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波長

作者: 西津のん太

       波長

昨夜から今朝方まで脳腫瘍の摘出手術に立ち会ったぼくは、病院の近くの喫茶店に入り、二階からガラス越しに、何気なくアーケイド街をながめていました。

 信号が青に変わり、横断歩道に吐き出された人々は、停車したくるまのあいだを縫って、わき目もふらず、学校や会社へと急いでいます。

 と、その中に、中本義一がいました。

 中本と会うのは一年ぶりです。ぼくは階段をかけ下り、彼を喫茶店に呼び入れました。 彼と近況を話しているうちに、中本が、

「仕事が休みなんで、ぜひ、おまえのアパートへいきたい」というので、独身の強みからか、喜んでそれを受けました。

 喫茶店を出て、アパートまで歩くことにしました。

 外科医で給料は他人様より高いでしょうが、学生時代の貧乏生活に慣れたのか、八年間という長いアパート暮らしに慣らされたのか、三十近くなっても相変わらず、六畳一間に台所といった生活をやっています。

駅まで歩いて十五分少々、左右にビルがひしめく歩道を二人して歩いていますと、突然、背後からだれかが声をかけてきました。

 聞きなれた声の方を振り返ると、そこには片桐秀一がニコニコ笑いながら立っていました。

 片桐は一週間まえの彼とはまるで別人のように、すっかり自信を取り戻した様子で、うれしそうに瞳を輝かせながら、

「きみから貰ったあのヘルメツト、気に入って、毎日かぶって寝ているよ」

 貰っただなんて、貸しただけなのに、厚かましいヤツだ、と思いました。

「ところで、調子はどう?」

「なんだか、この世が別世界になったみたいで……」

  ヒルに似た大きな唇を緩ませ、にやにや笑っています。いままでの、あのイライラした顔ではありません。

「しかし、世の中がこんなに楽しいとは思ってもみなかった」

「以前あったときとすると、ずいぶん落ち着いたみたいだね」

「自分でいうのもなんだけど、なにを見ても、なにをやっても楽しい」

「それはよかった」

「ところで、いままで経験したことなかったんだけど、道端を這っている蟻一匹にまで興味がわいて、つい時を忘れてしまうほどなんだ」

 かっての片桐だったらキザに思える言葉も、彼の屈託のない話しぶりや表情からでしょうか。イヤミには思えません。それは彼にとって、大きな成長でしょう。もっとも、努力や苦労をしてそうなったわけではありませんから、成長といってよいかどうかは分かりませんが……。

「子供のころは使った右脳も、大人になるとあまり使わなくなるからね」

「右脳ってよく知らないけど、それを使うことでこんなになるって不思議だ。ところで、あのヘルメット、いったい、なにものなの?」


 電線が無数に付いたヘルメット。電線の片方にはパソコン内部に使われるチップが無数についている。片桐がそれが何か、疑問に思っうのも無理ありません。

 しかし、彼の問いには応えず、黙ったまま笑っていました。だれにも秘密を教えたくなかったからです。とくに、片桐にだけは……。

 そのうち、彼はぼくらに一礼すると、ゆったりした歩調で人混みの中へ消えていきました。セカセカと落ち着きない一週間まえと現在の彼とが同一人物とは誰も想像さえつかないでしょう。

 彼の突然な変わり様に、そばにいた中本義一が目を丸くしながら、ぼくの顔を覗き込みました。

「片桐のやつ、見違えるようになって、驚いたよ。なにかあったんか?」

 そうそう。中本義一について紹介が遅れました。

 ふたりは(竹馬の友)、というより(ちくわの友)といったほうが良いかもしれません。なにしろ、あのとき一本のちくわがなかったら、いまごろ二人ともこの世に存在していなかったかもしれないからです。

