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 村上春樹の「多崎つくる」を少し前に読んだが、その時にふと(この価値観ならゾゾタウンの前澤社長なんかが理想の人物という事になるのではないか?)と思った。前澤社長は仕事あり、金あり、女あり、「充実した人生」を送っているのであって、あれだったら前澤社長のような人が理想となりかねない。しかし、「カラマーゾフ」のような小説を書きたいと言っている人間が、それくらいの理想しか持っていないとはどういう事だろうか? 同じ事だが、川上弘美のような作家が、まるきり思想問題、哲学問題、社会問題、芸術とは何かというような事、あらゆる深刻な問題について考えず、考えなくてもいいとも考えず、ただぬくぬくと「センセイ」とよろしくやっていて、それを「高いクオリティ」で小説にしているというこの現状ーーこれは現実の一つの状態を表しているのではないかと思う。


 ドストエフスキーという作家について相変わらず考えているが、ドストエフスキーと同時代にはトルストイ、ゴーゴリ、レールモントフ、チェホフ、プーシキンなどの偉大な作家がいて、この時期にロシアの偉大な作家が輩出された。日本で言えば、それよりはスケールが小さいが、漱石・鴎外から太宰あたりまでという事になるかと思う。もう少し伸ばすと、三島由紀夫とか、谷崎や川端の晩年という事になるだろうか。


 ドストエフスキーのような作家は、単に才能だの努力だのと言った現代人によって汚された観念によってああした大物になったわけではない。彼は何よりも時代の子であって、それも貧しき時代の子だった。「貧しき」とは物質的に乏しかったという意味ではなく、思想や学問が全然成熟していなかったロシア社会を指している。当時のロシアは近代化の波にあったが、そもそも近代とは無縁の世界に、西欧から理想・芸術というものがやって来て、それとどう向き合うかが彼ら知識人の課題だった。


 当時のロシアでは、貴族と民衆との断絶が激しかった。これは今の我々からは想像するのが困難だ。我々の社会は格差社会と呼ばれて、貧富の差は確かに広がっているものの、低所得の人間が高所得の人間とどこかで会話しても、そこに知的断絶というか、低所得の人間が高所得の人間に比べて遥かに粗野で知的にも劣っているような状態はおそらく見られないであろう。


 しかし、ロシアにおける貴族と農民との差異は、巨大な精神的差異、そもそも人として何もかも違う、教養とか指向するものとか、全てが違うというように違っていたので、その断絶を深刻に考える所からドストエフスキーとかトルストイとかいう怪物が生まれたと言っても良いと思う。この断絶は巨大な社会問題で、ない方が良いわけだが、問題というものがなければ我々が魂を磨く為の道筋自体が消えてしまうだろう。


 そういう意味では川上弘美「センセイの鞄」のキャラクターが幼児的なのは象徴的で、彼らは整備された社会の安全面を歩いてきたので、魂が成熟できず、未熟なままであるがそれを指摘する者もおらず、ただもうそういうものとして存在するという風になっている。村上春樹はそれよりはマシだが、村上春樹が出てきて帰ってくる場所は、川上弘美にとって「あたたかい」と考えられている地点とそれほど異なってはいない。


 ドストエフスキーは若い時、空想的社会主義に取り憑かれていた。小林秀雄の「ドストエフスキーの生活」を読み返していると、小林秀雄は純粋芸術主義とでもいうタイプだから、ドストエフスキーの社会主義への傾倒を軽く見ていたが、これは読み違えていると思う。というのは、米川正夫のドストエフスキー研究を読んでどうも小林のような見方は違うと気付いたからだ。


 僕はこう思う。ドストエフスキーにおける、空想的社会主義というのは、最初に彼が抱いた「理想」であったと。だが、その理想は時間を変えて、キリスト教的理想に変貌した。そこでは、万人が精神的に統一される、いわば精神の王国、ある種のユートピアのような所で我々の魂が和解されるのだと、イメージは形を変えず持続されていた。ただ表面的な形は変わった。


 ドストエフスキーの社会主義的理想というのは、「貧しき人々」というタイトルにも現れているが、ある種の同情的なものではないかと思う。マルクスが工場労働者の状態を見て、それをなんとかしようと自分の哲学を練り上げたように、ドストエフスキーの目には、ロシア社会の現実の底に横たわる民衆がいた。ドストエフスキーは最初期から民衆を気にかけてはいた。だが、それは「同情」というタイプの「上から目線」だったのであって、理想的な社会を作る事によって彼らを救済しうるという風に考えるものだった。自分はそんな風なイメージを持っている。


 今言っているような事は僕の推測で、この辺りはおそらく確たる資料もないので、いずれにしろ推測にとどまるのではないかと思うが……推測をもう少し続けさせていただきたい。


 さて、そのような、民衆を救う必要性を感じ、西欧から来た理想主義を受け取ったドストエフスキーは牢獄に入る。そこで、ドストエフスキーは自分の理想が崩れたのを感じたのではないかと思う。いや、理想は形を変えた。そこでドストエフスキーが見たものは、人間の恐るべき理不尽さであった。これは合理性や効率を神としている現代人には一層わかりにくいだろう。


 小林が引いてくる例ではこんなものがある。


 「護送の途中赤いルパシカと銀貨一枚で、自分の短い刑期を売り払い、知らない男の身代わりに無期徒刑に甘んじている様な男」


 ここで、何が問題になっているかと言えば、人間というのは、ただその瞬間の感情とか欲望の為に、自らの将来も全て台無しにする、しうるような存在であるという事だ。知識人は民衆というものをある規定に当てはめ、彼らを「救って」やろうとする。


 だが、救われる側からすれば、単に自分が「救われる」のに嫌気が差すが為に、救われるのを拒否するというのは十分にありうる。ドストエフスキーがロシア社会、西欧のように全く成熟していない地獄のような社会の底、牢獄において発見したのは彼らもまた「同じ人間」であるという事だった。この「どこにいっても同じ人間がいる」という観念を獲得するのがいかに難しいか、いかに恐ろしいものか、というのを僕は強調しておきたい。これを理解するとは想像を絶する事に違いないが、現代ではこれすらも「ヒューマニズム」というような観念によって収斂されると信じられている。だが、恐るべき殺人犯に人間性を発見するとは果たしてどういう意味だろうか。発狂した人間を完全に理解する時、我々はいかにして発狂せずにいられるのか? 「理解」という言葉は恐ろしく浅くも、深くもなる。


 ドストエフスキーは牢獄で信念更生したという事になっている。ドストエフスキーは、ロシア的なナショナリズムに思想を鞍替えし、その頂点にキリストを持ってきた。キリストを失い、唯物論と自分達の自由・幸福に酔っている西欧ないし、欧化したロシア知識人は没落するだろう。逆に、ロシア正教を信じるロシアの民衆こそが新しい理想、知識人が学ぶべき存在となるだろう。


 公式的にはそういう風になっているが、実際、ドストエフスキーの長編小説を読んでそういう思想を直接メッセージとして感じる人はあまりいないだろう。書簡や論文におけるドストエフスキー思想と、ドストエフスキーの小説作品との差異に、どうしても批評家は首をひねらざを得ない。あるいは、村上春樹のように形式だけ見る人は、こういう思想問題を全面的に無視する。


 この問題は非常に厄介であり、おそらくはドストエフスキー本人にとっても解決できなかった問題ではなかったかと思う。今は、自分がわかった事、感じた事だけを言う。


 まず、ドストエフスキーが死刑判決、それから死の一歩手前までたどり着いた経験によって何を得たのかという問題を考えたい。



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