3 絶対魔王殺す忍者(マン)
次話でプロローグは終わりの予定です。
ここまで読んでいただいた読者の方に感謝です。
今、弥左衛門は牢にいた……
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……時間は二度目の信長暗殺計画の前に遡る……
弥左衛門は今回の計画の準備を自室で行いながら、最初の暗殺計画失敗の原因を冷静に分析していた。
風の影響、火薬、銃身、鉛弾の状態、自然物の影響……だが何度検証しても結局同じ結論に達してしまう。
「俺の弾は不可視の壁によって遮られ、その壁に当たって砕けた……」
全く理解を超えていたのだが、ありのままに起こった事を分析するとそうなってしまう。もはや、そういうものと仮定して作戦を立てるしかない。
その壁がある以上、銃や弓は通じない、さすがに大砲まで使えば壁は貫通するだろうがそんなもの担いで、信長に近づけるわけがない。伊賀忍軍の知識と技術を総動員して、あの魔王を殺しきれる武器を想像する。
一般的に日の本への鉄砲伝来は天文十二年(1543年)であり、その後日本中に広まったと言われている。
しかし、忍者の世界では独自に海の外、明の国からあらゆる技術を取り寄せ、改良し、以前から秘密裏に使用してきたのである。
忍者は火薬、弾丸、銃の部品や銃身などを製造することさえ可能なのだ。この時代最新の技術の最先端は「忍者」が握っていたのである。忍者とは科学者であり、化学者であり、軍人であった。
より硬いものを貫通する武器を、より広い範囲の敵を殺せる武器を、より遠くから殺せる武器を、より静かに殺せる武器を、忍者の探究心は留まる事を知らなかった。忍者は「戦う」ことにかけては、現代レベルの技術を有していたのである。
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入念な準備を行い、弥左衛門率いる十人の忍者一行は信長の本陣に向け出発した。
複雑な地形の山中をまるで獣のようにスムーズに進み、信長の本陣の旗が見えた時、弥左衛門は手で合図を出し仲間の忍者は音もなく物陰に隠れた。
弥左衛門がいち早く物見の兵を発見したのである。『離れすぎている』と弥左衛門は思った。本陣まで相当な距離があるにもかかわらず、こんなところまで物見を立たせているのだ。物見の兵など、彼らにとっては物の数ではない。しかし、その人数が尋常でない、まさに結界である。
「城戸、どうする?」
「……夜を待つ」
この数の物見では倒して侵入するのは容易でない。一人二人倒しているうちに、必ず異変に気付くものが出てくる。夜陰にまぎれて近づくしかない。今回の作戦はある程度の距離に近づく必要があるのだ。
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時が経ち、夜の帳が下り、信長の本陣は篝火が焚かれた。幾重にも近侍の侍が層をなし、警護の厚みは以前の比ではない。折り重なって設置された陣幕により信長の姿も見えず、警護が肉の壁となり射線も確保できない。空でも飛ばぬ限り狙撃など不可能な陣形である。
忍び装束に身を包んだ彼らは、疾風のごとき速さで走り、陣の風上に位置取る。篝火程度の灯りでは普通の物見が忍者を認識できるはずもない。移動した彼らは、持ってきた小ぶりな一つの壺の口を開く。取り出したるは奇妙なる油紙で包まれた粉薬。一人の忍がそっと包み紙を開くと、風に乗せて粉薬を本陣に向けて撒いていく。一つ、二つ、と
-『毒』-
馬銭より抽出した粉薬はインドールアルカロイド系のストリキニーネを含む、伊賀忍軍の『痺れ薬』である。わずかでも吸い込めば激しい痙攣を起こし、声さえ上げられず弓反りになりガクガクと体を震わせて倒れる。弥左衛門の予想通り、本陣の風上側に陣取っていた近侍の侍や物見達がバタバタと倒れていくのが見て取れた。
「例え陣幕に居ようとも、我が毒は風に乗り、お前の元まで届くぞ、信長」
陣幕の中の阿鼻叫喚を弥左衛門は見て取れるようだった。しかし、忍者に油断はない。「次」と弥左衛門は声をかけた。
再び、忍の一人が別の壺から包み紙を取り出す、今度の毒はまた先ほどとは違った効果を生み出す。
トリカブトの根より抽出し、精製したこの薬は猛毒のアコチニンを含み、口からは言うに及ばず、皮膚や粘膜についただけでも、嘔吐、呼吸困難、多臓器不全を引き起こす。一の毒で動けなくし、二の毒で殺しつくす。忍者の世界に正々堂々などという言葉はない。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの世界である。忍者はきたないのだ