 小学四年のときでした。そのときのことをいまでも鮮明に覚えています。

 二人でアケビを取りに山へ行ったときのことです。無我夢中でアケビを探しているうちに、時間を忘れてしまい、気がつくと、次第に足元から闇が這い出していました。

 家に帰ろうと懸命に道を探しました。が、見つからない。辺りはすっかり闇に包まれていました。

ぼくらは家に帰るのを断念し、民家を捜して無我夢中で山中を徘徊しました。

 しかし、民家の灯かりは見つからず、反対に雑木林の奥深く入り込んでしまったのでした。

襲ってくる不安と恐怖、空腹を必死で堪えました。リュックサックに入っているものといえば、一枚のタオルと母親が作ってくれた弁当の残りのちくわが一本だけでした。

ぼくらは一枚のタオルを交互に首に巻き、一本のちくわを二つに分け合って、それこそ食べるというより嘗めながら、飢えと寒さを凌ぎました。月明の夜でしたが、とても心細かったのを数十年たったいまでも、はっきり覚えています。

 ヘルメットに関しては誰にも喋らないつもりでいましたが、そういうわけで、中本義一だけは特別なのです。

「ひと月ほどまえだったか。ぼくが働く病院の心療内科に秀一がやってきたんだ。ぱったり廊下で会ってね。話しを聞くと、どうやらノイローゼらしいんだ」

「ほう。そういえば、あいつ、かなり考え込むタイプだからなあ」

「それで、彼をぼくの家に呼び、ベッドに横になってもらった」

「そのとき、ヘルメットのようなものをかぶってもらったってわけか」

「しばらくして秀一は寝てしまった。そこでぼくは、彼の脳波をヘルメットで取り込み、コンピュータで加工しやすいようにデジタル変換し、波長を長くし、ふたたび脳へ戻した。もちろんそのとき、波長の乱れも修正したんだ」

「なんだか難しいな。つまり、こういうことか。取り込んだ脳波、つまりアナログ波形を一かゼロ、あるかないかのデジタル信号に変換し、コンピュータで波長の乱れを修正し、波長を長くしたうえで、ふたたび脳へ戻した」

「そう、そう。それから同時に高周波で、彼の右脳に刺激を与えている。右脳を活性化するためにね」

「それにしても、まったく大変なものを作ったもんだ」

  義一はつい大きくなった自分の声に気づいたのか、辺りを見まわしたのち、急に声を潜めました。

「ところで波長の乱れを修正したり、長くしたりすることで、片桐の心というか、彼の中でなにがどう変わったの?」

「少々、理屈っぽくなるけど……。いまの世の中、すべてが急速に変化し、よりスピーディになっている。そのため現在人の脳波は昔に比べて乱れた箇所が多いし、波長も格段に短かくなっている。イライラが多いから、小さな刺激にも脳波は敏感に反応するんだ」

「ふーん」

「そして、片桐のように気が小さくて、不快感がもろに表面に出るようなタイプの人間は、その波長がさらに短かい。脳波をコンピュータで加工することで、子供のとき以来経験したことのないゆったりしたリズムを彼自身、つかんだことだけは確かだ」

「まるでSF小説でも聞いているようだ。二、三年まえ何かの本で読んだことがあるけど、将来そうした技術で、人間がどんな夢をみているか分かるようになるそうだね。きみの話しを聞いていると、もうそれが、身近に迫っている。そう思えてくるよ」

「近未来のはなしじゃない。すぐにでもできると思うよ」

「ほう!」

「できる限り多くの人の夢を例のヘルメットでコンピュータの記憶装置に取り込み、それを統計的に分析することによってね」

「おもしろそうだね」

「でも、そこまでやろうとは考えていない」

「……」

「人間がなにを思い、なにを考えているか、すべて他人に知られてしまうことは、考えようによっては恐しいことだ」

「それはそうだ。ぼくらは、考えていることを秘密にできるからこそ、円満に生活できる」

「ところで、はなしは変わるけど……」

「どうした。急に黙り込んで?」

 急に黙り込んでうつむいてしまったため、義一が心配して尋ねました。

「実は今回、片桐の脳波の波長を長くして彼の性格を穏やかにしたんだけど、最初は反対に、波長をさらに短かくしようと考えていた」

「じゃ、もっとヤツをイライラさせようと考えていたんか!」

 義一が驚いたのも無理ありません。ぼくが片桐に対し、長いあいだ、恨みを持っていたなどと、想像さえしないでしょう。

「中学三年のとき、同じクラスに佐川良美って子いたよな」

「背がすらっとして、学年でもずばぬけて成績が良かった、髪の長い子だろ」

 もの靜かで勉強ができ、そのうえ絵から抜け出したような美人の彼女を、当時、学校中で知らない者はいませんでした。

 ぼくと彼女は同じコーラス部で、指揮をやっていたぼくと、ピアノ伴奏をやっていた彼女の仲にジェラシーをもっていた者も何人かいたようです。ふたりは恋人のような間柄ではなかったのですが、コーラス部の打ち合せのため、いつもいっしょにいるふたりを恋人と誤解した連中もなかにはいたようです。

