8 忍者 いざ参る!
そろそろ忍者の本領発揮しましょうか?弥左衛門がウォーミングアップを始めました。
そして、弥左衛門は混乱していた
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弥左衛門は騎士を追い払った後、女を抱え森の中を一息に走りぬけ、川辺まで戻ってきたのだ。横たえた女の胸はかすかに上下しており息はある。が、まだまだ目を覚ます気配は無い。弥左衛門は女の傷に巻いた布を解いて川の水で綺麗に洗い、改めて巻き直した。
弥左衛門が草原で目覚めた時、自身が裸であったため手持ちの布や薬がない、死体から頂戴した鞄の中身も薬やら毒やらも分からず、生えている草々も見覚えがない。よって、弥左衛門に今打てる手は女の体を冷やさないようにするだけだった。森の中で拾ってきたわずかな枝と川岸の流木を擦り合わせ、驚くべき速さで火起こしをすると焚き火を作り夜を待った。
日の入りの夕焼けを見送り、星が一つ二つと輝きだし、様々の色の混じった空が漆黒に変わった頃になって、焚き火の暖かさのおかげか、女の顔色が少しづつ戻ってきた。
(少しばかり血は足らぬだろうが命を落とすほどではなかろう。だが、この傷はいかん。早めに手当てせねば壊死を起こしかねん)
そう思いながら火を絶やさぬよう、薪を焚べた。
-そして、弥左衛門は混乱していた。
先ほどまで、星の位置や体内時計から自分のいる位置を推測しようとして空を見上げているのだが……
「……知らぬ、……知らぬ星ばかりだな」
北を、南を、西を、東を、空を見上げて目に写る満天の星は、故郷の星空とあまりに違ってる。
弥左衛門は思い出す。違和感は最初からあったと。見たこともない広大な平原、僅かに異なる天空の太陽の軌跡。およそ伊賀から遥か離れた地であることは分かっていたが、えも言われぬ不安感、違和感はぬぐい去れず、その違和感が、夜になり一気に爆発した。
「一体ここは、どこだ……」
あの光の腕に掴まれ、自分が気を失っているいる間に、どこかへ運ばれたのは間違いない。弥左衛門の経験、知識を持ってしてもおおよその場所も推測もできないどこかに。
「……異国にでも運ばれたか……」
しかし異国にしては、ここの異人達は皆、日の本ことばを流暢に話す。それに織田軍にしても紋が違う。織田家の木瓜紋や家中の紋ではない。あの、騎兵もこの女子も……あまりに情報が足りない。
「ふむ、面倒を拾ってしまった……か?」
弥左衛門は独り呟いた。忍者の主な任務は「諜報」「暗殺」「謀略」である。どれも隠密を持って良しとせねばならぬ事。ましてやこのように情報不足の中、「人助けや」、「争いごとに首を突っ込む」などもっての他だ。
「ふーっ……修行が足りんなぁ……」
岩に座り、地面に横になりスヤスヤと寝息を立てる女を見ながら、弥左衛門は自嘲の苦笑いをした。するとしばらくして、女の寝息が変わった……どうやら目が覚めそうだ。弥左衛門は難題を抱えた頭を掻きながら思う。
(さてさて、どう誤魔化せばよいものやら……)
間も無く、女が目を覚ました。
ーー
果たして、弥左衛門は自分の素性をうまくごまかした。このような詐術も忍者の十八番の一つである。
現代で流行っているオレオレ詐欺になぜ簡単に騙されるのか?という答えの一つが「騙しているのではなく、相手が勝手に想像している」という点にある。例えば「息子です」と相手が喋った場合、”息子”という情報を相手から受け取るという”伝達”が起こる。この伝達時に人間はその言葉が正しいか?という”判断”を行うため案外騙されにくい。しかし「オレオレ」と話すことで、”息子”という情報を被害者は自分の中から導き出す。人間は自分が導き出した答えを疑うことは少ないのだ。
