は私をそのままどこかへ連れ去ろうとして、箱と一緒にある車の中に投げ込んだ。
私の身体が縛られていて、口が塞がれていた。
「どうする?」
「美人さんだし、飽きた後どっか売るか」
絶望に襲われ、私は泣いていた。
二人は私を気にせず、車を運転しようとした。
しかし、車は動いてなかった。
「あれ? 動かねえ」
男たちはそのままいろいろ弄ったけど、車は動かなかった。
「外から見てみっか」
一人の男はドアを開けて、車から出た。
そしてそのまま倒れた、一つの銃声とともに。
もう一人の男が反応する前に、すでに2発目の凶弾がその男の頭を貫いた。
車の外に、銃を構える清がいた。
「……三人目は、聞いてなかったな」
私は声を出そうとするけど、口が塞がれていたため喘ぎ声しか出なかった。
清は私を無視して、跪いて祈っていた。
二人分からか、前より長い気がした。
祈った後、清は背を向け、場を離れようとした。
「んーー! んんんーー!」
私の必死の声がやっと届いて、清が振り返った。
「また会ったな、人魚」
清は私の口を覆うテープを剥がした。
痛かった……
「人魚じゃない、私はイアーラ」
「知ってる」
「……ありがと」
礼を聞いて、清が縄を解くスピードが一瞬遅くなった気がする、多分気のせい。
縄を解いたら、清はそのまま場を離れようとした。
「この人たちをほっとくの?」
「……誰かが処理してくれるだろ」
そこで、何かを思い出したかのように、清は私の手を掴んで、車から連れ出した。
「え?」
「どっかいけ、邪魔だ」
「は、はい……」
私は清の言うこと聞いて、離れて行った。
離れた時に、小さい爆発の音を聞いた。
それから、私は清と何度も会った。
私から探しに行くことや、港で戦うのを見て治療しにいくなど、いろいろあった。
でも何故か、私はいつも無傷でいた。
それはまるで、清に守られていたような気がした。
そんなまさか、ね。
ある日、大怪我を負った清を見た。
港で散歩する時、清がそこに倒れていた。
身体が爆発にでも巻き込まれたかのように、いつ死んでもおかしくなかった状態。
「清!」
私は何もかも忘れ、清の側に行った。
焦過ぎるせいで、足の魔法が解けていたことにも気付かなかった。
清の隣に、私は治癒の歌を歌っていた。
声が枯れるまで、歌っていた。
清がやっと命繋げたのを見て、安心した私は、異変に気付いた。
人間たちがまわりに集まっていた。
「なんだそいつ!」「魚の尻尾がある!」「化け物だ!」
その中に、誰かが私を撮ろうとした。
「いやああああああーーー!」
人魚の声には魔力がある。
叫んだ私の枯れ声は、港を充満した。
まるで電源が切られたかのように、人々はそのまま倒れた。
空を見て、私は泣いていた。
まだ起きていない清を洞窟に運んで、私のベッドに休ませていた。
それから、三日目。
清はまだ起きていなかった。
……私は慌てていた。
このまま清が起きてこなかったら……
そう思う時、清の声が聞こえた。
「君か」
清の声が疲れていた。
「清! 起きたのね!」
私は嬉しかった。
清はあまり嬉しそうじゃない。
「清……どうしたの?」
「あれからどれぐらい?」
「2日ぐらい……」
それを聞くと、清は立ちあがった。
しかし、すぐ倒れた。
「清!」
私が急いで清を抱き上げた。
「帰らないと」
「やめてよ! こんなにボロボロなのに」
「俺にはやることがある」
清は頑張って起きようとするけど、すぐ失敗した。
「なんでこうなるまで、人を殺すの?」
私の疑問を聞いて、清は黙った。
「人を殺さなくても、生きる道なんていくらでも……」
「俺にはない」
「えっ?」
「君の言うようないくらでもある生きる道なんて、俺にはない」
気のせいかな、いつも無感情な清の顔に、悲しみが宿った気がした。
……きっと、気のせいじゃない。
動けるような状態じゃないと悟った清は、語り始めた。
「俺は、子供の頃からある組織に誘拐されて、殺人マシーンとして訓練されていた」
「え?」
私は驚く。
以前、清に助けられた時に、悪者に清が自分が誘拐されるのを知らないと聞いたから。
つまり、清は知っていて、その組織に従っているの?
そう思った。
「組織は俺が誘拐のことを忘れさせたと思ってるようだが、子供の頃のことは今でもはっきり覚えている」
「じゃ、なんでそんなひどい組織に従うの?」
「最初は仕方ないから、今は……」
清が頭を横に振って、私に顔を隠した。
「あいつらしか家族がいないから……こうなった」
まるで、冷酷な殺人者ではなく……
孤独な子供を見ているようだった。
それから時が流れて。
今日の朝のこと。
ついさっきまで、私が見たこと。
今朝、私は清に会いに行った。
清は孤独だった。
悪しか家族がいなくての、一人ぼっち。
だから、私が会いに行こうと思った。
会わなければよかった。
私の犯した罪が、清の罪をさらに重なることになる。
なんで私が人魚なんだろう。
人間に生まれば、こんな苦しみもなかった。
私は、清と女の人が会話しているのを見た。
美しい女だった。
清を見つけて、話しかけようとする時、清がその女の人と会話しているので、咄嗟に陰に隠れた。
話の邪魔をしたくないから。
とりあえず一旦離れようとする時、驚く言葉が私の動きを止めた。
「あの人魚を殺しなさい」
女の人が、人魚を殺せと言っている。
私の知る限り、人魚は人間たちの届かない場所にいて、会うこともないはず。
……私を除いて。
「……人魚とは?」
清は、表情すら変えずに会話を返した。
「前、お前が死にかけた時、港で目撃されたお前を助ける人魚だ、覚えてないとは言うまい?」
「……何故殺す」
女の人の表情が、歪んだように見えた。
「何? 好みなの? じゃ殺す前は好きにしていいよ、味を落とさないようにね」
「俺は……」
「やれ」
「……わかった」
私は逃げ出した。
清は私を殺しに来る。
清になら、殺されてもいい……最初はそう思っていた。
なら、何故私はこんなにも悲しいの?
何故こんなにも苦しいの?
……清は孤独だった。
その孤独を埋めてあげたかった。
でも結局私は、何もできなかった。
この世の……外れものだった。
これから、私は死ぬ。
清によって、殺される。
この世にいない神様、最期に聞きたいことがあるの。
私の人生に意味があった?
清……
好き。
こわい
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「レッド様!」
黒服が慌てた様子で、レッドの前にきた。
「どうかした?」
「人魚が……」
黒服は黙った、言い難いことがあるようだ。
レッドはムカついた。
「早く言いなさい! 人魚が何?」
「人魚が……泡になったです!」
「はあ?」
黒服を無視して、レッドは急いで走って洞窟を出た。
黒服たちが、用意した人魚を保存するための冷蔵庫の中には、泡しか残ってなかった。
その泡も、間もなく消えていった。
「清に連絡しなさい! 何をしたかを聞け!」
「すでにしてます! でも連絡付かないです! レッド様!」
「はあ?!」
……
その後、イアーラと清を見た者は、一人もいなかった。
まるで最初からいないかのように、この世から消え去った。
人魚を見たという時があることも、後に人間たちに忘れ去られ……
泡のように消えた。