 そんなある日、彼女が机の中に入れておいた給食費が袋ごと無くなるという事件がおきました。クラス中が騒然となり、楽しくまとまっていた生徒のあいだも、以来、なんとなく空ぞらしく冷えきったものになってしまったのです。

 給食費が無くなった日、学校から帰ったぼくは、宿題をやろうと数学の教科書を開いて、びっくりしました。

 なんと、彼女が無くしたという給食袋が教科書にはさんであるではありませんか。

ーーだれかが自分を陥れようとして、彼女の机の中から給食費を盗み、ぼくの教科書の中にはさんだに違いありません。そのとき片桐が怪しいとは思いました。彼が怪しいと思った理由は、事件以来、急に彼の視線がぼくを避けるようになったからです。しかし、確固たる証拠がないため、直接追求することができません。

 匿名で彼女に給食費を郵送したぼくは、それから中学を卒業するまでの一年間、なにごともなかったようにクラブ活動を続けました。

「つらかっただろうだろうね」

 私の話しを黙って聞いていた義一が、つぶやくようにいいました。

「べつに悪いことをしたわけでもないのに、佐川さんの顔を正視できなかった。事実を話そうかって、なんども思ったんだけど、そのうち話せなくなって……」

「ところで、片桐がやったってこと、どうして分かったの?」

「同じクラスに吉田茂雄っていただろ」

「野球部のキャップテンだった吉田だろ」

 「そう。卒業式も間近かに迫ったある日、彼がこっそり教えてくれた」

 三時間目の体育が始まる直前、吉田が帽子を取りに教室へ戻ると、片桐が佐川良美の机のまえでなにかコソコソやっていた。

 突然教室に入ってきた吉田に片桐はびっくりした様子で、顔を赤らめ、急に下を向いたまま動かなくなったそうです。

 そのとき吉田は、片桐が佐川良美の机の中にラブレターでも入れているのだろうと、別段気にもとめなかったそうです。しかし、四時間目が終わって、給食費が無くなったとわかって、吉田もそのとき片桐が教室でなにをやっていたか分かったのでした。

「ところできみが事件に関係していることを、吉田はどうして知っていたの?」

「自分なりに犯人を突き止めようと色々と調べてみたよ。

 そのうち、体育の授業が始まる直前、吉田が帽子を取りに教室へ戻っていたことに気づいた。そこで吉田に、帽子を取りに教室に戻ったとき、そこにだれかいなかったか尋ねた」

「……」

「でも、吉田はだれもいなかったと答えた」

「教室にだれもいないときといったら、体育の授業ぐらいしかないからね」

「一度は吉田がやったんじゃないかと、彼を疑ったよ。でも、吉田はそんなことをやるような卑怯なヤツじゃない」

「でもどうして吉田は、教室にだれもいなかったなんて、嘘いったんだろうね?」

「小心者の片桐のことだ。ヤツがやったなんていうと、学校に出て来られなくなる。傷つけたくなかったんだろう」

「あいつ、やさしいヤツだったからなあ」

「ああ」

「ところで、きみが片桐にやった行為、つまりヤツの脳波の波長を長くしたことは、正しい判断だったと思うよ」

「もし短かくしていたなら、ぼくも一生、十字架を背負ったまま、後悔していただろうね」

「だと思う。ところで今日は土曜日だし、お邪魔するまえに焼き鳥屋でものぞくか」


 その日、ビルの谷間からオレンジ色に澄み渡った夕日が見えました。これほどまでに美しい空をみるのは何年ぶりでしょうか。



ー完ー

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