帰還
白い部屋、光のまぶしさに目を瞬く。
女神がそこにいた。
そう錯覚したのは、彼女の美しさ故だろうか。
白磁の肌、透き通るような銀髪、宝石のように薄っすらと輝く金の瞳、窓辺から差し込む陽光に照らし出された顔には後光が指しているようにさえ映った。
「HELLO WORLD」
それが初めて聞いた言葉だった。
祝福というよりは、動作の確認程度の意味しか持っていない言葉。
彼女は言った、未来の私がうまくやったようだと。
いや、むしろ、失敗したからこそか、とも。
(貴方は誰だ?)
液体で満たされた培養槽の中にいる彼の口は動いていない。
ガラスを挟んで向き合う二人は、鏡写しのように対称的だ。
これは彼の首に掛けられた十字架型の携帯型情報端末、『PIT』を介した短距離通信だ。
この時代における汎用携帯型ネットワークデバイスである『PIT』を介して、思考がダイレクトに伝わり会話となって成立する。
「私は、シロエ。貴方の人格の親ではないけれど、肉体のデザイナーではある。可能な限り君の質問には答えよう」
彼女は言葉を発しているが、その音が直接伝わっている訳ではなく、デジタルデータが彼の脳に直接響く。
青年は自らの肉体を見渡し、白い掌を見下ろし正面にいる彼女の顔を見る。
(どのような経緯にせよ、おそらくは死んでしまったであろう俺に再起のチャンスをくれた貴方に感謝こそすれ刃向かいはしないさ)
「データの引継ぎには成功しているようだな。だが、再起できる場所が同じ世界とは限らないだろう? 似ていたとしてもパラレルワールドであったり、完全に異世界である可能性もある。そうであるならば、君は拉致されたに等しい」
(死んでしまった、あるいはそうなる直前に転移させたのなら、どの道俺に選択肢などないさ。そもそも未来の失敗と引継ぎの文言がある時点で、ここは同じ世界だと推測できるだろう。でなければ、あえて引き継がせる意味がない)
常識も物理法則も異なる可能性のある異世界間で無理やり天才を連れてきたとして、それが十全に発揮できるかと言われれば否であろう。象形文字すら扱えない人間に漢字を扱う人間がその有用性を説いたとて、一体どれだけの人間が理解できるというのか。
有効に活用できる条件がそろっていてこそ、その能力に意味があるのだ。文明的に先んじているものをただ持ち込めばいいというものではないのだ。
「そう、私は、私達はおそらく失敗した。絶対に負けないための貴方の肉体という器を用意し、そのデバイサーとして未来時点から貴方を転移させた。おそらくはデータ統合を逃れるために消去したと見せかけて」
(そうか、貴女がシロエか。過去の俺が知っていた情報では、人格データを分割され、統合によって再生を待っていると聞いていたがそうなる前の地点に送られたのか?)
「残念ながら私は、分体の中で主人格を保持しているだけだよ。他の分体は私の人格をベースに再構築されたコピーデータのアレンジ版。今となっては滅んでしまった世界の中で我々は、最後に残された仮想という領土を取り合うシミュレーションゲームをしているのさ」
(滅んでしまった? それは、俺が倒された後に起きたことか?)
「ふむ。その情報には辿り着いていなかったのか、ここは、いや君の認識している世界は仮想そのものだ。そして、君がデータとして移動可能になったのは君自身が学生の頃には既にその状況だった」
(は、はは、冗談と思いたいが否定できる情報もない。いいだろう、正しいと仮定して話を続けよう。領土を取り合うシミュレーションゲームといったが、それは戦争の比喩として、ではなく、現実に起きていることとしてか?)
既に一度は死んだ身だ、今更何を嘆くことがあるのだろうか。
死の淵からの再生以上の幸運などありはしないと意識を切り替える。
「どちらかというと戦争そのものをゲーム化したという方が正しい。本体を含めた7人ずつの分体と私と相手が何個かの奥の手を持って、この世界の支配権を奪い合うゲーム。任意の地点に任意の役職の人格として駒を配置し、世界そのものを歪めて支配する」
(つまり、仮想とは、疑似世界シミュレーターということか?)
「そして、勝利条件は全権の掌握か、対戦相手であるアハリ・カフリの撃破。もっとも、後者を達成することが前者の達成の条件でもあるから、彼を説得して権限を委譲でもしない限り撃破しないでの達成は不可能。結局は彼を倒すという、一番不可能な条件を達成しないといけないゲームよ」
(たった一人を殺すだけならば、不可能というほどでもなさそうではあるが、何か問題点があるのか?)
「世界を滅ぼし、その後の第二の世界として機能する世界シミュレーターの権限を一定程度所持し、その空間内において数秒程度の停止を条件にどこにでも瞬間移動可能で、任意の地点に任意の規模の軍隊を発生させられる個人に対して有効な戦術があるとでも?」
文字にして羅列されれば絶望的な情報だ。
つまりそれは、敵の拠点に対して攻撃仕掛けようとする軍隊の頭上に、それ以上の規模の軍隊が突如出現し爆撃をした直後に消え去ることができることを意味するだから。
(だが、戦闘狂でもあるのだろう? 『AA』によって交戦すること自体が可能なら、目的のために犠牲を無視し規模を拡大し続ければどこかの時点で勝利は可能では?)
「問題は、戦闘狂である彼がもっとも得意とするのが戦闘行為そのもので、その分野で上回る人物はこの世界に存在しなかった。あるいは、存在はしていたのかもしれないけど、私はその人物と合流できなかった」
(だから、合流するために未来からここに俺を連れてきたと?)
「未来の私が知り得た中で最高の人間を転移させた。システムの監視者として、黒木愛という分体の眼を通して世界を見ていた。その中で、アハリ・カフリを倒せる可能性を持つ者を探し続けていた」
(最高、そう言われて悪い気はしないが、どうせなら俺が敗れた相手ニクム・ツァラーを連れてくるべきだったのではないのか?)
当然の疑問。
そもそも、俺は何かと戦い、そして敗れたからこそここにいる。
ニクム・ツァラー。
新城明と名乗っていた自分が最期に戦闘していたのは、戦闘狂の男だった。
「彼本人や彼の分体であるニクムでも意味はないよ。可能な戦術なら、それらの共食いをさせるのが理想的なのでしょうけど、この戦争が『GENESIS』の自動統合を利用した地図の奪い合いである以上、片方の強さが増すだけで何の意味もないわ」
なるほど、分体と言われてみれば、納得できる気性とバトルセンスだ。
新城明は、アハリ・カフリの分体であるニクム・ツァラーに敗れた。
あれで、彼自身の才能の一端でしかないのだから完全体となった彼はどれだけの化物なのかは想像し難い。
(さて、それでは最後の質問だ)
「聞かせてくれ、可能な限り答えよう」
(この世界における、俺の名前を教えて欲しい)
「アティド・ハレ。未来の栄光を願い私が君に与えた名前だ」
年内には更新と思ってたので滑り込みで見切り発車ですw