弥左衛門はディアーナとの会話でも「身元を言いにくい事情を抱えた人物」とだけ意識して喋っていた。すると彼女が「もしかして○○ですか?」と勝手に解釈してくれ、結果、弥左衛門はディアーナの中で「辺境の隠れ里から、剣で一旗揚げようと、都に武者修行にやってきた、ルイス=フロイスなる若者」という人物になったようだ。
弥左衛門はその会話の中で貴重な情報がいくつも得た。
まずここはやはり異国のようだ。「みのすれんぽう」地方の「まりえら国」であるという事、他国と地続きで国を接していることから大陸のどこかの場所らしい事、そして甲冑の者達が「いしす王国」の兵である事、いしす王国はまりえら国に比べ随分と発展し、栄えている事。弥左衛門は二者の鎧の拵えの差を思い出し、さもありなんと納得した。
そしてこの戦が突然王国がまりえら国に仕掛けたものである事も分かった。宣戦布告も、使者もなかったようで完全な騙し討ちである。
そして、さらに複数の謎が生まれる。今まで聞いたことのない言葉の数々。「魔法」「ぽーしょん」「冒険者」……いくら辺境の田舎者を装っているとはいえ、あまりこの国の常識を知らなさすぎても疑われる。本意ではないが今はこの国に「密入国」している立場なのだ。露見すれば、よくて投獄、明国あたりなら首が飛んでもおかしくない。
そう考えていると、詮索されるよりも先に彼女が自分の任務に戻るために行くという。下手に詮索されないのはありがたいが、まだまだ、彼女には聞きたいことが多くある。また、他国内で動くのであれば、現地の人間と誼みを結ぶ事も重要である。
弥左衛門は自身の打算の結果として、彼女に協力を申し出た。
ーー
月の光もほとんど届かない闇の森を一陣の風が吹き抜ける。闇を疾走する影は二つ、方やフードを目深にかぶり陽の下であれば輝くような金髪を隠した女戦士、方や森の闇よりなお暗き髪色の男が一人。
(本当にこの速度についてきている……山育ちとは聞いていたけど、こんな視界の効かない深い森で私と同じ速さで動けるなんて……)
ディアーナは驚嘆した。
ここは彼女にとって慣れ親しんだ森であり、その隅々まで熟知している。その気になれば目を瞑ってでも移動できるほどだ。
加えて彼女の職業は「レンジャー」である。ルイスの預かり知らぬ事であるが、彼女は風の国の軍に入る遥か前、幼き頃より山野に親しんだ生活していた。彼女は鋭敏な知覚、敏捷性、山野の知識を有す、この”世界”で「レンジャー」と呼ばれる特別な存在だ。
まして、この森に限っては彼女の庭と言える。月明かりも届かぬ真の闇の森の中を彼女ほど高速に移動できる者はいない。それゆえ、彼女はルイスを気遣い、最初はゆっくりと移動していだのだ。
なのに、後ろからルイスに「遅い」「遅い」とせっつかれる度に速度を上げ、とうとう全速力での移動になったのだ。
彼の走り方は上半身が全くブレない独特の走り方であった。彼女は知らぬが、これが所謂「ナンバ走り」という走法であり、現代の一流アスリートにも受け継がれている、”上半身”と”下半身”の捻れを生まない、エネルギーロスの少ない「忍者」独特の走法である。疲れず、高速に、音静かに移動することができる。
しかし、感心するのはディアーナばかりではない、ルイスもまた、彼女の地面を舐めるように静かに高速で移動する技術に舌を巻いていた。
(彼女はこの国の忍か?……ふむ、伊賀でもいい”くノ一”になれそうだ……)
と、どこかズレた視点でお互い感心していた。
間も無く彼女たちの鋭敏な感覚が、人の話し声と野営の明かりを遥か遠くに発見した。
ーー
「くそがぁああああああ!!!!!」