しかし、まだ終わらない……、殺し尽くす、徹底的にだ。
邪魔な警護を動けなくした彼らは、素早く陣幕に肉薄する。懐の内より取り出したるは、割れやすい素焼きの瓶。その瓶を銘銘が陣幕の中心、信長のいる位置に投げ入れた。瓶の割れる乾いた音が響く。
瓶の中より飛び出した秘薬、これも猛毒。毒芹より抽出した毒成分、シクトキシンを油に溶かしたものだ。皮膚から吸収され易いこの猛毒は、体に付着すると落としにくい油と合間って、わずかでも体にかかれば、深刻な事態を引き起こす。そんな物騒なものを一箇所に二十も投げ込んだのだ。死ぬ、もう死ぬしかない。
信長を殺しきる方法を弥左衛門は考えた。
例え弾を防ぐ不可思議な壁があろうと、呼吸をせぬ生き物はいない。ならば毒だ。解毒の隙を与えぬ、次から次への、種類を変えての猛毒の波状攻撃だ。しかし
「まだだ」
弥左衛門は終わらない。まだ、終わらない。陣幕の中心、最後の木瓜紋の天幕までたどり着いた彼らは、信長を絶対逃がさぬよう、四方を囲む。十の忍者が懐より取り出した尺八のような竹筒に口に当てると猛然と「ふーッ」と一息に吐いた。竹筒より出たそれはまるで白い霧のように、靄のように前方の信長のいる幕内を埋め尽くす
「散!」
弥左衛門の合図で全員が後ろに飛びのくと、弥左衛門が背から鉄砲を取り出し幕内に撃ち込んだ!次の瞬間、凄まじい轟音とともに幕内に巨大な火柱が上がったのだ!
現代の我々であれば知っているこの霧の正体、その名は「気化爆弾」
正式名は「燃料気化爆弾」……
酸化エチレンなどの燃料を高温高圧で一度に空中に散布することで蒸気雲が発生する。この雲に着火することで、自由空間蒸気雲爆発を発生させる。爆風による衝撃波、超高圧な圧力、三千度に達する高温が、もはや微生物でさえ殺し尽くす。
このようなものをこの時代に、人の手で生み出し、しかも完全に現象を起こすなど、忍者、恐るべし!
離れていてなお、顔を焼くような熱風を受けながら、弥左衛門は再び合図を送る。
弥左衛門は終わらない。まだ、終わらない。「念には念を」どころではない。
四方に陣取った忍者がそれぞれ背から取り出したるは『鉄砲』か?否、ただの鉄砲にあらず。打ち出したる弾は、百の細かい鉛玉の集まり。それが轟音とともに射出され、一定範囲内にばら撒かれる。現代の「散弾銃」である。十人の忍者が四方から同時に浴びせる礫の数は千。不可避の殺し間である。
伊賀忍軍の作り上げたその散弾銃の弾丸、「ぶどう弾」は炸薬と弾子を包み込んだ殻に外から引火する。火薬の威力で百の弾子が銃口から高温とともに紡錘状に飛び出し、火薬と弾子を排出した殻は鉄の跳ね金で外に放り出され、新たな殻を入れることができる。銃身の強度のため三度ほどしか繰り返せぬが、それでも都合三千の十字砲火である。
例え盾で防ごうとも、全方位からの攻撃は防ぎきれるものではない。
毒で、衝撃波で、熱で、鉄砲で、過剰と言える火力を叩きつけても尚、弥左衛門は油断しない。
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……銃声が静まり、炎と硝煙弾雨の上げた煙が風に洗われ、あたりの虫の声も少しづつ戻ってきた。
弥左衛門は襤褸襤褸になった木瓜紋の陣幕を睨みつけたまま、声をかけた。
「耳」
耳と呼ばれた忍者が答える。
「陣幕の中から音はない、おれば死んでおる」
「鼻」
別の忍者が答える。
「この匂い、信長公に間違いない。中におるわ」
二人の忍者とも卓越した感覚器官を持つ子飼いの下忍である。弥左衛門は彼らの常人離れした感覚に絶大な信頼を置いている。
その二人が揃ってこう言っているのだ「信長は死んだ」と。
弥左衛門は鉄砲を構え、龕灯を持った”目”を連れて、慎重に天幕の中に入る。
……
弥左衛門は目を見開いたまま息もできず、ただ驚愕した。
「なん……だ……と……」
信長がいた。
死んでいるはずの西洋風の甲冑に身を包んだ信長が、ただ立っていた。
薄く青白い光に包まれ、うっすらと笑みを浮かべて立っていたのだ。油断なく構えてすら撃つ事を忘れていた弥左衛門も事、ここに至って自分のやるべき事を思い出した。構えた銃で信長の眉間を正確に狙い撃ったのだ。
瞬間、銃口から弾丸が飛び出し信長の命を絶つ筈の銃が爆発した。
弥左衛門の意識は闇に落ちた。