イシス王国の野営地ではフットバルトが激昂していた。全身鎧の兜は怒りのあまり地面に叩きつけられ、天幕内の一隅に転がっており、従卒が怯えながら慌てて拾い上げた。
従卒の仕事は主人の武具の手入れも含まれている、特にフットバルトは戦場で目立ちすぎるその自分の鎧を、いつも”鏡”の様に従卒に磨き上げさせているのだ。仕事を増やされた従卒は空気を震わせる様なフットバルトの獣の様な怒りの咆哮に本当に身震いした。
フットバルトの怒りの原因の一端はもちろん弥左衛門にあるのだが、ほとんど自業自得と言っていい。
時間はほんの1時間前に遡る。
フットバルトは弥左衛門と別れた後、ディアーナと同じ部隊の風の国の兵を探して追い回し、ようやく一名を捕縛した。意気揚々と帰還したフットバルトは捕虜を連れ、この遠征部隊の指揮官の天幕にやってきたのだ。フットバルトは自分に敵の捕縛の命令が届いていない事、指揮命令系統の不備を不満を隠さずぶち撒けた。寝耳に水の指揮官が事情を聞くと、今度は逆に彼が大声でフットバルトを叱責した。
「馬鹿者!それが敵の罠、嘘だとわからんのかぁあ!貴様は敵の讒言に踊らされたのだっ!だいたい貴様、儂の命令よりたかが従卒の命に従うとはどういう事だ!儂の命令は糞以下と言いたいのか!貴様に上意下達の指揮命令を云々する資格があると思っておるのかっ!」
騙された!そう気づいたフットバルトは顔を真っ赤にしながらも反論しようとしたが、指揮官のフットバルトに対する憤懣は日頃から溜まっていた様で、話は続く。
「大体、何が『指揮命令の徹底を進言」だ!!!いつもいつも功を焦っての独断専行、作戦無視の猪突猛進、”伝達の徹底”だと? それ以前に従う気があるのか貴様ぁ!!……はぁ……、いつまで偉大なロードリングン家の家名に泥を塗り続けるつもりだ。ロードリングン家と言えば建国以来、武門の誉れ高き家系であり、いく人もの優秀な武官を排出し、その功績を持ってその当主は将軍の地位まで拝命しておる。某系といえども貴様もその一族の末席に名を連ねる者ならば”恥”を知れ!」
フットバルトは”ロードリングン”の家名を持ち出されると返す言葉がない。まさに、指揮官の言うとおりである。故に自身も武功により家名に報いようとしてきた。
フットバルトは幼き頃より膂力に優れ、近所の子供たちを集めては戦争ごっこに興じる手のつけられぬ乱暴者であった。某系といえども歴とした貴族であるフットバルトはわがまま放題に育ち、その自尊心を肥大させていく。15歳になると騎士叙勲を受け、16歳には初陣を飾る。この初陣で、その膂力を頼りに、馬上槍、鉄棍棒を振り回し、いくつもの武功を上げた。その戦以降、どの戦場でも先陣に立ち、猪突猛進に突撃していく様になる。
だが一度戦が始まれば、作戦など忘れてしまうのか、敵を求め突進してしまい、幾度敵中で孤立したか、味方に損害を与えたかは数知れず、功罪ならば罪が重い男である。それでも騎士としていられるのは、”ロードリングン”の家名のおかげであった。
とはいえ、フットバルトの怒りは収まらない。彼が忠誠を誓う人間は上官であり恩人でもある”ガランド卿”の他には”陛下”のみである。この様な金とコネだけでのし上がった様な小人に対してではない。フットバルトは指揮官の悪態と罵声を受けながら『こやつの頭を鉄棍で叩き潰せば、どれだけ気持ち良いであろうか?』と昏い想像に浸っていた。
ぐちぐちといつまでも続く指揮官の愚痴にいい加減怒りの頂点に達したフットバルトは、持っていた鉄棍を振り上げ、「ふんっ!!!」と全力で振り下ろし頭を叩き割った。
血やら何ともつかぬものが天幕中に飛び散る……それは連れてきた捕虜のものであった。
「フットバルト、敵兵一名を討ち取りました」
彼は、呆然とする指揮官に目もくれず、死体もそのままに、憮然と自分の天幕へ向かった。
ーー
何か獣の咆哮の様な声を聞いた時、ルイスとディアーナは即座に木の陰に隠れた。光の具合から王国の野営地まで後1キロほどだというのに、その方角からものすごい声が聞こえてきた。
「彼奴等、大猪でも捕まえたか?」
「いえ、あんな声で啼く獣はこの辺にはいないはずですが……」
「ふむ……とにかく、ここからはさらに警戒すべきか」
彼らの足であればものの五分もかからない距離である。
「あのぉ、本とーーーにっ、馬を盗むんですか?ここは王国兵にとって敵地なんです。戦うにも物資の移動にも馬はとっても重要です。ですから警護や馬廻りの世話をする人もたくさんいるはずだし……」
ディアーナが不安そうにルイスに尋ねると、彼は目を細め口のはしを持ち上げてニヤリとした表情を作ってこう言った。
「ふむ、その昔、にん……、もとい、泥棒の大親分が子分を連れて街にやってきてな」
突然、ルイスが関係ない話を始めたので、ディアーナは頭に「?」を生やしながらそれでも黙って聞き続けた。
「大親分は子分たちに『これから自分の跡目を誰にするか決める試験を行う』と言い、その試験の内容を話した。それは街の道具屋の看板にもなっている巨大な甕を日中に盗み出す事であった……」
なんか子供向けの御伽話の様な話に、ディアーナは興味を惹かれ、まじまじとルイスを見た。彼は大仰に腕を組みまるで大親分になりきっている様で、なんとなく緊張感がほぐれてしまった。
「その巨大な甕は店の前に置かれて、高さは身の丈の倍ほどもあり、目方も一人で持ち上げられる様なものではない。子分たちはあれこれ試すが一人も成功しなかった。そのうち子分の一人がこう言い出した。『こんな事は誰にも不可能だ、親分は跡目を誰にも譲りたくない故、こんな無理難題をけしかけたのだ!親分が手本を見せてくれ!』『そうだ!そうだ!』と他の子分も一緒に囃し立てた」
随分達者なルイスの話し方に聞き入っていたディアーナも、心の中で”話の中の子分”と一緒に『そうだ!そうだ!』と無言の抗議をしていた。……全く、良い観客である。
「大親分は『それでは、手本を見せてしんぜよう。しかと御覧じよ』と行ってスタスタと道具屋に入り店の主人に話しかけた。『主人、表の巨大な甕を所望したい。いくらでも金を払う故、言い値を申してみよ』と言い、代金を払って大八車に甕を積んで子分たちの元まで帰ってきた。そばで様子を見ていた子分の一人が『親分は金を払って甕を買った!イカサマである!』と文句を言い、他の子分たちもそれに同意した」
「そんなの盗んだんじゃなくて、買ったんじゃない!ダメダメ!」
もはや親に絵本を読んでもらっている子供状態のディアーナは、とうとう口に出して参加してきた。その反論を右手を開いて制し、ルイスは話続けた。
「そこで大親分は『この甕を買った代金は、そこの道具屋の小さくて高価な壺を六つばかり盗んで金に変えてきたもの。つまり、儂は見事に大甕を盗んだのじゃ!カッカッカ!』と大笑いし、子分たちは親分の機転に大いに感心したという」
ディアーナもなぜかその話に大いに感動してパチパチと音を立てない様に小さい拍手をする。……しかし、その話が今からの行動とどう関係するのか皆目見当がつかない。
「えと、面白いお話でしたけど、それが……」
その質問に、ルイスは大親分を気取り、答えた。
「まぁまぁ、『しかと御覧じよ』……」
ディアーナがその真意を知るのは、それからしばらく後の事だった。
大甕の逸話は聞いたことがある人もいるかもしれませんね。ご想像の通り、本当の話は泥棒ではなく忍者です。